風語る、誰彼に生まれ、払暁去りゆく闇の唄

 産まれ落ちた瞬間より、人界へとさまよい出た卵果あり。天界人界は言うにおよばず、冥俯の底まで並ぶ者なきと謳われた剣豪、剣聖との呼び名も高き東海竜王の、末皇子となるはずの卵果である。
 人界にて孵った皇子の卵はゾロと名付けられ、すくすくと健やかな童子へと成長し、必死の探索紆余曲折経て竜宮に連れ戻されたは、十五年も過ぎたころ。
 天界においては、落ちた枯れ葉が地に着くほどの短き時間なれど、人界においてはさにあらず。
 人のなかで人として暮らしたる童子にしてみれば、突如神仙よ竜王が皇子よと崇め奉られたところで、納得などできようはずもなく。ましてや人界より連れ去られる折、神通力の源たる如意宝珠、砕け三振りの刀剣へと変じ、童子が元に残ったは雪走ゆばしりと名付けられたる一刀のみ。
 神仙としての神通力などなきに等しく、竜への転生すら叶わぬともなれば、居並ぶ武将や天女に、皇子よ我らが主よとかしずかれるはどうにも座りが悪い。のみならず、人界への懐旧の念晴れることなければ、苛立ちと悔恨ばかりを心に積もらせる日々。

 披露目の宴開かれたは、そんな童子の気鬱晴らす意もあったやもしれぬが、当の童子はかような祝宴に興味などまるでなく。ばかりか、権を欲して近付く者の多きに辟易しきり。

 庭園へと逃げ出し溜息ついたその時に、不意にかけられたる一声いっせいがあった。

「カッ! なんだ先客がいやがったか」
 慌て振り返ったその先に、見慣れぬ白一色の武将姿。
「あぁ? 誰かと思えば今日の主役の皇子殿じゃねぇか。こんなところにいるってことは、あんたもうっとうしく擦り寄ってきやがる輩に、うんざりしてた手合いか?」
 童子を竜王が皇子と知りながら、快活な笑み、臆せぬ口調、変えることなく。人との暮らしにあっては当然のよに、童子の周りにあふれていたそれらが、不意に童子が元に戻ってきたような。
 なつかしくも切に欲した温かみ、近寄る男に感じとり、胸が詰まる。
 聞けば男は竜王が配下、眷族が中でも下位に属する蜥蜴の『葉柱』が次男坊だと言う。総帥たる兄『葉柱』の代理として、こたびの宴にて皇子に祝辞述べんと、竜宮まで馳せ参じたとは男の言。
「馳せ参じたってなぁ言い過ぎか。正直言やぁ、口うるせぇ爺どもに泣きつかれて、嫌々来たってのが本音だからな」
 苦笑すると男の眉尻なお下がり、どこか困っているよにも見える。けれども、童子に向けられたる深緑の瞳に宿る温かみ、薄れもせず。放浪癖あるという兄を困った輩よと言い、家臣達を口うるさい爺どもと言う声音には、隠しきれぬ深い情滲む。
 うらやましい。そんな言葉が童子が胸の内、浮かんでは消える。
「しかしまぁ、祝いのことばを伝えられるつらじゃねぇなぁ。竜宮は気に入らないか?」
「べつにそういうわけじゃねぇけど……」
 並び座りて、水面透かして届く月明かり揺らめくを、眺めながら。

「けど、ここは俺の家じゃない……」

 ぽつり言えば、男の長い腕ゆるりと動き、大きな手が童子の背を撫でた。
「ま、いきなり連れてこられて、皇子だ神仙だと言われても、ここが家だとは思えねぇだろうな」
「……俺の家は一つきりだし、家族は二人だけだ。もう、いないけど……」

 喚き、怒鳴り、幾たびも訴えた言は、哀切たたえ童子が唇からこぼれ出た。
 膝抱え隠した落涙、隠し切れぬ鳴咽。気づかぬ振りで背を撫で続ける男の手が、伝える温もりかぎりない優しさをたたえている。
 導き出されるよに郷愁、亡き人への思慕の念、童子が胸にとめどなく溢れ。

 童子は、竜宮に来てより初めて、声を上げて泣いた。

 涙果て、童子がばつ悪く顔を上げれば、男の顔には変わらぬ笑み。笑い返せば更に深まる。
「なぁ、あんたは武人だろ? 強いのか?」
 涙拭いて問えば、男はふと笑いやみ、真摯な瞳で童子を見つめ。やがてにやりと先とは異なる笑み見せた。
「強いぜ。まだまだ強くなる」
 言い切る声音、揺るぎなく。
「なぁ、それじゃ手合わせしてくれねぇか?」
 途端晴れる童子が声。期待に翡翠の瞳煌めかせる。
 人界にあっても臨むは並びなき剣豪。救いは彼の地が、音に聞こえた東海竜王が膝元であったことのみであるというのに、竜王は一向相手をしてはくれぬ。居並ぶ武将どももまた、皇子よとおだて奉るばかりで、本気で剣をまじえる輩は一人もおらぬ。
 不貞腐れたよな童子が訴え、ふむとうなずきながら聞き、わずかばかり思案するさま見せた男は、けれどすぐに肩すくめ、ゆらり立ち上がった。
「たしかに、つまらん宴で追従聞くより、あんたにとっては遥かに良かろうよ。来な、胸を貸してやらぁ」
 かける言葉いまだに軽く、なれど双眸には、童子を侮る色露ほどもなし。腰に提げたる長剣手をかけ抜き放てば、白刃煌めく。
 男の大きく出たを憤るより早く、童子は期待に胸ふくらます。男の瞳には、童子風情よとの侮りは欠片も見て取れず、皇子よと奉り己が力おし隠す気配など微塵もない。真に童子が欲するすべて、不思議に捉え応える男である。
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
 高らかに響く童子の声音に歓喜が滲む。抜き放つ直刃すぐはの剣、その名は雪走。相対あいたいしじりりと間合い詰めれば、漲る緊迫感心地好く。童子が喜悦共鳴するかの如く、欣然きんぜんと光輝を放つ。
 四肢の長さを考えれば、懐入れば勝機はこちらと、童子は男の隙を探る。男は長剣左手に携え、提げたまま。なれども一部の隙もなし。

 と、男の背後で木の葉一枚、風に吹かれてひらりと落ちた。

 刹那、男の気がかすかに揺らいだ。
 真に気を逸らせたか、はたまた童子の剣誘わんと、故意に見せたる隙か。童子には判断がつかぬ。
 しかして童子に逡巡なし。これを逃せば次なる好機いつとも知れぬ。ままよと地を蹴り男の胸元走り込み、雪走繰り出した。
 鋭い音響かせあった双方の剣。鋭く重い男の剣戟容赦なく。弾かれよろめき、かろうじて踏みとどまった童子に、時置かず返す剣の痛烈なこと。
「く……っ!」
 思わず洩れた声にはわずかな焦り。受け止め切れず、童子は踏みとどまるを瞬時諦め、男の間合いより飛びすさった。
「まずは俺の勝ちだな。実戦なら、あんた、今ので死んでたぜ?」
「なに言ってんだ、まだ斬りつけられてなんかねぇだろ!」
 泰然と言われ歯をむけば、男の右手が童子の鳩尾みぞおちを指した。
 その手に煌めく短剣、童子は目を見開き慌て己の鳩尾見下ろす。
 瞳に映るは、切り裂かれた衣から覗く肌。ぐぅと唸り悔しげに唇噛んで。
「悪いな、俺の得手はこっちのほうでよ」
「……なるほど、先手を避けて相手をそいつの間合いに誘い込むのが、あんたの手口か……」
 睨みつければにやりと笑う顔、ふてぶてしく。童子は、切り裂かれた衣と男の笑み幾たびか見比べ、これまたにやりと笑ってみせた。
「簡単に手口明かしていいのか? 次はこうはいかないぜ?」
「実戦に次があるのか?」
 やりこめられ、言葉に詰まった童子は、けれど憤懣ふんまんみせるでも不貞腐れるでもなく。どころか破顔一笑、嬉しげに。
 やせ我慢という風でもなく笑い声立てれば、おや、と男はまばたき一つ。
 すぐに浮かぶ微苦笑、かすかに慈愛の色乗せ細まる目。笑みに歪めた唇から、ちろりと長い舌覗かせて。

