包んで包まれて(お題:68繰り返し)

 義勇さんと喧嘩した。なので、豚ひき肉を買いに行った。そりゃもうたっぷりと。
 豚バラのブロック肉もドンと奮発。それから、やっぱり大量すぎだろって自分でも思うぐらいの、シュウマイの皮も。一袋三十枚入りのを五袋。
 うん、いつもながら男ふたりの家の消費量じゃないな。
 
 勢いよく注文した俺に、肉屋のおじさんが苦笑いしながら「早く仲直りしなよ?」とおまけのコロッケをくれた。
 その足で次に向かったのは八百屋。玉ねぎに長ネギ、食感をよくするためにレンコンなんかも買ってみる。八百屋のおばさんにも「冨岡先生モテるもんねぇ」とのお言葉付きで、おまけのプチトマトを貰った。
 トッピングのグリーンピースも忘れちゃいけない。生を買うのは持てあますから、これは缶詰で十分。ちょっと足を運んで、商店街を抜けた先のドラッグストアへ向かう。
 全部グリーンピースってのも味気ないから、コーンの缶詰も買い込む。あとは家にまだある人参でいいや。
 たまには贅沢に、カニやエビなんか乗せてもいいよなぁと思わないでもないけど、家賃も食費も、今のところほとんど義勇さん任せだ。たとえむしゃくしゃしたって、そんな贅沢は俺の心臓にこそ悪いから却下。
 ついでに切れかけてたトイレットペーパーとシャンプー、洗剤と柔軟剤も買ったら、結構な大荷物になった。本当は、洗剤なんかは明日義勇さんと買いに来ようと思ってたんだけどな。流れ次第ではお買い物デートどころじゃなくなるだろうから、しかたない。なにしろ喧嘩のあとなので。
 
 
 喧嘩した翌日は、ほかのおかずは作らない。シュウマイ一択。なんならご飯すら炊かないこともある。だって食べても食べても減らないぐらい、大量に作ることもあるから。
 たぶん、今日もそのコースだ。だって結構派手に喧嘩したし。
 トイレットペーパーとエコバッグを持って歩く商店街で、俺に向けられる店の人たちの顔は、苦笑ばかりだ。
 シュウマイの材料を炭治郎ちゃんが大量に買い込む日は、冨岡先生と喧嘩した日。そんな共通認識が、商店街には浸透している。そんなにわかりやすいのかな、俺。
 喧嘩するほど仲がいい。夫婦喧嘩は犬も食わない。そんな言葉を笑ってよこしてくれる商店街の人たちは、俺と義勇さんの仲を嫌悪や奇異の目で見ないでくれる。俺は最高に恵まれているんだろう。
「夫婦喧嘩と障子はハメりゃあ元通りってなもんだ。冨岡先生に牡蠣食わせな、牡蠣。精がつくからさ!」
 と笑って声をかけてきた魚屋のおじさんを、おばさんが「炭治郎ちゃんに下品なこと言ってんじゃないよっ、この宿六が!」とひっぱたくのも、もうお馴染みの光景だ。
 最初はハメたら元通りの意味がわからなくてキョトンとしちゃったけど、次の日、大量に牡蠣を買ってきた義勇さんに教えてもらって以来――実践されたとも言う――おじさんの軽口に真っ赤になっちゃうのも、お約束だ。
 魚介をたくさん食べるカップルはセックス回数が多いなんていう、眉唾ものな豆知識まで披露してくれたおじさんが
「炭治郎ちゃん、お得意さんだからなぁ。冨岡先生、すました顔して強いのかい?」
 なんて余計なことまで言って「いい加減にしな、この唐変木!」とおばさんに思い切りお尻を蹴飛ばされてたのは、ちょっとだけお気の毒だと思ったけども。
 なにせ魚屋のおばさんは、商店街の女子サッカーチームのエースストライカーだ。おじさん、しばらく椅子に座れなかったんじゃないかなぁ。
 ……まぁ、その豆知識については、ノーコメントってことにしておこう。あぁ、義勇さん、鮭大根好きだもんなぁと、納得しちゃったけども、うん、まぁ、いいや。
 
 喧嘩、してるのである。だから今夜はシュウマイ。大量な。
 商店街を歩いていると、なんだか喧嘩してるのが馬鹿らしくなっちゃうぐらいに、胸がほんわか温かくなって、夫婦扱いされる幸せにいまだひたってしまう。でも、喧嘩は喧嘩だ。
 理由は、くだらないものもあれば、ちょっと深刻なものまで、いろいろ。四年近くも一緒に暮らせばそれなりに、すれ違いやらなんやらだって生まれるものだ。
 だから、シュウマイなんである。

