つま先に媚薬(お題:23つま先)

 炭治郎が、義勇に稽古をつけてもらえるようになってから、三日が経った。
 稽古内容は一言で言えば鬼ごっこだ。ただし、迫ってくるのはつかまえようとする手ではなく、鋭い木刀の一撃である。広大な竹林のなかで目まぐるしく攻守が変わる鬼ごっこは、息つく暇もない。迫りくる一撃を必死に跳んで交わせば、無数に張り巡らされた罠にかかる。狭霧山での鍛錬に似ていた。
 打ち据えられればおしまいというわけではなく、その瞬間に鬼は炭治郎の番となる。それがまた厄介だ。逃げるよりも追うほうがさらに骨が折れる。
 姿を視界にとらえることすら難しい義勇を懸命に追い、どうにか木刀を振るっても、なかなか義勇に届かない。追われる側のときには義勇の攻撃を受けるまでつづくが、炭治郎が追う側だと時間制限付きとなる。十分間で義勇に一太刀浴びせられなければ、またもや攻守交代だ。
 追いかけることだけに集中していると、時間切れと同時に突然反撃の一打が襲ってくる。義勇の気配と時間の両方に気を配りながら、追う、逃げる、また追う、追う、逃げる。
 罠への注意も怠ることはできない。死角に張り巡らされた縄や襲ってくる丸太を避ければ、落とし穴が待っている。風の流れ、時の流れ、小さな葉擦れの音に至るまで、なにもかもを見逃せない。一瞬たりと足を止める余裕などないままに、体も頭もしゃにむに働かせる時間が延々とつづくのだ。

「今日はこれまで」
「あ、ありがとうございました……」

 義勇の涼しい声がかけられ、炭治郎は疲労困憊の体をよろめかせつつも、どうにか礼をした。三日経った本日も、炭治郎の木刀は義勇の羽織の裾にすら触れてはいない。
 今は稽古を受けているのが炭治郎だけだから、竹林を駆けまわる際に注意する対象は限られている。だがこれから先、やってくる隊士が増えればますます義勇を捕らえるのは難しくなるだろう。
 竹林や罠だけでなく、駆け巡る隊士たちの動線も把握しながら動かなければ、同士討ちは免れない。人が増えればそれだけ義勇を捕らえやすくなるというものではないだろう。
 それまでの柱稽古で炭治郎は傷だらけになったが、義勇の稽古でもすでに体はあざまみれだ。それでも義勇や他の柱たちは、だいぶ力を抑えてくれているはずである。本気の一太刀であれば、きっと打ち据えられた瞬間に、炭治郎の骨は粉々に砕かれていることだろう。

 それでも少しずつ打たれる衝撃は軽減しつつある。息が詰まり動けなくなるほど――鬼の攻撃であれば、その瞬間に命を失っていただろうと思えるほどの一打は、だいぶ避けられるようになってきた。
 よろよろと義勇につき従い竹林を後にする。義勇の足取りは、青息吐息でよろめく炭治郎とは違って、まったく疲労の色など感じさせない。柱というのは本当に計り知れないと、炭治郎は、義勇への感嘆と自分の不甲斐なさを同時に抱きつつ、義勇の背をながめやる。その目が段々と視界を狭め、思考も朦朧と霞んできた。
 これまでの稽古で以前より体力はついているはずだが、疲れはズシリと体を重くして、歩きながらもまぶたが落ちそうになる。よろりと足をふらつかせた炭治郎の腕を、義勇がつかんだ。先を歩いていたのに、状況把握と動きの素早さには、炭治郎は目を白黒させるよりない。
「す、すみません。ありがとうございます」
「泊っていけ」
 言うなり炭治郎の腕を放し、義勇はまたさっさと歩きだした。
「へ? えっと、あの、いいんですか?」
「帰る体力もないだろう」
 確かにその通りだが、迷惑ではないのだろうか。
 炭治郎が遠慮しようとするそばから、義勇は、風呂を沸かしておくと言って、サッと姿を消した。驚く間もありはしない。パチリとまばたいた炭治郎の目が次にとらえた義勇の背は、すでに遠く竹林の合間を駆けていた。

