大好きのチョコ

 節分が終った二月の商店街は、赤やピンクで溢れている。ランドセルを背負ったまま杏寿郎は、華やいだアーケードをウキウキと歩いていた。
 商店街に杏寿郎がやってきたのは、今日で二度目だ。
 前は七夕飾りが揺れていて、杏寿郎は、短冊書かせてもらった。そのおかげか、お願い事は夏には叶う。
 学校帰りの寄り道はよくないが、いつも母と行く近所のスーパーでは、お店の人が母に杏寿郎の買い物を話してしまうかもしれない。バレンタインまでは、杏寿郎がチョコを買ったのは内緒なのだ。だからここまでやってきた。
 バレンタインは大好きな人にチョコを上げる日だ。だから幼稚園のころから杏寿郎は、父と母にチョコを買う。でも今年は三つだ。三つの小さなチョコはランドセルに大事にしまってある。
 商店街をずんずんと進んでいると、キョロキョロと辺りを見まわしている男の子がいた。ずいぶんと不安そうな様子だ。杏寿郎と同じ一年生だろうか。だけど学校では見たことがない。
 ともあれ、困っているのなら助けてあげなければ。
「君、なにか探しているのか? お店がわからないなら俺がついて行ってやろう!」
 自分が一緒ならこの子だって安心するだろう。
「えっと、お姉ちゃんと錆兎と一緒に来たんだけどはぐれちゃって」
 小さな声で言った男の子は、口に出したら不安が膨れ上がったらしい。青いきれいな目をウルウルと潤ませた。
「迷子か!」
「う……うん」
「それなら案内所で放送してもらおう! 母にそう言われているのだ!」
 笑って教えてあげた杏寿郎に、男の子は潤んだ目をパチリとまばたいて、ホッとしたように笑った。
「俺は煉獄杏寿郎、七歳だ! 君の名前は?」
「冨岡義勇。俺も七歳」
 やっぱり同い年だった。なんとなくうれしくなった杏寿郎は、義勇の手をギュッと握ってさっきよりも明るく笑いかけた。
「はぐれないように手を繋いでいこう!」
「う、うん。ありがとう」
 手袋をはめている杏寿郎と違って、義勇は素手だった。義勇の手は杏寿郎と同じくらい小さくて、ずいぶんと冷たい。
「君の手は冷えているな」
「あ、ごめん」
 あわてて手を引っ込めようとするから、杏寿郎は離すまいと力を込めた。
「またはぐれるかもしれないだろう? それに、こうしたらあったかい!」
 繋いだままの義勇の手ごと、自分の上着のポケットに手を突っ込んで笑えば、義勇はまたパチンとまばたきして、少しうれしそうにうなずいた。
「ここは初めてか?」
「うん。病院にお見舞いに行ったら、お買い物してきてって頼まれたから」
「俺の母も今日は病院に行っている! 同じ病院だろうか」
「お母さん、病気なの……?」
 義勇の顔がたちまち曇った。心配そうに見つめてくる瞳は、澄んだ瑠璃色。去年父と母と行った海みたいだ。
「いや、弟ができるのだ! 七夕にこの商店街で短冊に書いたら、本当に弟ができた!」
「すごい」
「うむ! だからここで買ったチョコなら、きっと弟も喜ぶと思ってな」
「チョコ?」
「バレンタインが近いからな! 父と母と、お腹のなかの弟にあげるのだ!」
 ポケットのなかで手を繋いだまま、ふたりはトコトコとアーケードを進む。
「バレンタインは女の子が男の子にチョコをあげるんじゃないの? お姉ちゃんやお母さんは、男の子にチョコをあげる日だからってくれるよ?」
「そうなのか? だが、母上や姉上が義勇のことを好きなのも間違いじゃないだろう? だったら同じだ!」
「そっか。そうだね」
 にっこりと笑う義勇の顔は、花のようにかわいい。なんだかドキドキとして、顔が熱くなってくる。
「そ、それよりも義勇は誰のお見舞いだったんだ?」
「あのね、錆兎のお父さんで俺のおじさん。雨漏り直そうとして梯子から落ちて足の骨折っちゃったんだ。それで病院でお見舞いと一緒にお祝いすることになったから、ケーキとかジュースとか買いにきた。明日は俺の誕生日だから」
「よもや! もしかして義勇は八歳になるのか!?」
「え? うん。杏寿郎もじゃないの?」
「俺は今年七歳になった」
 驚く杏寿郎に、義勇の頬が赤く染まった。恥ずかしそうにうつむいてしまうから、杏寿郎は、ちょっぴり焦る。
「二年生なのに迷子になるなんて、恥ずかしいよね」
「そんなことはないぞ! 義勇は初めてなのだから!」
「……本当?」
「うむ! 気にすることはない!」
 また花のように笑ってほしくて力強くうなずけば、義勇は、杏寿郎が望むままのはにかんだ笑みを浮かべてくれた。
「義勇! 蔦子姉ちゃん、義勇いた!」
「錆兎だっ。杏寿郎、錆兎が来てくれた」
 突然聞えた声に、パッと顔を輝かせた義勇がうれしげに言う。ポケットのなかから、義勇の手がするりと抜け出した。
 思わず引き留めようとした手を、杏寿郎はそのままグッと握りしめた。行っちゃ嫌だなんて、言ったらいけない。
 男の子に向かって走り寄る義勇の背に、胸がズキズキと痛むのはなんでだろう。よくわからない。
「じゃあね、杏寿郎」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
 バイバイと手を振った義勇に、杏寿郎は急いでランドセルをおろすと、買ったばかりのチョコをひとつ取り出した。
「誕生日おめでとう!」
「え? バレンタインのチョコなのに、いいの?」
「いいんだ! 誕生日なんだから貰ってくれ!」
「……じゃあ、これ、大好きのチョコじゃないんだ」
 なぜだかちょっとしょんぼりと義勇が言ったのに、杏寿郎の顔が真っ赤に染まる。
「誕生日で、バレンタインだ! 大好きだからあげるチョコだ!」
 杏寿郎の言葉に、義勇は、やっぱり花のようにかわいらしく笑った。


 毎年、杏寿郎は二月になるとチョコを四つ買う。父と母と弟の千寿郎にあげて、ひとつはあげられないけど義勇の分。義勇とはあれきり逢えないまま、杏寿郎も今年小学校を卒業する。
 あげる宛てのないチョコを口にするたび、胸のなかに大好きが溜まっていく気がする。
 杏寿郎はまだ知らない。春になったら中学校で、きれいな海の色の瞳をした、花のように笑うその人と再会することを。
 春は、もうすぐそこだ。