大人たちも交えての雑談は和やかに過ぎて、チャームも完成してしまえば特にやることもない。夏の日はまだ高く、時間はたっぷりとある。
道路の渋滞を見込んで予定を立てていたから、初日の今日は予想外に余裕があった。とはいえ、もともと細かな予定は組んだ日程ではない。明日は石拾い、最終日の午前中は稽古に参加。杏寿郎の今回の予定はそれぐらいのものである。大人たちも、田舎に来てまでタイトなスケジュールに追われることはない、のんびりしていろというスタンスだ。
もちろん反論する気はないが、杏寿郎にしてみれば、義勇の祖父の家でダラダラゴロゴロと過ごすというのは、どうにも落ち着かない。怠惰に怠けて過ごすなんていうのは、杏寿郎の性にも合わない時間の使い方だ。
これからどうする? と子どもたちだけとなった座敷で顔を見あわせれば、またもや提案は真菰からだった。
「せっかくだから、名水百選にも選ばれたおいしい水も飲んでもらいたいな。湧水が組める泉は沢登りのスタート地点でもあるから、下見を兼ねれば一石二鳥じゃない? お爺ちゃんに車で泉まで送ってもらえば、そんなに時間かかんないよ。晩御飯はバーベキューやるって言ってたし、泉からセンターまでみんなで散歩しよ。ね、どうかな?」
反対する者もなく、午後は真菰の先導で渓谷の辺りを散策することになった。
あっという間に決まった予定に、杏寿郎は素直に従うばかりだ。とはいうものの、ちょっとばかり恐縮もする。
昼はうな重、夜はバーベキューとは、かなりの歓待っぷりである。食べ盛りである上にもともと大食漢の杏寿郎にしてみればありがたいばかりだけれども、なんだか散財させてしまっているようで、申しわけなさを覚えなくもない。
「うちと爺さんとこに、お母さんから丁寧なご連絡があったよ。バーベキューの肉は杏寿郎くんちからの提供だ。いい肉送ってもらっちゃって、こっちのほうが恐縮するわ。おまけにあんな手土産まで貰ったしなぁ」
恐縮する杏寿郎にカラカラと笑った錆兎の父は、錆兎によく似ている。親しみやすくていい人だ。鱗滝とはあまり似ていないけれども、親子関係はすこぶるよいように見える。杏寿郎に対しても他人行儀な態度などまるで見せずに気安く接してくれるので、親族のなかで唯一の他人である気まずさなど、微塵も感じずにいられるのがありがたい。
ともあれ、夕飯のバーベキューはすでに鱗滝が場所を予約してくれているようだし、このまま時間までゴロゴロしているのも気が引ける。真菰の提案通り、自然のなかをハイキング気分で散策するのも楽しそうだ。沢登りの下見もしておくのに越したことはない。
そうと決まれば、グズグズしているのは時間がもったいない。
バーベキューをする野外センターとやらは、歩いていけば結構な距離だが、車でならばさほど時間はかからないとのことだった。湧水を汲める泉からは、ほど近い場所にあるらしい。
この人数では錆兎の父の車では定員オーバーだ。どうするのだろうと思っていれば、泉までは鱗滝の軽トラで移動するのだと真菰が笑って言った。だが軽トラックでは運転席と助手席しか乗れる場所はない。自家用車よりも乗れる人数は少ないのにどういうことだろう。思わず首をかしげた杏寿郎に、錆兎がニヤリと笑った。
「俺らは荷台。近所じゃうるさいこと言うやつはいないけど、車見かけたらブルーシート被って隠れろよ? 荷物なしで荷台に人が乗るのは一応違法だからな」
「よもや! 犯罪行為なのか!?」
思いがけない言葉に杏寿郎はビックリしたが、真菰や錆兎だけでなく、生真面目な義勇までケロリとした顔をしている。
「山のなかだけだもん。それにお巡りさんだったお爺ちゃんがいいって言うんだから、堅苦しいこと言いっこなし!」
「え? 範士殿は警官だったのか」
「うん。俺も制服姿は写真でしか見たことないけど。でも、ご近所さんはみんな、お爺ちゃんを今も頼りにしてる」
こくりとうなずいた義勇の顔が、どこか誇らしげだ。
言われてみれば、剣道人にとって警察官は定番の職業だ。警察には日本一に輝いた選手も多く在籍し、生涯剣道界で活躍したいと願う者が真っ先に思い浮かべる職業でもある。
「そうか! 父も学生時代には警察官を目指そうかと悩んだことがあると言っていた!」
大人になったらなにになりたいか。そんなことを思い浮かべるとき、杏寿郎も警官がいいだろうかと考えたりもする。剣の道を志し、一生をかけて邁進していく所存なら、職業選択も真剣に考えざるを得ない。