 どうにか水屋敷に帰りつけば、すでに風呂やら食事の準備ができていた。恐縮しつつ風呂をいただき、白飯と香の物で食事を済ませれば、いよいよまぶたは重くなる。夜具の用意はないから俺と一緒でも我慢しろとの言を断る余裕どころか、炭治郎は、言葉の内容を理解していたかすらあやしい。
 ウトウトと半ば眠りながら、義勇に手を引かれて廊下を歩き、布団に倒れ込むように睡魔に落ちた。

 目覚めたのは突然だった。
 寝がえりを打った瞬間に、じわりと湿った感覚が下帯に広がって、パチリと目を見開く。え? と驚きがまず炭治郎を襲い、状況が把握できぬまま、思い至った失敗にサッと青ざめる。
 まさかこの年になっておねしょ? 尿意などまるでなかったはずなのにと、呆然としたのは数瞬だ。今自分がいる場所を思い出せば、悠長に横になっている場合ではない。

「どうした」

 不意に聞こえた声はすぐ傍らから。弾かれたように飛び起きて、炭治郎は即座に土下座した。
「す、すみません! あの、おれ、とんでもないことを……」
 湿った下帯がいたたまれない。夜具はひとつきりだと言われているのに、なんと詫びればいいのだろう。
「なにを謝っているのかわからん」
 いかにも怪訝そうな声に、頭の片隅で、義勇がまだ気づいていないのなら布団はそれほど濡れなかったのかと、ほんのわずかばかり安堵する。それでも粗相したことに違いはないだろうと、すぐさま安堵はかき消え、申しわけなさと恥ずかしさに 炭治郎は身を縮こまらせた。
 こんなとんでもない失敗を、義勇に告げるのは恥ずかしい。けれどもごまかすわけにもいかない。
「あ、あの、俺……おねしょした、みたい、で……」
 どうにか口にした言葉は、尻すぼみに小さくなった。
 ポンポンと夜具を叩く気配がする。頭をあげられず、炭治郎はブルブルと震えながら義勇の叱責を待った。
 叱られ、あきれられ、見捨てられるのかもしれない。目の奥がじわりと熱くなる。とんでもない失態を犯した上に泣きじゃくるのでは、それこそ幼い子どもだ。泣くわけにはいかないと、グッと目をつぶって堪えた炭治郎の耳に、ポツリと濡れてないぞとの声が届いた。
「えっ? で、でもあのっ、その、ふんどしが……濡れてるんです、けど……」
 下帯を濡らすだけで済んだのだろうか。思わず頭を跳ね上げた炭治郎のすぐ目の前に、義勇の端正な顔があった。

 近い。

 思って息を飲んだのも束の間、義勇の手が伸びて夜着の裾を割った。
「義勇さんっ!?」
 あわてて身を引こうとしたけれども、義勇の手のほうが早かった。ズイッと下帯のなかに差し入れられた指に、羞恥と困惑が襲い来る。
 指はすぐに出て行った。ちらりと自分の指先を見やり、スンッと匂いを嗅ぐ義勇に、いよいよ炭治郎は混乱する。
「義勇さんっ、汚いですから!」
「子種だ。寝小便したわけじゃない」
 淡々とした声でこともなげに言い、義勇が無造作に自分の夜着の裾で指を拭うのを、炭治郎はパチパチと目をしばたたかせて見ていた。状況も義勇の言葉もうまく飲み込めない。義勇がしたように自慢の鼻をうごめかせれば、磯臭いような生臭さがかすかにする。
「子種……」
「夢精したのは初めてか?」
「え? あ、あの、ムセイって、なんですか?」
 そもそも子種などなぜ今出るのだろう。炭治郎とて子種がなんなのかぐらいはわかる。麓の里で牛の種付けやら、山のなかでも交尾する獣を目にしたことはあった。なるほど、言われてみればあの栗の花の匂いにも似た磯臭さは、種付け光景につきものの匂いに似ている。
 けれども、自分の身に起きたこととそれらが、炭治郎の頭のなかで結びつくことはない。だって今この場には、炭治郎と義勇しかいないのだ。目合うべき女性などどこにもいないというのに、なぜ子種など出す必要があると言うのか。
 ましてや。

