忠告はした。だからもう、降参してもいいだろう?

 もしも一度でも触れてしまったら、後戻りなど出来ないのは分かっていた。
 だからこそ頭の固い大人のふりをして、教師の顔しか見せぬようにしてきたというのに、身体ばかり大きくなった子供は、それじゃ我慢がならないと迫ってくる。
 同僚にしてみれば自分の想いはバレバレだそうで、手を出すならバレないように気をつけろよなどと、ニヤニヤと言われたのは記憶に新しい。
 いらんお世話だ。手を出すなどとんでもない。そんなことをするわけがないだろうと、その時は憮然と顔を顰めたが、この状況は言い逃れしづらいことこの上ない。
 放課後の生徒指導室。自分は校則違反のピアスの説教していた筈だ。誓って嘘じゃない。
 だというのに、なんで自分の膝にこの子は跨っているのかと、義勇は眩暈を覚えた。
 ズシリと太股に感じる重みは、昔に比べて遥かに育っている。体温はあまり変わらないかもしれない。十五になっても未だ子供体温なのかと、現実逃避しだした脳裏で少しばかり感慨にふける。
 自分が十五の時には、五歳のこの子を膝に乗せ、強請られるままに絵本を読んでやったものだ。あの頃は炭治郎も可愛かった。いや、今も可愛いけれど。世界で一番可愛いことに、まったく変わりはないけれども。
「義勇さん! ちゃんと聞いてます?」
「……冨岡先生」
 端的に言い直しを要求すれば、むぅっと頬を膨らませる。あぁ、そんな顔も可愛いな。
 いや、違う。今のは無しだ。教師をまったく敬わぬ態度はけしからん。俺の膝はお前の椅子じゃない。今はまだ。
「誰もいないのに」
「ここは学校で、お前は生徒で俺は教師だ。あとピアスを外せ」
 憮然とした声で言ってやれば、すっと大きな目が眇められた。そのくせ唇はゆるりとした弧を描く。
 十年にもなる付き合いの中ですら、こんな表情を見るようになったのは最近だ。蠱惑的な笑みに背筋が知らず震えた。
 笑顔もふくれっ面も可愛いばかりだが、こんな顔はいただけない。もう子供扱いせずともよいのだと、大人の入り口にある身体は、既に受け入れ態勢が整っていると、脳髄に直接働きかける誘惑的な笑みの威力はとてつもない。その効力を、この子は本当に分かっているのだろうか。
「竈門」
「炭治郎」
 先のお返しとばかりに言い直しを要求する囁きに、思わず溜息を吐いた。
 溜息を吐いてみせようが、他の生徒に盛大に恐れられるしかめっ面を見せようが、炭治郎にはなんの抑制にもならないのは分かっている。けれど義勇にしてみれば、せめて溜息ぐらいは吐かせてくれという心境である。
 炭治郎は幼い頃からずっと、義勇が自分を想う匂いを浴び続けてきたのだ。今更拒んでみせたところで、炭治郎にとっては無駄な我慢をすることないのにと呆れるだけなのだろう。
 言葉にせずとも義勇が自分に向ける想いは恋だと、炭治郎は知っているに違いない。だから義勇の拒絶に怯えもせず、俺も同じだから早く摘み取って、美味しく全部食べてくれと、平気で誘惑してくるのだ。
「人が来る」
「鍵は部屋に入った時に閉めました!」
 褒めてと言わんばかりに笑うんじゃない。周到すぎて眩暈しかしないぞ。とはいえ、所詮は子供の浅知恵。準備が足りない。それに苛立った自分に気づいたら、もうどうしようもないではないか。

 あぁ、もういい。もう分かった。バレなきゃいいんだ、バレなければ。あの派手派手しい同僚も言っていたではないか。

 責任転嫁して義勇は、逸らせていた目を炭治郎の目にひたりと据える。忽ちポッと音がしそうなほどに赤く染まる頬に唇で触れた。
 大胆に膝に跨ってきたくせに、ひゃっと声を上げて逃げようとするアンバランスさは、計算でないから空恐ろしい。
 初心な耳に唇を寄せて、誘惑の仕返しだと潜めた声で囁いた。
「俺の家で待ってろ。ちゃんと全部教えてやるから……その後でもう一度、膝の上においで」

 忠告はしたぞと頭の片隅で呆れた顔する同僚を思い浮かべ、義勇は、こくこくと真っ赤な顔で頷く愛し子に笑った。

                                   終