錆兎と天元 『やきもちとヒーローがいっぱい』はみ出しネタ救済
うーん、と内心唸りながら、錆兎は目の前のおかしな光景を眺めていた。悪い奴じゃないんだろうが、煉獄ってやつは変わってるなぁと呆れてしまう。
ひょいっと近づき義勇の頭に手を伸ばす煉獄と、ビクッと震えてじりっと後ずさる義勇は、じわじわと錆兎たちから遠ざかりつつある。
錆兎にリードを握られたまま大人しく座っているハチまで、どこかキョトンと呆れ顔だ。犬にまで呆れられてるぞと苦笑しつつ頭を撫でてやれば、ハチは錆兎を見上げうれしげにしっぽを振った。煉獄も義勇じゃなくてハチを撫でてやればいいのに。錆兎は小さく肩をすくめる。
ひょいっ、じりっ、の無言の攻防戦は一体いつまで続けられるんだろう。義勇の腕のなかでは炭治郎が真っ赤な顔でおろおろと、煉獄と義勇を代わる代わる見ていた。
錆兎もその光景には呆気にとられたが、宇髄はもっと呆れているようだ。
「……なぁ、俺らなにを見せられてんだ?」
「んーと、馴れてない子猫をいきなり撫でようとして怯えられる人、かな?」
「ぎゆさん猫になっちゃったの? かわいいね」
真菰も呆れてはいるようだけれど、それは主に煉獄に対してなんだろう。猫の義勇かぁ、絶対にかわいいよねぇと、禰豆子と言いあう顔はちょっと機嫌が直っている。
煉獄が義勇を撫でようとするのはおもしろくないが、危険がないとわかっているだけに、ビックリ顔で逃げる義勇はたしかに錆兎から見てもちょっとかわいい。
とはいえそろそろ助け船を出すかなと思った錆兎に、宇髄が何気ない調子で声をかけてきた。
「それはともかく、お前らスマホ持ってるか?」
「小学生がスマホなんて早いって爺ちゃんが言うから持ってない」
「なんで? 私たちをナンパしてるの?」
「阿保か、なんで俺様が小学生をナンパしなきゃなんねぇんだよ。女に不自由なんざしてねぇよ」
思わず、うわぁ最低って顔をしてしまったのはしかたないと思う。やたらと小綺麗な顔をした宇髄はたしかにモテそうではあるが、錆兎としては、女遊びする男など義勇に近づけたくはない。義勇に悪影響があったらどうしてくれる。
真菰も冷めた目で宇髄を見ている。硬派な錆兎や奥手な義勇に囲まれて育つ真菰にしてみれば、軟派な男など、男とは呼べないというところだろう。
そんな二人の軽蔑の視線に、宇髄は大きくため息を吐くと、頭を掻きながら言った。
「そうじゃなくて、冨岡には知られないようにお前らと連絡を取る方法はねぇかって聞いてんだよ」
「……なんで義勇には内緒なんだ?」
警戒がにじむ声になったが、宇髄の答えに、錆兎は思わず真菰と顔を見合わせてしまった。
曰く、冨岡の地雷を聞いとかなきゃマズイだろうが。
「地雷……」
「そっ。冨岡の精神状態がどれほどのもんか知らねぇけど、これは耳にしたらヤバイってもんがあるなら、俺らも知っといたほうがいいだろ?」
学校じゃお前らも守ってやれねぇんだしなと言う宇髄の声は、どう聞いても面倒くさげだ。だが、言葉の内容は義勇を思いやるものである。
「義勇を、守ってくれるの?」
「俺にその気がなくても、煉獄が冨岡のこと派手に気に入っちまったみてぇだからな。どうせ巻き込まれるに決まってんだ。そんなら危険要因は排除しといたほうがいいだろうよ」
巻き込まれるのが嫌だというなら、最初からかかわらなければいいだけの話だ。面倒くさそう態度とは裏腹に、むしろ宇髄は、自ら巻き込まれにいきそうな気がした。
「ふーん、結構いいやつなんだな、おまえ」
「結構は余計だ。それよりてめぇ、自分は名前で呼べって言うくせに俺のことはお前一択かよ」
ギロリとにらむ宇髄をしっかりと見返して、錆兎は小さくうなずいた。
「わかった。学校での義勇は任せる、天元」
「……呼び捨てかよ。ま、いっけどな」
錆兎の決定に真菰も同意らしく、先ほどまでの警戒などすっかり消えた顔で、禰豆子と一緒ににこにこと笑っていた。
あんな馬鹿どもが義勇に敵意を持っていたのを知ったばかりだ。キメツ学園ではそんなことはないと思いたいが、楽観はしたくない。
義勇の精神状態はまだ不安定なのだ。悪化させるような要因はできるかぎり取り除きたいが、小学生の錆兎や真菰では、中学生の義勇と行動を共にするにはどうしたって制限がかかる。
信用できる味方が義勇とともにいてくれるなら、任せるのもやぶさかではないのだ。若干の口惜しさはあるにせよ。
「しかし、スマホがねぇんじゃ家電か? 冨岡本人に聞かれるのは避けたほうがいいと思ったんだが……どうすっかなぁ」
「スカイプじゃ駄目なの? タブレットなら持ってるよ」
真菰が言うと、宇髄がギョッと目をむいた。
「はぁ!? なんでスマホはねぇのにタブレット持ってんだよ、小学生」
「パパとママとの連絡用。私のパパとママ外国にいるの」
「義勇が部屋で勉強してる時間なら、義勇にバレずに話できると思う。それ以外の時間はいつも俺らと一緒だからな」
