ピーターパンの箱庭~世界で一番きれいな花~(お題:53花火)

※ピーターパンの箱庭シリーズ。錆義炭。義勇&錆兎(21)炭治郎(19)の夏のお話。もしかしたらその内エロシーンをこっそり追加リンクするかもしれない……しないかもしれないけども。

 そういえば、ずいぶんと行ってないな。

 駅に貼られたポスターを目に止めてポツリと呟かれた言葉は、いたって何気なかった。言った当の本人だって、言ったそばから忘れていただろう。
 けれども、その呟きを聞いた者たちにとっては、聞き逃せない一言であったのだ。なにしろ、世界で一番愛おしい恋人の言葉なのだから。
 だから彼らの心にその一言は、しっかりと刻み込まれた。とっさに見交わした視線は以心伝心。口にせずとも通じ合えるのは付き合いの長さゆえか、それとも同じ人に恋した者同士だからなのか。それは定かではないけれど、ともあれ、炭治郎と錆兎の計画は、その瞬間から始まったのである。

 炭治郎の誕生日を祝った七月以来、なんだかやけに義勇は多忙を極めていた。一つ一つはさして急を要するものではなかったのだが、後回しにするにはそれなりに大事なことばかりで、情の厚さと生真面目さも仇となり、八月も半ばが近づいたこの頃はすっかり疲れ果てている。
 同棲中の恋人である錆兎と炭治郎が気遣っても、大丈夫だからと笑い、逆に、時間が取れなくてすまないと罪悪感を露わにするから、ふたりとしても気が気じゃない。
 なにせふたりとも、義勇にはべた惚れなのだ。世界中の誰よりも心穏やかに過ごしてほしいと思っているし、この世の誰よりもホワホワと幸せのなかで笑っていてほしいと願っている、大事な大事な恋人である。
 世間一般的には到底理解してもらえない関係であるのは、当人たちも重々承知の上での恋人同士。悩みも問題も山積みな関係かもしれないが、期間限定と銘打たれたことでもあるし、今だけと思えば悩む時間がもったいないとばかりに、幸せを積み重ねることにこそ全力を出す毎日である。
 だけれども、そんな日々も、錆兎と炭治郎にとっては最愛の義勇の笑顔あってこそだ。
 錆兎と義勇、義勇と炭治郎の二組三人の恋人たちが住む愛の巣であるマンションで、三人そろって団らんの時を過ごしたのは、いったいどれぐらいぶりになるだろう。もはや思い出せないくらいには、義勇だけがやたらと忙しい日々を過ごしている。
 誰よりも早く家を出て、帰りも遅い。なかなか家で食事をとることすらかなわない状況である。
 疲れている義勇に無理をさせるわけにもいかず、恋人としての営みも、とんとご無沙汰であるけれども、それはまぁいい。いや、よくもないが、しかたない。
 それよりも、義勇の麗しい顔がだんだんと曇りがちになっていき、ふたりを見る目が常に罪悪感をたたえるようになってきたことのほうが、大問題だ。ため息の回数だって増えたし、目の下に隈を作っていることも多い。憂い顔さえ麗しく、気だるい様子に不埒な想像をかきたてられるのは、横に置いておく。目の毒とそろってぎこちなく視線をそらせれば、また申し訳なさげにするから、ふたりの罪悪感も煽られて、錆兎と炭治郎も精神的に疲れてきていた。
 そんな状況のなか、久しぶりに三人そろって家を出ることができたその日、駅に貼られたポスターをちらりと眺めて義勇が言った一言は、ふたりにとって重大な意味を持つ言葉だった。
 隣県で行われる花火大会の宣伝ポスター。夏ともなれば必ず目にするそれを見て、義勇が口にした呟きに、ふたりが「これだ!」と興奮したのは当然のことだったかもしれない。
 なにしろ、錆兎が病魔に倒れた年から今日まで、花火大会にはなぜか縁がないのだ。それまでは三人で、もしくは炭治郎の妹の禰豆子や、錆兎の妹の真菰も誘って、みんなで毎年一度は花火大会へ行っていたというのに。
 その日にかぎって誰かしら予定が入っていたり、運悪く体調をくずしたりで、三人でというのが不可能だったため、夏の定番行事だというのに、同棲してからこっち花火大会だけは一度も行っていなかった。
 友達ではなく、恋人として義勇と眺める花火。それはなんて魅力的な言葉だろう。勿論、友達という関係のなかでさえ、夜空に浮かぶ色とりどりの大輪の火の花を見上げる義勇は、大層きれいだった。花火の色に照り映える義勇の横顔は、花火よりもずっと、ずっと、きれいで、錆兎も炭治郎もついつい見惚れてしまったものだ。
 行けないのが義勇ならともかく、錆兎か炭治郎に問題があるのなら、行ける方が義勇とふたりで出かければいいじゃないかと思われるだろうが、それでは意味がない。最愛の恋人は勿論義勇ただ一人だけれども、錆兎も炭治郎もお互いのことが義勇と同じくらい大事なことに違いはないのだ。抜け駆けしようと思ったことなど、ふたりとも一度もなかったりする。
 友達であり家族のようなものでもあり、戦友のような感覚も共有している同士だ。恋愛感情はなくとも、想いのベクトルの強さは、義勇に対するのと変わりはない。
 それに、義勇にしてもどちらかを置いてのデートは、後ろめたさのほうが大きいらしく、心の底から楽しむことができないのが丸分かりなのだ。だから基本的にデートは三人でが定番だ。
 楽しい時間を過ごすなら三人で。それがこの風変わりな二組三人の恋人同士の共通認識である。

