おとぎ話のエンディングはいつも

※即興二次小説で書いた話のロングバージョンです。キメ学軸。幼馴染設定。

 子どものころ好きだった絵本は、みんなお姫様が出てきた。眠り姫にラプンツェル、白雪姫。共通するのは多分。

「桃太郎とかのほうが好きそうなのにな」
「そういうのも好きだったけど、ドキドキしたのはお姫様のやつだったんだよ」
 騒がしい教室で、弁当をつつきながら炭治郎は少し恥ずかしそうに苦笑した。
 昼休みの他愛ない会話のきっかけは、文化祭でのクラスの出し物について。今日のホームルームで決められるそれに、クラス中がなんとなくソワソワとして見える。
 伊之助は食べ物の屋台一択。理由は考えるまでもない。おまえは食べるだけだろうとあきれ返る善逸はといえば、メイド喫茶と言って譲らない。
 炭治郎はといえば、劇なんてどうかなと言って、ふたりから盛大に顔をしかめられた。
 曰く、台詞なんて覚えられない。面倒くさい。衣装代やら小道具やらに金がかかるわりに、見返りが少ない。
 そう言われてしまえば、炭治郎も反論は難しい。どうしても劇じゃなきゃというわけでもないので、ちょっと苦笑して終わるはずの話題だった。劇やるとしたらなにやんの? そう善逸が聞かなければ、こんな会話すら帰るころには忘れていただろう。
 言われて炭治郎が口にしたのは、お姫様が出るやつかな、だった。

「お姫さまねぇ。禰豆子ちゃんが言うならピッタリだけどさぁ。あっ、でも確かに、俺もかわいいお姫様が出る話のほうが好きだったかも。桃太郎とか女の子出ないもんなぁ」
「あぁん? 弱みそしか出ねぇ話のなにが面白いんだよ」
「そういうこっちゃねぇんだよっ。でもまぁ、伊之助には誰も情緒なんて求めてないから安心しろ」
 相も変わらずギャアギャアと騒ぎだすふたりに苦笑を深めながらも、炭治郎が思い出すのは、小さいころの光景だ。
 
 炭治郎の家はパン屋だ。自営業の常で両親は忙しく、遊んでもらった記憶はあまりない。おまけに炭治郎を筆頭に、総勢六人の子だくさんである。赤ん坊のころならば母が背負って面倒もみられるが、それだって末っ子ひとりが精々だ。
 ありがたいことに店はかなり繁盛していた。だから保育園も休みな日曜祝日などに、炭治郎たちをかまってくれたのは、近所のお兄ちゃんだった。
 十歳年上の、中学生。店の常連ではあったが、はっきり言って赤の他人である。
 その年頃ならば、友達と遊んだり塾通いなどで忙しく、保育園児の世話など面倒くさがりそうなものだ。けれども彼は、嫌な顔ひとつせず、竈門家の子どもたちの面倒をみてくれた。
 彼が店ではなく竈門家を訪れるようになったころはまだ、三男の茂と末っ子の六太は生まれていなかった。とはいえ、五歳の炭治郎を筆頭に、年子の禰豆子、竹雄、花子とつづく四人ものちびっ子がいたのだ。さぞや骨が折れたことだろう。
 子守りのバイトというわけでもなく、ただただ善意で炭治郎たちの面倒をみてくれた彼に、全員が懐きまくっていたのは言うまでもない。
 まだ二歳の花子もつれて公園などへ行くのは、中学生ひとりには荷が重かったのか、家で絵本を読んでもらうことが多かったのを覚えている。
 騒々しい昼休みの教室で、モソモソと弁当を食べながら、炭治郎は遠い昔の記憶をなぞった。炭治郎にとっては、この上なく幸せな思い出だ。