 そろそろ赤さびが浮きだした階段を、カンカンと足音を立ててのぼる。二階の角部屋が俺らの家。
 2DKのアパートは、俺が増えた以外には、義勇さんが越してきた当初から顔ぶれがまったく変わっていないらしい。義勇さんは朝早くて夜遅いブラック企業顔負けの教師なもんで、あまりアパートの住人と顔をあわせることはないけれど、俺は気楽な大学生だから、それなりにご近所づきあいもしている。
 お隣は年金暮らしのお爺ちゃんで、ちょっと耳が遠い。でも耳以外はまだまだお達者で、毎朝いそいそとゲートボールに出かけている。入れ歯じゃなく自前の歯がそろってるのが自慢だ。あやかりたいものである。
 下の部屋は母子家庭の親子で、小学生のお兄ちゃんと妹の兄妹喧嘩の声が、ときどき聞こえてくることがある。でも、普段はとっても仲良しな兄妹だ。お母さんは看護師さんだそうで、義勇さんと負けず劣らず仕事が忙しいらしい。だからたまに俺も、妹ちゃんの保育園へのお迎えを買って出る。ふたりとも俺にすごくなついてくれてて、六太たちを思い出させるから、俺もふたりと遊ぶのが大好きだ。
 商店街の人たち同様、アパートの住人にも俺らを変な目で見たりしないし、差別的なことを言ってくる人はいない。
 やさしい人たちに囲まれて、義勇さんに愛されて、ほんのときたまだけれども、これは都合のいい夢を見てるだけなんじゃないのかと、不安になったりもする。馬鹿な話だ。同棲してから去年ぐらいまでは、結構頻繁にそんなことをこっそりと思っていた。
 今は、そんな不安に駆られることはほとんどない。義勇さんと喧嘩だってするのに。
 
 喧嘩するから、かな。
 
 買ってきた荷物をしまい込みながら、少しだけ笑いたくなった。
 土曜の午後、アパートは静かだ。お爺ちゃんは多分、テレビを見ながら居眠り中。下の階の兄妹は、お母さんが遊園地に連れてってくれるんだと昨日大はしゃぎしてた。今ごろは、メリーゴーランドとか乗ってるのかも。
 小腹ふさぎに肉屋で貰ったコロッケにかじりつく。夕飯の支度はまだしなくていい。だって喧嘩中だから。
 今日、義勇さんは部活の指導で出勤だ。夕方には帰ってくる。
 昨日の喧嘩の理由は、他愛なかった。八百屋のおばさんは、今回は外れ。っていうか、そういうい理由で俺が落ち込むのは、めっきり減った。
 義勇さんはきれいで、格好良くて、ときどきメチャクチャかわいくて。俺になんてもったいないぐらいの人だけど、そんな義勇さんが心から愛してくれているのは俺ひとり。義勇さんは、俺が作ったものしかもう食べない。いつも非常階段で食べてたぶどうパンも、ずいぶんとご無沙汰だ。今は俺の手作り弁当持参――義勇さんは愛妻弁当なんて言うけど、恥ずかしすぎるからちょっと勘弁してほしい。

 うん、アレ。さすがにハートマークはないと思うよな。そりゃ、義勇さんを作る細胞の全部、俺が作った料理で作りたいなんていう、だいそれたことは思ってますよ? 実践もしてるけどね?
 でも、義勇さんももう三十路だし、先生だし、しかも学校じゃ鬼のスパルタ教師で通ってるんだし? ハートマークはない。うん、ない。
 なにしろ、義勇さんの恋人が俺だってことを、先生たちはみんな知っているのだ。義勇さんが同棲してすぐに、バラしたらしいから。なんなら生徒たちにも周知されてるとかなんとか。中高一貫だけに、俺を知ってる後輩だってまだ在籍しているのにだ。
 ハートマーク付きの弁当を作ってる俺の姿なんて、想像されたら恥ずかしすぎて軽く死ねる。宇髄先生たちに次に逢うとき、どんな顔すりゃいいってんだか。
 