「もしかして……まだ精通していなかったのか?」

 義勇の声には、珍しく少しばかりの動揺がにじんでいた。
「セイツウ……」
 呆けて繰り返した言葉はやはり耳馴染みはなく、混乱は深まるばかりだ。
 ふぅっと小さく息をついて、義勇がわずかに居住まいを正した。
「男なら誰でも起こりうることだ。おまえの体が血を繋ぐ準備を整えたしるしだ、恥じることはない」
 声はどこかやさしく、労わるようだった。月明かりに浮かぶ白皙は、常の無表情である。けれどもまなざしは声と同じくやわらかい。
「好いた女と目合う夢でも見たか?」
 ふとにじんだからかうような響きに、思わず炭治郎はブンブンと首を振った。
「そ、そんな破廉恥な夢見てません!」
 夢も見ずに深く眠っていた。はずだ。炭治郎は目覚める前の夢など覚えていない。だが、少なくとも好いた女の子などいやしないのだから、義勇の言うようなことはあり得ないだろう。
 炭治郎の剣幕に、ふむ、と小首をかしげた義勇は、やがて小さく首肯した。
「疲れ摩羅だったのかもしれない。寝返りでも打ったときに刺激で達したんだろう」
 精通もまだだったのなら、わずかな刺激で達したところで恥じずともいいと、かすかに笑う。
 義勇の言うことは、なにからなにまで炭治郎にはよくわからない。いずれ自分も妻を迎え子を持つのだから、子種が出るようになるのは当然なのだろうが、なぜ今、義勇の目の前でと恥じる気持ちばかりがふくらんでいく。
「柱稽古で体が限界まで疲労していたんだろう。疲れすぎると摩羅が勃つのは自然なことだ。気にするな」
 言うなり立ちあがった義勇をあわてて視線で追うと、義勇はちろりと炭治郎を見下ろして、ふんどしの替えを持ってくると部屋を出ようとした。
「えっ! いやっ、義勇さんのふんどしをお借りするわけにはいきませんよっ!」
「濡れたままでは気持ち悪いだろう」
「いや、でもっ」
 泡を食ってはいずり寄り、義勇の夜着の裾をつかんだ炭治郎に、義勇はまた小さなため息をもらした。
 炭治郎の腕を取りグイっと立ち上がらせると、義勇の手が再び夜着の裾に入り込んだ。
 咎める声をあげる間もあらばこそ、するりと腰の結び目をほどかれれば、下帯がはらりと床に落ちる。
 狭霧山で初めて締めたもっこふんどしは、今まで特に不便は感じなかった。隊士に推奨されるだけあって六尺や越中よりも素早く着替えられる。なにしろほかのふんどしと違って、腰の横で紐を結ぶだけでよい。便利なものだなと思っていたけれど、指先ひとつで簡単に取り除かれてしまえば、その簡便さを恨みたくなる。
 驚く炭治郎の目の前で、ヒョイと布地を手に取った義勇は、けっこう出したなとクスリと笑った。カッと羞恥が身を焼いて、炭治郎の目に涙の膜が張る。
「……すまん」
 炭治郎の涙に気づいたか、どこかあわてた様子で謝る義勇に、炭治郎はギュッと目をつぶりブンブンと首を振った。
 たぶん、悪いのは自分のほうだ。義勇は厚意で着替えさせようとしてくれているにすぎない。そもそも、義勇が傍らにいるというのになぜ自分の体はこんな不始末をしでかしてしまったのか。夫婦となった人と床をともにしているわけでもないのに、子種などなぜ出てしまったのだろう。義勇は自然なことだと言っていたが、なにもかも自分の体が悪いのだと、自責の念ばかりが炭治郎の頭のなかでグルグルと渦を巻く。
 炭治郎の悔恨は義勇にも筒抜けだったようだ。忌々しい磯臭さに紛れて鼻に届く後ろめたげな匂いに、炭治郎はいよいよ身をすくめた。
 謝る必要もないのに謝罪させた上に、義勇にいらぬ反省までさせている。申しわけなさはとどまるところを知らず、とうとう炭治郎の目からポロリと涙がひと粒落ちた。