 言葉にせずとも伝わるか。

 童子の笑みにますます喜悦が滲む。
 口ではどうあれ、手加減みせるかと心の片隅思い浮かんだが、男の剣に迷いなど毛ほどもなく。しょせんは竜王配下、皇子の自分に本気の剣向けるとは思われぬと、高をくくったは、自分の傲り、男への侮り。
 恥じ入るより強く胸に歓喜満ち溢れさせるは、それを気づかせた男に出逢えた、この僥倖。
「あの、さ。あんたに頼みがあるんだけどよ」
 笑いやみ、童子はふと一つ息を深く吸い込むと、じっと男を見つめた。
「さて、叶えてやれる願いならいいが。ま、言うだけ言ってみな」
 気安い態度に畏れや嘲りなき口調、童子が懐旧誘い、その為人ひととなりこのわずかの間にも温かみ伝え。こちらが望むを察して応える犀利さいり、肝心要の剣の腕も、今の手合わせみれば申し分なく思われる。

 この男ならば。否、この男でなければ。

 歓喜に口許自然と笑むをようよう引き締め、まっすぐ男を見つめる童子の瞳。翡翠の如き澄んだ翠の双眸に、真摯な訴え切にたたえ、童子は、黙して己を見返す男にそっと語りかけた。
「あんたさえ良ければだけど、ずっとここに居てくれねぇかな……」
 今朝ほど童子に伝えられたる、こたびの宴にて自身で側近選ぶが良いとの竜王が達し。くだらぬと鼻を鳴らしたが、僥倖恵まれての出逢いは勿怪もっけの幸い。
 本日居並ぶ武人武将、すでに誰もが聞きおよんでいるはず。
 身分階級の差なく、童子が裁量に委ねられたること、男も知らぬわけもなく。童子の言の葉、その意味を、悟りて快諾示すかと思いきや。

「俺の主はもう決まっている。来し方行く末、永劫主はあいつ一人きりだと、俺が決めた。すまんな」

 言い切る声音、見つめる瞳、揺るぎなく。
 思いがけぬ返答に、童子は見開きたる瞳に男を映したまま、ぎこちなく小首をかしげた。
「竜宮に勤めるのは、配下の眷族にとってほかに並ぶもののない誉れだって、聞いたんだが?」
「ほかの奴らはどうだか知らねぇが、俺にとっての誉れは、俺がただ一人主と定めた奴に終生仕え、永刧その傍らに立つことだ。それさえ叶えばほかはいらねぇ」
 深緑の瞳に宿る真摯な煌めき、あふれる思慕隠しもせず。語る声音にたしかに感ずる深く和かな慈しみ、恋情吐露するかの如く聞こえて、童子は小さく唇噛んだ。

 悔しさ淋しさ胸に湧けども、なにより深いは消え入りたいよな羞恥の念。

 家族がつけた『ゾロ』の名以外、我が名はなし。ましてや皇子などと呼ばわるるはもっての外よと、幾度も喚いたは一体誰であろう。
 それなのに今自分は、皇子の命断る輩はいなかろうなどと。都合の良いことばかり考えていたは、増長慢心にほかならぬ。

 けれども。

「……俺じゃあんたの主には力不足か……? まだ、ガキだから?」

 諦めきれぬ。

 出逢いその為人知る前ならばいざ知らず、この優しさ懐深さに触れた今、もはや傍らにあるを望むはこの男でしかなく。

 この男でなくば、誰もいらぬ。

「あんたがどうこうってわけじゃねぇよ。たとえ竜王の命令だとしても、それが天帝でも、あんた同様断るぜ。全身全霊かけて仕えるのはあいつだけと、俺が自分で定めたからだ。二心は持たねぇ。というより、持てねぇんだ。そういう性格なんでな。変えられそうもねぇ。それに……」

 諭す響き滲んだ声音、ふとやみ、色を変えた。

「お前だけだと、もうあいつに誓っちまった。呼ぶまで待てと命令された。だからもう、待つしかねぇんだ。カッ! 待ち続けて百年目だ、まったく気の長い話だがよ。命令じゃしかたねぇやな」

 懐旧漂う声で言い、男は快活に笑う。どこか困ったよに見える笑みに、尽きぬ想いたしかに浮かべて。
「百年!? 百年も待ったのかよ、あんた」
「俺も百年も待たされるとは思わなかったけどよ」
 だがしかし。
 時来たれば傍らに置こうとの約束をくれた。それを望むなら強くなれと命令された。
 百年時を数え日を数え、認められる強さ求めて今にいたる。いまだ沙汰なきは己が力不足ゆえであろうよと、こともなげに笑う。
「……諦めたりしなかったのか? 騙されたとか思わねぇの? それより、人を百年も待たせておいて音沙汰なしってなぁ、どういう奴だよっ」
 それほどまでにこの男の心捉えた主とは、一体いかなる者かと、執着捨てられず問えば。
「さぁな、俺もよくは知らねぇ。あんたよりちびだったころに、一度逢っただけだしな。おまけに食われかけた」
 仰天し瞠目する童子に、男はますます笑み深める。もしや揶揄っているのかと童子が瞳をすがめれば、その笑み苦笑へと変わり、いよいよ困っているよな風に見えて。
 眉根寄せ上目遣い、探る眼差しで見つめれば、男は肩すくめた。
「カッ! 我儘で横暴でとんでもねぇ野郎だったぜ? 主に据えるなら、あんたのほうがよっぽどふさわしいと思うね」
「……それでも、そいつのほうがいいってのか?」
 拗ねた声音、不貞腐れた響きでもって言う童子を、和かなれども揺るがぬ眼差しで見つめ、是非もないとうなずく男に、童子は小さく唸った。
 末皇子とはいえ側近ともなれば竜王家直属の家臣。竜宮住まいは力欲する誰の目にも得難い好機とみえ、こたびの宴でも、我こそ歓心獲んと童子に群がる者あまた。辟易しきりであったが、それらが雑兵の様子思い返せば、男が喜色あらわに膝折ると、童子が思うはしかたなきこと。
 であればこそ、童子も意を曲げ、いらぬと拒んだ側近だがお前ならばと口にしたものを。

 我が主はただ一人と、逡巡みせずに言い切って。問えばうたは一度きり。幼き折の戯れ言めいたやり取りを、百年かたくなに心に誓い貫きたる律儀者。
 ただ一度の命、真摯に守り、固い忠誠一途に捧げる、その一念。