 さて、そんな三人であるから、誰か一人が欠けるならしかたないと、同棲以来花火大会は諦めていたけれども、今年はなんとしても行かねばなるまいと錆兎と炭治郎は思っている。だって義勇が行きたそうだったから。
 去年一昨年と、行けなかった原因は義勇ではない。去年は受験生である炭治郎の都合がどうしてもつかず、一昨年は錆兎が珍しく夏風邪をひきかけ、感染症を心配する義勇と炭治郎が猛反対した。となれば、普段の義勇があんな呟きをもらすはずがないのだ。聞いた二人が罪悪感を覚えそうな言葉など、いつもの義勇が口にするわけがない。
 だからあの呟きは、そんな気遣いすら浮かばぬほどに疲れている証拠でもあるし、無意識の欲求であるのに違いないのだ。

 それなら行くしかないだろう。いや、行かねばなるまい、なにがなんでも。

 できれば義勇にはサプライズで。驚く義勇の顔は少し幼くなってかわいらしいし、喜びに微笑む顔は言うまでもなくプライスレス。どんな至宝にも勝ると思っているふたりである。だから真剣に計画を立てた。義勇には内緒で。
 花火大会の開催は八月下旬。そのころには、幸い義勇の忙しさもひと段落つく予定だ。ただでさえ錆兎たちと過ごせないことを申し訳なく思っている義勇が、新たな予定を入れるとは考えにくい。とはいえ、疲れている義勇に無理をさせたいわけではないから、花火を見る場所は人がごった返す会場は避けた方がいいだろう。
 遠目に見るのではやはりちょっと寂しいし、それなりに迫力もあり、されど人気は少ない穴場を探さなければならない。
 それに、せっかく久しぶりにデートできるのだから、ムードは大切にしたいところだ。花火大会なら、やっぱりここは三人そろって浴衣というのがベストだろう。というか、正直言えば自分たちはともかく、義勇の浴衣姿が見たい。是が非でも。
 どうせなら、サプライズの一環でプレゼントするのもいいんじゃなかろうか。思い出の品となるように、一生ものと言えるようなものを用意しよう。
 まったりと炭治郎の手料理を楽しんで食べたいと思っていることだって、ちゃんとふたりは理解している。だから食事は炭治郎の豪華お重一択だ。義勇の大好物である鮭大根だって当然作る。残念ながらまだ未成年の炭治郎は呑めないが、義勇の好きな甘めのアルコールも用意すべきだろう。
 辛口の日本酒やビールを好む錆兎とくらべて、義勇はカルピスサワーだのモスコミュールだのといった甘いものを好む。クールな見た目とのギャップは、それもまたふたりにとっては萌えポイントだったりするが、それはともかく。
 酒もたっぷり用意する、弁当はお重、義勇は疲れている。となれば、移動は車でとなるのは必然だ。幸い大学に入る前に炭治郎も免許をとっているから、帰りの運転手は炭治郎が務めることになる。行きは錆兎だ。不公平にならないように、お互い義勇とイチャイチャできる時間も確保できて、ちょうどいい。
 いつもなら、車なんて走りゃいいぐらいの認識なので知り合いの鱗滝さんに借りるハイエースワゴンだが、今回は久し振りのデートでもあるし、ちょっと張り込んでレンタカーを借りることとする。ムード大事。
 なにしろ浴衣の義勇を乗せるのだ。しかもお疲れモードの。居住性にも優れた快適なドライブにしたいではないか。サイトで調べた国産高級車のレンタル料は、学生の身ではちょっと怯むお値段ではあったが、学割のお陰でなんとかなりそうだ。

