いつか来る日にも幸せがよみがえるように(お題:52ノート)

※『800字分の愛を込めて』義勇受にも掲載してあります。

 義勇と炭治郎は、日記なんて夏休みの絵日記しか書いたことがない。
 けれど今、錆兎が買った中古の三LDKのマンションで、三人で同棲するようになってから、割と頻繁に三人は日記を書く。
 事の始まりは、錆兎が一時期日記をつけていたと、話の流れでポロリとこぼしたことだった。
 初耳だ。いつ? と聞いた義勇と炭治郎に、他意はなかった。錆兎がそんなものを書いていたというのが、不思議だっただけの話。けれども、錆兎が渋々ながら教えてくれた思い出は、ふたりにとっては思わず言葉に詰まるものだった。
「入院中の話だ。書くって行為はセラピーにもなるらしくてな。人に言えない不安でもなんでも、好きなように書くといいって先生に言われたんだ」
 錆兎が白血病に倒れて入院しているあいだ、ふたりの不安は尽きることがなかった。けれど、一番不安だったのは当の錆兎のはずである。
 錆兎はいつだって不安な顔などふたりに見せなかったけれど、思うところはあっただろう。不安に押しつぶされそうになるときだってあったに違いない。
 それを汲んでやれなかった不甲斐なさが、義勇と炭治郎の胸を締めつける。
「そんな顔するなよ。落ち込ませたくて言ったわけじゃないぞ?」
 苦笑する錆兎に、義勇たちも顔を見あわせ、うん、とうなずいた。
 悔恨の念はある。けれども自分たちが落ち込んだ顔をしていては、錆兎だっていたたまれないはずだ。だから義勇と炭治郎は、努めて気持ちを切り替え笑ってみせた。
「日記かぁ、そういや禰豆子や花子は、友達と交換日記とかしてたかも」
「あぁ、真菰もそんなこと言ってたな」
「……姉さんも、小学校のころ友達とやってた交換日記のノートを隠し持ってた」
 押し入れで見つけて、なんの気なしに見ようとしたら、すごい声で叫ばれた。そう言った義勇に、炭治郎と錆兎が目をむく。
「蔦子ネェが?」
「蔦子さんが叫ぶとこなんて、想像できないんですけど」
 おしとやかで、いつでもやさしく笑っている。錆兎や炭治郎が抱く蔦子のイメージは菩薩か聖母マリアだ。弟である義勇にしても異論はない。とはいえ、やはり実の姉弟である。
「勝手に人のものを見ようとしないのって、げんこつ落とされたぞ?」
「うわ、ますます想像できない!」
「けど正論だな。人の日記を読むのは駄目だろ」
「でもさ、交換日記はそもそも相手に読ませるものですよね、義勇さん?」
「まぁ、あれは日記の形をとった書簡ってことなんだろう。あぁ、そういえば昭和の文豪で『尾篭な話で恐縮ですが』から始まる日記を書いてた人もいるそうだ」
「読まれること前提か……」
 
 日記とは、いずれ誰かに読まれるものなんだろうか。夏休みの絵日記だって、先生に見せることを念頭に書いてたもんな。宿題だし。
 
 なんとなく三人そろって虚空を見つめてしまったけれども、それはともかく。
「交換日記って、ちょっと面白そうですよね」
「そうだな……でも、毎日書くのは少しきつくないか?」
 なにしろ三人一緒がデフォルトな生活だ。ふたりに見られながら日記を書くというのもなんだし、かといってひとりでこもってというのも、なんだか寂しい。
「外泊しなきゃいけないとき、とかどうだ? もちろん、電話やメッセージアプリで連絡だってとるけど、それだけじゃ伝えきれないこともあるだろうしな」
 錆兎の言葉に、義勇と炭治郎がパチリとまばたき顔を見あわせた。
「うん……いいかもしれない。外泊だけでなくても、忙しくてあまり話ができないときとか、出先で思ったことや伝えたいことを書くとか」
「あぁ、いいですね! 三人ともノート持ち歩いて、で、なにか書いた日はリビングに置いておくとかは?」
「あんまり義務的になるのは嫌だよな。気楽な感じでやってみるか?」
 そろって視線を見交わし、うん、と笑ってうなずきあう。
 三人の愛の巣に、交換日記というアナログな伝達方法が採用されたのは、そんな次第だった。
 
 さて、それからというもの、それぞれ色違いのA五サイズの大学ノートを三人とも持ち歩いている。リビングのローテーブルの脇には、小さなマガジンラックが置かれた。ノートを書いたら、そこに入れておくのだ。
 書かれたノートは残りのふたりが順番に持っていく。そうして空き時間に返事を書いてラックに戻す。だから大概は毎日ノートは誰かしらのが入っていた。
 書いていることなんて実に他愛ない。
 
『教授のつきあい昼は定食屋だった。炭治郎の飯ほどじゃないけどうまかった。弁当食えなくてごめん。夜食に食べる』
『わかった。大学前の大通りから一本路地に入ったとこにある店だろ。今度三人で行くか。残った弁当をリメイクした夜食、さすがだったよな』
『行きたい! 弁当は気にしないでください。いつも残さず食べてくれてありがとうございます! 唐揚げをあんかけにしただけなのに、褒めてくれてありがとう』
 
『炭治郎が欲しがってた皿を見つけたぞ。村田が彼女へのプレゼント買うのにつきあわされて行った店だから、入るのちょっとハードル高いけど、今度買いに行くか?』
『焼き魚用の角皿? 欲しい! 禰豆子や花子につきあわされること多いから、俺は平気』
『村田に彼女ができたって、俺は聞いてないんだが』
 
『田舎から送られてきたリンゴが山ほどあるからもらってくれって、善逸が言ってるんですけど、食べたい人~』
『はい。炭治郎が作るリンゴジャム、好きだ』
『はい! あれもうまかったよな、なんだっけ。なんか茶色く煮てあるやつ。義勇も気に入ってただろ? あれ、また作ってくれ』
 
 ノートと会話の内容が被ることも多いけれど、交換日記はつづいている。何事もない日も、なにかあった日も、三人それぞれひとりの時間にノートを開いては、日記とも言えないようなことを書くのが当たり前になっていた。
 三人で過ごす当たり前の日常がそこにはある。一人ひとりの時間のなかでも、持ち歩くノートを開けば、ふたりがいる。
 もしも、いつの日か『三人』でなくなる日が来たとしても、幸せな日常のささやかな思い出は、色あせることなくここにあるのだ。
 だから三人は、今日もノートを持ち歩く。書くのは他愛ない諸々。すべて共有しあって、日々を過ごす。
 今日も、明日も、明後日も。二組三人の恋人同士の日常は、そうして白い紙面に積み重なっていくのだ。