 自分に向けられたものであったなら。思わぬ者がどこにあろう。

「そいつとまた逢うまでの間だけでも、駄目か?」
「二心は持たねぇと言ったはずだが?」

 最後の望みも苦笑で打ち消され、童子の肩が落ちた。
 と、男の気が張り詰め、笑みが消えた。
「臣が君の命断ると申すか、小僧」
 はっ、と童子が顔上げれば、男の背後に佇む人影。
 長大無比な大剣、背に負い、気配なく。感情見えぬ顔つきで、双眸だけが膝砕けるほどの鋭さで、男を見据えている。
「東海竜王……」
「ふむ、皇子らが臣は各々の裁量に委ねているが、断られたを見るは初めてであるな」
 声音に落胆侮蔑の響き欠片もないが、その言、童子の羞恥呼ぶにはあまりある。
 責めるでなく、事実述べているのみと言わんばかりの淡々とした竜王が口調、男に対しても同じこと。
 男を見やる視線には、童子を映すのとは異なる色、たしかにあれども、先より己の慢心恥じていた童子は気づきもせぬ。ただ悔しげに唇噛みて、竜王を睨み据えるのみ。突然のこととて言葉も出ない。
 そんな童子にかすかに苦笑し、ゆっくりと男は竜王に向き直った。
 膝折り臣下の礼尽すよにこうべを垂れる。
「東海竜王殿にはご機嫌麗しく、皇子殿ご生還のお運び大慶至極にございます。臣として、奉祝の念絶えませぬ」
 粛粛として述べる声、けれども怯む色わずかにもなく。先までの態度思えば、いっそ慇懃無礼に捉えられようほどに、竜王はぴくりとも表情崩しもせぬ。
「顔を上げよ、小僧」
 小僧呼ばわり繰り返され、男の伏せた額に青筋浮くも、一つ深い息吐き上げたおもては、いかにもかしこまりて見ゆる。
 だがしかし、眷属が長であり、天上界人界は言うにおよばず冥府にもその名を轟かせる武神、東海竜王をば前にして、その双眸は一片の曇りなく、揺るがぬ信念そのままに、まっすぐ君である竜王を見据えている。
 静かに佇みたる竜王もまた、鋭き眼差しにて男を見つめ。やがてゆるりとその手が動いた。
 緊張走らせた男と童子をしり目に、竜王、悠然と己が顎髭軽く撫で、ふむと呟き眼差しを童子へと移した。
「我が皇子よ、この者を所望か」
 唐突な問掛けに、刹那、童子の首がすくめられる。童子はわずかに逡巡みせるも、頑是無き稚児がするよな仕草で、すくめたままの首横に振った。
「いらぬと申すか」
「……こいつには、もう主がいるから……だから……」
 返す言葉、見返すに耐えきれず伏せた瞳、幼き躯の隅々まで、度しがたい緊張湧きいで震える。
 人界においては、剣の道挑む者みな崇め奉る剣聖、東海竜王。父だと言われ喜々と受け入れられるほど幼きにあらず。ましてや人界より連れ来られ、初めて顔合わせたときからこの場にいたるまで、情湧く言葉はおろか、眼差し一つにすら温かみなくば、なにをもって血の繋がりなど感ぜよう。
 童子が抱くは畏怖ばかり、この場においても、震え抑えるがやっとの有り様。
 かような不甲斐なきさま、男に見せるははなはだ不本意、矜持傷つけられ羞恥も湧く。
 そんな童子の心持ち、一向気に留める様子なく、竜王は、背後の童子が気配気にかける男をつくづく眺めやり、再び声かけた。
「お主の先の言葉によれば、我が命であれど、主と仰ぎ傍らはべることはできぬとのことだが、さて、今もその言変わりないか」
 ぴくり童子の肩が揺れる。
 天界が流儀しきたり知らぬ童子であればこそ、男の信念素直に受け入れられもしたが、相手が悪すぎる。男の言葉疑うではないが、一雑兵であればいざ知らず、眷族が内でも多数を誇る一門『葉柱』束ねる総帥の弟が、竜王の命に背かば、一族郎党にも災はおよぼう。
 だが、童子の心配よそに、男は先と変わらぬ揺るぎなき眼差し竜王に据え、二言なしと言い切るのみ。ためらいなど、素振りも見せぬ。
 他者が見ればその姿、愚か者ともとられよう。数百年余り泰平続く天界において、武人として栄華望むならば、位高き神々の歓心得るより道はない。であればこそ、こたびの宴でも童子に群がる者の枚挙に暇なかったのである。
「小僧『葉柱』の弟と申したな。彼の者は勇猛果敢、豪放磊落と聞きおよんでおる。だが、お主を見るに、分をわきまえぬ道化者。その兄ともなれば、正体も知れよう。噂はしょせん噂にすぎぬようだ」
 男の額に青筋浮いて、指先が地をえぐる。再び頭垂れるも、深緑の瞳に揺らめく怒りは隠しきれぬ。
「お言葉なれど、我が兄、葉柱総帥と不肖の身比べるは、はなはだ不本意。総帥をはじめ我が一族郎党小者にいたるまで、竜王殿が命に背く者はただの一人もおりませぬ」
 言い置き、男、顔を上げ。

「我が身を除いては」

 声音にわずかの怖れもなく、口許、不敵に笑んですらいる。
「増長するな、小僧」
 返す声静か。いっそ怒気発せられたが心中穏やかでいられようと、童子は我が身こそ竜王に対峙しているかのよに、震えを抑えきれぬまま男の背見下ろした。
 広い背白一色。一点の穢れなく。迷いなき男が信念そのままの。
 こくりと喉鳴らし、童子は意を決すると、男の傍らに膝をついた。
「竜王殿、この男はなにも竜王殿に歯向かう気なんてないと、思います。元は俺が我儘言ったのが悪いんだし、許してください」
 ようよう口にすれば、竜王が気配、かすかに異なる色見せた。
「かばいだてするか、我が皇子ロロノアよ」
 よくよく聞かねば感じとれぬほどの小さき苛立ち、たしかに竜王の声音に見つけ、男はまばたき一つ。
 しかして童子は、そんな些細な気配、気づきもせぬ。
「べつにかばってるわけじゃありません。俺は事実を言ってるだけで……」
「問答無用、お主の出る幕はない。下がっておれ、ロロノア」
 羞恥上回る腹立ちに、童子がぎりりと歯噛みする音聞こえるようで、男が苦笑こらえれば。
 黒き大剣、切っ先突きつけられたは、刹那の出来事。
「今一度聞こう。竜王が命に背こうとも、己が主はほかにいるとまだその口申すか、小僧」
「……二言なし、二心は持ち得ぬと、繰り返すより言葉はございません」
「この剣はなまくらではないぞ?」
「我が首一つでお怒り晴れるのであれば、いかようにも」
「お主は葉柱の名代であろう。君にたてつく不遜な臣は己が一人と申したが、お主の言は葉柱が言。お主の非は葉柱が非であること、自明の理。お主の首一つであがなえるものだと思っているのか」
 竜王が言葉、たしかに道理。いかに男がこたびの言、己が一存より発せられしことと言い募ろうとも、男の立場はあくまでも葉柱の名代。瞬時言葉に詰まるも、男はゆるりとまた頭垂れ、静かに口開いた。
「葉柱が名代であればこそ、二言弄するわけには参りませぬ。葉柱の者みな、たやすく信念曲げ、権に平伏ひれふすと思われるは、心外の極み。権に屈せず固き信念貫くが『葉柱』の誇り。『賊徒』の二つ名、酔狂ではございませぬゆえ、名代である我が身が穢すわけには参りませぬ」
 『葉柱』の名の由を辿ればいにしえより、眷属が内でも一段低くみられる小さき一門。ともすれば、神仙より妖魔の方がよほど近しく。
 そのゆえあってか自らを『賊徒』と名乗りて、来る者拒まず無頼漢ども受け入れ統率してゆく内に、気づけば軽んずべからざる勢力となりて、武人として召し上げられたは先の『葉柱』の代よりのこと。
 『葉柱』を、たかが蜥蜴よ成り上がり者よとさげすみ陰口たたく輩、いまだ少なきにあらず。
 『賊徒』といえば、『葉柱』を侮蔑しての言というのが大方の認識であるが、当の『葉柱』の者どもにしてみれば、『賊徒』の名こそ、一族がいしずえ。決して穢せぬ一族が誇り。
 男の言葉終ると同時に、竜王が大剣、まばたきの間もなく動き、男の首筋、煌めく刃がすいと撫でた。
 息飲む童子が目前、白い肌に血の紅一筋。ゆるり流れて襟元染める。
「真の主に再会果たす前にそっ首落とされようとも、己が言葉を翻す気はないと。そのように申すか」
 約定守れぬは同じこと。命に背くは変わりあるまいと、竜王訊けば、童子も懸命にうなずく。
 竜王の声音に冗談ごとの響きなく、今にも音なく男が首落ち、鮮血噴き上げるさまが見えるよう。竜王が剣納めさせんとの言もむなしく、力なき我が身が口惜しいと、童子が指先、震えながら地にめり込んだ。
「傍らはべり、ともに永きを歩める強さ得たならとの達しなれば、我が力、主の課した約定におよばぬ以上、斬首もやむなし。また、武力権力は主が我に求める強さにあらず。仮に命惜しさに皇子殿に口先の忠誠誓えば、畢竟、主が望む強さを自ら捨て去ることになりましょう」
 どちらにせよ、主の約定果たせぬならば、せめて二心なく。永劫忠誠誓うはただ一人と、心根強く命散らすが、臣としての我が誇りゆえ。
「ましてや竜王閣下におかれましては、本心より我が忠誠をお望みではありますまい。であればなおさら、この首、縦に振るわけにはゆきませぬ」
「我が言が本意でないと……? 戯れ言申しているとでも思うたか、小僧」
 つくづく不遜な輩よと、竜王言って。
「賊徒に謀反の異なし、すべてはお主一人の責とその首差し出す潔さは認めてやろう。せめてもの情けと心得よ」
 男がうなずくが早いか、では死ねと、淡々とした声音とともに大剣、空を切り。そして。