 あぁ、本当にくだらないことで喧嘩してるなぁ。
 
 思った瞬間、口がムズムズとして笑いがこみ上げてくる。
 だって、喧嘩したことは悲しいけれど、やっぱりうれしいんだ。喧嘩にすらならなかった以前と比べたら、くだらないことで言いあって、ふてくされた顔を素直に見せるなんて、幸せ以外のなんだって言うんだろう。
 我儘なんて言っちゃ駄目だと思ってた。迷惑をかけたら嫌われるんだって怯えてた。好きだと言われて抱きしめられて、体中、義勇さんに触れられていないところなんてないぐらいに愛されても、いつかは終わる日が来るんだと思い込んでいたあのころ。
 義勇さんは俺にとっては完璧すぎるほどの人で、愛される理由がわからなくて不安だった。引け目を感じて、苦しくて、不釣り合いだと身を引く覚悟がいつでもあった。
 ずっと、ずっと前から、大好きだった。きれいで格好良くてかわいくて、賢くて強くて完璧な義勇さんが。でも、今義勇さんは、愛妻弁当にハートマークを書いてほしいなんてくだらないわがままを言って、恥ずかしすぎでしょと文句を言った俺にふてくされてみせる。三十も超えたっていうのにだ。
 ソファに寝そべって新聞を読みながら、だらしなくお腹を掻いたり、休みの日には無精ひげを生やしてたりもする。
 それがうれしいなんて、おかしいかな。幸せでたまらないなんて、誰に言ってもあきれられるかも。
 だけど、ふてくされられるのが本当にうれしいんだ。だらしない格好でくつろいでる義勇さんを見ると、幸せでどうしようもなくなる。
 隙のない完璧な義勇さんの、俺にだけ見せてくれるだらしない格好。完璧だと思っていた義勇さんのそんな姿に、安心する。隙がなくて俺なんか不釣り合いだと、落ち込む必要なんてないと思わせてくれる、隙だらけのだらしなくてわがままな義勇さん。
 俺がいなくちゃ駄目ですね、なんて。偉そうに言えば「当たり前だろう、おまえがいなくなったら泣くぞ」と答えて、抱きしめてくれる。無精ひげの生えた頬を俺の顔にすり寄せて、痛いってばと押しのけようとしても笑ってわざとこすりつけてきたりもする。まったくもって大人げない。
 そんなところも、大好きで。やっぱり義勇さんは完璧だと惚れ直すとか、我ながらたいへん幸せなことに重症だ。

 
 さて。夕方までにとりあえず掃除しちゃおう。喧嘩したときのルーティンだ。
 台所の流しを磨きあげたら、リビング代わりの六畳に掃除機をかけて、ローテーブルを拭きあげる。今日はローテーブルで夕飯の支度するから、埃は厳禁なのだ。
 喧嘩した日は、義勇さんの帰りは早い。シュウマイだってわかってるから。
 ボウルやまな板を用意して、シンク下にしまい込んでる重い鍋を引っ張り出す。これを貰ったころに始まったんだよな、この仲直りの儀式。
 結婚式の引き出物に貰ったはいいけど、重すぎて持て余すと母さんから渡された、ブランド物の鍋だ。一時期、禰豆子が茶わん蒸し作りにはまって、これにセットして使えるスチーマーも買っちゃったのはいいけど、鍋の重さに早々に音を上げたらしい。結構高いものらしいから、大事に使っているけれども、正直、男ふたり暮らしの我が家でも持て余す代物だ。

 だけど、喧嘩したときにはこの大きさがありがたい。

 ガチャリと玄関の鍵が開く音がした。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 喧嘩してたって挨拶はちゃんとする。同棲したころに決めた我が家のルールだ。でも、喧嘩してるからキスはお預け。もうお互い喧嘩のフリみたいなものだけど。
 無言で洗面所に向かった義勇さんが戻ってきたら、仲直りの儀式スタートだ。
 まずはブロック肉から脂身をそぎ取る。ジューシーな肉汁たっぷりのシュウマイを作るには、大事な工程だ。使うのは脂身部分だけだから、赤身部分はチャーシューでも作ろう。
 でもそれはまた今度。明日は作れるかわからないから、冷凍するのがいつもの流れ。
 削いだ脂身を荒く叩くのは義勇さんの仕事。俺は野菜のみじん切り。ひたすら包丁を動かすのって、ストレス解消になる。
 喧嘩のフリでしかない今日は、包丁の音もリズミカルだ。ちょっと深刻な内容で喧嘩したときなんかは、お互い包丁の音も荒かったり、ザクリ、ザクリと、落ち込みを露わにゆっくりだったりもする。
 大量のひき肉は大きいボウル二つにわけて、お互いに半分ずつ練り上げる。ギュッギュッと力いっぱい練って、練って、ひき肉と脂身がよく馴染んで混ざるまで。
 下味は砂糖に塩、コショウと醤油。うちのは玉ねぎと砂糖でちょっと甘めの味付け。子どもが多い家ならそんなもんじゃないかな。義勇さんも、甘いものは得意じゃないのに、甘めの味付けなおかずはわりと好きで、大好物の鮭大根も甘めの味噌味が一番好き。味の好みが合ってよかった。
 あらかじめ混ぜておいた調味料の半分を、無言で義勇さんに渡したら、肉に加えてお互いさらに練る。これもまた、ストレス発散のひとつ。無心で切って練ってするうちに、心がだんだん落ち着いてくから、料理ってお得だと思う。ストレス発散できて、おまけに作ったあとはおいしい。
 水っぽくならないように野菜に片栗粉をまぶしてから、これもボウルに入れて今度はやさしく混ぜあわせる。これで下ごしらえは終了。ここまできたら、お互いだいぶ落ち着いて、さてどうやって謝ろうかなんて考え始めるのだ。
 場所をローテーブルに移して、せっせとシュウマイの皮で肉だねを包む。シュウマイの皮を一袋消費するころには、どちらともなく口を開く。いつも台詞は決まってる。
 