「泣くな」

 しまったと思った瞬間、強い束縛と温もりを感じて目を開ければ、義勇に抱きしめられていた。
 義勇の胸に頬を押し当てる形となった炭治郎の耳に、義勇の静かな鼓動がひびいてくる。感情を抑えつけているのだろうか。匂いはよくわからない。
 驚きに身じろいでも義勇の腕はほどかれることはなく、後ろ頭に触れている手が、なだめるようにそっと髪を撫でてくれた。
 ドクンと鼓動が跳ねて、体の奥底から熱が吹きあげてくるような心地がする。騒がしくわめきだした鼓動は、義勇にも伝わってしまっているだろう。恥ずかしさに炭治郎が義勇の胸を押しやろうとしても、束縛は緩むことがない。
「大丈夫だ。なにもおかしいことじゃない。恥ずかしくもない」
「でも……」

「……俺が教えてやる」

 そっと耳に落ちたささやきと息は、ひどく熱かった。

 後ろから抱きかかえられ、義勇の胸にもたれかかるよう指示された炭治郎は、心許なさに身を震わせた。下帯を取りのぞかれたままの下腹は、裾を割ればすぐに露わになってしまう。布切れ一枚がないだけで、どうにも心細く羞恥は果てしない。
 男同士だ。見られたところでどうということもない。思うけれどもそれが義勇であるだけで、とんでもないことをしている気がして、いたたまれなさに身をすくめることしかできなかった。
「大丈夫だから、力を抜け。ひどいことはしない」
「は、はい」
 ささやき声にひとつ深く息をすると、力を抜いて義勇の胸に身をゆだねる。腹の上に置かれていた義勇の手が、そっと滑って足のあわいにすべり込んだ。
「義勇さんっ!?」
「黙ってろ」
 言われ炭治郎は口をつぐむ。義勇は柱で、尊敬する兄弟子だ。なにも臆することはない。義勇はひどいことはしないと言ったのだから。義勇を信じぬなどと言う選択は、炭治郎にはなかった。
 素直に黙り込み、懸命に力を抜いていようとする炭治郎に、義勇はなにを思ったのだろう。わずかに息を飲んだ気配がして、振り向こうとした炭治郎は、着衣の下に入り込んだ手がさわりと下生えを撫でたのに肩を跳ね上げらせた。
 それでも、咎める声は上げない。義勇は黙っていろと言った。ならば制止する言葉は口には出せない。
「……まだ、ここも薄いのか」
 声はなぜだか感嘆しているようでもあり、事実を淡々と告げているだけのようでもあった。
 さわりさわりとまばらに生える茂みを撫でる手は固い。刀を握る手だ。あの美しく澄んだ青に染まった日輪刀を握る手。それが誰にも触れられたことのない場所を撫でている。
 歯を食いしばっていなければ叫んでしまいそうで、炭治郎は、きつく唇を引き結ぶと、ギュッと己の夜着の胸元を握りしめた。
「体が限界まで疲れると、命の危険を感じた体が子種を残そうと自然に摩羅が勃つ。男なら誰でもそうだ。おまえがおかしいわけじゃない」
 言いながら、義勇の手がゆるく陽茎を握りこんだ。噛み殺せなかった悲鳴が、ヒッと炭治郎の喉からほとばしり出た。
「ご、ごめんなさいっ」
「なぜ謝る?」
「だって、黙ってろって」
 申しわけなさにうつむいた頬に、温もりが触れた。
「義勇さん?」
 チュッと音を立てて離れていったのは義勇の唇か。頬に接吻された。状況を把握した瞬間に、あらぬところに触れられた以上に体が熱くなった。
「悪かった。声は出していい。声を殺すほうがきっとつらい。好きなように声を出せ」
「えっと、あの、はい」
 戸惑いつつも義勇が言うならとうなずいた炭治郎に、義勇は、一度陽茎から手を離すと炭治郎の足をつかみ開かせた。
「えっ!」
 まるで赤子に用を足させるときのようだ。大きく割広げられた足のあわいは、夜着を払われてしまえば隠すこともかなわずに、のぞき込む義勇の視界に晒されている。
 男同士だ。恥じることはない。義勇が必要だと判断したから、行われていることだ。万事言われるまま、されるままでいればよい。自分にそう念じたけれども、羞恥はやはり押し殺せずに炭治郎の身を焼いた。
「子種は定期的に出せ。おまえくらいの年頃ならばそのほうが健全だ」