 彼は大概お昼過ぎにやってくる。午前中は剣道の道場で稽古して、あわただしく昼食をとってから竈門家にやってくるのだ。ときどきは、母の葵枝が用意してくれた昼食を、炭治郎たちと一緒に食べることもある。彼は遠慮してあまり一緒に食事することはなかったが、今思えばそれが正解だと、炭治郎は唇に小さな笑みを浮かべた。
 炭治郎や禰豆子はまだしも、あのころの竹雄や花子は、目を離したら最後、口の周りもテーブルも汚しまくっていた。幼児というのはそういうものだけれども、中学生の彼には大変だったことだろう。だから彼を食事に誘うときは、葵枝が用意するのは店のパンであることが多かった。
 食べ飽きるほど食べてきたパンも、大好きなお兄ちゃんと食べると、とんでもなくおいしく感じられたのを、よく覚えている。
 子どもが多いから、竈門家ではそれぞれに玩具を買い与えられることは少ない。代わりに絵本はたくさんあった。みんな一緒に楽しめるし、読んでいるあいだは子どもたちも静かだ。おまけに玩具よりは断然安い。
 それだって店のお客さんがくれたものが大半で、古い本が多かったけれども、幼いころの家遊びといえば絵本を思い浮かべるほどには、炭治郎たちは絵本に馴染んでいた。
 彼が本を読んでくれるのは、リビングのソファが常だった。
 ソファに座る彼の周りを陣取って、それからどうなったの? と、ワクワクしながら絵本を読み聞かせてもらうのは楽しかった。
 彼の膝は、大概は花子のものだった。花子はそのころ一番小さかったのだから、炭治郎にも文句などない。というよりも、文句など長男の炭治郎には言えなかった。お兄ちゃんは下の子を優先するものだと、当時から炭治郎は肝に銘じている。
 不満などなかったし、今だって当然のことだと思っているのだけれど、彼に関してだけは我慢するのはつらかった。
 大好きなやさしいお兄ちゃんの膝を取り合って、花子と竹雄が喧嘩するのを止めながら、俺だってお兄ちゃんのお膝に座りたいのにと、ちょっぴり泣きたくなったことは少なくない。
 彼はそんなとき、順番、と少し困った顔で言って、花子と竹雄を代わる代わるに膝にのせてやっていた。ときには禰豆子も。
「炭治郎は?」
 聞いてくれても、炭治郎はなかなか俺も抱っこしてとは言えなかった。だってブランコの順番よりよっぽど待ち遠しげに、竹雄や花子が彼の膝に乗るのを待っていたから。
「長男だから我慢できます!」
 炭治郎が言うたび、彼はほんの少し眉を寄せ、そっと頭をなでてくれた。それだけで炭治郎は幸せで、なんだかとても恥ずかしいような、飛び跳ねまわってはしゃぎたくなるような、不思議に甘い心持ちになったものだ。
 いつでもそんな具合で、炭治郎が彼の膝に乗ることはめったになかった。
 けれども稀に、炭治郎が彼を独り占めできる機会もあったのだ。

 いろんな偶然が重なりあわなければ訪れなかった、貴重なその時間を、炭治郎は懐かしく思い出す。
 ふたりなら公園にだって行けただろう。彼もどこかへ行くか? と聞いてくれたりした。だけれども炭治郎は、いつだって「ご本読んでください」とおねだりする。えらぶのは大抵お姫様が出てくる本だ。
 いつもは花子や竹雄のものである彼の膝の上に座って、やさしい声をすぐ近くで聞く。ときどき頭や肩の上に、彼の顎先が乗っかることも、好きだった。背中に感じる彼の温もりは、なによりも安心できて、ずっとこうしていてほしいと何度願ったことだろう。
 中学生のお兄ちゃんだけれども、彼はどんな絵本のお姫さまよりもきれいで、やさしかった。

「十三番目の魔女は『姫は十五になったらつむに刺されて死ぬぞ』と言って出ていきました。ほかの魔女たちが呪いを解こうとしても、十三番目の魔女の呪いはとても強くて解けません。悲しむ王様とお妃さまに、十二番目の魔女が言いました。『私の贈り物が残っています。姫は死んだりしません。でも百年間眠りつづけるでしょう』」
 なんども読んでもらった本だから、炭治郎だって内容はすっかり覚えている。だけどふたりきりで、大好きなお兄ちゃんを独り占めしている興奮もあってか、いつもよりドキドキハラハラする。
「俺もつむを触ったら眠っちゃいますか? 百年も寝ちゃったらどうしよう」
 お兄ちゃんに逢えなくなっちゃうと、悲しくなって言った炭治郎に、彼はほのかに微笑んで、やさしく頭をなでながら言ってくれた。
「そのときは俺が迎えに行って起こしてやる」
「王子様みたいにですか?」
「俺が王子じゃ、炭治郎はお姫様になるぞ? いいのか?」
 たぶん彼は、ヒーローみたいにと言われるとでも思っていたのだろう。苦笑する彼に、炭治郎は、いいですよと笑ってみせた。
「……それなら、いばらのなかでも高い塔の上でも、迎えに行かないとな」
「来てくれますか?」
「炭治郎が待ってるなら、どんなときでも必ず迎えに行く」
 