 ごめん。
 
 同時のときは、顔を見あわせて思わず笑ってしまう。
 向かい合って大量のシュウマイを包みながら、ぽつりぽつりと話をする。感情的にならないように本音を明かす。怒って力が入るとシュウマイが潰れちゃうからさ。落ち着いて話すにも、この儀式は丁度いい。
 最初のころは不格好だった義勇さんの作るシュウマイも、今ではだいぶきれいに出来上がるようになった。歪な形のシュウマイも愛おしかったけど、お店で食べるみたいにきれいに形作られたシュウマイも、喧嘩を乗り越えてきた時間の長さを思わせて、胸が詰まるぐらいに愛おしい。
 グリーンピースの緑に、コーンの黄色。小さく角切りにした人参のオレンジがかった赤。カラフルなシュウマイがお皿に所狭しと並ぶ。
 
「そろそろ第一弾蒸しましょうか」
「そうだな」
 なにせ大量だから、包んだそばから蒸していかないと、追いつかないのだ。
 鍋に水を張って火をつける。お湯が沸くころには二袋目のシュウマイの皮も、すっかり蒸されるのを待ってる。シュウマイは強い火力で一気に蒸し上げるほうがおいしい。タイマーを八分にセットしたら、三袋目にとりかかる。
 ローテーブルに乗り切らなくなったお皿は布巾をかけて床に直置き。きれいに掃除したから、蹴り飛ばさなけりゃ大丈夫。
 そのころにはもう、いつもみたいに会話も弾む。だけどまだちょっぴり照れくさい。喧嘩の後はいつもそう。
 ピピピとタイマーが鳴った。シュウマイを包むのは一時中断だ。アツアツのをお皿に乗せたら、第二弾を蒸し器に並べて再びタイマーをセット。八分間のあいだに、シュウマイを持ってふたりでお隣りへ。
 お爺ちゃんは健啖家だから、お裾分けもちょっと多めだ。並んで立つ俺らに、しわだらけの顔をうれしそうにくしゃくしゃにして、お爺ちゃんは「いつも仲良しだなぁ」と笑う。顔を見あわせて、はいと笑い返すのも、もうお約束の光景。
 部屋に戻るところで、下の部屋に帰ってくる三人の姿が見えた。
「炭治郎兄ちゃん、義勇兄ちゃん! お土産買ってきたよ!」
「おー、ありがとな! シュウマイあるぞ。蒸しあがったら持ってくな!」
 やったぁとはしゃぐ声に手を振って、部屋に戻れば急いで手を洗い、またシュウマイをせっせと包む。競争と言い出すのはいつも俺のほう。最初は負けっぱなしだった義勇さんも、もういい勝負になるんだけど、スピード重視になるとお互いちょっと不格好になる。だからいつも、自分たちで食べる分は、すこし歪だ。

 アパート全部屋にお裾分けに回ったら、最後のシュウマイをふたりで食べる。アツアツのをハフハフ言いながら。喧嘩したあとの仲直りの儀式は、いつもそんな感じ。
 その後? それはまぁ、いいじゃない。牡蠣や鮭を食べなくても、義勇さんはシュウマイで十分だと思う。それで察してくれよ。
 喧嘩するのは、そのあとで仲直りするためなのかもしれない。いつもよりもちょっと甘くて、やさしくて、少しだけ照れくさい、幸せな夜を過ごすために。
 大量のシュウマイを包んだその日は、いつもより甘い愛に包まれて眠る。やさしさに包まれたこの町で、喧嘩と仲直りを繰り返しながら。