春のうららの

 里山の外れの竹林に住む鶯の番は、ちょっと変わっているとここらの鳥たちのなかでは有名だ。なにしろどちらも雄なのだ。鶯は一夫多妻制で縄張りのなかにいくつも巣があり、それぞれにお嫁さんが子育てしているのが常だけれども、その番はお互いしか目に入っていない。それもまたおかしな話だと、鳥たちはみんな呆れ ている。
 そんなふうに奇異の目で見られてはいるが、番の仲はすこぶるよろしい。雄だけれどもお嫁さんとなった若鳥の名を炭治郎という。
 炭治郎が飛べるようになってすぐに、イタチに巣が襲われて、妹の禰豆子を除き、お母さんもほかの弟妹も殺されてしまった。無惨と呼ばれるひときわ大きいイタチは、鷹にも勝つほどに強くて大きくて、ひとたび狙われてしまえば小鳥たちは為す術がない。炭治郎が生まれた巣を襲ったのはそんな恐ろしいイタチだった。
 まだ飛べない上に怪我をした禰豆子を抱えて、途方に暮れていた炭治郎を救ってくれたのは、義勇という少し年嵩の雄だ。
 義勇は炭治郎が禰豆子のためにせっせと餌を集めるあいだ、ずっと見張りをしてくれて、とてもきれいでやさしい声で鳴いては安心させてくれた。そうして禰豆子が飛べるようになって春を迎えたある日、義勇は炭治郎に向かってとびきり美しい恋のさえずりを聞かせてくれたのだ。
 その日からずっと、義勇と炭治郎は、雄同士だけれども番として一緒に暮らしている。

 とはいえ、だ。どんなに仲睦まじくとも雄同士。卵が産まれるわけではない。本来ならば雌が作る巣も、ふたりでせっせと作って、ぬくぬくと居心地のいい巣で共寝しては、昼には寄り添いあって藪のなかでさえずりあって過ごすばかりだ。
 穏やかで幸せな毎日だけれども、春になってからだんだんと、炭治郎はしょんぼりとすることが多くなった。だから義勇も毎日、気が気じゃない日々を過ごしている。
 おいしい虫も木の実もわんさと食べられるし、きれいな花も見られるしお日様はポカポカと暖かい。春はとってもいい季節なのに、炭治郎の元気がないだけで義勇にとっては雪深い冬よりもつらく感じるのだ。

「大丈夫か? 外に出るのがつらいなら俺が餌を探してこよう」
 巣の隅でうずくまっている炭治郎にやさしく声をかけた義勇に、炭治郎はふるりと首を振った。
「平気です。義勇さんだけに頑張ってもらうわけにはいきません!」
 どうにか笑って見せてはいるけれども、炭治郎はやっぱりすぐにしょんぼりとうつむいてしまう。
 今日はとてもいい天気で、お日様が明るく照っている。花は咲き乱れ、番を求める鳥のさえずりが聞こえてきていた。
 義勇はとても強い鶯でもあるので、縄張りのなかにほかの雄はやってこないけれども、義勇の声に惹かれた雌がやってくることはある。義勇は相手にしないので、雌たちはプンプン怒ったりしょんぼり泣いたりしながら去っていくのが常だ。
 炭治郎も義勇に向けてさえずるけれども、なぜだかうまく鳴けない。初めて義勇に恋のさえずりをしたときは、とても上手に鳴けたのに、それ以来また下手くそに逆戻りだ。
 遠くから聞こえてきたほかの鶯のさえずりに、ご飯を食べていた炭治郎が、また悲しげにうつむいた。
 自分はうまく鳴けないのが悲しいのだろうか。そう思った義勇は、ホケキョる練習をしようか? と言ってみたのだが、どうやら炭治郎の悩み事はそればかりでもないようだ。
 鶯の声が高らかに聞こえてくるたび、義勇にぴたりと寄り添った炭治郎はどこか悲しげにうつむくから、義勇は困りながらもそっとささやいた。
「禰豆子のところへ行ってみるか? 雛もそろそろ孵るころだろう」
 炭治郎の妹の禰豆子は、やっぱり去年の春に番を得て、近くの藪で暮らしている。お婿さんとなった善逸は禰豆子にべた惚れで、炭治郎たちと同じくほかのお嫁さんはいない。
 善逸は炭治郎の友達でもあるので、縄張りに入っても怒らないし、以前は炭治郎もよく禰豆子の元へ遊びに行っていた。
 なぜだか善逸は、炭治郎には怒らないくせに義勇が行くと威嚇の声をあげるので、禰豆子のところへ行くときは留守番することが多い。そのたび炭治郎も禰豆子も善逸を叱るのだけれども
「だって、義勇さん男前じゃん! 俺よりホケキョりも上手じゃんかぁ! 禰豆子ちゃんが万が一ときめいちゃったらどうすんのさ!」
 と、わめいて泣くので、しょうがない。
 義勇が一緒に行けないからというばかりでもなく、最近、炭治郎はあまり禰豆子のところへ行かなくなっている。禰豆子に逢えば炭治郎も元気になるかもしれない。善逸はうるさいけれども、ひとしきりわめけば落ち着くのだし、今日は一緒に行こうかと義勇は誘ったのだが、炭治郎はなぜだかますますしょんぼりとしてしまった。
「卵が生まれたときには、おまえも喜んでいただろう? 雛、見たくないのか?」
「そうじゃないんですけど……」
 禰豆子にさえ逢いに行こうとしないなんて、本当にどうしたっていうんだろう。万策尽きて、義勇はため息をつくよりない。無理に聞き出そうとしても、炭治郎はフルフルと首を振るばかりなのだ。ますます元気をなくしてしまいもする。
「なら、今日は日向ぼっこして帰ろう。それとももう巣に戻りたいか?」
「……帰ります。ごめんなさい」
「謝らなくていい。おまえが好きなようにしよう」
 くちばしでやさしく羽を梳いてやれば、炭治郎はちょっと元気を取り戻したか、小さく笑みを浮かべてくれた。

