未来予想図を破り捨てて

 ガチャリと鍵の開く音がした。窓からもれる明かりで俺が来ていることに気づいたんだろう、冨岡先生は出迎えた俺を見ても驚く様子をみせなかった。
「来てたのか」
「……ごめんなさい」
「別にいいが、もう遅い。送っていく」
「泊るって言ってきました」
 あ、眉が寄った。でもこれは怒ってない。困ってる顔。それがわかるぐらいには、一緒にいる時間を積み重ねてきたことがうれしい。
「誕生日、明日ですから」
 なんでと尋ねられる前に、さっさと自己申告しておく。誕生日当日に来ることは不可能だと、先生もわかっているからか、ちょっと黙りこんだあとで軽くうなずいてくれた。お許しが出たらしい。
「へへっ、おかえりなさい、義勇さん」
「ただいま……炭治郎」
 名前で呼びあえば、恋人の時間の始まり。抱きしめあってキスだってできる。

 義勇さんの家に泊まるのは休みの前日だけ。自然と決まっていた暗黙の了解に、文句をつける気は毛頭ない。恋人になれただけでも奇跡みたいなんだから、文句を言ったら罰が当たりそうだ。
 頻度はそう多くない。せいぜい月に二度くらい。本当は毎週だって泊まりたいけれど、早出残業当たり前、休日にも出勤の多い義勇さんが、家でのんびり過ごせる時間はかなり少なかった。それに、生徒の俺がしょっちゅう遊びに行っているのを、知りあいに見られても困る。男だから言い訳もできるけど、俺が女だったら、こんなふうに遊びに来ることさえ義勇さんは拒んだかもしれない。

 店の常連だった義勇さんが、小学生のころからずっと好きだった。義勇さんが大学を卒業して先生になってからも、ずっと。

 告白したのは俺からだ。高等部に上がって、最初は毎日逢えるようになったのがうれしかった。でもそんな喜びも、あまりにもモテる義勇さんの姿を見せられるうちに目減りして、独り占めできない悲しさのほうが、大きく耐えがたくなったから。
 学校では大勢いる生徒のひとりでしかないから、義勇さんと呼ぶこともたしなめられた。冨岡先生と呼ぶようにと注意されたときに、胸の奥がギューッと搾り上げられるぐらい苦しかったことなんて、義勇さんはちっとも気づいちゃいなかっただろう。
 切なくて、苦しくて、もう無理って思うのは早かった。ゴールデンウィーク前には限界がきていたぐらい。だから告白したんだ。ふられて恋心を壊してもらわなきゃ、ずっと苦しいままだと思ったから。
 受け入れられるなんて思ってなかったのに、先生が好きですと震えながら言った俺を抱きしめて、冨岡先生――義勇さんは、俺もだと囁いてくれた。

 その日から、義勇さんと俺は、恋人になった。誰にも言えない、秘密の恋だ。

 初めてのキスは、ゴールデンウィークに義勇さんの車のなかで。デートするにも近場では誰に見られるかわからないからと、他県の水族館まで行ったその帰りでだった。
 義勇さんはとても忙しいから、あんまりデートなんてできない。俺も家の手伝いだってある。だから一緒に出掛けられる日はとても貴重で、そういう日は必ずキスするようになった。
 学校でもキスした。高一の誕生日のことだ。ピアスを返してもらいに行ったときに、お小言の後でそっと耳に触れたきた指先の固さに、ぞくりと背が震えて、見つめる間もあらばこそ、近づいてきた顔に目を閉じた。
 誕生日おめでとうの一言と、キスのあとで渡されたキーホルダーがプレゼント。
 内緒のデートのときに、なにが欲しいと聞かれて俺が答えたのは『誰にも見とがめられそうになくて、でも毎日持っていられるもの』だった。銀色のプレートに赤と青の小さな石が並んで埋め込まれた、シンプルなデザインのキーホルダーは、俺の宝物になった。
 その日から、たびたび俺たちは生徒指導室でキスしている。こっそりと、誰にも見られないように。

