青空にひびけ、恋の歌

 そろそろ桜も散ろうかという、うららかな春の日に、調子っぱずれな鳥の鳴き声が響いていた。

「ホッホケキョー!!」
「……うーん、まだずれてるね」

 こてんと首をかしげて苦笑する禰豆子に、炭治郎はしょんぼりとうなだれた。
「そっかぁ。ダメだなぁ、どうしてもうまく鳴けないや」
「お兄ちゃん、まだお嫁さんも見つかってないんだし、焦らなくてもいいんじゃない?」
 藪のなかでチャッチャ、チャッチャッと話している炭治郎と禰豆子は、ウグイスの兄妹だ。
 二人が巣立つ少し前に、巣はイタチにおそわれて、お母さんと下の弟妹たちは食べられてしまったのだ。だから炭治郎と禰豆子は、それからずっと寄り添いあって暮らしている。
 とはいえ、そろそろ炭治郎たちも大人のウグイスになる時期だ。禰豆子が他のウグイスのところへお嫁に行ったら、炭治郎もお嫁さんをむかえなくちゃいけないのだ。
 それまでに鳴き声を完璧に覚えなくちゃ。炭治郎は毎日がんばって、さえずる練習をしているのだけれど、どうにも音程がずれてしまう。
「こんなことじゃ、山に戻ってもお嫁さんを安心させてあげられる声は出せないよなぁ。どうしよう」
「大丈夫よ、お兄ちゃん。義勇さんだって上手になってきたって言ってくれてるでしょ」
「うん……前よりずっとうまくなってきたって」
 禰豆子が口にした名前に、炭治郎はちょっぴりドキリとした。
 ドキドキとする炭治郎に気づかなかったのか、禰豆子はにこにこと笑って炭治郎をはげました。
「ね! ちゃんと上達してるんだもん。きっとすてきなお嫁さんと番えるよ!」
「……そうだな。兄ちゃんがんばるよ」
「うん、がんばってね! あ、そろそろ善逸さんがくるからちょっと行ってくるね」
「あぁ、善逸によろしくな。気をつけていくんだぞ!」
 パタパタと羽ばたいていった禰豆子を見送って、炭治郎は小さくため息をついた。
「……義勇さんも俺がうまく鳴けるようになったら嬉しいよな。うん、がんばろう!」
 フンッと胸を張って、炭治郎は再び声を張り上げた。

「ホーッホッホケッキョッ!」

 まだまだ先は長そうだ。


 炭治郎と禰豆子が義勇と出逢ったのは、巣がイタチにおそわれた日のこと。
 本当だったら、子育て中のウグイスは、お父さんが巣に近づく敵がいるよと教えてくれる。
 けれども炭治郎たちのお父さんは、炭治郎たちがまだ飛べないうちにモズに食べられてしまっていた。だからお母さんは、イタチに気がつかなかったのだ。
 そのとき、炭治郎は巣にいなかった。
 長男の炭治郎は、ほかの弟妹よりちょっとだけ早く飛べるようになっていた。とはいえ、お父さんの代わりに鳴いて危険を知らせることは、まだ幼い炭治郎にはできない。
 だからせめてお母さんの手伝いをしようと、みんなのご飯を集めるために、一所懸命に虫をとっていたのだ。
 きっと禰豆子たちも喜ぶぞと、ワクワクしながら帰った炭治郎を待っていたのは、壊された巣と、周りに飛び散った羽根や血だった。
 かろうじて生きていたのは、妹の禰豆子だけ。
 禰豆子も怪我をしていたし、まだ飛ぶことができなかったから、炭治郎は途方に暮れてしまったものだ。
 もちろん禰豆子を見捨てることなんてできない。けれども炭治郎が餌をとりに行っているあいだに、またイタチやモズが飛べない禰豆子を襲うかもしれない。
 どうしたらいいんだろうと、泣きたくなった炭治郎に声をかけてくれたのが義勇だった。