とはいえ、まだ中学一年生だ。未来は果てしなく、将来の自分はうまく想像できない。
「はいはい、納得したらさっさと乗る。あっちで遊ぶ時間がなくなっちゃう」
真菰に急かされて、クーラーボックスやなにやら大きめのバッグなどの荷物と一緒に荷台に乗り込めば、行きの乗用車の座席と違って軽トラの荷台はいかにも硬い。これは尻が痛くなりそうだなとちょっぴり思いつつも、初めての経験にワクワクともする。
真菰の「しゅっぱーつ!」との掛け声で車が走りだしたとたん、転がりそうになって杏寿郎は思わず、うわっ! と声をあげた。
「杏寿郎、こっち」
義勇に袖を引かれて見れば、三人は運転席に背をつける格好で体育座りしている。なるほど、背もたれなしではこれは少々つらい。
進行方向に背を向ける形で横並びに座っての道行は、急勾配がつづくこともあってちょっとスリリングだ。
いつもだったら杏寿郎、義勇、錆兎と並んで座るのが定番だが、今日は義勇の反対隣りは真菰だ。両端に杏寿郎と錆兎という並びのわけはすぐに知れた。なにしろカーブのたびにどうしても体がかしいで、端に座っている杏寿郎と錆兎に一斉に全員分の体重がかかってくる。さすがに女の子の真菰に男三人の体重をかけてしまうわけにもいかない。
錆兎と義勇にぎゅうぎゅうと挟まれても、真菰は別段気にならないようだし、錆兎や義勇も真菰とくっついても照れた様子など微塵もないが、杏寿郎としてはちょっぴり複雑だ。義勇に真菰が寄り掛かったり、義勇が真菰とくっつくたびに、なんだか奇妙な焦りが心に湧く。
でも、モヤモヤと考えている暇などないのも事実だ。とにかくカーブが多くて、ひたすら揺れる。安全運転でスピードは出していないのだろうが、カーブのたびに振り回される感覚があって、なんともお手軽なアトラクション感覚である。
伏せろ! と、錆兎の父が楽しげに声をかけてくるたびに、対向車から隠れてブルーシートをあわてて被るのも、なんだか楽しい。
集落からの道行は、森林セラピーコースを謳っているそうだ。確かに空気は澄んで、緑の匂いが濃い。疲れた心を癒す効果はありそうだ。飛ぶように流れる景色はまるで緑のトンネルだった。
あちらこちらから聞こえる鳥のさえずり。ときどきポトリと落ちてくるヤマビルに、思わず悲鳴を上げるのすら、なんだか笑いたくなってくる。ワクワクと心が弾んで、自然と顔は満面の笑みになった。
渓谷近くを走ると、水音が聞こえてくる。滝が近いと錆兎が教えてくれた。水量はそう多くはないが、大小いくつもの滝がある沢なのらしい。
杏寿郎たちの住む町は都心からは少し離れているから、それなりに緑も豊かではあるけれど、こんなふうに自然のままの姿を見ることは少ない。手入れのされた緑地公園がせいぜいだ。
田舎を持たない杏寿郎にとっては非日常的な光景であるはずなのに、どこか懐かしく感じるのは、自然と寄り添い暮らしてきた遺伝子の記憶によるものなんだろうか。
心弾ませつつも、しみじみと色濃い緑の木々と新鮮な空気を堪能していた杏寿郎が、思わず驚きの声を張り上げてしまったのは、話題が明日の沢登りについてになってからだ。
「えっ!? ザイルやハーケンなんて必要なのか!?」
「登山と変わらない装備で川に入ってく人、よく見かけるぞ?」
錆兎の言葉に、杏寿郎はわれ知らず顔を曇らせた。
今回は自由研究の石拾いが目的なので、杏寿郎は義勇とふたりだけで行くつもりだったけれども、どうにも雲行きが怪しい。滝を自力で登るというのは想像するだけでワクワクとして、それもまた楽しみにしていた杏寿郎だったけれども、どうやら気軽にチャレンジというわけにもいかないようだ。
義勇と顔を見あわせれば、義勇も戸惑いが露わだ。沢登りは義勇もしたことがなかったらしい。義勇が顔を曇らせたのに気づいた真菰が、少しだけ呆れたような苦笑を浮かべた。
「後でお爺ちゃんたちに聞いてみなよ。もしダメって言われたら、泉の辺りでもいいじゃない? みんなで川遊びしながら石拾いしようよっ」
確かにそれも楽しそうだけれども、やっぱり少々残念ではある。だが、無理にも沢を登るとは言えないのも事実だ。
できれば義勇とふたりが良かったけれど、危険があるのならばそういうわけにもいかない。義勇を危険な目に遭わせるなど言語道断だ。
「ごめん、杏寿郎」
しょんぼりと謝る義勇に、杏寿郎は明るく首を振った。義勇を悲しませるのだってもってのほかだ。
