「お師匠様と呼べって言ってるだろうが」
低い声音飄々と。どこか呑気なまでに場違いな。
震えながら頭めぐらせ見やった先に、見るも悠然、口元に皮肉げな笑みまで浮かべ。煙管くゆらせて、ふらりたたずむ道士の、見慣れた黒衣。
ゾロの顔に途端広がる歓喜の色。気づき慌てて眉根を寄せる。
「遅ぇんだよ、色惚け道士」
掠れる声音に安堵の響き混じらぬよう、ゾロはことさら憮然と吐き捨てる。
「ほうほう、寵童助けんと死にに来たか。大した師弟愛だな、色男殿。ここで会えたは千載一隅。ここな美童とともに嬲り尽くし、仲良う喰らってやろう」
「あいにく、てめぇは俺の好みじゃねぇな。だが、お目に掛かれたのは嬉しいねぇ、クソ野郎。一月半ものらくらと姿隠しやがって。やっと仕事が終えられる」
秀麗な顔に浮かぶは、斜にかまえた皮肉な笑み。纏う空気は穏やかなことこの上なく。瞳をついと細めて、語る声音も淡々と。
それがなにより怖いのだとは、胸の内だけで呟いて。ゾロはままならぬ体よじり、剣呑な唸り声上げた。
「サンジ! ぐだぐだ喋ってる暇があったら、さっさと封印解けっ」
「せっかちな公子(若君)だ。こんな木っ端妖魔に焦ることもねぇだろうに。ま、いいか」
「木っ端妖魔とぬかすか、優男。師弟揃って口の減らん輩よ」
気色ばむ蝦蟇など頓着せず、泰然としたまま煙管の灰とんと落とし。サンジと呼ばれた美貌の道士、白い指先二本、すいと眼前にかざした。
口中でなにやら唱え、立てた指先、横一線に薙ぎ払う。
「あ……っ」
忽如として跳ねのけぞるゾロの小柄な体躯。時を置かずうずくまるように背を丸める。
ちりんと音立て耳元で、ふわり浮き上がった三連の金細工。内の一つ輝き鈍り、ゾロの体が燐光放つ。
「なにっ!?」
驚き瞠目する蝦蟇の眼前。ゆらり、ゾロは立ち上がった。
浅く陽に灼けた肌。幼さ残る端麗な顔立ち。剛い意思持つ眼光もそのままに。薄く笑み浮かべる翠の瞳。その深く艶やかなこと、極上の翡翠の如し。鮮やかな若草色の髪に映える。
うろたえ後ずさる蝦蟇の目前、翡翠の瞳ふと伏せられ。次いで三度現れた双眸を、なんと言い表せばよかろうか。
血の雫集め固めたかの如き、類稀なる紅玉よりも、その瞳の赫、なお深く。まさに赫灼とした苛烈な光放つ様、至高の宝玉をも遥かに凌ぐ。
「俺を喰らうと言ったな、木っ端妖魔。喰えるもんなら喰ってみろ。神仙喰らえばその命、百や二百はゆうに延びるぞ」
唇つり上げ浮かべる笑み、童子とは思えぬほど、凄絶なまでに艶麗。凜と伸ばす背も潔く。
光輝放つかのようなその姿、人とは到底思われぬ。
「小僧、貴様何者だ!?」
「何者ってほどのもんじゃねぇが、名前ぐらいは教えてやるよ。東海のゾロだ。そこの阿呆道士の稚児ではないことだけはたしかだな」
「おい、俺様ほどの天才に対して阿呆とはなんだ、クソ竜子」
「誰が天才だ、仙にはなれなかったくせに。大体、竜子って言うなっ。てめぇが言うと蜥蜴扱いされてる気がする」
「おやま、察しのいいことで」
「てめぇなぁ……色惚けの阿呆道士がっ。この小物始末したら、てめぇもぶった斬ってやるからな、覚悟しとけ!」
言葉通り喰うか喰われるか、命かけた場であるはずが、飛び交う会話は呑気な見せ物めいて。
緊張感など、欠片もない。
そんな二人とはうらはらに、いいようにゾロを翻弄していたはずの蝦蟇はと言えば、今や喘ぐように大口開閉させながら、巨体震わせゾロを凝視する有り様。
だが、さすがは三百年生きたと言うべきか。早立ち直ると、蝦蟇は醜い顔に再び侮り滲む笑み浮べた。
「東海のゾロだと? 確かにその形、いずれどこかの神仙妖魔に違いなかろうが、大きく出たものだな、小僧。ゾロといえば剣聖と名高い彼の四海竜王が長、東海竜王殿の寵愛いちじるしい末の皇子の名ではないか。神仙の中でも位高き皇子が、かような場所におるわけなかろう。それを知らずお前如き小童が名を騙るとは、不遜極まりないわ。この場で俺が退治れば、竜王殿の覚えめでたく、力増す足掛かりも得ようというもの。ますます生かしてはおけんな」
「へぇ、意外と有名だな、お前。まぁ、しょせんは親の七光りだけどな」
蝦蟇の勝ち誇るような言葉、いとも呑気に受け流し、サンジはゆったり紫煙を吐いた。
「……ふん、いずれは親父なんて関係なく、俺自身の名を天地に轟かせてやらぁ」
揶揄の言葉にむすりと顔しかめ、憮然とゾロは言い放つ。
それを見やるサンジの顔には、言葉とうらはら、先とは異なる愛し子見守るかの如き、和かな笑み。
ゾロは不機嫌そうに、サンジの笑みから眼差し逸らす。だが、頬にほのかに散った朱までは隠せはせぬ。サンジの笑みは深まるばかり。
「それじゃ、この小物の始末は未来の大剣豪に任せるか」
ふわり紫煙ただよわせ、サンジは笑んだ瞳を丸きり忘れ去られた蝦蟇へと向け直し、ついと唇の端皮肉げにつり上げた。
「悪業のわりには運のいい奴だ、てめぇの相手は不肖の弟子がするってよ。こいつは、どんなに腹を立ててもいたぶり殺すような真似はしねぇからな。さして苦しまずに死ねるってもんだ」
不肖だ弟子だは余計だと喚くゾロと、軽くそれをいなして笑うサンジを前に、治まり着かぬは蝦蟇である。
先ほどからの二人の言い様、蝦蟇の矜恃を傷つけてあまりある上、より力欲する欲もある。
たかだか一介の道士風情のそのまた弟子の、小生意気な童子如きが、よもや真実竜王が皇子だなどとは思えるわけもなし。はったりぬかすも大概にしろとばかり、太った体、怒気にますます膨らます。
「戯言は聞き飽きたわ! 師弟揃ってとんだ道化者とはいえ、その美貌。泣いて縋ればともに可愛がってやらぬではないものを。かくなる上は精魂果てるまで嬲り尽くし、生かしたままで喰ろうてやるから、覚悟せい!」
「てめぇのくだらねぇ口上こそ、いい加減聞き飽きたぜ。来な。その膨れた腹、かっさばいてやる」
かまえた剣先蝦蟇へと据えて、ゾロはゆるり唇つり上げる。
「痴れたことを!」
高く掲げた青竜刀、振り下ろす斬圧凄まじく。軽やかに飛びのくゾロの足元、地が割れた。
瞬時返したゾロの剣撃もまた、蝦蟇の足元砕き。飛び散る砂土、轟く怒号。疾風の如きゾロの剣、剛毅にして娟々たること、燃え盛る炎の乱舞に似て。
かなわぬ。
斬り合うこと、わずか数合。蝦蟇はゾロの剣受け痺れる腕かろううじてこらえ、ぐぅと呻いた。