 義勇は炭治郎よりも少し年嵩としかさのウグイスだった。
 お父さんが亡くなって、巣のある辺りはだれの縄張りでもなくなっている。このウグイスは、ここらを自分の縄張りにしに来たんだろうか。
 そう考えて炭治郎は警戒したのだけれども、傷ついた禰豆子をかばって精一杯羽を広げた炭治郎をじっと見つめたウグイスは、炭治郎たちを追い払うどころか
「……餌はとれるのか?」
 とたずねてきた。
 そうして炭治郎から事情を聞いたウグイスは、義勇と名乗り、炭治郎が餌をとっているあいだ、自分が見張りに立とうと言ってくれたのだ。
 自分のヒナでもないのに、義勇は炭治郎と禰豆子を守ってくれた。とても強くて優しいウグイス。炭治郎と禰豆子はすぐに義勇が大好きになった。
 義勇の声はとっても綺麗で、ほかのどんなウグイスよりも高らかに優しく響く。
 大丈夫だ、危険はないぞと教えてくれるそのさえずりを聞くたびに、炭治郎はとても安心する。せっせと禰豆子に餌を運ぶことに専念できたのは、義勇のお陰だ。
 まるで義勇が父で、炭治郎が母のようにして、二人で禰豆子を育てた。そうして秋になったころ、禰豆子の傷も癒え、飛べるようになった。
 きっと義勇は行ってしまうのだろう。もう心配はいらないなと、どこかへ行ってしまうんだろう。そう考えて炭治郎はとても寂しくなっていたのだけれど、義勇は寒い冬を炭治郎と禰豆子と一緒に過ごしてくれた。
 炭治郎たちにとっては初めての冬だった。三人で作った新しい巣で寄り添いあって眠れば、寒い冬もなんだかポカポカと温かく感じたものだ。
 義勇は無口であまり感情表現をしない。それでも、禰豆子や炭治郎がせがむと色々な話をしてくれた。
 人里で見たいろんなことや、怖いイタチやモズから身を隠す方法。綺麗な花やおいしい木の実のことも、二人は義勇から教わった。
 そうやって冬を越し、春を向かえたその後も、義勇はたびたび炭治郎たちの様子を見に来てくれる。
義勇が来てくれるのはとても嬉しいことなのだけれども、最近、炭治郎は義勇が来るたびに少し複雑な気持ちになった。
 だって義勇は立派な大人のウグイスだ。炭治郎とちがってさえずる声だって上手で美しい。
 きっと多くの女の子たちが、義勇のもとには集まるだろうに、炭治郎がうまく鳴けないものだから、心配してきてくれているにちがいないのだ。
 もうすぐウグイスの恋の季節が来る。義勇もお嫁さんをむかえることだろう。炭治郎と一緒にいてくれるのは、きっと炭治郎が上手に鳴けるようになるまでのことだ。
 それがとても寂しくて、哀しいと思うようになったのは、いつからだろうか。

 もしも俺がうまく鳴けるようにならなかったら、もしかしたら義勇さんはずっと俺と一緒にいてくれるのかな。
 お嫁さんじゃなくて、俺と一緒に暮らしてくれたりしないかな。

 そんなことを考えてしまって、炭治郎は、いけないいけないとあわてて首をふった。
 親切な義勇さんを困らせるようなことを考えちゃダメだ。早く上手に鳴けるようになって、義勇さんを安心させてあげなくちゃ。
 思うそばからチクチクと胸が痛む。けれど、俺は長男なんだからワガママなんて言ったらいけないんだ。
 炭治郎がキッと顔を上げたとき、澄み渡る鳴き声が辺りに響いた。