「なにも絶対に駄目と言われると決まったわけでもないからな! それに川遊びだって楽しそうだ!」
杏寿郎の笑顔に義勇も小さくうなずいてくれたけれど、悄然とした空気はいかんともしがたい。
「義勇、そんなに杏寿郎くんとふたりだけがよかったの?」
からかい口調の真菰の笑い声に、杏寿郎の胸がドキリと音を立てた。もし義勇が落ち込んでいる理由がそれならば、こんなにうれしいことはないのだけれど。でも義勇の返答は、杏寿郎の望む言葉とは違っていた。
「……俺が、お爺ちゃんとこで石を拾おうって言った」
「ちゃんと石は拾えるだろ? おまえが嘘を言ったわけじゃないんだから、そんなに落ち込むなよ、なっ?」
苦笑する錆兎に頭を撫でられている義勇を見て、期待に高鳴った胸はすぐにチクンと痛み、杏寿郎は小さく唇を噛みしめた。
錆兎の態度は、もうどこにもおかしな様子は見られない。いつもと変わらず、頼りがいのある兄貴然として、自分から杏寿郎や義勇にも話しかけてくる。
なんだか変だと思ったのは、やっぱり自分の気のせいだったんだろうか。義勇をなだめる錆兎を見ていると、安堵と嫉妬がない交じって、杏寿郎の胸にはモヤモヤとした理屈のつかぬ衝動が生まれた。
あの手を払って、昼寝したときのように自分の腕のなかに義勇を閉じ込めてしまいたい、なんて。
友人同士が仲良くしているのを喜べない自分は、どうしてこうも余裕がないのだろう。こんなの、幼い子どものようではないか。狭量が過ぎる。
ほかの友達が誰と仲良くしていても嫉妬なんてしたことがないのに、義勇にだけは駄目だ。誰に対しても――それこそ、かわいい千寿郎にまでも、嫉妬してしまう。俺だけの義勇でいてほしいなんて、思いあがったわがままな独占欲が胸を占めて、苦しくなる。
そんな杏寿郎の鬱屈に気づいたわけでもなかろうが、真菰が明るい声をあげた。
「駄目って言われる前から落ち込んだってしょうがないでしょ~。ホラッ、それよりもう着くよ。急いで降りなきゃ。一応違法なんだからね」
真菰の声と同時に車が止まった。あわてて荷台から飛び降り辺りを見まわすと、なるほど、湧水を汲みに来た人が大勢いる。駐車された車は他県のナンバーも多い。水を汲みにわざわざ出向いてくる者も多いということだろう。
杏寿郎は水を汲む手伝いをするつもりだったが、大人たちは、俺らが並ぶから先にセンターに向かえと笑うばかりだ。バーベキューを行う野外センターとやらは、ここから少し道を下ったところにあるらしい。
確かに、ペットボトルで湧き出る水を受けとめるだけなら、人手もいらないだろう。お言葉に甘えてと、まずは明日の下見に杏寿郎たちは、すぐ横にある小さなつり橋から川を見上げてみた。
階段状になった石段を流れ落ちる清流の先は、緑の木々に阻まれてよく見えない。この先にいくつも滝があるんだよと、真菰が笑う。川幅は狭く、水流も多くはない。これが海まで流れ着くのかと思うと、なんだか不思議な気がしてくる。
川では小さな子どもたちが笑い声を立てながら遊んでいた。この辺りならば水の流れも穏やかだし、人目も多いから、子どもだけで遊んでいても危険は少なそうだ。千寿郎を連れてきていたら、さぞかしはしゃいだことだろう。留守番をさせてしまったのがちょっと残念だ。
川べりを見るかぎり珍しい石は特になさそうだが、沢登りを反対されたときにはしかたがない。この辺りの石で我慢するしかないだろう。そもそも研究テーマは川の上流と下流での石の比較だ。珍しい石でなければいけないというものではない。
それじゃ行こうかと真菰にうながされて、水汲みの列に並ぶ鱗滝たちに手を振り歩き出せば、空気の密度をより濃く感じる。真夏だというのに、深い緑のなかにいると涼しいぐらいだ。
明日の予定だとかバーベキューが楽しみだとか、ワイワイと話しながら歩いていると、
「バドミントン持ってきてもらってるんだぁ。センターにお爺ちゃんたちが着いたら、ご飯の前に勝負しよう!」
と、真菰が言い出した。
紅一点の真菰は、この面子のなかでは一番積極的というか、遊びのリーダーのようだ。地元っ子というのもあるのだろうが、たぶん生来好奇心旺盛で、物怖じしない性格なのだろう。
「はぁ? そんなもん爺ちゃんに持たせたのかよ」
「車だからいいじゃない。荷物になんてなんないもーん。あ、もしかして錆兎、私に負けるの怖いんだぁ?」