「この……馬鹿親父!!」

 黒き刃、鮮血に濡れんとした刹那、響いた罵声は童子のもの。
 二人の間割って入り、男の首筋ぴたり止まった大剣押し退けると、童子は爛と燃ゆる瞳で竜王をば睨み据えた。
「いい加減にしやがれ、この馬鹿親父が!」
 すくと立ち、怒りに肩そびやかせる童子が双眸、灼熱思わす紅玉の煌めき。鮮血よりもなお赫い。
 ずいと竜王に詰め寄り、童子は、畏怖羞恥すべて忘れ、声張り上げた。
「男が一度心に決めたことを、やすやすとひるがえせるわけねぇだろっ! それぐらいわからねぇで、なにが剣聖だ。言ってるこたぁガキの駄々と変わんねぇじゃねぇかっ! こんな奴が実の親父だなんて末代までの恥だ!」
 権にへつらわぬ心根の強き誉めるならばいざ知らず、我を張り臣の弱味をついた挙句、手打ちにせんとするなど、もはや武人にすらあらず。ましてや剣の道歩む者のいただきと奉られし者のする所業だなどとと、どの口が言えようか。
「ここまで言ってもまだ我儘言いやがるなら、もう親でも子でもねぇ。きっぱり縁切って、人界に帰らせてもらうからなっ!」
 ふんと鼻鳴らし、腰に手を当て胸張ってみせようとも、竜王の表情一向変わらぬ。ますます小面憎しと、一層強く睨みつける童子の瞳、あくまで感情見せぬ竜王が紅き瞳とたたえる色味同じであれど、触れなばその熱、天と地ほどの違いあろう。
 言葉なく対峙する親子の本性思わば、余人の目には、今にも雷雲湧きで稲妻走らん一触即発と映らぬでもなかろう。だがしかし、怒気発するは童子ばかり、竜王が風貌に毛一筋の乱れもなし。畏怖捨て去り見れば、親子喧嘩のよくある構図ではないか。
 二度三度まばたきし、今にもその命散らさんとしていた男が愉快げな笑い声たて、沈黙破った。
「なんだよっ、笑われるようなこと言ってねぇだろ!」
「カッ! これが笑わずにいられるかってんだよ」
 憮然とする童子にひとしきり笑い、やがて男は、居住い正すと黙したままの竜王見上げ、静かに口を開いた。
「こたびの不遜な言葉の数々、まこと、この首落とされるが臣としての道理であろうものを、恩情賜りまして、恐悦至極にございます。しかしながら、不遜ついでに一言申し上げたき儀がございますれば、お耳を拝借できましょうや」
 ちらり視線の促しに、男は微笑み立ち上がると、竜王に顔近づけ何事か囁いた。
 たちまち憮然とする竜王に、童子は怒りも瞬時忘れ、瞳を丸くする。
 竜王が憮然としてみせたは、まばたきする間もあらばのこと。だがしかし、竜王が鉄面皮、天地のことわり揺らごうとも一向変わりなきものよ、ともすれば感情すら持たぬのではあるまいかと思うていた童子である。仰天するには刹那でもこと足りよう。
 しかし、竜王が続けざま発した言は、童子の怒りまたもや誘うのみならず、男の瞳にも緊張ただよわせるものであった。
「……じかに会うたことはないが、現葉柱の勇猛果敢なること、東海にとどまらず四海に知られるものの、放浪癖改まらず、館にその姿あるが稀。実質、一族束ねるは、名代務める弟であるとの噂、かねてより聞きおよぶところ。
 その噂によれば、弟とやらは兄に比べ凡庸の輩。武に劣り仁に劣る。かような者に一族任せ、道楽しきりの葉柱もたかが知れようというもの。『葉柱』が軽視すべからざる一族であったは先代までのこと。しょせんは賊徒、無頼者の寄せ集めで数を頼みの成り上がり者、武を誇るなど大言壮語にもほどがある。現下頻繁に囁き聞くはかようなところだが……ふむ、なんともわかりやすいことよ」
 表情動かすこともなく言い、唐突にきびす返すさま、童子には逃げ口上としか思われず。噂を鵜呑みに人を馬鹿にした挙句、逃げをうつとは卑怯であろうと、再び激昂に身を震わす。
 だがしかし、凡庸の輩呼ばわりの当の男はといえば、怒りとは異なる面持ち。緊張宿る双眸は、何事か考え込んでいるよにも見える。
 とはいえ怒り心頭に発する童子が目には、男の思案など読み取り難い。非難の声張り上げようとしたと時同じくして、思い出したように竜王の歩み止まり。不意に振り返りざま言い放った。

