学び舎アルバム 大混乱の顛末

 針のむしろ。義勇にしてみればこの状況はその一言だ。端からすればイチャついているようにしか見えなかろうが、だからこそ義勇は正真正銘困り果てている。
「本当のことを言ってください」
「……それよりまず俺の上からどけ」
「誤魔化さないでください!」
「そうじゃなくて、膝の上に乗るなと言ってるんだ!」
 家でならウェルカムな状況ではあるが、ここは学校だ。健全な精神と肉体を育む学び舎である。加えて義勇の職場だ。
 しかも義勇の牙城とも言える生徒指導室ではなく、職員室である。周りには当然、ほかの教師もいるのだ。
 なのに、炭治郎ときたら椅子に座った義勇の膝を陣取って、周りの凝視などまるきり無視だ。
「絶対なにか隠してる。正直に言ってください、怒んないから!」
「いや、もうすでに怒ってるだろ、おまえ」
 いっそこのまま抱きあげて逃げてやろうか。そんな言葉がちらりと浮かぶ。
 逃げたところで、追及されまくるのはわかりきっているけれど。
 
 煉獄がいたらきっと、場を読まないずれた発言をして、この状況もうやむやになる気もするが、あいにくと今日は出張中である。
 最悪なことに、こめかみに青筋を浮かせて一喝しそうな不死川と一緒にだ。
 職員室に残っている面々は、興味津々な様子を隠しもしない。宇髄などは明らかに面白がっている。
 教師だけならまだしも、生徒もチラホラといるのだ。いくらなんでもこの体勢は怪しまれるだろう。甚だまずいと言わざるを得ない。
 義勇と炭治郎の仲は、学園では理事長と校長にしか告げていないのだ。炭治郎の在学中は、恋人同士だということは秘密である。なのに、炭治郎はそんなことすっかり忘れはてて見える。
「とにかく降りなさい。昼休みも終わる」
 大体、なんでまた炭治郎がこんな真剣な形相で、昼休みも終り間近になっていきなり職員室に突撃してきたのかがわからない。隠し事をした覚えなど、義勇にはちっともないのだ。誤解があるようなのは確かだが、逃がさないとばかりにいきなり膝に乗ってくるのは尋常じゃない。よほどのことがあったのだとは思うが、誤解を正そうにも場所が悪い。
 もうじきチャイムが鳴るのを幸いと言った義勇が、炭治郎の耳に後でちゃんと話は聞くからとささやく前に、炭治郎の口から飛び出したのは、まさしく爆弾としか言いようがなかった。
 
「やっぱり後ろめたいんだ。浮気したんでしょ!」
 
 炭治郎の叫びにポカンとした義勇が口を開くより早く「はぁ!?」の大合唱が義勇の鼓膜をつんざいた。
「教職にあるまじき行為。理事長に顔向けができぬではないか」
「教師として以前に、それは人としてどうなのかしら」
「見下げた奴だな、恥を知れ」
「派手に修羅場じゃねぇかよ。で? どうなの、冨岡」
 口々に責め立てられても、義勇だって困る。そんな事実はどこにもない。浮気など一生するつもりはないし、炭治郎にしか勃たな……いや、それはともかく。
 というか、こんな突拍子もない発言を誰ひとり疑わないことが、いささかショックだ。
 義勇に誤解だと叫ぶ隙すら与えず、教師たちがそろって炭治郎を慰め始める。義勇の膝に乗ったままの炭治郎を、だ。
 
 まずは膝から降りろと、なぜ誰も言わない。
 
 真っ先に浮かんだのがそんな言葉である辺り、義勇も相当混乱している。誰も炭治郎と義勇がつきあっているという事実に驚きもしないことには、ちっとも気づいていない。
「いったいなにがあったの?」
 カナエの言葉は、義勇こそが聞きたい。なにがあったらこんな事態に陥るというのか。まったくもって不可解極まりない。
「俺、見ちゃったんです……義勇さんが非常階段で……」
 
 確かに非常階段にはいた。いつもどおり、非常階段で昼飯を食べていたのは事実だ。ひとりで。ボッチじゃない。断じて違う。だが、ひとりだったことは間違いない。
 浮気なんて状況じゃなかった。なにも誤解されるようなことはなかったはずだ。
 思うけれども、高まる周囲の緊迫感につられて、義勇の背にも冷や汗が流れる。
 
「コンビニのじゃないパン食べてたんですっ!!」
 
 言うなりワッと泣きだした炭治郎には悪いが、義勇の脳裏を埋めつくしたのは「は?」の一言だ。義勇だけじゃない。職員室中そろって同じ顔をして、やっぱり口にするのは「は?」の一音である。
「え? パン? 浮気って、パンなのかよ」
「だって、朝はうちの店開いてないから昼ご飯はコンビニで買うけど、それ以外は俺が作ったパンしか買わないって義勇さん言ったのに! 今日食べてたパンの袋、テレビでも紹介された有名店のやつだった! わざわざ買いに行ったんでしょ! 浮気だぁっ!!」
 わぁんと声をあげて泣きながら、義勇の頸に腕を回してギュッと抱きつく炭治郎は、いたって真剣そのものに見える。一方、条件反射で腰を抱き返したものの、義勇の思考回路はショート寸前だ。
「義勇さん、俺が悪かったんならちゃんと直すから、捨てないでっ」
 言っていることは健気でかわいいが、内容はひどい。
 
「――姉だぁっ!!」
 
「へ? いえ、あのパン屋は姉なんて名前じゃないですよ?」
「そうじゃなくて、昨夜姉が買い過ぎたからと分けてくれたんだ! それを持ってきただけだ! 俺が浮気なんかするわけないだろうが」
「なんだ……そっかぁ。貰っただけなんですね」
「当たり前だ。約束は守る」
 誤解が解ければ、ふたりを包むのは甘い空気だ。チャイムの音も耳に入らないぐらいに、ふたりの世界にひたってしまう。
 
「んだよ、派手にくっだらねぇ」
「馬鹿馬鹿しいことこの上ないな!」
「まぁ、幸せそうでよかったじゃないですか」
「悲鳴嶼せんせー、俺のクラス次は冨岡先生の体育なんですけど、自習でいいんですよね?」
「ふむ、まぁしかたないな」
 
 呆れた顔で散っていく教師や生徒も、ふたりの目には入らない。義勇は濡れた炭治郎の目を拭ってやるので忙しい。だから、秘密どころかふたりの仲は周囲にバレバレだなんてことにも、やっぱり気づかぬままだ。
 そうして今日も明日も明後日も、秘密だけれど公認のカップルは、学園中から生温く見守られ続けるのだ。