 絵本のなかのお姫さまには、いつでも王子様がくる。そして最後には、ふたりはいつまでも仲良く幸せに暮らしましたで終わるのだ。
 だから炭治郎は、お姫様の出る話が好きだった。

 お姫さまなんて、ガラじゃないよな。第一俺は女の子じゃないし。箸を止めて炭治郎は小さくため息をついた。
 ずいぶんぼんやりしていた気がするが、まだ伊之助と善逸はギャアギャアと言いあっている。ちらりと壁の時計を見ると、時計の針は十二時三十分をさしていた。思い出にひたってから、たぶん五分と経っていない。
 伊之助たちにぼんやりしていた理由を問われても、どう答えていいのかわからないから、ありがたいといえばありがたい。ふと漏れた苦笑は我ながらなんだかほろ苦くて、炭治郎は思わずうつむいた。
 思い出がやさしければやさしいほど、胸が切なく痛む。
 うつむいた炭治郎の耳に、キャアッと女子の黄色い声が届いた。
「竈門、進路希望のプリントまだ出てないぞ」
 突然かけられた声に慌てて振り向けば、教室の入り口から体育教師が顔をのぞかせていた。
「うげっ、冨オエェェェッッ!!」
「すみません、後で持っていきます!」
 なんとなく落ち着かないのは、思い出していた懐かしい光景のせいだろう。
 近所の中学生のお兄ちゃんは、今では学校の先生で、生徒たちから恐れられる鬼のスパルタ教師だ。お姫様のようだった顔は、整ったまま精悍さを増して、女生徒からの人気は学園ナンバー2である。
「昼休み中に出せよ」
 炭治郎の答えにうなずき言った先生に、
「えー、トミセン行っちゃうの~」
「先生、一緒にご飯食べようよ!」
 と、女子が誘いをかけても振り返りもせず「もう食った。俺は忙しい」とにべもなく去っていく。
 その後ろ姿を、女子たちよりよっぽど未練がましく見つめてしまう。先生になった彼は、もう炭治郎が独り占めすることなんてできない。それが悲しい。
「なんだ、権八郎、まだ出してなかったのかよ」
「炭治郎は店を継ぐんだろ? 専門学校?」
「ん……多分、そうかな」
 歯切れ悪く言う炭治郎に、親友たちは顔を見あわせたけれども、追及はしてこなかった。炭治郎に予定ができてしまったこともあるだろうけれど、深くは聞かないでほしいのを察してくれたのかもしれない。
 問われても、炭治郎にもうまく答えられる自信はなかった。
 高校三年の秋にもなって、まだ希望する進路を決めていないのは、たぶんクラスで炭治郎だけだろう。
 父を亡くした竈門家の内証は芳しくはない。店は変わらず繁盛しているが、炭治郎の下にはまだ五人もの弟妹がいる。けれども、進学をためらう理由は、そういうことじゃなかった。
 理由は、誰にも言えない。自分でも馬鹿馬鹿しいと思うほど、意味などなにもないかもしれない期待ゆえだ。
 高校生でいられるのはあと半年あまり。卒業すれば炭治郎はもうこの学園には通わないし、子どものように子守りされる必要もない。
 逢えなくなる日が、少しずつ近づいてきている。それならせめて早く。早く大人になりたい。あの人に少しでもつりあうように。
「ま、いいや。とっとと食っちまえよ。遅くなると青ジャーうるせぇぞ」
「ついでに説教されないように、ピアス外してったほうがいいんじゃね? 冨オエェェェッッ!! にまた追いかけられるぜ?」
 説教されるのも追いかけられるのもうれしいとは言えず、炭治郎は、困り顔でただ笑った。