 曰く。

「一つだけ訊こう。そのほう主の容認あれば、我が軍門にくだること、快諾する意思はあるか? 主が為人そちの忠誠からも窺い知れること。主とやらが望むならば、一軍率いる将軍の座二席空け、そちの主が返答待つこととしよう。これは勅命と受け止めても一向かまわぬ」
 放ちかけた怒声飲み込み、童子は目を白黒させながら、竜王と男に代る代る眼差しやった。
 童子が驚きさもありなん。東海竜王が私軍といえば、天帝が誇る天上軍、天上水軍の両軍に劣らぬ勇名馳せ、天の海護るが天上水軍なれば、地の海護るは東海竜王軍と、人界においてこと水上戦勝利を祈願するならば、東海竜王軍にあやからんとし竜王に奉納するが習わし。勇将猛将揃いたること、ともすれば天上両軍をも凌ぐとは、天界の事情にうとい童子ですら知る、周知の事実。
 その軍の将軍ともなれば、たとえ一族総帥の立場であろうとも、栄達に違いなく。ましてや男は名代務めるとはいえ、総帥戻らば一介の武人でしかなき身。これ以上の栄誉がどこにあろうか。
 けれども、先の言動思えば素直に受け止められぬも道理。竜王が本意いずこにありやと、童子は顔つき引き締め、黙して男の応え待つ竜王を睨む。ところが童子が心配うらはらに、男は緊張残る面持ちなれどゆるり微笑み、あろうことか再度膝付き頭を垂れた。
「まずは竜王殿がご厚情、総帥葉柱に成り代わりまして『賊徒』一同心より御礼奉りまする」
 粛々と言い上げた面もち、凛として。にやり不敵な笑み浮かべるも、その言、童子には歯がゆく、足踏み鳴らし苛々と男をも睨み据える。
 それでも。
 凡庸よ成り上がりよと言われなにが厚情かと、喚きたくなる口、懸命にこらえる程度には、男と竜王が真意知りたくもあり。
 先の言葉のどこが『葉柱』の名代としての礼を述べるに値するのか。童子にはさっぱり見当つかぬ。言葉の裏を読むには、童子はまだまだ経験浅く、かてて加えてまっすぐすぎるその気性。まわりくどいは性に合わぬと、少しばかりふくれ面。
「加えて、この身に余る御言葉有り難きことこの上なく、恐悦至極にありますれば、御言葉しかと胸に刻み、精進怠らぬことこの場にて剣に誓いまする。
 しかしながら、主の返答聞くまでもなきことゆえ、我が一存にて申し上げまするが、勅命、主は決して了承致しますまい。慎んで辞退申し上げまする」
 男の言葉に、竜王、意を害したふうもなく。それどころか、あろうことか口許わずかばかり笑みさえ浮かべるではないか。
 まったくもって有り得ぬことよと、童子は唖然とするよりない。
「武神東海竜王をもってしても、そちが主の上に立つは叶わぬと申すか」
 語る声音さえ幾分楽しげ、男もまた動じることなく笑み浮かべ言う。
「権威階級は、あれにとっては埒外に過ぎませぬ。また力量度量も、敵味方の別なく己にとっての使い途はかるものでしかなく、心技体揃いたる竜王殿であれど、よしんば天帝閣下が勅命であれど、同じこと。あれは何人なんぴとの前たりと膝を屈するを認めますまい。であればこそ、我も永劫ともにあるを誓いました由、なにとぞご寛恕もってお許し願いたく……」
「意思の強きは君に倣うか。一度会ってみたいものよ」
 口許わずかな笑み浮かべて立ち去る竜王の、背が宮廷へと消ゆるを身じろぎせず見送って。大きく息吐き、男は、やれ疲れたと言いたげに首回した。てろり垂らした長い舌見れば、先まで音に聞こえた東海竜王前にして、堂々と物怖じ見せず渡りあっていたなどとは、到底思えぬ姿ですらある。
「……なんなんだよ、一体! 説明しやがれっ」
 一人蚊帳の外が風情の童子、不満あらわに足踏み鳴らせば、男は苦笑見せ肩すくめた。
「なんなんだと言われてもなぁ。見たまま聞いたままなんだがよ」
「わかんねぇから訊いてんだろうが! ったく、これだから天界の奴らは嫌なんだ。まわりくどいご託ばっか並べやがる」
 すっかりへそ曲げ頬ふくららませる童子の顔、いかにも癇性なれどもあどけなく。男は苦笑深め、困ったよに小さく天を仰いだ。
「俺も腹芸は得意じゃねぇが……いや、こりゃまた輪をかけて……」
「なんだよ、馬鹿にすんなっ」
「カッ! まっすぐないい気性をしてるって誉めてんだよ」
 破顔し若草色の髪撫でる手の大きさ温もりに、童子の胸に、郷愁また宿る。
 照れ臭さ誤魔化すよにますますふくれてみせるが、そのさま、稚いことこの上なく、男の笑みをなおさら誘うばかり。

 ひとしきり笑い、やがて、では、と口開き語りだした男曰く。

 竜王が言、『葉柱』への甘言、竜王に施す者ありとの示唆、忠告に違いなし。また、その後の勅命から、竜王自身は噂を信じておらぬこと、明白。加えて男の力量認めた証しでもあろう。
「ま、将軍てのはさすがに俺も面食らったが」
 だが、と男は言い、笑んだ双眸に幾許かの緊迫たたえた。
「将軍の任、二席空けるとの達し……こいつは、聞きようによっちゃ、甘言吹き込もうとしてる奴らを指してるように聞こえるな」
「えっ!? だって将軍だろ? なんでわざわざあんたらの悪口なんか、くそ親父に吹き込まなきゃなんねぇんだよ。あんた、軍に入る気はないんだろ? 地位を脅かすわけでもないのに、そんなことする必要がどこにあんだ」
 合点がゆかぬと眉根寄せる童子に、力つけ台頭してくる者あらば、まだなき損害を不安がる者もおるのだと。言う男の面持ち苦々しさ漂わすも、それもわずかのこと。いよいよ不敵に笑ってみせる。
「杞憂ならそれに越したこたぁねぇが……ま、たとえそれが事実だとしても、賊徒を敵にまわしたことを後悔させてやるだけだがな」
 たとえ将軍の座にあろうとも、しょせんは甘言弄して他者を陥れんとする輩、我らが敵ではあるまいよ。片頬歪め長い舌揺らして笑いつつの男が言、頼もしげに聞え、童子の瞳に安堵が浮かぶ。されども、まだ不満は残る様子。
「なんだよ、信用できねぇか?」
「そういうわけじゃねぇ。ただ……」
「ただ?」
 問う声に、童子は少し眼差し逸らせる。ぽつり洩らした呟きひとつ。
「天界の奴らは、やっぱり信用できねぇと思って……」
 眼差し暗く、あどけなさ残るかんばせに愁い宿る。
 東海竜王が末皇子として高貴な血を引き、生まれながらにして神たる身であるとはいえど、自我目覚めた時にはすでに人界にあり。人として、地に足つけ暮らしてきた童子である。
 人の暮らしにあっては市井の童と変わりなく、権謀術数などまったくもって無縁。その気性のまっすぐさ思えば、慈しみもって育てられたること、男が目にも明らかである。
「……誰もが陥穽かんせい弄するわけじゃねぇぞ」
「あんたのことは信じられると思う。けど、ほかの奴らは見え見えのごますり野郎ばっかりで……もう、うんざりだ」
「皇子殿……」
「……べつにいいさ。あいつらが俺を出世の道具としてしか見てないなら、俺だって信じてやるこたぁねぇ。最初から一人だと思ってりゃ気も楽だ」
 吐き捨てるよに言い、童子は口許笑みに歪めた。その笑み、先までの快活さどこにも見えず。童子が怒りの奥に隠れたる哀しみの片鱗、先にも目にしたばかりである男は、困ったよに見える眉尻ますます下げて童子を見つめていたが、やがて不意に童子の目前膝をついた。
「……なに?」
 訝しむ童子に頭垂れ、男は粛々と、けれども躊躇逡巡の響き一切なき声をあげた。
「東海竜王が末皇子、ロロノア殿。賊徒が総帥葉柱の名代として、この場をもって我らが賊徒一同を代表して申し奉りまする。いかなるときも賊徒の者みな皇子殿の命に背かず、邪心を持たず、行く末永く御身を守り奉らんこと、賊徒が御旗にかけて誓いまする」
 息飲む童子に、仰向けた男の顔、微苦笑が浮かぶ。
「俺自身の忠誠は捧げられませぬが、それでも、ひとつだけ俺も誓いましょう。俺は決して皇子殿を偽りませぬと」