ぴょんと錆兎の前に回り込み、いたずらな猫のように笑って顔をのぞき込む真菰に、錆兎の目がちょっとばかりすがめられた。
「そんなわけあるか。返りうちだ」
「ふっふーん、言ったなぁ? じゃあ、負けた人は罰ゲーム! なにやらせよっかなぁ」
「端から自分が勝つ気満々か。負けないって言ってるだろ」
ムッとした錆兎の声に、杏寿郎は、おや? とまばたいた。錆兎はいつでも余裕綽々で大人びて見えるのに、真菰が相手だと、なんだか存外子どもっぽい。
ワイワイとふたりで言い合う錆兎と真菰の背を、少しだけ後ろから眺めながら、仲良しなんだなと杏寿郎が思ったのと同時に、義勇がクスリと笑った。
ほんの少し弾んだ声で言ったのは、杏寿郎が思い浮かべた言葉と寸分変わりない。
「仲良し」
「うむっ! 錆兎も意外と子どもっぽいところがあるのだな。初めて知った」
いつのまにか肩を寄せあう距離に並んでいた義勇に、ちょっぴりドキリとしつつ、錆兎に聞かれぬよう少し声を潜めて聞けば、義勇はこくんとうなずいた。
「真菰といるといつもあんな感じだ。俺とだと、すごくお兄ちゃんぶるけど」
俺のほうが誕生日は早いのにいつも錆兎に面倒かけてると、ちょっとうつむくから、杏寿郎は思わず頭を撫でてやりたくなる。
義勇には悪いが、錆兎の気持ちは杏寿郎にもよくわかる。義勇はどうにも庇護欲を抱かせるのだ。守ってやりたいと思ってしまう。
でも。
「義勇にはつらいことがあったのだから、心配されるのは当然だろう。だが、錆兎だって義勇のことを、幼い子どものように思っているわけではないと思うぞ? 義勇は勇敢で、とても強いからな! 俺は、君を尊敬している」
そうだ。義勇は本当に強い人なのだ。杏寿郎はもう、知っている。
周りの者を思い遣る義勇のやさしさは、やわらかく強靭な心の強さに支えられたものだ。ひとりで悲しみを抱えてきたやさしさが、強さでなくてなんだというのだろう。
苦しみに耐えて義勇は、世を儚み大切な人たちの後を追うことも、絶望に捨て鉢になって道を外れることもなく、こうして今ここに立っている。錆兎たちまで悲しみに巻き込まぬよう懸命に絶望と戦ってきた義勇が、守られるばかりの存在であるはずがない。
きっぱりと、義勇の目をまっすぐ見つめて言った杏寿郎に、義勇の丸く見開かれた目は、驚きをたたえていた。海の色をした瞳がかすかに揺れている。
「……尊敬?」
「うむ! 当然だろう?」
当たり前のことだから、なんの含みもなく杏寿郎は笑った。義勇がかわいくてしかたがないのは変えようがないが、尊敬の念も本心である。きっと錆兎や真菰も同意してくれるだろう。ふたりにとっても、義勇は守るばかりの存在ではないはずだ。
義勇の唇が少し震えて、なにか言おうとしたそのとき、真菰がふたりを呼ぶ声がした。
見ればだいぶ距離が離れている。遅いよと腰に手を当て言う真菰に手を振り、杏寿郎は、義勇の手を取った。
「急ごう!」
「……うん」
手を繋ぎあって駆け出せば、義勇の顔にも小さな笑みが浮かぶ。
義勇がなにを言いたかったのかはわからない。けれども、義勇の手は少し汗ばんで、いつもよりもちょっぴり熱かった。
山小屋風の造りをした大きな野外センターは、雄大な緑の山脈を背後に控えた堂々とした建物だった。建屋はほとんどがロッジ風で、なだらかな緑の稜線も相まり、見ているとまるでアルプスにでも来たかのような気分にさせられる。
自然と高揚するのは杏寿郎ばかりではないようで、キャンプ場にいくつか張られたテントからは、にぎやかな笑い声が聞こえてくる。バーベキュー場にも家族連れなどのグループが楽しげにはしゃぐ姿が見えるし、広場を駆け回る子どもたちもいて、なかなかに盛況だ。
義勇と手を繋いだまま歩いている杏寿郎に、錆兎も真菰もなにも言わない。真菰はいかにもうれしげで、ニコニコとしている。
錆兎がなにを考えているのかは、杏寿郎にはよくわからなかった。
いつも通り余裕のある笑みを浮かべているのだから、特に思うところはないのだろうが、それでもちょっと気にかかる。行きの車中での錆兎の沈黙が、杏寿郎の胸には居座り続けていた。けれども問い質すには、錆兎の様子はあまりにもいつも通りだ。だから杏寿郎も、努めて気にするまいと笑ってみせた。
「いいところだな!」
「穴場スポットなんだよね~。地元の人でもここでキャンプできるの知らない人も多いんだよ。今日は日帰りだけど、今度みんなでキャンプしようねっ。あ、お爺ちゃんたちいた!」