 明るい陽射しのなかを仲良く飛んで巣に帰ると、先に巣に潜り込んだ炭治郎が大きな声をあげた。
「あっ! 卵!」
「え?」
 思いがけない言葉にあわてて義勇が巣を覗くと、確かに赤茶色の卵がひとつ、コロンと転がっている。
「うわぁ、神様がお願いを聞いてくれたんでしょうか! 俺たちの卵がきてくれましたよ!」
 うれしそうに言って、やさしく卵を抱えた炭治郎に、義勇は思わず言葉に詰まった。

 それ、ホトトギスの卵だろう。なんて。こんなにうれしげな炭治郎に言えるわけがない。

 鶯の巣にホトトギスが托卵することを、炭治郎は知らないようだ。卵を産み落としていったホトトギスも、ずいぶんと早とちりが過ぎる。まぁ、雄同士の巣だなんて、そうそう思いもしないだろうけれども。

 さて、どうしたものか。ちょっとだけ義勇は悩んだけれども、すぐにまぁいいかとやさしく炭治郎の頭をつついた。
「よかったな」
「はいっ!」
 炭治郎が元気になるのなら、よその鳥の子だろうとかまいやしない。どうやら炭治郎が元気をなくしていたのは、卵を産めないことを気に病んでいたからのようだし、ならば神様のプレゼントということにしてもいいじゃないか。おまえがもしも卵を産めていたのなら、こいつは俺らの子を殺していたはずだぞなんて、酷なことを言う必要はない。
 炭治郎さえ幸せならば、ホトトギスの子を育てるぐらい、義勇にとってはささいなことである。ホトトギスの雛は鶯よりも早くにかえるから、もしかしたら禰豆子の卵よりも先に雛に逢えるかもしれないなと、いたってあっけらかんと思っただけだった。

 さて、それからというもの、炭治郎は毎日大事に卵を抱えている。早く生まれておいでとやさしく卵に微笑みかける炭治郎を見ているだけで、義勇も幸せに包まれた。炭治郎のために餌を取りに飛ぶ羽にも力が入るというものだ。見張りに立ちホケキョる声にも張りが出る。
 そうしていくつか夜が来て朝がおとずれ、とうとう卵のなかからコツコツと雛が殻をつつく音が聞こえだした。
「義勇さん、もうすぐ俺らの雛がかえりますよ! 楽しみですねっ、元気な子だといいなぁ」
「そうだな。おまえに似てかわいい子だといいな」