 深緑の瞳、優しく。童子の胸を詰まらせる。

「……勝手にそんなこと誓っていいのかよ」
「俺が見込んだ御仁に膝折るを、屈辱と捉える者は賊徒にはおりませぬ。ですが、そう、ひとつだけ皇子殿にお願いしたき儀がございます」
 小首かしげれば、男の瞳、微笑みながらも強く童子を見据え。

「どうか、あなたはそのままで」

 裏表なき気性を損なうことなく、猜疑にその瞳曇らせることなく、そのままのあなたであられんことをと、語る声音見つめる眼差し、慈しみの色深く。
「皇子殿が人界でお育ちあそばされたは、皇子殿ご自身にとってのみならず、今の竜宮の有りよう憂う者にとっても、僥倖の一語あるのみ。皇子殿をお育てあそばした人界においての親御殿に、感謝の念絶えませぬ」
 童子の指先震え、なにかをこらえるよに拳を作るを見て、男は長い腕そっと伸ばし、小さき拳を己が手で包み込んだ。
「皇子殿、貴殿は人の身であってもまだまだお若い。ましてや御身は神。今から視野狭めては、これからも続く永きときを無為に過ごすことにもなりかねませぬ。なに、神だ仙だと言ったところで、人と大差なき者ばかりでございまする。人より永きを生きますゆえ、少しばかり人の悪い者も多くはございますが」
 男の手に力がこもる。温もり優しく、力強く。黙し見下ろす童子が瞳、見返す深緑の双眸捉え、わずかに表情歪ませた。
「心根強く、まっすぐに、己を信じお生きなされませ。人の心はその後について参りましょう。永き命、あまり先を急ぎあそばされるな」
 童子の眼差し、男の手に包み込まれた己が拳に落ちる。
 今はまだ、かように小さき己が手。掴めるものもたかが知れよう。
 だがしかし。

「……変わらぬまま、俺は強くなれると思うか……?」
「これは異なことを。俺にできたことが、ご自分にはできぬとおおせか。それとも俺の言葉では信用なりませぬか」
 幼き児のよに童子は首を振り、にこり笑った。うなずく男の手、離れぬのにわずかな気恥ずかしさ覚え、空咳ひとつ。
 俺もひとつだけ言いたきことがあるのだがと、腰を落としての上目遣い。いかようにもと先を促す男に、童子の瞳、不意に悪戯めいた煌めきたたえ。

 曰く。

「その喋り方、似合わないからやめとけよ」
 目を丸くする男に笑いこらえて見つめていれば、くっ、と小さく喉鳴らし、男は破顔一笑、快活な笑い声たてた。
「カッ! 実は俺もさっきからそう思ってたけどよ。はっきり言われるとこたえるぞ」
 名代として面目立たぬではないかと、口先ではぼやいてみせるが、笑みは消えず。握った手もまだそのままに。
 楽しげに笑い返して童子は、それと、と言葉繋ぐ。

「俺の名前は、ゾロだ。父さんがつけてくれた名だ」

 声にいささかの迷いなく、凛と背伸ばし言う童子を、男はかすかに目を細め見つめた。
 なるほど、これもまた要因であろうなと胸中独りごち、笑いこらえれば、童子の面持ちわずかに曇る。
「……なんだよ、なんか変か?」
「いや、いい名前だな」
 不貞腐れたよな声音をなだめるように言うと、たちまち喜色浮かべる幼さに、男の顔にも穏やかな笑みぞ宿る。
 しかしその笑みも、童子の次なる言葉で消え、憮然とした面持ちにとって変わった。
「そういや、あんたはなんて呼ばれてるんだ?」
 名代とはいえ『葉柱』名乗れるは総帥ただ独りであろうと、小首かしげての問い、いささかの悪気もなく。小さく唸り精悍な頬にわずかな朱散らす男を、不思議そうに見やる。
「……俺は……」
大将ダージアン、こんなとこでなにやってんです?」
「は? 大将将軍って……」
 口ごもる男の声、かき消すよに響いた呼び掛けに、童子は目を丸くした。男を見やれば色白な顔が赤く染まり、どこか幼くさえ見ゆる。
「おっと、こりゃまたとんでもない方とお話中で」
「銀……お前なぁ……」
 現れた銀の髪した青年の呑気な物言いに、男が唸りながら睨めば、青年は異に介した風もなくひょいと肩すくめにんまりと笑い、童子の顔覗き込んでくる。
 男と同じ白一色の武人姿、飄々とした物怖じせぬ態度も同様であるが、男を精悍と言い表すならば、こちらは洗練。作り物めいて見えるほどに整った顔立ちした青年である。
 だが、一見冷たく見える灰青の瞳は、愉快げな煌めきたたえ、にまりと笑む口許は冷ややかさなど欠片も見せぬ。
「あの……」
「ああ、ご挨拶が遅れまして申し訳ない。銀と申します、皇子殿」
「銀……あんたも賊徒か?」
「ええ、まぁ。大将の側近を務めております。側近というよりも尻拭い役ですが。なにしろうちの大将は喧嘩っぱやくて……」
「銀! テメェなんか用があって俺を探してたんじゃねぇのかよっ」
 言葉さえぎる男の喚き声に、青年は再び肩すくめた。
「ほらね、こんな有りさまでして」
「カッ! なぁにが尻拭いだ、火に油注ぐほうがよっぽど多いだろうがよ!」
「人聞きの悪いこと言わないでくんねぇ? そういうときは相手が悪いの。賊徒に喧嘩売るとどうなるか、思い知らせたほうがいいときだけでしょ?」
 笑み崩さず言うも、灰青の双眸にたしかに宿りし鋭さ認め、童子はこくりと喉を鳴らした。
 道化者然として見えども、総帥が弟の側近ともなれば、おそらく高位に属するのであろう。無頼の徒集う賊徒の衆、統率する力持つこと疑いようもない。
 そんな童子の感嘆知ってか知らずか、男の目にも先に見た険しさ灯り、面持ち改め低い声音で青年に問うた。
「銀、どこら辺から聞いてた?」
「不本意ながら、竜王陛下があんたを勧誘してる辺りから、ね」
「そりゃ悪かったな」
「いいよ、もう諦めてるから……それより、どうする? しばらく様子見ってとこ?」
「だな。相手の出方に合わせて手ぇ打つ。探りは入れとくが……銀、頼んでいいか?」
 相手が将軍ともなれば大任だなと、さほど労とも思わぬ笑み浮かべる青年をつくづくと眺め、童子はまばたきしきり。
「さっきからいたってことだよな。けど、気配なんてまるっきり感じなかったぞ……」
 思わず呟けば、二人、瞳を見交わし笑う。
「賊徒の奴らは気配殺すのが得意なのが揃ってるからな。特にこいつは別格でよ。昔から盗み聞きさせりゃ天下一品ってなもんで」
「うっわぁ、なにその人聞き悪い言い方。大将こそ悪さばっかしてたくせに、自分のこと棚に上げてよく言うよねぇ」
 笑いあう二人の姿に先の緊迫感じられず、童子はほうと息を吐いた。
 現れたときから感じてはいたが、どうにもこの二人、主従にあるとは思われぬ。物怖じせぬのは男の気性ゆえかと思うていたが、賊徒というのは、みなこのような気安き者ばかりなのであろうか。
 堅苦しいばかりの竜宮住まいの武人や女官に囲まれ暮らす童子からすれば、およそ天界人らしからぬが、彼らのほうがよっぽど好ましいと、童子の瞳に憧憬の色が浮かぶ。
「カッ! なに言ってやがる。テメェに比べりゃ、俺なんて月星宮の姫君みてぇに大人しかったっての」
小子大将シャオズダージアンがなにを言いますやら」
小子大将ガキ大将って……あっ! 大将ってそれかっ」
 合点がいったと喜色表す童子に、男がしまったと言いたげに顔をしかめた。銀髪の青年はといえば、我が意を得たりと言わんばかりのにんまり顔。
「そう。この人皇子殿と同じくらいのころには本当に小さくてねぇ、最初は最小的孩子末っ子って呼ばれてたんですよ。そのころはたしかに姫君みたいに大人しい若様だったんですけど」
「銀! テメェ余計なこと言ってんじゃねぇよっ!」
 喚く男をしり目に銀の舌は止まらず、なおも笑って付け加えることには。
「それがあるときいきなり、誰よりも強くなるからもうチビ扱いするな、と、皆の前で宣言しましてね。えらく真剣に言うもんだから、それじゃあなんと呼ばれたいかって先代が面白がって訊いたら、大将がいいと言い出しまして。さすがにそれは早かろうと、先代が小子大将にしとけと笑ったのが始まりです。とはいえ、あのころの大将は本当に大人しかったから、不似合いには違いなかったんですがね。
 ところが、名は体を表すとはよく言ったもので、いつの間にか名実ともにガキ大将になってたんだから、名前ってのは大事なもんですね」
 愉快そうに笑う銀につられ、童子も快活な笑み浮かべ、憮然とする男を見やる。
「今は『小子』が取れてるんだろ? 『大将』って呼ぶのにふさわしいって思われるようになったってことじゃねぇか、なんでそんなに嫌がってるんだ?」
「……ガキのころの分不相応な背伸びっぷりを思い出して、恥ずかしいってのが、まずひとつな。それから……いつかは俺は賊徒を出て行く身だからよ、いくら徒名だっていっても、将軍って呼ばれるのはちっとこたえる……」
 単純に喜べるほど軽い名ではないのだと、自嘲滲む笑み浮かべる男と比べ、銀の笑みは消えぬ。
「子供のころからの徒名なんだし、気にすることねぇのに。おまけにやけに素直だし。本当に律儀だよねぇ、大将は」
 ことさらおどけた風に聞こえるのは、童子の気の所為ばかりではあるまい。
 おそらくは、どれほど慕われかしずかれようとも、主ただ一人に誓った忠誠守り抜き、下の者置いてゆく我が身に男が抱く罪悪感、いくらかなりと和らげようとの配慮なのであろう。