解放された森林地区のなかを散策して戻ると、鱗滝たちの姿が見えた。
おじいちゃーんと、大きな声を張り上げて駆けていく真菰につづいて、杏寿郎たちもバーベキュー場にいる鱗滝たちの元へと走り出す。義勇と手を繋いだまま駆ける杏寿郎に、鱗滝がわずかに目を見張ったように見えたが、その目はすぐにやわらかくたわんだ。
「杏寿郎くん、料理は錆兎とどっこいどっこいらしいけど、バーベキューなら焼くだけだから頑張れよ」
いかにも楽しげに笑う錆兎の父に、錆兎が肩をすくめている。杏寿郎も思わず頭をかいた。
「調理はお役に立てないかもしれませんが、力仕事ならいくらでもやります! なんでも言いつけてください!」
「おぉ、頼もしいな。でもまぁ、まだ時間も早いから遊んどいで。俺と爺さんも、しばらくのんびり昼酒してるからさ。いやぁ、杏寿郎くんの手土産、ビールにも合うわ」
快活に笑う錆兎の父は、やっぱり錆兎によく似ている。錆兎の兄貴然とした面倒見の良さは、父親譲りなのだろう。
親しみやすく頼りがいがある大人というのは、杏寿郎の周りには実はあまりいない。本家を継いだ父よりもずっと、旧家だなんだとこだわる親族が多くて、父もうんざりしているのを杏寿郎は知っている。
赤の他人である錆兎の父や鱗滝のほうが、よっぽど心安いというのは、なんとなく恥ずかしいような気もした。
ちょっと空回りしがちでしょっちゅう母に説教されているが、父には、鱗滝たちと同じように子どもが素直に尊敬できるだけの人格が備わっていると、身贔屓なしに杏寿郎は思っている。だが親戚連中はそうではない。同じ血を継いでいながらどうしてこうも違うのかと、忸怩たる思いを抱くことは多々あった。
義勇が、こんな人たちに囲まれていられてよかった。俺の親戚のような連中だったら、義勇を苦しめるばかりだっただろうな……。
知らず義勇と繋いだ手に力がこもり、キョトンと見つめてきた義勇に、杏寿郎はそっと微笑んだ。
「あんまり飲み過ぎるなよ、父さん。飲酒運転は絶対に駄目だからな!」
「言われんでもわかっとるわっ。夕飯には飲まないようにするに決まってるだろ。ホラ、子どもは元気に遊んでこい」
「おじさんもお爺ちゃんも、シェ・リュイのパイ食べ過ぎちゃわないでよね。私もまだ食べるんだからっ。義勇、あっちで勝負しよ!」
大人たちに釘を刺して、バドミントンのセットを手にした真菰が手招きするのに、義勇と顔を見あわせて杏寿郎は、よし! とうなずいた。
「錆兎と勝負するのは初めてだな! バドミントンとはいえ負けられん!」
「お、強気だな。よし、胸を貸してやろう。かかってこい!」
「おふたりさん、誰か忘れちゃいませんかぁ? 罰ゲーム楽しみだな~」
「……罰ゲームって、なに?」
少し不安そうにたずねた義勇に、真菰がニンマリと笑った。
「内緒~。大丈夫、そんな変なことはさせないから」
「ていうか、俺らが勝てば問題はないだろ。で? 試合形式にすんのか?」
ポンポンとラケットでシャトルを打ちながら聞く錆兎は、涼しげな顔だ。こちらも負ける気など微塵もないようである。
水泳部のエースなのは重々承知しているが、球技にも腕に覚えありということだろうか。だが、杏寿郎だって負ける気などない。運動神経の良さには自信がある。罰ゲームはともかく、義勇の前でみっともないところなど見せてたまるかと、奮い立ちもする。
「みんなでラリーして落とした人が負けでいいんじゃない? 順番に試合してくんじゃ、面倒だもん」
「なるほど! わかりやすいな!」
「……負けない」
傍らで聞こえた呟きに、お? と視線を向ければ、義勇がキリッと顔を引き締めて、ラケットを握りしめていた。
義勇も体育の様子を見るに運動神経の良さは折り紙付きだけれども、ここまで真剣なのは珍しい。罰ゲームがそんなに不安なんだろうか。
とにもかくにも、義勇が相手だろうと負ける気はない。たかが遊び。されど真剣勝負。手加減は無用。
広場で円になってラケットをかまえれば、余裕の笑みを浮かべていた錆兎の顔もめっきり真剣だ。
「じゃ、いくよ~」
まずは肩慣らしとばかりに軽くシャトルを打ちあげた真菰からスタートして、義勇、錆兎、杏寿郎と緩いロブでポンポンとシャトルが一巡したところで、真菰の目がきらりと光った。
錆兎の方角へと打ち返されたシャトルは高い弧を描いて、錆兎の背後へと飛んでいく。けれども錆兎もさすがというべきか、シャトルの落下地点に余裕で走りついている。真菰のようにロブで走りまわされるかと思いきや、杏寿郎に向けられて放たれたのは強烈なスマッシュだ。
