愛なんてまだ知らない(お題:21ワイン)

 義勇は無惨と出かけるのが好きじゃない。同居――同棲など口が裂けても言ってはやらない――するようになってからは、とくに。
 ため息を飲みこんで義勇はノロノロとフォークを動かす。
「辛気臭い顔をするな。なにが不満なのだ」
 不快げな様子を隠しもせずにワインを煽る無惨へと、ちらりと視線を投げる。
 なにがもなにも、すべてに決まっている。着慣れないスーツや、お上品な盛り付けのフランス料理も、それから、不快げな無惨の顔も。
 普通のサラリーマン家庭で育った男子高校生がこんな店を喜ぶと思うなよ。表情は変えずに義勇は内心で吐き捨てた。
 無惨だって世間的には二十歳の若造にすぎないはずだが、場慣れした堂々たる居住まいには、気おくれしたところなど微塵もない。一年前なら、きっと見惚れてドキドキとときめきすらしたのだろう。少なくとも、去年の誕生日にこんなふうに外食に誘われたのならば、はにかみながら無惨に笑いかけていたはずだ。
 いや、一年も前でなくとも、春までの自分ならば。妥協するなら初夏ごろでも、まだきっと。この関係を甘やかなものだと信じていたころまでならば。思って義勇は知らず眉根を寄せた。
「もういい。出るぞ」
 言うなり立ちあがった無惨に、義勇の眉間の皺がますます深まる。有無を言わせず連れてきておいて、身勝手な奴だ。腹立ちはあるけれども、自分の態度がよろしくないのも事実である。まだ半分ほども食べてはいないフルコースにも未練などないことだし、帰れるのならまぁいいかと、義勇は素直に立ちあがった。
「行くぞ」
 問答無用の傲慢なひびきで義勇をうながし、無惨はさっさと歩きだす。向けられた背は広い。以前の薄っぺらで頼りなげな背とは、ずいぶん違う。
 
 俺に執着せずとも、もう自由になんでも選び取れるのに。
 
 豪奢な牢と変わらぬ離れの家で、ひとりベッドで過ごしていたころとは比べものにならぬほど、無惨は健康的に――と言えば語弊があるだろうけれども、少なくともたびたび命の危険に見舞われることはなくなった。
 体格も良くなり、今では義勇を抱きあげようとびくともしない。けれども、いまだ常人のように日光を浴びることはかなわずにいる。
 
 まだ幼かったころ、今日は気分がいいと言った無惨が、義勇をともない庭に出ることは稀にあった。
 笑って無惨の手を引く義勇に、居丈高な態度ながら、無惨も少し楽しげに見えたのを覚えている。
 無惨の暮らす離れの周りにしつらえられた花壇には、青い花が多かった。
「この花はなに?」
「ブルーデージーだな」
 無造作に一輪摘み取った無惨は、義勇の髪にその花を挿し、うっすらと笑った。
「貴様の瞳の青には遠く及ばないな」
 頬に触れた無惨の手は、枯れ枝のように細く、冷たかった。
 
 そんな日には、無惨は決まって夜半に高熱を出した。
 
 大概は、次の日曜にはちゃんと逢えたし、無惨は周りが騒ぎ過ぎなのだと小馬鹿にした口調で言っていたが、ときにはそのまま入院したこともある。
 だから義勇は、無惨が外に出るかと聞いてきても、必ず首を振るようになった。ベッドにいる無惨にギュッと抱きつき、ここがいいと必死に言って見上げれば、無惨は満足げな笑みを見せてくれた。
 
 ぼんやりと思い出を辿っているうちに、乗り込んだエレベーターが止まった。
 そこでようやく向かっていたのが最上階だと気づいた辺り、よほど注意散漫になっていたらしい。
「今夜はここに泊る。食事は部屋でしよう」
 ホテルのレストランだからといって、宿泊する必要があるのかなどと、聞くのは無駄の極みだ。けれども、すぐに了承するわけにもいかない。
「明日も学校だ。制服を持ってきてない」
「どうせ昼ごろまで動けないだろう? 明日は休むと連絡しておいてやったのを感謝しろ」
 そんなの聞いてない。意外と記念日だのにうるさいから、義勇の十六の誕生日である今日は、それなりに夜更かしを強いられると思ってはいた。けれども、まさかホテルで過ごすなんて思いもしなかった。
 だが、反論したところで起き上がれない時間が延びるだけだ。
 きっとスイートルームなのだろう。広い室内には、すでにテーブルセッティングがされていた。ご丁寧にもフルコースの最初からやり直しだ。うんざりする。
「マナーはいずれ覚えるとして、今日は好きなように食べるがいい。特別に許してやる」
 誕生祝いのつもりなら、堅苦しいフランス料理なんかより鮭大根がいい。言わず、義勇は黙って席に着いた。
 ふたりきりなら不本意ながら食も進む。許可が出たのだから気にすることはあるまいと、マナーなどそっちのけで料理を口に運ぶ義勇に比べ、無惨はワインばかり飲んでいる。
 ふと、揺れる赤い液体に目を引かれ、義勇の手が止まった。
 無惨は青を好む。自由に謳歌することのできぬ空の色であり、海の色だ。
 私の空、私の海、私だけの青。いつでも無惨は、義勇の頬をそっと撫でそうささやいた。
 家の周りに咲く青い花。ブラインドの隙間から垣間見る庭の青い花に、ベッドに横たわった無惨はいつも、なにを思っていたのだろう。
 けれど、無惨には青よりも赤が似合うと義勇は思う。燃え立つような深紅。鮮血の赤。紅蓮の炎の色。無惨の瞳の色だ。
 冷酷で残忍、傲慢極まりない視線を投げるその瞳は、けれどもたとえようもなく美しい。
「飲んでみたいのか?」
 義勇の視線を誤解したのか、無惨が少し愉快そうに言った。
 答えなど端から求めていないのだろう。義勇が口を開くより早く、グラスを片手に無惨は立ち上がり、音もなく義勇の傍らに近づいた。傲慢な笑みを目元に浮かべワインを口に含む無惨を、義勇は無言で見上げていた。整った顔が近づいてくるのに合わせて目を閉じる。
 唇に注ぎ込まれた赤い液体の味は、まだよくわからない。少し甘いと感じるのは、血のような酒よりも、無惨の唇のほうなのかもしれなかった。
「十六歳、おめでとう」
 珍しくなんの含みもない文言で祝われて、義勇はこくりとうなずいた。
 高校生には不似合いな高級スーツ、フレンチのフルコース。一流ホテルのスイートルーム。みんな自分には手に余る。喜ぶと思うほうが馬鹿だ。
 
 本当に欲しいものはくれないくせに。
 
 だけど、頬に触れる手は、昔よりも少し温かいから。
 いつか笑って「ありがとう」と答えられる日が、再び訪れたらいい。頭の片隅でほのかに思いながら、義勇は抱きあげる腕に身を任せた。