 総帥を兄に持つ男の責任感指し示す言葉なのは勿論であるが、先の童子に対しての約定をも指しての言かと思いいたれば、童子もまた、思わず深くうなずく。
「約束を守るのは当たり前だろうが」
 自分だけが特別なわけではあるまいよと、面白くもなさげに言い、男は、さてと童子を見据え笑いかけた。
「うるさいのが増えて悪かったな。そろそろ帰るわ」
「え? だってまだ宴も終わってないのに……」
 慌てる童子に、主役でありながら逃げ出した自分を棚に上げ、なにを言うやらと笑いはしたが、すぐに面持ち改め、男は眼指し周囲に巡らせながら口を開いた。
「元々長居する予定じゃなかったんでな」
 辺りに不穏な気配なきことたしかめ、小さな声で続けて言うことには、近頃なにやら賊徒の者を選んでの小さな揉めごと多く、他族とのこ競り合い絶えぬとのこと。先ほどの竜王が示唆、おそらくは無関係ではあるまい。売られた喧騒は買うが、相手が竜王私軍の将軍ともなれば、一筋縄ではゆかぬは必定。今、皇子と己が親しきこと知れば、邪推かきたていかなる手を講じることか。
 折しも今は『葉柱』不在。名代がことを起こすわけにはいくまいよと、隠しきれぬ不敵さ滲ませ男は少しばかり苦笑う。
 納得いく道理ではあるが、童子の心情、やはり面白くはない。
 姑息な甘言弄する卑怯者のために、やましきことなきこちらが配慮せねばならぬとは。まったくもって不条理であると、ふくれ面さらす。
 二度と会えぬわけでもなしと、なだめるよに言われれば、子供扱いされているようでそれもまた面白くないと、眉根を寄せる。
「あいつが迎えに来るまでは、今まで通り葉柱の名代を務めることになるし、またの機会もあるだろうよ」
「『葉柱』が戻れば、あんたが来る必要はなくなるってことじゃねぇか。大体、祝賀の宴でもなきゃ、眷族の奴らがここに来ることは滅多にないって聞いたぞ。それに……主って奴に仕えるのは、ここに来られる立場じゃなくなるってことじゃねぇのか? もう逢えないってことだろっ」
 男の慰めに言い返す童子の声音、拗ねた幼子そのままにて、男はますます困ったよに長い舌揺らす。
 子供の駄々であるのは自覚しているが、名残惜しさ、淋しさ、気恥ずかしさに勝り。確たる約定欲する心持ち、瞳に宿して男を見やれば、男は小さな苦笑とともに己が襟元掴んだ。
 なにをと問う暇なく、取り出した短剣襟にあて、目を丸くして見つめる童子の目前で、男は切り裂いた布地を差し出した。
 鮮血に染まった絹を呆然と受け取り、童子が小首かしげれば、これが証にはなるまいかと笑う。
「主への忠誠に流した血に誓って、いずれの地にあっても必ず再びお前に逢いにいくと、約束しよう」

 偽らぬと約定交したその口で、再会誓うと男は言う。
 手にした小さき布地に染み入る赤き血を、証とせんと柔らかく笑う。

 切り裂かれた布握り締め、童子は小さく吐息を洩らした。
「……信じたからな?」
「おぅ、約束は守る。だからお前も守れよ、ゾロ」

もう、その名を呼ぶ者はおらぬのだと、思っていた。
その名を呼ぶ声、明るく、優しく。

「……俺が俺のままでいれば、また手合わせしてくれるか?」
 うなずく男に、ゾロは笑ってうなずき返した。

「あ、あのさ、ひとつだけ訊いていいか? さっきくそ親父になに耳打ちしたんだ?」
 立ち去り際問うたゾロに、男の笑み少しばかり人悪く見え、意味有りげに言うことには。
「悋気ってなぁ、なにも恋情を交わしあうもん同士の間だけにあるわけじゃねぇってこった」
 わけがわからぬと首かしげるゾロに、今日の様子見ればじきに理解もできようと、男は笑った。
「それにはまず、お前が素直な目を持つことが大事だけどな。疑いの目じゃ、真実までは見えないもんだ」
 そんな言葉残し歩み去る男を銀と二人見送り、ゾロは不思議そうに銀の長身見上げた。
「一緒に帰らないのか?」
「俺はまだやることがありますからね。まぁ、大っぴらには残れませんが」
「ああ、例の……」
「ええ。これから一仕事です」
 将軍ともなれば警護堅く、一仕事などと笑ってもいられぬであろうとゾロは思うが、銀は一向労と捉えた節もなく、人好きする気安い笑みたたえている。
「俺も賊徒に生まれりゃ良かったな」
 男の言、心に留め置くはともかくとして、それでもやはり、追従しきり甘言施す輩闊歩する権謀術数に満ち満ちた竜宮暮らしは、到底ゾロの性に合わぬ。
 言えば銀は殊更大袈裟に肩すくめた。
「なにを仰っておられるやら。皇子はすでに賊徒の民でいらっしゃるというのに」
 賊徒に生まれるのではなく、賊徒としてある者だけが、その名を名乗れるのだと銀は笑う。であれば我らが膝折りかしずく皇子が、賊徒名乗れぬ道理どこにあろう。
「公言されてはいささか拙いことになりますが、御心に誓うは皇子殿の自由でございましょう?」