「なんのっ!」
打ち返したシャトルは真菰の方向へ。走り出した真菰も、豪語するだけあって素早い。もしかしたら身軽さでは四人のなかでもピカイチかもしれない。
再び上げられたロブはやっぱり飛距離がある。真菰がラケットを振った瞬間に走り出していた義勇のラケットがシャトルをとらえ、シャトルは一直線に錆兎へと飛んでいった。
「甘いっ!」
「スマッシュで返す辺り、義勇も負けず嫌い健在だねぇ」
真菰の笑い声に杏寿郎が義勇に視線を向ければ、やっぱり顔は真剣そのものだ。なるほど。意外と負けず嫌いだったかと、新たに知った一面になんだかうれしくなる。
だが喜んでばかりもいられない。錆兎が返したシャトルが向かってくる先は杏寿郎だ。もちろん、落とすなんてことしやしないけれども、これは一瞬も気が抜けなそうだ。
緩急をつけてのラリーは段々と白熱していく。とにかく誰も落とさない。一番素早いのは真菰だが、走り回らさられるのも真菰からのショットだ。追いつけそうにないポイントへのロブがやたらと多い。筋力差からスマッシュでは分が悪いとの作戦だろうか。
だが、杏寿郎はもちろん、錆兎も、義勇だって負けちゃいない。錆兎も足が速いが、義勇は落下地点の推測が素早いのだ。足の速さは真菰や錆兎に一歩劣るが、ラケットが振られた瞬間にはもう、義勇はシャトルの弾道を見極めているようだった。
当然のことながら杏寿郎だって三人に負けるものではない。それでも、三人のフットワークには舌を巻かざるを得なかった。ことスポーツと名のつくもので、遊びとはいえこんなにも苦戦させられるのは初めての経験だ。
ロブとスマッシュの応酬で、走って打ってまた走ってと、息をつく暇もなくシャトルは四人のあいだを飛び交う。
どれだけ打ち合っていたのか。一向に地面に落ちる気配のないシャトルを追い、真夏の陽射しの下、走り回りラケットを振るうちに、いつのまにやらギャラリーまで集まりだしていた。
「おねえちゃん、がんばれー!」
「負けないでぇ!」
紅一点の真菰に小さい子どもたちが声援を送りだし、真菰のラケットはますます冴えていくようだ。錆兎のスマッシュもまったく衰える気配がない。酒を聞し召した大人たちのなかには、どうやら誰が一番最初にシャトルを落とすか賭けをしだした気配まである。声援はどんどん大きくなっていく。
観客の思惑はどうでも、ここまできて負けるなんて冗談じゃない。走りまわされるうちに段々とラリーは真菰と錆兎組、杏寿郎と義勇組の様相を見せだしている。義勇とタッグを組んでの勝負に、負けはあり得ない。
錆兎が放った長い長いロブを追って杏寿郎は走る。目で追うシャトルの落下予想地点は、ギリギリ追いつくかどうかだ。フライングレシーブのようにラケットを伸ばして飛びつき、杏寿郎は背後に向かって軽くシャトルを打ち返した。左手でトンっと地をつき器用に一回転した杏寿郎にギャラリーがどよめく。沸いた歓声のなかで、杏寿郎はするどく声を張り上げた。
「義勇っ!」
見なくても義勇が杏寿郎の後を追ってきたのは、気配でわかる。杏寿郎の意図は以心伝心、視線を向ければ、シャトルが打ち返されてくるのを義勇が待ち構えていた。落ちてきたシャトルは、思い切りバックハンドで振り抜いたラケットからまっすぐに真菰に向かって放たれて、また歓声が上がる。
「ナイスコンビネーション!」
「すっげぇ!」
興奮しきりな声に応える暇もなく、体勢を整えた杏寿郎はすぐに走り出していた。またもやロブで走りまわされるかと思いきや、コンパクトなスイングで打たれたシャトルは、鋭い軌道で義勇と杏寿郎のあいだを狙ってくる。
あわてて互いに伸ばしたラケットが、ガチンとぶつかり合って、アッと思ったときにはシャトルは地面にとうとう落ちて強くバウンドした。
歓声と落胆の声が入り混じり、誰かが叩き出した拍手が広がっていくなかで、ちょっと呆然として杏寿郎は義勇と顔を見あわせた。
「やったぁ! 義勇と杏寿郎くん、罰ゲーム!」
ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ真菰に、思わず杏寿郎たちの眉が下がる。
「すごーい!」
「おねえちゃん、強ーい! 男の子に勝っちゃった!」
キャアキャアと騒ぐ子どもたちに手を振る真菰は満面の笑みだ。錆兎がちょっと肩で息をしながらも余裕の態度で苦笑している。