 張り切った。そりゃもう、錆兎も炭治郎も張り切って、お膳立てしたのだ。多忙な義勇に負けず劣らず、調べまわり探し回り、金策もして、完璧な花火デートのプランを立てた。

 だが、どれだけふたりが頑張ろうと、人の意思ではどうにもならないこともある。

 たとえば、三人が子どものころから世話になっている鱗滝が、突然ぎっくり腰になるなんて、誰も思いやしなかった。鱗滝は悪くない。なろうと思ってなったわけじゃないし、それが花火大会の前日だったのも、鱗滝のせいじゃないのだ。
 ついでに言えば、そのとき義勇がいたのもたまたまだ。ようやく忙しさがひと段落するからと、姉からの頼まれものを鱗滝に届けに行くついでに少しゆっくり話でもと思った義勇だって、悪くない。義勇にとって鱗滝は父や祖父とも言える。子どものころから懐いている、大事な人だ。同棲している錆兎や炭治郎と違って、しょっちゅう顔をあわせられるわけでもない。
 だから、鱗滝さんのところに寄ってから帰ると出て行った義勇を、ふたりだって快く送りだした。いよいよ明日に迫った花火大会の準備を義勇に内緒のままするにも、都合だって良かった。
 炭治郎はフル回転で弁当の下ごしらえをし、錆兎は錆兎でレンタカーを借りに行ったり、仕立てられた三人分の浴衣を受けとりに行ったりと、前日はやることが山積みだったから。
 さぁ、準備は万端だ。今夜は義勇をゆっくりと眠らせてやって、明日の朝、今日はドライブして夜は花火大会だと告げてやるつもりでいた。義勇はきっと驚いて、幼い仕草で目をパチパチとしばたたかせることだろう。そうして、ふうわりと微笑むのだ。きれいなきれいな花が咲くように、麗しい顔をほころばせる。

 そうなるはずだったのに、いったいどうしてこうなった。

 鱗滝さんがぎっくり腰になった。心配だから今日は鱗滝さんのところに泊る。そんな連絡が義勇から来た時にはふたりだって、当然だろうお大事にと、心底鱗滝を案じもした。狭いアパートに大の男が三人も居座れば、鱗滝だって気が休まらないだろうから、義勇が一人で泊まることも当然のなりゆきだ。
 明日の午後には帰ると義勇は言うし、それなら花火大会には十分間に合う。だからその時までは、錆兎も炭治郎も鱗滝の容態を心配はしても、デートの心配はしていなかった。疲労している義勇が看病するのは大変かもと思いはしたが、ほかの者ならいざ知らず、相手は鱗滝である。義勇にしてみれば心安らげる人だ。老齢なのが心配ではあるけれども、ぎっくり腰なら命の危険もない。看病というよりも、たまには鱗滝とのんびり過ごしたいという気持ちもあってのことだろう。だからまぁ、そちらもさほど心配はしなかった。
 一番の懸念である天気は、天気予報によると曇り時々雨。大会の中止が一番心配だったのだけれども、にわか雨程度なら、中止ということはあるまい。車で行くのだし、多少降られても花火さえ上がれば問題はない。
 そう思っていたのに……。