 つけ加えて曰く。

「うちの大将に倣って、俺もひとつ誓いましょうか。次にあの人があなたに拝謁するときは、『葉柱』名乗るのは、あの御仁だとね」
 稚気に富む笑みではあるが、存外鋭き眼差しに、偽り戯れの色、露ほどもなく。
 賊徒が民一同、真に上に立つを望むはただ一人。『葉柱』ですら例外ではなきことと、笑う顔誇らしげ。
「でも、大将は主って奴についていくんだろ?」
 であればこそ、たかが徒名でさえ大将などと無責任に呼ばれるわけにはいかぬと、いっそかたくななまでに言っていたではないか。
 ゾロの問い、もっともであれば、銀もうなずき、先には見せぬ自嘲めいた苦笑浮かべた。
「俺らはみんな、あの人が好きですからね、本音を言えば出ていってほしくはありません。葉柱殿にしてみても、放浪癖の一端は、大将を賊徒に引き留める策でしょう。まぁ、ご本人の気性に因るところのほうが大きいでしょうが」
 言ってくすり笑い、銀の眼差し遠くを見やる。
「賊徒の誰もがあの人に『葉柱』の名を望むのは、その名を背負う限り、あの人は必ず賊徒に帰ってくると、みんなが信じているからなんですよ」
 彼の人の真摯な望み叶えたくもあり、離れるは身を切らるるよに辛くもあり。せめて賊徒の名、葉柱の名、いずこの空の下にあろうとも、背負い誇りと笑ってくれたなら、いかばかりか救われよう。
 ことあらば必ず帰ると誓ってくれたのなら、どれほど心慰め、安堵抱けよう。
「ですからね、皇子、もうひとつ約束致しましょう」
 どのようなと首かしげ促したゾロに、返る銀の笑み、淋しさ振り払い、ほんのわずかに悪巧みめいて。

 今もありあり思い出される。

「……結局、あの後あいつも顔見せなかったからな……」
「ん? あいつって、銀か?」
 無意識の呟き耳に留め、問う男――葉柱に、ゾロはくすり笑い。
「ああ。約束してたんだ」
「ほぅ、どんな?」
 あいつのことだ、ろくでもない悪さを教えようとでもしたのじゃあるまいなと、わずかに眉ひそめるから、ゾロの笑み深くなる。
「そいつは内緒だ。知りたきゃ銀に聞けよ」
 銀の誓い、葉柱襲名の報に叶えられたるを知り。出奔の報伝え聞きたる折、銀よりの沙汰なきは今ひとつの約定果たすに価せぬ証と、一欠片の落胆と溢るるばかりの安堵、祝福、胸の奥にて噛み締めた。

『あの人が主と定めた相手だろうと、我らが認められぬ御仁では遺恨が残るというものでしょう? ですからね、皇子、そのときにはご一緒に……』

 耳打ちに笑ってうなずいたは本心からなれど、いざ沙汰なく過ぎれば、安堵のほうが深かった。
 葉柱の忠誠、あれほど一心に捧げられたる者、生半なまなかな人物であろうはずもなしと、銀とて思うてもいたであろう。けれどもやはり、口惜しさは拭い去れぬゆえの、戯れ言めいた約定。

『嫌がらせのひとつやふたつ、受けていただかなければね』

 悪巧み悪戯の加担、仮にも高位の皇子に対し持ちかける豪胆さは、ともすればゾロ自身の落胆晴らす方便であったかもしれぬ。まだ幼き我が身を思い遣っての約定ではなかったか。
 それに思いいたったは、いくらか月日が過ぎてのこと。
 人の言葉の裏を読むのはいまだ難儀なれども、必ずしも悪意隠れたるわけではなきこと気づかされた。それに感謝を抱けるようになれた我が身を思えば、自分も成長したのであろうかと、ゾロは少しばかり気恥ずかしさ抱く。
 ついでふと気になったは、葉柱の一声。不安覚えて思わずの上目遣い。
「なぁ、俺は、変わったように見えるか……?」
 約定たがえた覚えはないが、自身のことほどわからぬもの。葉柱の目には、あのころと異なる自身が見えているやもしれぬ。
「変わった……と言えなくもねぇな」
 葉柱の浮かべた小さき笑み、どこか揶揄の色漂わせるも、ゾロは気づかず落胆に眉ひそめる。
「なんて言うか、こう……色気が出た気がするぜ」
 己の知る童子の姿に、誰かを恋い慕いての愁い顔などなきゆえと、喉震わせて忍び笑う。刹那、言葉の意わかりかね、首をひねった次の瞬間には、ゾロの顔、盛大に赤く染まった。
「なっ、なに馬鹿なこと言ってやがんだ!」
 かような情けなき顔いつさらしたと食ってかかれば、こらえきれぬと声上げ葉柱は笑う。
 なにも悪いことではあるまい、成長の証よめでたいではないかと、笑う声はいかにも楽しげ。ゾロが怒るほどその笑み深くなる。
「そういうあんたはどうなんだよ。主って奴と一緒なんだろ?」
 すなわち、主が所望する強さをその身に備えた証であろう。ゾロは言い、不敵な笑み浮かべてみせた。
 姿形変わらぬは、互いに神仙なれば当然やもしれぬが、実のところ、ゾロにしてみれば不満がなきにしもあらず。
 葉柱との年の差百五十足らずと聞く。であれば初めて逢うた折の葉柱の年齢は、今のゾロと変わりなきはず。しかしながらゾロの姿は当時のまま、竜宮へと連れられてより今の今まで、身の丈一寸と変化なく、今も変わらぬ童子の姿である。
 強きを望むは同じこと、しかしてこの差はなんなのだ。釈然とせぬのはしかたなかろう。
 だが、それをさて置いても葉柱の腕前気になるのは、ゾロの性分と言うべきか。先までの憂いも、軽んずべからざる相手との手合わせ思い描けば、心の奥底追いやられる。
 百四十年前にはしてやられたが、今ならばそうはいかぬ。鍛練欠かさず培った腕、当時の葉柱越えている自負はある。
 血気盛る瞳、期待に燃やし早くも手を疼かせれば、葉柱も以前と同じよに快諾するかと思いきや、眉根寄せて逡巡たたえるから腑に落ちぬ。
「カッ! あー、くそっ。搦め手なんてのは俺の性分じゃねぇんだよ」
 眉尻下げた困り顔は以前と変わらぬものではあれど、こたびばかりは本心より困り果てているよに見える。
「あのよ、せっかく誓い通りに再会を果たせたってのに、こんな頼みもなんなんだが……」
「なんだよ、なんか厄介事か?」
 たしかに厄介なことには違いあるまいよと溜息混じり苦笑し、葉柱、意を決した面持ちで言うことには。

「悪いが、その……人質になってくんねぇ?」