「ホーーホケキョッ」

「この綺麗なホケキョリは……義勇さん!」
 喜色をあらわに振り返った炭治郎のとなりに、パタパタと飛んできた義勇がとまった。
「……息災か?」
「はいっ! 禰豆子も元気です!」
「そうか」
 義勇は口数が少ない。だからつい、炭治郎ばかりおしゃべりしてしまうのだけれども、義勇はいつだって怒ることなく、静かに炭治郎のさえずりを聞いてくれる。
「禰豆子ね、最近とっても仲良くなったウグイスがいるんです。俺の友達なんですけど、善逸っていって、ちょっとやかましいけどいいやつなんです。もう少ししたらお嫁に行くかもしれません」
 義勇が話を聞いてくれるのが嬉しくて、にこにこと告げた炭治郎に、義勇は少しだけなにか考え込むような顔をした。
「義勇さん?」
「……禰豆子が嫁に行ったら、おまえも嫁をむかえるのか?」
 義勇の言葉にびっくりして、炭治郎は目をパチパチとしばたたかせた。
 義勇はなにも言わず、じっと炭治郎の答えを待っている。どうしてそんな当たり前のことを聞くんだろうと炭治郎が困惑していると、ふぅと義勇が小さなため息をついた。
「……なんでもない。忘れろ」
「そんなわけにはいきません! 義勇さん、俺がお嫁さんをむかえたら、なにか困ることがあるんですか? 俺、義勇さんを困らせるの嫌です!!」
 炭治郎がつめ寄るほうが、義勇は困ってしまっているようだけれど、炭治郎はそれどころじゃない。
 だって義勇が困るのなら、炭治郎はお嫁さんをむかえられなくたっていいのだ。まだ逢ったこともない女の子よりも、炭治郎にとっては義勇のほうがずっと大事で、大切で、大好きなんだから。
 義勇はずっと炭治郎たちのために、縄張りをうばいに来たほかのウグイスを追い払ってくれた。危険がないように、いつも炭治郎と禰豆子を見守ってくれた。勇敢で強くて優しくて、とても綺麗な声で鳴く義勇。憧れて、大好きになったのは当然だった。
 もしも自分が女の子だったら、義勇のお嫁さんになれたのかな。ときどきそんなことを考えて、哀しくなってしまうぐらいには、炭治郎は義勇のことが大好きなのだ。
「あ……もしかして、俺がまだ上手に鳴けないから、お嫁さんはもらえないかもって心配してくれてるんでしょうか……」
 思いついたら、なんだかそれが正解のような気がしてしまって、炭治郎はしょんぼりとうつむいた。
うまく鳴けなければ、お嫁さんに危険はないよ安心してと、教えてあげることもできない。そんな炭治郎が番うなんてまだ早いと、義勇は心配してくれたのだろう。
 一緒にいられなくなるのが寂しいのも、哀しいのも、きっと炭治郎だけなのだ。義勇は炭治郎が女の子と番ったら、安心して自分の縄張りを求めて行ってしまう。
 そうしてかわいい女の子をお嫁さんにむかえて、たくさんのヒナに恵まれるんだろう。
 それはとても喜ばしいことのはずなのに、なんだかすごく哀しくて、炭治郎は泣きたくなった。
「そうじゃない……いや、上手に鳴けないのは心配だが」
「やっぱり……」
 いよいよ哀しくなって身を縮こまらせた炭治郎に、義勇はあわててしまったようだ。どこかオロオロとしていたが、やがて炭治郎にそっと寄りそうと、そっと炭治郎に囁いた。
「おまえがうまく鳴けないのは、たしかに心配だ。でもそれは、おまえがだれかと番えるようにじゃなくて……」
 口ごもり、義勇はじっと炭治郎を見つめてきた。
 そうして、ふいに羽をばたつかせると、声高らかにさえずった。

「ホーーーホケキョッ」
「ぎ、義勇さん、あの……それって」

 炭治郎がうろたえたのもしかたがない。だって義勇の高く澄んださえずりは、恋を伝える声だったのだから。
 でも、まさかと思う気持ちのほうが大きいのも、しかたのないことだった。なにしろ炭治郎はオスだ。卵を産むことはできないのだから、どうしたって義勇のお嫁さんにはなれない。
 黙りこんでしまった炭治郎に、義勇は哀しげに首をかしげた。
「……やっぱり、おれと番うのはいやか?」
「い、いやじゃないです!! でも、俺、卵を産めません。義勇さんにいっぱい家族を作ってあげられない……」
 そう、いやだなんてこと、あるわけがないのだ。だって炭治郎は義勇のことが大好きなのだから。ずっと、ずっと、一緒にいたいんだから。
「かまわない。ヒナがほしくておまえを好きになったわけじゃない。俺は、おまえが俺の家族になってくれるならそれでいい」
 きっぱりと言った義勇の声は優しくて、炭治郎はまた泣きたくなった。でも、今度の涙は喜びや幸せの涙だ。
 炭治郎は泣く代わりに、よし! と一つうなずき、羽をばたつかせて声を張り上げた。

「ホーーーホケキョッッ!!」

 あんまり大きな声だったので、義勇はびっくりしたようだったけれど、炭治郎が伝わった? というように恥ずかしげに上目使いに義勇を見ると、ふわりと嬉しそうに笑った。
「今のは、上手だった」
「本当ですか!? やったぁ!」
 飛び跳ねて喜ぶ炭治郎のくちばしに、ちょんっと義勇のくちばしが触れた。
「うまく鳴けるようになっても、ほかのやつには聞かせるなよ?」
 少しいたずらっぽい笑みでそう言う義勇に、真っ赤になった炭治郎はこくこくとうなずいた。


 恋の季節に、二つのさえずりが響く。大好き、大好きと、さえずる声はいつまでも青い春の空に響いていた。

                          終