 高二の誕生日にもなにが欲しいと聞いた義勇さんは、プレゼントは義勇さんがいいと言った俺に、一瞬絶句した。
 わかってた。義勇さんが俺を抱く気なんてなかったことは。少なくとも俺が卒業するまでは。
 それは当然のことだと俺も思う。万が一そんなことがバレたら、冨岡先生の社会的信用は地に落ちる。きっと学校も辞めることになって、二度と逢えなくなることぐらい、俺にだって理解できてた。
 それでも、我慢できなかった。だって好きなんだ。義勇さんの腕に抱きしめられるたび、一つに溶けあえたらいいのにと、いつだって願ってた。キスが深くなるたびに期待はつのる。いつでもクラクラするぐらい気持ちよくて、このまま義勇さんのものになっちゃいたいと、ずっと思ってたから。
 我儘を言ってる。無理難題を押しつけてる。わかっていたから、冗談ですと笑おうとしたのに、義勇さんがくれた返事は『当日じゃなくてもいいか?』だった。
 その年のプレゼントは、義勇さんの家の合鍵。土曜に泊りに来いと囁いてキスしてくれた義勇さんは、とても余裕に見えたのに。
 夕飯もそこそこにベッドに沈められて、我慢していたのがお前ひとりだと思うなと、切羽詰まった顔と声で言ってくれたとき、俺がどれだけうれしかったか、義勇さんは知ってるだろうか。
 休みの前日に、義勇さんの家に泊まる習慣は、そのときから。逆に言えば、義勇さんと夜を過ごせるのは休みの前だけ。寂しくてもそれはしかたのないことなんだ。
 でも、その不文律を、今日は破った。平日だけれど、今年だけはどうしても一緒に過ごしてほしかったんだ。

 今年、俺は十八になる。高校三年生。そろそろ教室でも受験の二文字が聞こえ始めた。
 毎日義勇さんに逢えるのは、高校生でいるあいだだけ。その先の話を、義勇さんと俺はしたことがない。
 もちろん進路指導という意味でなら、希望校の話はしている。俺は長男だから、パン作りを学べる専門学校に進んで、いずれは店をつぐことになるんだろう。それを疑問に思ったこともないし、嫌だとも思っちゃいない。家族だってそれを信じているだろう。
 ひかれたレールを走っていく。それはべつにいいんだ。でも、怖くなった。レールの先に義勇さんは――冨岡先生は、まだいてくれるのかと。
 こんなに好きなのに、幸せなはずなのに、卒業後の俺たちを、俺はうまく想像できなかった。
 昨日より今日のほうが好きが重くなる。今日よりもきっと明日のほうが、もっとずっと好きな気持ちは大きくなって、あふれてこぼれて自分の想いで溺れそうになるぐらい、大好き。それはこれからもきっと変わらないだろう。
 だけど、毎日逢えるのは、俺が生徒で、義勇さんが先生だからなんだ。

 俺の希望する進学先は、他県にある。家を出て一人暮らししなきゃ、通えない。
 逢いたいと思ったときに逢えるのは、卒業するまでなんだと気づいてしまった。

 差し向かいで食事する。並んで皿洗いもする。まるで新婚さんみたい。毎回律義にホワホワと幸せになるいつもの流れなのに、今日はちょっぴり胸が痛い。小さな棘が刺さってるみたいに、チリチリと痛んで、気になってしかたがない。
 棘の名前は、自分でもわかっている。不安なんだ。
 誕生日を祝ってもらえるのは、これきりかもしれない。卒業したら離ればなれ、いつのまにか自然消滅。そんな未来予想図が頭をちらつくから、いつもみたいに笑えなくなった。
 明日は家で禰豆子たちが誕生日を祝ってくれる。きっと善逸や伊之助も、昼休みあたりに祝ってくれるだろう。毎年変わり映えのない誕生日だ。
 でもそれも、今年までだ。来年の今日は、きっと俺は別の場所で、家族とも今の友達とも逢えずにいるんだろう。もちろん、義勇さんとも。
 先生と生徒の肩書がとれて、ただの恋人同士になっても、そばにはいられなくなる。それが嫌なら進学先を変えればいいようなものだけど、俺が行きたいと思う学校は、どれも家から通うには遠すぎた。
 チリチリ、チリチリ、心に刺さった棘が痛い。
「風呂、一緒に入るか?」
 食器を洗い終えた義勇さんの一言に、思わずまじまじと顔を見た。そんなの今まで一度も言ってくれたことないのに。
「明日は六時には家を出る」
「早いですね」
「いつもそんなもんだ。休みじゃないから時間がない」
 あぁ。そういうことか。
「別々に入ってたら時間がもったいないですもんね」
 答えた声は我ながら弾んでた。俺って現金だな。義勇さんのちょっとした言葉ひとつで、すぐに浮かれる。不安よりも、初めて一緒に入るお風呂への期待で、頭がいっぱいになっちゃうんだから。