 ピカッと室内を照らした青白い光につづいて、ほんの少しの間を置きガラガラドンッと腹に響く重低音が轟いた。
「近いな……」
「近いね……」
 朝っぱらから薄暗いリビングで、錆兎と炭治郎はポツリと言って、そろって深いため息をついた。空も暗いが、ふたりの心も晴れやかさからは程遠い。
 天気予報は見事に外れ、朝から土砂降り、雷まで鳴っている。なんてこったい。浮かぶのはその一言だ。
 幸いなことに、朝一で連絡してきた義勇によると、鱗滝の容態はそう悪くはないらしい。
 この土砂降りのなか帰る義勇のほうこそを心配するから、夕方まで鱗滝の家にいる。雨がやまないようなら、タクシーで帰るつもりだ。夕飯までには戻る。
 との、ことだった。
 夜までに雨がやめば、予定通り花火が上がる可能性はある。そう思っていたけれど、ついつい五分ごとに開いてしまった花火大会のサイトは、ついにさきほど開催中止のお知らせが更新された。
 とうとう今年も花火大会には行けぬまま、夏が終わる。
 同棲を開始したのは、義勇と錆兎が大学二年、炭治郎が高校二年に上がった春だった。今は、炭治郎も大学生だ。
 錆兎が提案した同棲生活の期間は五年。この夏は、いうなれば折り返し地点だ。ゆっくりと、けれど確実に終わりの足音は聞えてきている。
 すっかり髪も生えそろい、錆兎の風貌も以前と変わらなくなった。炭治郎は背が伸びて、あの頃より少し大人びている。義勇はといえば、さして変わらない……と、本人は思っているだろうが、ふたりの目には当時より二倍は色気が増していると思っているけれども、それはまぁ置いておこう。
 ともあれ、こんなモラトリアムな生活をつづけられる日は、どんどんと減っていくのだ。休学していた錆兎と違い、義勇は大学四年だ。秋に入れば就活を始めることになる。社会人になったら、今までのような生活スタイルは変わらずを得なくなるだろう。
 すれ違いも多くなり、きっと、終わりをカウントダウンするようになっていくのだ。
 けれど。
「……落ち込んでる暇はないぞ」
「だよなっ!」
 顔を見あわせ、うん、と強くうなずきあう。
 ガッカリと落ち込んで過ごすのも、義勇の幸せな笑顔のために過ごすのも、時計の針は変わらず進むのならば、後者に時間を使うほうがいい。
 夜空に浮かぶ大輪の花は望めなくても、義勇が花火を見たがっているのなら、なにがなんでも叶えてやろう。恋人の願いを叶えられずして、なにが男か。男ならば、根性を見せるべし!
 多分、炭治郎の学友である我妻善逸辺りが知れば、なにそのザ・脳筋スタイルな考え方と呆れるのだろうが、あいにくとこの場には、義勇のためならえんやこらを地で行くふたりしか存在しない。
 だからふたりは、せっせと義勇の目を楽しませるべく頑張った。ザァザァと音高く降りしきる豪雨も、耳をつんざく稲妻の轟音もなんのその。家中を引っ掻き回して、せっせとかき集めたそれに、びしょ濡れになりながらも買い求めたクレヨンを駆使して、せっせと手を動かしたのだ。

 そして、今。
 帰宅した義勇の目の前には、リビング中に花開いた花火、花火、花火。色とりどり花火が、黒く染まったリビングに咲いていた。

「これは……」
 呆然として呟いた義勇に、錆兎と炭治郎はうれしそうに笑っている。してやったりと言わんばかりにニンマリ笑い、ウキウキとした目で義勇を見つめて次の言葉を待っている。