「いやぁ、いいもん見せてもらったなぁ」
「僕たち、喉乾いたでしょ。ジュースあげるからおいで」
「焼きたてのバウムクーヘンあるわよ、持っていって!」
親しげにかけられる声は、みんな明るい。ガッカリとした顔で肩を落としていた義勇も、ちょっぴり情けない気分で眉を下げていた杏寿郎も、互いに見交わせた目をパチリとまばたかせて、思わず苦笑いした。
「すまん、俺が引けばよかった」
「……俺もごめん。迷った」
ん? と一瞬考えて、あぁ、と杏寿郎は笑った。
「最後のスマッシュか」
こくりとうなずいて義勇は、ロブのほうがよかったかもとため息をつく。
「しかたないさ! 次は勝とう!」
明るく笑って言えば、義勇はまた小さくまばたいて、ふわりと笑った。
「うん……」
うなずき答えた義勇の声に重なって、真菰の楽しそうな声がひびく。
「義勇、杏寿郎くん! 早く来なよ~! バームクーヘンすっごくおいしそうだよぉ!」
ちゃっかりとご相伴にあずかっている真菰に、顔を見あわせてくすっと笑いあう。
「行こう!」
「うん」
一緒に走りだせば三々五々散っていくギャラリーが、明るく褒め言葉をかけてくれる。負けたのは悔しいし残念ではあるけれども、心は晴れやかだ。
次は負けない。次もある。義勇と一緒の、次が。思うだけで杏寿郎の胸は力強く打ち鳴らされて、眩い陽射しのようにカラリとした笑みも浮かぶ。
走り回って体は汗みずくで、喉はカラカラ。湿った髪が張りつく額を拭えば、火照った顔を吹き抜けた風がなぶる。駆けるふたりを追い越して、オニヤンマがスイッと飛んでいった。
白熱のバドミントンを終えて、キャンプに来ていたいろんなグループからジュースだの菓子だののおすそ分けを貰いまくったあとは、いよいよバーベキューだ。
道具はすべて格安でレンタルできるし、薪も市販のものより安く売っている。食材だけ用意すれば事足りるというのはなんとも気軽だ。
食材は、杏寿郎の母が予め手配してくれたという牛肉やらスペアリブ、ラムチョップなどの肉類。鱗滝が菜園で作っているという朝どれのトマトやオクラ、トウモロコシなどを中心に、野菜もどっさりと用意されている。
タレは市販の焼き肉のタレだけれども、野外で自分で火をおこし焼くバーベキューは、それだけでワクワクとする。ジュウジュウと食欲をそそる音がひびきだして、肉の焼ける匂いが漂いだすと、知らずゴクリと杏寿郎たちの喉が鳴った。
散々アップルパイだのバームクーヘンだのとご馳走になった後ではあるけれども、それでも肉の山を見れば腹が減っているような気になるのは若さゆえか。
横並びのバーベキュー場は、夕飯時が近づいてにぎやかさを増している。周りのグループからもサラダだのの前菜をお裾分けされたものだから、夕飯も昼同様に豪勢の一言だ。こりゃ食べきれないかもと、鱗滝たちも肉やら野菜をお裾分けに回っていたけれども、それでも十分すぎるほどの量だ。
段々と暮れてゆく日が赤く燃えて、山脈の稜線が黒く染まっていく。真っ赤な夕焼けから濃紺の夜空へと変わっていくグラデーションの空の下、見事な食べっぷりを見せる子どもたちに、錆兎の父と鱗滝はちょっとばかり苦笑気味だ。まさかこの量を食べ尽くしそうになるとは思いもよらなかったのだろう。
周りの家族連れも、杏寿郎たちの健啖っぷりに少々呆気に取られている。小さい子どもたちなどはあからさまにポカンとしていた。杏寿郎たちにつられて苦手な野菜まで食べられた子もいるようで、みんなでサムズアップしてやれば照れてはにかむ姿が、千寿郎を思い出させてなんとも微笑ましい。
和気あいあいと一期一会の交流を楽しむのも、観光地での醍醐味だろう。新鮮な空気と頭上に広がる星空、楽しげな笑い声。なにもかもが素晴らしい調味料だ。
「さぁて、義勇と杏寿郎くん、罰ゲーム覚えてるよね?」
あらかた食べ進んだところで唐突に笑って言った真菰に、スペアリブにかじりつこうとした杏寿郎は、口を大きく開いたままピタリと止まった。義勇もギクリと肩をこわばらせて、箸で玉ねぎをつまみ上げた格好のまま固まっている。視線だけがおどおどとさまよっている。
「なにやらせる気だ?」
義勇のうろたえっぷりに、さすがに少し気がとがめたのか錆兎が聞けば、真菰はこほんと咳払いし
「ふたりでデュエットしてもらいまーす! 曲はなんでもいいよぉ」
と、笑って宣言した。