 話し声や笑い声がいたるところでひびく休み時間の校内でも、教官室が並ぶ廊下だけはひっそりとしている。廊下の端には、生徒指導室を兼ねている体育教官室があるからだ。近づきたがる生徒は滅多にいない。
 女生徒から絶大な人気を誇ろうとも、基本はやっぱり怖い鬼教師が、部屋の主なのだ。指導室のドアをくぐるときは、雷を落とされると相場が決まっている。
「失礼します」
「そこに座って待ってろ」
 部屋に入ったとたんに、振り返らずソファを指差した先生に、炭治郎は小さく首をかしげた。
 プリントを提出するだけのはずが、どうやらなにか話があるらしい。進路について問いただされるのは勘弁願いたいが、話ができるのはちょっとうれしい。いや、かなり、うれしい。
「これでも食ってろ」
 振り向かないまま放り投げられた包みをキャッチして、炭治郎は目をしばたたかせた。
「甘栗?」
「もらったが、一人で食べるには多い」
 先生は、甘いものは嫌いじゃないが、得意でもない。知っているから、それじゃ遠慮なくと炭治郎は甘くしっとりとした栗を口に入れた。
「久しぶりに食べました」
「そうか」
 アルミパックに入った甘栗は、むいてあるから食べやすい。昔食べたのは、そうだ、彼がいつもむいてくれていた。
 ごくたまに近所のお爺ちゃんが土産にくれる甘栗。殻付きで巾着袋に入っていた。幼児の手には負えず、皮をむく係は常に彼だ。
 炭治郎たちのためにせっせとむきつづけて、自分はほとんど食べることなく、甘いおいしいと喜ぶ炭治郎たちに、そうかと微笑んでいた、大好きなお兄ちゃん。あのころより広くなった背中をじっと見る。
 甘栗がおやつの日は、帰るとき彼の指先はいつも茶色く染まっていた。茶色いその指先がなぜだか好きだった。自分たちのために染まった彼の指。今、彼が誰かに触れても、その指先は炭治郎たちのために染められている。
 幼い心にほのかに芽生えた薄暗い独占欲を、今の炭治郎は、浅ましいと嫌悪する。甘いはずの栗が、なんだか苦い。
 モソモソと食べながら、ちらりちらりと背中をうかがっていれば、唐突に声をかけられた。

「……葵枝さんから、おまえは大学に行く気がないと聞いた」

 思わず、噛まずに飲みこんでしまった甘栗にむせたら、やっと広い背中が振り向いた。
「おい、大丈夫か」
「だ、大丈夫です。えっと、母さんそんなことを?」
 涙目で聞けば、近づいてきた先生は炭治郎の隣に腰をおろした。距離が近い。知らず鼓動が速まる。
 けれど、甘やかなときめきを甘受している状況じゃない。最も出されたくなかった話題に、炭治郎は、涙の滲んだ目を少し怯えながら先生に向けた。
「学費なら心配いらないと言ってた」
「そればかりじゃないんですけど……」
 それならなぜだ? と聞くことなく、先生は少し困ったような顔で小さく笑った。
「急いで大人になろうとしなくていい」
 ドキリと、心臓が音をたてた。

 気づかれてはいないはず。だって、なにも言ってない。ずっと秘密にしてきた。言っちゃいけないと。

「いくらでも待つから、ゆっくり大人になりなさい」
 先生の顔で、先生の言葉で、彼は言う。
「だって……でも、なんで……」
「気づかないわけないだろう?」
 あれだけ散々見つめられていたらと、彼が笑う。中学生のころとかわらぬ、やさしい瞳で。
 ポンポンと頭を撫でられた。子どものころみたいに。その指先は白く、茶色に染まってなどいないけれど。
「今は、ここまで」
 そう言って、額に落ちてきたのは、少し冷えた唇。
 信じられないと炭治郎は唇をわななかせた。

 だってこれじゃ、まるでおとぎ話だ。あり得ないからこそやさしく幸せな、夢物語。夢見ることすらさもしいと、自己嫌悪にさいなまれるばかりの。
 けれどもし、許されるのなら、おとぎ話のように。
「……待ってても、いいですか?」
 しゃくりあげたのは不可抗力。だって勝手に涙が落ちるのだ。
「待っていたのは、俺のほうなんだが……いくらでも待つし、おまえが待っているのなら迎えに行く。だから安心して泣きやめ。昼休みが終わるぞ」

 お姫さまじゃないけど、いつか、ふたりはいつまでも仲良く幸せに暮らしましたとつづく未来がくるんだろうか。

 泣きながら見つめる炭治郎に、どんなときでも必ず迎えに行くと約束しただろうと、お姫さまみたいにきれいな王子様は笑っている。
 とびきりやさしい、大好きなお兄ちゃんの顔だった。