「……やっと笑ったな」

 どこかホッとしたように笑った義勇さんに、ドキリと鼓動が跳ねた。
 なにを言ったらいいのかわからない。俺の不安を気づいてくれたことがうれしいのか、気づかれたことにとまどっているのか、自分で自分の気持ちがよくわからなかった。
「行くぞ。もたもたしてたら日付が変わる」
「あ、はい」
 壁時計の針は十時を指してる。遅くとも五時半には起きなきゃいけないとすれば、たしかに時間がもったいない。
 最後になるかもしれない誕生日だ。楽しまなくちゃずっと後悔する。
「義勇さんの髪、俺が洗っていいですか?」
 好きにしろと言うように、義勇さんは笑った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 天井からポタンと落ちた雫が鼻先に当たって、思わず肩をすくめた。
 背中に感じる義勇さんの腹筋が少しゆれて、笑っていることを知らせる。
 アパートの狭い風呂に二人で入るには、ぴったりくっつかなくちゃ湯舟につかれない。窮屈さがうれしいなんて初めてだ。
 狭いから体を洗うのは立ったまま。じゃれるみたいな触れ方は、どこまでも優しい。大きな義勇さんの手のひらは、竹刀ダコがあって固い。泡まみれのその手が、やんわりと俺の肌の上をすべるたび、くすぐったさに身をよじった。
 うずうずと体の奥がうずくけれど、燃え上がるには少し物足りない、ギリギリの触れ方だった。
 お互いに髪を洗いあって、あふれるお湯に笑いながら湯舟につかるころには、あぁこれって前戯――そんな言葉を知ったのも、義勇さんとこういうことをするようになってからだ――だったのかなと気づいた。後ろから抱き締められて、首筋を甘く噛まれれば、疑う余地はない。
「ここで?」
「最後まではしない」
「してもいいのに」
「ゴムを持ってきてないからな」
 こもる声での返答に、ちょっと不満をおぼえて振り返った。
「着けなくちゃダメですか?」
 女の子じゃないんだから、妊娠なんてしない。なのに義勇さんは絶対にゴムをつける。中で出されるとお腹を壊すらしいと聞いたことがあるけど、少しぐらいなら大丈夫じゃないかなぁ……なんてことを考えていた俺に、義勇さんはふぅっと小さくため息をついた。
「受け入れる側はタンパク質の過剰摂取で腹が痛くなる。腸壁にこびりついたまま固まれば、救急車を呼ぶ羽目になるぞ。それに腸は単層だから傷がつきやすく、感染症のリスクも高い」
「俺は病気なんて持ってませんよ」
「おい、変な目で見るな。俺だって持ってない。入れる側のリスクとしては感染症のほか、尿道炎、場合によっては前立腺炎の原因にもなる」
「前立腺炎?」
 前立腺って、アレだよな。義勇さんが触ってくれると頭がくらくらするぐらい気持ちいいとこ。
なんとなく口に出すのが恥ずかしい。
「細菌感染する場合が多い。痛みのほか……勃起障害や射精障害をともなう」
「それって……」
「俺のが役立たずになるってことだな」
「ゴム着けましょう」
「即答か」
 そんなこと言われたって、しかたないじゃないか。だって義勇さんとするの、好きなんだ。できなくなるの、ヤダ。
 クツクツと喉の奥で笑う義勇さんは、やけに上機嫌だ。
「アダルトビデオやエロ本なんて、おおむねファンタジーみたいなもんだ。ちゃんとした知識なしに真似したら、それなりのリスクをともなう。気をつけろよ、青少年」
「そんなの必要ないんで見てません。俺の知識は全部義勇さんからですよ。先生」
「それは責任重大だな……しっかり指導してやらないと」
 甘い声。肌をたどる固い指先。うなじをくすぐる熱い息。
 みんなみんな、義勇さんだけでいい。義勇さんにだけ、教えてほしい。