 要領の悪さが仇となって、一月以上もふたりをないがしろにしてしまっていた不甲斐なさに苛まれていた義勇にしてみれば、この豪雨は天罰とも言えた。少なくとも義勇はそう思っていたのだ。
 ついつい後回しにしてしまっていた姉からの頼まれものを、鱗滝へと届ける日が昨日になったのは、自分の手際の悪さゆえ。まさに義勇の目の前で鱗滝がぎっくり腰になったのは、ようやく錆兎と炭治郎と一緒に過ごせると浮かれた矢先の出来事だ。
 天罰。そんな言葉が咄嗟に浮かんだのはしかたがないだろう。久しぶりに鱗滝さんとゆっくり過ごせたのはうれしかったけれども。それでも、罪悪感はズシリと義勇の上に重くのしかかり、肩は落ちた。
 なのに、申し訳なさをマックスに、悄然と帰宅しようとした義勇を、ふたりは迎えにきた。車に興味のない義勇にはよくわからないが、とんでもなく高そうだと予想のつく車に乗って。しかも、ふたりとも浴衣姿だ。
 ふたりは笑っていた。どこか悪戯っ子のような稚気をたたえて。見送る鱗滝に夕飯のお裾分けだというタッパーを手渡して、とまどう義勇をいいからいいからと車に押し込めてからも、ふたりはどこかソワソワとしていたように思う。
 そして、ジャーン、とリビングのドアを開いたのだ。
 壁も天井も黒く塗られた紙で覆われたリビングが、視界に飛び込んできたときの義勇の心情は、正直言えば困惑の一言だった。
「花火……?」
 壁に歩み寄りそっと触れてみれば、貼られた紙は黒いクレヨンで塗りつぶされている。その紙に咲くのは、様々な色の花火だ。
 幼稚園ぐらいのときに、錆兎と一緒に楽しんだことのあるお絵かきの手法。チラシを黒いクレヨンで塗りつぶして、クレヨンを削り取れば下のチラシの色味が顔を出す。どんな色が出るのかドキドキしながら、紙を破らないように慎重に描くのは楽しかった。
 使う紙は、色が鮮やかであまり細かい図案でない方がいい。黒に沈んでしまわないように、明るい色が多く使われている紙を、一所懸命探したものだ。ああでもないこうでもないと頭を悩ませて、チラシや捨てる雑誌をふたりして引っ掻き回しては、大人たちに叱られたのを覚えている。
 懐かしい。郷愁が胸に灯る。貼られた紙の数は尋常じゃない。カーテンにすら安全ピンで黒い紙に描かれた花火が留められていて、言葉通り部屋中を埋めつくしていた。
「花火大会の迫力はないかもしれないけど、これで我慢してもらえますか?」
「雷じゃ花火の音の代わりにはならないとは思うけど、そこは勘弁してくれ」
 少しだけ申し訳なさをにじませた声に振り返れば、浴衣姿のふたりの手には、見慣れぬ浴衣や帯があった。
「それは……」
「義勇さんの浴衣です! 錆兎と二人で選びました!」
「本当は下駄も用意したんだけど、部屋のなかじゃ意味がなかったな」
 白地に緑を基調とした柄が入った浴衣を着た炭治郎が笑う。朱赤の浴衣姿で錆兎はちょっと苦笑していた。
 掲げられた布地は、紺地のカツオ縞。どの浴衣も見たことがない。きっとこの日のために用意したものなのだろう。
 今日が花火大会だということすら、義勇は忘れていたのに。
 リビングのローテーブルには、林立するビールやサワーの缶。それに、花火に負けず劣らず色とりどりな料理を詰めこまれたお重が、所狭しと並んでいる。
 きっと、迎えに来た時の車も今日のために借りたのだろう。全部、全部、義勇を喜ばせるためにと、ふたりして考えてくれたに違いない。
 すまない。真っ先に頭に浮かんだのは謝罪だった。けれども、その言葉を義勇はとっさに飲み込んだ。
 今口にすべき言葉は、そんな一言じゃない。ふたりが望んでいる言葉は、義勇の謝罪ではないのだ。
「ありがとう」
 そう言って微笑めば、ふたりの顔が幸せそうにほころんだ。やった! とハイタッチしあうふたりに、義勇の胸もたとえようのない幸せに震える。恋しさが満ちあふれて、泣いてしまいそうだ。

 雷が落ちた。ドンッと轟音が響くのと同時に、カーテンの隙間から差し込んだ青白い稲光に照らされた義勇の顔。赤や青の花火の色とは違うけれど。
「世界中で一番きれいな花火が見られた」
 稲光に照らされて笑う義勇の顔は、世界中のどんな花よりも、ふたりの目にはきれいに映った。

 世界で一番きれいな花を君に。
 世界で一番きれいな花は、君。