「ど、どうすれば……?」
 子種を出すには目合うしかなかろうに。思った刹那、義勇の指がくたりと垂れた陽茎をすくいあげた。ビクンと炭治郎は再び肩を跳ね上げらせる。硬直した体をなだめるようにまた頬に接吻され、炭治郎はどうにか力を抜こうと浅く息を繰り返した。
「鬼狩りである以上、気安く好いた女と目合うというわけにもいくまい。自分の手で発散させろ」
 言いながら義勇は、力なく垂れている炭治郎の陽茎を握りこんだ。日に晒される肌よりも、常に隠されているそれは白く、つるりとしている。
 見慣れた己の陰部が、義勇の手のなかにあるのが見ていられずに、炭治郎は目をつぶってわずかに顔を仰のかせた。
「見ていろ」
 言いつけは、淡々として容赦ない。泣きだしそうになりながらも炭治郎は目を開くと、潤んだ瞳を下腹へと向けた。
 ゆるく握りこまれた陽茎は、芯を持ち立ちあがりかけている。
「なんで……?」
「刺激に慣れていないんだ。これぐらいで反応してもおかしくはない」
 義勇の声にはやはり抑揚がなく、義務的だ。けれども耳をくすぐる息も、触れあっている体も、なぜだか熱い。水のようにひやりと涼やかな人だと思っていたのに、なんだか火傷しそうだと、頭のどこか片隅でぼんやりと思う。
「少し痛む。我慢しろ」
 言われるなり義勇の指が蕾のような突端に触れた。つまんだそこをグッと引かれて、思わず悲鳴がもれた。
 てらりとぬめって見える赤い先端は、初めて外気に触れ、ジンジンとした痛みを伝えてくる。
「ときどきここを剥いてやるといい。皮をかぶったままでは不衛生になる」
「は、はい――ンッ!!」
「あぁ……まだここは触れると痛いか」
 先端に義勇の親指が触れたとたんに、ビリッと電流のように痛みが背を駆け抜けて、炭治郎は息を詰まらせた。固くこわばった体。つま先がこらえるように丸まった。
 一度手を離した義勇は、そのままと言い置き、右手を己の口元に持っていった。ぼんやりとそれを視線で追った炭治郎の瞳に、プッと手のひらに唾液を吐き出す義勇が映る。
「油やふのりの用意はない。汚くて嫌だろうが我慢してくれ」
「そんなっ! 汚いなんて思いません!」
 少しばかりの罪悪感をにじませた義勇の声に、とっさに炭治郎は反論した。
 事実、汚いなど思わなかった。義勇の仕草は、なぜだか見てはならぬものを見てしまったようにドキドキとして、下腹がズンと重くなるのを感じたが、嫌悪感などは微塵もない。なぜ腰に熱がわだかまるのかはわからないが、それでも義勇のすることならば間違いはないはずだ。
 ちょっと呆気にとられた気配がして、顔のすぐ隣でクスリと笑う声がした。
「そうか」
「はい」
「なら、きちんと覚えておけ。潤いがないまま闇雲にこすりたてれば、痛みのほうが勝る」
 言いながら濡らされた義勇の右手が、再び花開いた陽茎に触れた。包み込むように握られたそれが、グンとかさを増した気がする。己の体の一部なのに、自分の意思とはまるで関係ない反応を見せるそれに、炭治郎は見開いた目を白黒させるよりない。
「こうして、自分が気持ちいいと思う強さでしごくといい」
 動きだした義勇の手に合わせて、感じたことのない感覚が炭治郎の体を貫いた。
「ヒッ! あ、やっ!」
 知らずもがいてしまった炭治郎の体を、抱きとめる左手であやすようにポンポンと軽く叩きながら、義勇の右手はゆるく、早く、緩急をつけて陽茎をこすっている。義勇の手が動くたび、ビリビリと電流のような衝撃が炭治郎の身を襲った。
「なに、これっ、や、あ、怖いっ。怖い、ですっ、義勇さん!」
 痛みならば我慢できる。けれどもこの刺激は駄目だ。堪えきれない。
 力いっぱい握りしめた夜着の胸元は、もはや引きちぎられんばかりだ。義勇から借りているというのにと、場違いな反省が頭をよぎる。手を離さなければと思うのに、すがるものが欲しくて離せない。
 ポンポンと、また左手が波打つ炭治郎の腹をやさしく叩く。右手は追い立てるような動きを止めない。その落差に混乱する。
「んっ! んんっ!!」