 先生の顔ではなく恋人の顔で、義勇さんは今日も丁寧に、俺の体に実践指導してくれた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 髪を乾かす時間も惜しくて、タオルドライだけで済ませたからというだけでもなく、ベッドシーツは湿っている。汗やローションでぬれたシーツは、眠るには勘弁願いたい有り様だけれど、寝るだけなら気にもならない。
 荒い息はお互い様。風呂上がりの肌は、また汗にまみれて、ほど良い疲れが体を満たしてる。でも、まだ足りない。明日はふたりとも寝不足になるだろうけれど、それでももっとと望んでいた。
 口を結ばれた使用済みのゴムを、行儀悪くゴミ箱へ放り投げた義勇さんは、ベッドヘッドの引き出しを手だけでゴソゴソと探っている。俺の顔にキスの雨を降らせながら。
 器用だなぁと、なんとなく思う。どちらかといえば不器用な人なのに、こういうときの義勇さんはえらく器用だ。慣れている。なんて言葉を思い浮かべるのは、胸が苦しくなるから見ないふり。
 今は何時だろう。もう日付は変わったのかな。そんなことを考えていると、義勇さんがむくりと身を起こした。
「義勇さん?」
「……ゴムが切れた」
 どことなく情けない声に、パチクリとまばたきする。そんなこと一度もなかったのに、めずらしいこともあるものだ。そう考えて思い至ったのは、今日は平日だってこと。
 いつもは週末に泊りにくるから、その前に買い足していたんだろう。約束してなかった平日のお泊りだったから、残り数を確認していなかったようだ。
 今日はもうおしまいなのかなと思ったら、不満と無念さが顔に出たんだろう。義勇さんは苦笑すると、コンビニで買ってくると言い、床に落ちている下着を手に取った。
「俺も行きます。お腹減ったし」
「……夜中に食うと太るぞ」
「運動するから平気!」
 若いなと苦笑を深めた義勇さんは、それでも止めようとはしないでくれた。

 慌ただしく体を拭いて、適当に服を着たら、真夜中のデート。
 コンビニに買い物に行くだけだけど、そんなことすら昼間はそうそうできない。並んで歩くことはできても、手をつなぐなんて許されないから、真夜中の買い出しは好き。
 住宅街の路地に人影はない。ぽつりぽつりと窓からもれる明かりに、宵っ張りな人の存在を知る。きっと世界が完全に寝静まることはないのだろう。コンビニにだって働いている人がいる。
 街灯に照らされる路地は薄暗い。明かりの届かない死角の暗がりは、見えない不安が潜んでいるようで、なんとはなし怖くなった。
 チカリと目の端にとらえた光に視線を向ければ、カーブミラーに自分の姿が映っていた。手をつないで歩く、俺たちが。
 ヒヤリと背筋にかすかな寒気が走る。生ぬるい七月の夜風は、肌を冷やすものじゃない。ゾクリと震えたのは、多分、鏡に映る俺たちが『見てるぞ』と訴えかけているように見えたからだろう。

 臆病なタチではないと思うのだけれど、義勇さんとの恋にはいつだって怖さがつきまとった。
 幸せなのに、好きなのに、誰にも見られない真夜中じゃなければ、こんなふうに手をつなぐこともできない。それだってきっと、今も起きてる宵っ張りの誰かが窓を開ければ、繋いだこの手を見られるかもしれないのだ。
 秘密の恋をスリリングだと笑って楽しめるほど、大人になんてなれない。本当は昼間の明るいお日様の下でも、手をつないで歩きたい。この人に恋してます、幸せですと、世界中に宣言できたらどんなにいいだろう。
 ううん、そんなに大それたことは望まない。ほんの少しでいいんだ。少しだけでもいいから、誰かにこの恋を祝福されたい。
 義勇さんを困らせるだけだとわかっているから、絶対にそんなことは口にはしないけれど。