 まぁ、かえるのはホトトギスだけれども。

 それでも、義勇もそれなりに卵に愛着は湧きつつある。
 だって、炭治郎がかわいがっているのだ。俺らの雛だと言うのである。ならば義勇だってかわいがる気満々だ。
 けれども。

「腹減ったぁ! 岩五郎、餌ぁ!!」
「はいはい、ホラ、伊之助。いっぱい食べろよ~」

 うーん……と、義勇は見張りに立つ枝まで聞こえてくる息子の声に、遠い目で空を見上げた。
 とうとうかえった雛に、炭治郎は伊之助と名をつけかわいがっている。義勇だって父親としてしっかり縄張りを見張り、炭治郎と我が子――と呼ぶのは、なんだか複雑ではあるけれども――を守っているのだけれども。
 なんというか、この伊之助と名付けられたホトトギスの雛は、どうにもこうにも態度が大きいのだ。
 図体が大きくなるのはしかたがない。だって鶯よりもホトトギスのほうがずっと大きいのだから。でも、まだ飛べもしない卵のかけらをくっつけたヒヨッコのようなころから、俺が一番強いと義勇にも炭治郎にも勝負しろとわめくのはいかがなものか。
 なによりも、お父さんお母さんと義勇や炭治郎を呼ぶことは一度もなく、自分こそが親分でおまえらは子分なんて言い出す始末だ。
 だというのに、炭治郎はまったく怒ることもなく、ニコニコと伊之助をかわいがっている。

 まぁ、いいか。炭治郎が幸せなら。

 ポカポカと暖かな春の陽射しのなかで、義勇はちょっぴりため息をついた。
 うららかな春の午後。お日様は暖かくて、餌の虫もわんさといて、一風変わった番である自分たちの元には、とんでもなく変わった雛。まぁ、お似合いってものだろう。

 餌を取りに巣を出た炭治郎が、ヒョイと義勇が止まる枝に降り立ち、えへへと笑いながら寄り添ってくる。
「義勇さん、伊之助もそろそろ巣立ちです。また寂しくなりますね」
「そうだな」
 言われてみれば、あの賑やかなのがいなくなったらそれなりに寂しいかもしれないと、義勇も思う。正直なところ、炭治郎とふたりきり寄り添い暮らしたいと思いはするけれども、それでも少しは寂寥も感じなくはないのだ。
「……義勇さん、俺のほかにお嫁さん貰う気はまったくないみたいだから……俺じゃ家族を増やしてあげられないけど、伊之助が来てくれてよかった。義勇さんの立派できれいなホケキョりも、雛がいなかったら無駄だよななんて、もう誰にも言わせずにすみます。俺も義勇さんの子どもを育てる気持ちにさせてもらえました。伊之助を俺らの巣に産んでいってくれたお母さんに、感謝しなきゃ」
 微笑みながら言う炭治郎に、義勇は目をしばたたかせた。
「おまえ……知ってたのか?」
「伊之助がホトトギスだってことですか? そりゃ知ってますよ。でも、俺らの子を殺されちゃうわけじゃないし、伊之助に罪はないですしね」
 ちゃんと本当の子だと思って育てましたよと、炭治郎は笑う。
「……そうか」
 そっと炭治郎に体をすり寄せて、義勇も小さく笑った。
 もう二、三日もすれば、伊之助は飛び立つことだろう。そのときには、もしかしたらちょっぴり自分も誇らしく、ちょっとだけ泣いたりするかもしれない。炭治郎と一緒に、伊之助は今ごろどこを飛んでるかなと、ふたりで空を見上げたりするのかも。
 次の春には、もう早とちりなホトトギスがくることはなく、二度と子育てなんてすることはないかもしれないが。雄同士の番なんてと、陰口だってまた言われるのだろうけれども。
 それでも、自分たちにも息子はいるのだ。どちらにも似ていない、血も繋がらない子だけれど、いいじゃないか。ちゃんと愛して育てた、俺らの子だ。
 空は青く、お日様は暖かい。腹減ったと鳴く声に、義勇と炭治郎は顔を見あわせ笑いあう。なべてこの世はこともなし。穏やかでうららかな、ちょっと変わった春が過ぎようとしていた。