ちょっぴり自慢げになってしまったが、宇髄は羨むどころかげんなりとしている。
「えー……まさか風呂も一緒とか言う?」
「当たり前!」
「義勇のお尻の傷跡だって知ってるよ」
ねー、なー、と真菰と声をそろえて笑って言えば、禰豆子はいいなぁと羨んでくれたが、宇髄はますますげんなりとした顔になった。失敬な。
義勇の髪を洗ってやるの楽しいのに。義勇に髪を洗ってもらうのも気持ちいいしな。
錆兎がつい顔をしかめたとたんに、突然ひびき渡ったのは炭治郎の声だ。
「義勇さんが怖がってるから駄目です! よしよしするのはもっと馴れてからにしてください」
思わず全員でぽかんとしてしまう。次の瞬間には、さっきまでのうんざり顔が嘘みたいに、宇髄は大爆笑だ。錆兎はといえば、もう苦笑するしかない。
またもや助け船は炭治郎に先を越されたか。
今度の助け船は、義勇にとってはあまり乗りたくないものだったようだけれど。
それでも、炭治郎が義勇を守ろうとするたびに、義勇の感情もまた少し戻ってくるんだろう。
「ふむ、それでは冨岡に懐いてもらえるようがんばることとしよう!」
聞こえてくる快活な声に真菰と禰豆子が顔を見合わせた。
「禰豆子ちゃん、大変! 煉獄さんに義勇がとられちゃう!」
「えー! 禰豆子もお兄ちゃんも、ぎゆさん大好きだからひとりじめしちゃイヤ」
義勇たちの元へ駆け出す真菰たちに、まぁがんばれと、苦笑したまま錆兎は内心でエールを送る。
「お前は行かねぇの?」
まだ笑いの余韻を残したまま聞かれ、「義勇を独り占めできるやつなんて、もう決まってるからな」と、いっそ清々しく言えば、宇髄もなるほどと苦笑した。
わいわいと姦しい煉獄たちを、なんとはなし二人と一匹並んで眺める。と、また宇髄が口を開いた。
「で? 本音は?」
「……頼みがある。さっきの馬鹿の素性を知っておきたい」
小学生じゃやれることにかぎりがあるからなと言う錆兎に、宇髄は片眉をあげニヤリと笑う。これだけの言葉で錆兎の意を悟ったことがわかり、錆兎も不敵に笑い返した。
察しのいい男だと思う。義勇を守るための味方ならば、これぐらいの器量がなくては任せられない。
「あの嬢ちゃんはいいのかよ。後で知ったらうるさくねぇか?」
「真菰は女だからな。危険性がある以上、教えるわけにはいかない。あ、でも誤解するなよ? 真菰はちゃんと強いぞ。稽古の時だって三本に一本は俺が負ける」
「ふーん?」
ニヤニヤと笑いだした宇髄に錆兎が怪訝な視線を向けると、宇髄は意味ありげに、禰豆子と一緒に義勇の足にまとわりついている真菰へと視線をやった。
「自分が負けても派手にうれしそうに言えるってのは、アレか? ラブ?」
「なに言ってんだ? おまえ」
なにを言いだすかと思えば。呆れ返りつつ錆兎も真菰を見る。
「わざわざ当たり前のことを聞くな。真菰は俺の嫁になる女だぞ」
ラブだと? そんな言葉ごときで言い表せるものか。
義勇は錆兎にとって宝物で弟で兄で目標だ。一方真菰は、錆兎の空気であり、水であり、光なのだ。あって当たり前で、無くては生きられない。
「なんだよ、お嫁さんになるぅとか言われたりしたのか? ちいせぇころの約束なんて当てになんないぜぇ? 年ごろになってみな、いつも一緒のお前より目新しい男に目移りするかもしんねぇぞ」
ニヤニヤ笑いをますます深める宇髄に、頼りにはなりそうだが悪趣味な男でもあるなと、錆兎は軽く目をすがめた。どうせ錆兎がムキになるのを見たいだけだろう。
だから錆兎は堂々と言ってやる。不敵に笑ってみせる。
「たしかに約束したのはもっと小さいときだが、そんなもの、俺が真菰を嫁にするのにふさわしい男であり続ければいいだけだ」
まぁ、ちゃあくん、と、舌足らずに呼び合い笑っていたころからずっと、今も、これから先も。真菰は錆兎にとっての空気で、水で、光だ。当たり前に傍にいて、手を取り笑い合い、一緒に涙して、一緒に強くなっていく。
いつまでも続くと思っている日常は、ある日突然覆されることがあると、錆兎はもう知っている。身に染みて今まさに経験している。だから油断などしない。自分も真菰にとっての空気で水で光であるように、あり続けられるように、努力を怠る気は毛頭ない。
「……いいねぇ、派手におもしろいぜ、おまえ。ガキとは思えないほどイイ男だな、錆兎」
ふふんと笑う宇髄の顔に、けれど茶化すような色はない。初めて名を呼ばれた。認められたことを知る。
「おまえもおもしろいと思うぞ。ちょっとチャラいけどな、天元」
チャラい言うなと鼻を鳴らす宇髄を見上げ、互いにニヤリと笑い合う。
自然と突き出した小さな拳が、大きな拳と突き合わされた。
「んじゃ、派手に暗躍開始といこうかね、チビ剣士」
「派手な暗躍っておかしいだろ、銀髪忍者」
忍者はやめろと顔をしかめる宇髄と、おまえもチビはやめろと眉を寄せる錆兎を見上げて、ハチが仲間に入れろと言うようにオンオンと鳴いた。