「……十二時だ」
「え?」

 突然立ち止まった義勇さんが、スマホの画面をこちらに向けた。
「誕生日おめでとう」
 0の並んだ画面に、日付が変わったことを知る。義勇さんの声は優しい。
「ありがとうございます……」
 俺はちゃんと笑えているだろうか。なんだか頬が引きつるし、目の奥が熱い。
「泣くな」
 頬に触れた固い指先。その指先でそっと拭われて、自分が泣いていたことに気づいた。
「先生……」
 本当は、いつだって義勇さんって呼びたい。お日様の下でも、誰の前でも。だけど俺は生徒で、義勇さんは先生だ。恋人の時間は限られている。
 それが寂しいのに、生徒のままでもいたくなる。だって毎日逢えるから。ずっと見つめていられるから。
「十八に、なっちゃいました……」
「そろそろ子ども扱いできなくなるな」
 やわらかな囁き声に、からかう響きはない。目じりが優しく下がってる。かすかに上がった口角。こんな微笑みを見られる特権を、いつまで持っていられるだろう。
「……卒業、したくない」
「卒業したらもう先生なんて呼ばなくてもいいのに?」
「だって、一緒にいられなくなる……っ」
 我慢できなくてしがみつけば、背を抱いてくれる。やんわりとなだめるように、こめかみにキスが落ちた。次のキスは目じりに。涙をぺろりと舐めあげられて、反射的に首をすくめた。
「離れたら……別れるつもりだったか?」
「そんなことっ!! そんなの、ヤダ……っ」
「なら、泣くな。俺だってもう手放してやれないんだ。別れたいなんて言われたら泣くぞ」
 泣く? 義勇さんが? 想像できない。
「義勇さんも、泣くんですか?」
「おまえは俺をなんだと思ってるんだ……。泣くだろうな。みっともないぐらい泣いて、別れてたまるかって喚くかもしれない」
「……見てみたい」
 馬鹿、と苦笑まじりの声で言われて、こつりと額があわさった。
「おまえが卒業したら、葵枝さんにご挨拶に行く」
「挨拶?」
「お約束の言葉を言わなきゃならんだろう。息子さんをくださいって」
 囁き声でも義勇さんの声はよく通る。なのに、言われた言葉を、俺はすぐには理解できなかった。
 だって、こんなのありえない。ずっと内緒のままだと思ってた。誰にも言えないまま、秘密の恋をつづけていくんだって。そしていつか、義勇さんも俺も、周りから家庭を持てなんて言われるようになって、別れようかってどっちかが言うんだ。義勇さんのお姉さんや、うちの母さんを安心させるためにも。誰からも祝福される相手と、結婚するために。

 だというのに、いつまでも仲良く幸せに暮らしていく想像よりもよっぽど簡単に想像できた未来予想図を、義勇さんは破り捨てようとしてる。

「結婚はできないから、養子縁組という形になるが、ちゃんと法律的にも家族になろう」
「お、俺、長男……」
「葵枝さんに許してもらえるまで、土下座でもなんでも何度だってする」
「子ども、も、産めないし」
「ふたりきりは嫌か? どうしても子供が欲しいなら、それこそ養子をもらえばいい。戸籍上はおまえの弟か妹になるけどな」
「み、店、あるし」
「おまえのうちの近所にマンションが建つだろう? 徒歩5分だ。分譲なら男ふたりで暮らしても、家主に説明する面倒もない」
 本当はおまえが卒業するときに言うつもりだったんだがなと、義勇さんは穏やかに笑う。
 俺が『今』にしがみついて怯えているあいだに、義勇さんは『将来』を考えてくれてたんだ。俺との『未来』を。
「これから先のおまえの誕生日も、俺に祝わせてくれ。来年も、再来年も、十年後も二十年後も……一生、おまえの誕生日におめでとうを言う権利を、俺にくれ」
「俺の誕生日なのに、義勇さんが欲しがるの?」
 涙は止まらないのに、なんだか笑いたくなった。こらえずに泣きながらフフッと笑えば、義勇さんも笑って
「じゃあ、今年のプレゼントは俺の未来でどうだ? 全部、おまえにやる」
 もらいますと、言いたかったけど言えなかった。言葉にするよりもキスしたかったから。
 ギュッと逞しい背中にしがみついたまま、少し背伸びして唇をそっと重ねたら、すぐに噛みつくみたい深くかみ合わされた。
 真夜中の路地に人影はない。でも、ぽつりぽつりと明かりのもれる窓がある。街灯は煌々と明るくて、世界は眠ってはいない。
 誰かが見るかもしれない街角で、キスしてる。大好きな人と、未来を約束するキスを。

「おととしも、去年も、人生最高の誕生日だと思ったのに……今年も人生最高な誕生日になっちゃった」
「それじゃ、来年も人生最高だと思ってもらえるように、頑張らないといけないな」

 ハードルが高いと苦笑して、少し離れた義勇さんが俺の手をとった。
「最高の誕生日を祝うなら、こんな道端よりもベッドの上のほうがいいだろ?」
「……ゴム、買わなくちゃですね」
「おまえの夜食もな」
 フフッと笑いあって、歩き出す。泣き顔のままコンビニに行くのは恥ずかしいけど、気にしない。だって今日は誕生日だ。今日の主役は俺。うれし泣きぐらい許してほしい。

「幸せすぎて、死にそう」
 ぽつりと言った一言に、義勇さんはまた、馬鹿、と優しく笑った。