 手を。なにか、すがるものを。こんな頼りない布切れではなく。

 ブルブルと震えもがく足が、代わりにとでも言うように夜具をつま先で掴みしめた。 
 スルッと、固いなにかが震え丸まったつま先を撫でた。
 伸ばされた義勇のつま先が、炭治郎の足を撫でていた。色白な義勇は、足のつま先まで眩しいくらいに白い。不思議に感じた安堵は一瞬。なぜだか撫でさすられるたびに爪先から発した電流は、下腹から沸き起こる衝撃と絡み合い、もつれ合って、炭治郎の体を蹂躙する。

 同じ、だ。

 義勇の爪先の動きは、右手の動きと同じだった。炭治郎の足の親指を撫でる緩急のつけ具合は、右手のそれとまったく同じだ。
 まるで、自分の親指が、小さな陽茎にでもされたかのようで、信じられないと炭治郎は濡れた瞳を見開いた。
 まさか、まさかと打ち消そうとしても、不可思議な衝撃は同時に襲ってくる。自分の体が信じられない。なんでそんなところから、こんな恐ろしい刺激が生まれるのだろう。わからない。
「……おまえは、感じやすいんだな」
 耳をくすぐる息が熱い。感嘆に似たささやきに、目を閉じたくなった。
 けれども義勇は見てろと命じたのだ。だから目をそらせない。
「怖い……怖い、からぁっ! 義勇さん、助けて、義勇さんっ」
 好きなように声を出せと言われた。だから素直に甘え怯える声をあげた。長男だけれど、きっと許される。だって義勇が許可したのだ。義勇に言いつけられたのだ。
 もはや泣きじゃくることをこらえもせず、呵責に似た振る舞いは当の義勇からもたらされているというのに、炭治郎は義勇の左手にすがりついた。ギュッと握れば、左手が動いて炭治郎の手を握り返してくれる。
 恐ろしいほどの責めも、深く心地好い安堵も、義勇がくれる。義勇に触れられているだけで、体はグングンと熱を上げ、追い立てられているのに安心した。
「大丈夫だ。我慢するな。手を握っていてやるから、全部吐き出せ」
 息が、少し荒い。興奮しているのだろうか。義勇が? この状況に? 信じられず、けれども同時にホッとして、炭治郎は義勇の腕のなかで背を仰け反らせた。足が知らず空を蹴り、ピンと伸ばされた先で爪先だけがギュッと丸め込まれる。
 脳髄を焼き切るような苛烈な光が視界をふさいだ気がして、衝撃は白く、白く、炭治郎の思考を染め上げた。
「……上手に達せたな。いい子だ、炭治郎」
 褒められた。泣きぬれた炭治郎の顔は、ふうわりと花がほころぶように笑んだ。
 無意識にスンッと鼻をうごめかせれば、汗の匂いと磯臭さが鼻を衝く。気だるさが四肢を支配して、指先ひとつ動かすのさえ億劫だ。
「これからは、今俺がしたように自分でしてみろ」
 声はやさしい。息は少し浅く、火傷しそうに熱い。
 支えてくれる胸板に、炭治郎は嫌々と駄々をこねるように頭をこすりつけた。思考が働かない。だからなにも考えず、素直に体は動いた。
「できない。義勇さんが、して。摩羅も、つま先も、してほしいです」
 ゴクリと喉を鳴らした音が聞こえたのは、気のせいだろうか。力の抜けた炭治郎の手を握る左手に、力がこもったのがわかった。
「稽古、こっちも、してほしい」
 ハァッと聞えた大きなため息は、けれどもあきれや嫌悪は感じられない。
 頬に接吻が落ちた。唇も、熱かった。

 これからは、稽古のあとはうちに泊れ。

 ささやきよりも小さな声は、きっと聞き間違いじゃない。気のせいでもないはずだ。
 だって、義勇の足はやわりと炭治郎の足を撫でたから。
 つま先からゆるゆると生まれたのは、衝撃よりも柔らかくやさしい歓喜だった。
 うれしくて笑った炭治郎の顔に送られた接吻は、頬ではなく唇に落ちた。