「よもや! ここでか!?」
杏寿郎は、別段歌うのが嫌いだとか音痴だとかではない。けれども、まさかこんなに大勢の人がいる前で歌わされるとは思いもよらず、杏寿郎は目をむいてつい周囲を見回した。
真菰の宣言は周囲のグループにも当然聞えていたようで、おぉーっと楽しげな声が上がっている。やんやと期待の声が聞こえるなか、義勇をうかがい見れば、杏寿郎以上に呆然自失としていた。
「歌……」
「だってぇ、義勇ってば歌うまいのに、カラオケ行ってもあんまり歌ってくれないじゃない? 杏寿郎くんと一緒ならいいでしょ?」
そうか。デュエットということは、義勇と一緒に歌うということで。それはすなわち、義勇の唄声を聞けるということだ。
真菰の言葉にハタと気づいて、杏寿郎は思わず顔を輝かせた。今まで音楽の時間で歌うことはなかったから、義勇が歌うのを聞いたことはない。初めて聞ける義勇の歌声に期待がこみ上げる。
とはいえ。
「俺は流行の歌など知らんのだが」
自分も一緒に歌うとなると、ふたりとも知っている曲でなければならないだろう。杏寿郎の家では音楽番組など年末の紅白ぐらいしか見ないし、気に入りのアーティストがいるわけでもない。義勇の歌は聞きたいが、自分が一緒に歌えるかは甚だ不安だ。
「俺も……歌とかよく知らない」
義勇も困惑した目で見てくる。流行りにうといのはお互い様のようだ。
「校歌にするか? それならふたりで歌えるぞ!」
「えぇーっ! 校歌じゃ錆兎しかわかんないじゃない。せめて私も知ってる歌にしてよぉ」
ぷぅっと頬をふくらませる真菰を、鱗滝が苦笑しながらこつんと小突く。
「これ、わがままを言うんじゃない。煉獄くんと義勇が困っているだろうが」
「教科書に載ってる歌でいいんじゃないか? それならふたりとも歌えるだろ」
俺も義勇の歌聞きたいしなと錆兎の父が笑うのに、真菰がうなずいてしまえば、強硬に拒むわけにもいかない。
「音楽で習った歌か……義勇、なになら歌える?」
「夏っぽいのがいいなぁ」
なんでもいいと言った割にはちゃっかりとリクエストしてくる真菰に苦笑して、杏寿郎が、どうする? と顔をのぞき込めば、ちょっと考え込んだ義勇はおずおずと「じゃあ、浜辺の歌……?」と口にした。
「ふむ、それなら俺も歌えるなっ。真菰、それでいいか?」
「いいよぉ。私も好き。きれいな曲だよねっ」
周囲の注目を集めてしまっているのが、義勇はどうにも気恥ずかしくてならないようだが、逆らう気はないようだ。真菰に反抗しても無駄だと思っているのかもしれない。
せーの、で歌いだした杏寿郎と義勇の声が、宵闇に包まれだしたバーベキュー場に流れた。
パチパチと巻きのはぜる音と、森林から聞こえる葉擦れ、虫の声。誰もが声を立てずに耳を澄ませているなかで、朗々と歌う杏寿郎の声と義勇のやわらかくささやくような歌声は絡まり合い、溶けあうようにひびく。
傍らから聞こえる義勇の歌声に、杏寿郎の脳裏に浮かぶのは白波とアオバトの鳴き声、抱きかかえるようにして包み込んだ義勇の体と、冷たい手だ。
昔の人ぞ しのばるる
あの日、失った人たちを語った義勇の震える声は、今、やわらかくやさしく杏寿郎の耳をくすぐって、知らず触れあった手をふたりは自然に繋ぎあった。義勇はなにを思い浮かべているのだろう。わからないけれども、握りしめあった手は少し汗ばんで、凍りつく気配はない。
病みし我はすべて癒えて 浜の真砂 まなご今は
義勇の痛みも、すべていつか癒えればいい。朝も夜も、義勇が昔を思い出すときにはいつでも、ともに歩くから。手を握って温めるからと、願いながら杏寿郎は歌う。
静かに歌いやみ、義勇と顔を見あわせて小さく笑ったら、誰かがもらしたため息が聞こえた。
ワッと声が上がり、拍手が鳴り響く。いい声、うまいねなどと、あちこちから褒め言葉が聞えるのが、なんだかちょっと恥ずかしい。義勇も落ち着かぬ様子で困ったようにうつむいてしまった。
白い横顔が、燃える薪の炎に照らされ映える。少し伏せられたまつ毛が落とす影はどこかはかなくて、見惚れるほどにきれいだった。
風の音、雲のさま。寄せる波も、返す波も。すべて、義勇とともに感じていられるのなら、どんなにいいだろう。朝も夕も、いつでもともにと願う心は、どこからくるのか、まだ杏寿郎は知らない。けれどそれでも、いつか遠い将来に今日のことを思い出すときにも、義勇とともに笑いあえたらいいと、願わずにはいられなかった。