800字分の愛を込めて 義炭 パロディ

やさしい雨を待ってる
お題:運命なんてなければいいのに ※原作軸設定オメガバ―ス義炭 Ω×β 2/5(そのうちちゃんと書き直したいので、原文はこちらに置いておきます)

 義勇の穏やかで清かな水のような匂いに、とろりとした甘さがにじんだ。きた。思った瞬間に、炭治郎はグッと息を飲んだ。
「炭治郎」
 呼びかけの意図は明白で、逆らいたい気持ちを炭治郎は必死に抑えつける。反対などできるわけもない。
「……今回は、早いですね」
 責めるつもりはなかったが、義勇はわずかに眉を寄せた。
「迷惑をかけてすまない」
「違います! 俺、あの……ごめんなさい」
「謝るのは俺のほうだろう」
 そっけない声には自嘲が漂っている。麗しい白皙の|顔《かんばせ》は、憂いよりも深い苦悩をたたえていた。
 
 なんでこの人がこんなつらい目に遭わなければならないんだろう。
 
 炭治郎は運命を恨む。人が持つ第二の性は、神の恩寵だと言われているらしいが、炭治郎に言わせれば呪いでしかない。少なくとも、義勇に課せられた『運命』は、呪いとしか言いようがなかった。
「きついなら、断ってもいい。見張るだけならおまえでなくとも誰かしらいるだろう」
「嫌です! 義勇さんのお世話は俺がします!」
 本心だ。あんな姿の義勇をほかの誰かに見られるのも嫌だが、自分以外が義勇の身の回りの世話を任されるなど、炭治郎には許容できるはずがなかった。
 脳裏によみがえる、暗い地下の労に転がる義勇の姿。全身に鎖を巻き付けられて、まるで芋虫のように転がされ、猿ぐつわを噛まされても抑えきれない獣のような咆哮をあげつづける義勇。
 静かな佇まいの凛とした麗しい兄弟子が、人としての尊厳さえ失われた姿をさらすしかないのならば、ほかの誰でもない自分がそれを受けとめたい。どうしようも、ないのなら。せめて。
 
「……俺なんかやめておけ。俺など砂と変わらない。出来損ないのこの体はなにも育むことがない、風に散るばかりの砂と同じだ。おまえに心を寄せられる資格などない」
 
 義勇の声は静かだった。知られていたのは、気づいていた。炭治郎は嘘やごまかしが下手だ。義勇へと向かう恋心など、きっと筒抜けだったのだろう。
 浮かび上がる涙をこらえて、炭治郎は義勇を見つめた。
「好きなだけです……それだけでいいのに、なんでそんなこと言うんですか?」
 受け入れてほしいなど望んでいない。望んだところで義勇には応えられないのだから、詮無いことだ。
 
 義勇はオメガだ。運命の番を失った、憐れなオメガ。
 
 初めて義勇の発情期の姿を見たのは、蝶屋敷の地下牢だった。義勇の世話を頼みたい。アルファである自分たちには無理なのだと、しのぶは悲しげな笑みで言った。
「運命の番を失ったオメガの行く末を、炭治郎くんは知っていますか?」
「いえ、村にはベータしかいなかったんで」
 炭治郎自身も第二性はベータだ。鬼殺隊にはアルファはそれなりに多いらしい。オメガもいるにはいるが、元々希少な性だ。炭治郎は出逢ったことがない。
「では、覚悟をしてください」
 
 そうして見せられたのが、義勇のありえない姿だった。
 
「運命の番と出逢いながら失ったオメガには、通常の発情期が来ません。生きながらもがれた半身を求めて、追いかけようとするだけ」
 それは意思ではどうにもならないものなのだと、しのぶは言った。
 しかも、番える年齢になる前に半身を奪われた義勇には、正常なオメガとしての発育は望めなかった。子をなすことも、ほかのアルファと番うこともできない、出来損ないのオメガだ。
 無理にほかのアルファと番っても精神が耐えられない。希少な前例によれば、番になってすぐに廃人になるのが常なのだそうだ。
 義勇にとっては、獣のようにただ泣き叫び、自分のアルファの元へと逝きたがるだけの発情期だ。目を離せば自傷に走るから拘束し、舌を噛まぬよう猿ぐつわを噛ませて、発情期が過ぎるのを待つしかない。
 そんな状態であっても、生きている以上、食事や排せつは必要だ。だが義勇のフェロモンは、アルファ揃いの柱にはきつすぎる。かといってほかの隊士や隠では、柱である義勇を抑えられない。
「今までは、こうして転がしておくしかできなかった……。でも、炭治郎くん。君なら任せられるのではないかと思ったんです。無理は言えません。断ってもかまわないんです。でも……もし引き受けてくれるのなら、炭治郎くん、どうか冨岡さんを守ってあげてください」
 青ざめた顔を泣きだしそうに歪めて、しのぶは炭治郎の手を取った。小さな手は冷たく、かすかに震えていた。
 
「運命なんて、なければいいのに……っ」
 取り上げるなら、なぜ運命の番など天は定めた。炭治郎は天を、運命を、恨む。
 そして、ほんの少し、錆兎のことも。義勇の運命の番でありながら、なぜ義勇を残して先に逝ったと、恨みたくないのに恨んでしまいそうになる。
 
 押し殺した炭治郎の声に、義勇はかすかに笑ったようだった。
「……人の出逢いも、運命のひとつなのだと思う。避けようがないし、自分の意思は介在しない」
 そっと炭治郎の頬に触れた義勇の手は、震えてはいなかったけれど、あのときのしのぶと同じく冷たかった。
「おまえと出逢った……それだけで、運命に感謝している」
 耐えきれず、炭治郎は義勇にしがみついた。くらりと酩酊しそうな甘い匂いがする。悲しい匂いだと、炭治郎は思った。
「砂だなんて……言わないでください。禰豆子を生かして、俺に道を示してくれたじゃないですか。義勇さんに救われた人だって、いっぱいいるじゃないですか。そんなこと、言わないで……」
 雨になれたらいいのに。そっと抱きしめてくれる義勇の腕のなかで、炭治郎は願う。
 乾いて散り散りに飛んでいく砂だと言うのなら、義勇を潤す雨になりたい。愛を降りそそぐ、やさしい雨に。
 甘く悲しい匂いに包まれて願う心は、まだ、天には届かない。