・無惨との初対面時。
外観からは普通のビジネスビルにしか見えなかったが、やはりここは裏社会に属する場所なのだなと、義勇はさしたる感慨もなく思った。
高校生の時に少年刑務所入りして五年。会社勤めなどしたことのない義勇にも、このビルの最上階には違和感を感じずにはいられなかった。
最上階まで直通のエレベーターは鍵付き。幾つも設置された防犯カメラ。居並ぶドアの多さは何事か。おそらくは、幾つかのドアはダミーだろう。間隔がおかしい。
だが、違和感があるからと言って、それを怖いとは思わなかった。
殺人の前科がある義勇を雇い入れ、しかも多額の給金を約束するという。契約金まで支払うと言われた時には、失笑するのを堪えるのに苦労したものだ。
自分如きにそこまでの条件を提示する理由は分からない。だが、まともでないことだけは確かだ。それを承知して義勇はここにいる。今更怯えも浮かばなかった。
俺がどこへ堕ちようとも、得る金に罪はない。
錆兎の家が。錆兎の愛する少女が。温和で思い遣り深い老爺が。そして、明るく温かい笑みを浮かべる子供が、救われるのならそれでいい。手に入れる手段はどうあれ、自分が送る金は正しく使われるだろう。それだけでいいと、義勇は胸のうちで呟いた。
（略）
怖い。そんな言葉が浮かんだことに、義勇は更に怯えが深まる自分を感じた。
姉を死に追いやった腐りきった奴らを殺した時も、数名に囲まれ身体を抑えつけられた時にも、刑務官にトイレに連れ込まれた時だって、怖いとは思わなかった。
ナイフを翳した時には怒りが心を占めていたし、凌辱されることには諦めと、僅かばかりの安堵すらあった。己の罪への罰だと思えば、痛みや尊厳を踏みにじられることすら怖いとは思わなかったというのに。
目の前で薄く笑うこの男が、ただ、怖い。
青年と呼んでいい年頃の男の顔は秀麗で、荒事に向くとは到底思えぬ見た目だ。街中ですれ違ったところで怯えることなどないだろう。
だが、この場で義勇を冷ややかに見据えるその瞳は、底知れぬ闇を感じさせた。毒々しいほどに赤い瞳。地獄の血の池とは、もしかしたらこんな色をしているのかもしれないと、心の片隅で思った。
「やっと来たか……」
傲慢な声が室内に響いた。冷たい声音は少しばかり笑ってもいるようだ。
「行け。用があれば呼ぶ」
視線を義勇に据えたまま言った男に、義勇の後ろに控えていた老人が卑屈な声で応えを返し、部屋を出ていく。
待ってくれ。こいつと二人きりにしないでくれ。
そんな言葉は声にはならなかった。衝動的に逃げ出したくなる足を懸命に抑え込む。震えを止めることはできなかった。
男が立ち上がった。ゆっくりと近づいてくる男は、長身ではあるが体の線は細い。だからと言って義勇の怯えが消えることはなかった。
この男の底知れぬ恐ろしさは、物理的な暴力を想起させるからではない。
これは闇だ。人を飲み込み、決して逃がさぬ暗黒だ。人が本能的に恐れる闇そのものが、人の形を取りここにいる。そんな馬鹿げた感想が、心から消えない。
「ふん、しかたのないことだが、みすぼらしいな」
男の白い手が義勇の短い髪に差し込まれた。びくりと震えあがった義勇は、けれど同時に、己の役割を悟らずにいられなかった。
同じだ。ここでも同じなのだ。
ならば耐えられる。もう、慣れてる。
「髪は伸ばせ。身形も整えねばならんな。後で仕立てさせよう」
長い指が耳を擽り、頬を撫でるのを、義勇は目をきつく閉じ耐えた。
クッ、と咽喉の奥で忍び笑う声がした。
「来い。今日から私がお前の持ち主だ。お前は私の美しい人形。可愛がってほしければ、良い子にしておいで……義勇」
自分の名を、こんなにも厭うた日はない。
（略）
痛みには慣れていた。道具の如く扱われる悔しさも、罰だと思えば耐えられた。だが。
「や、だっ！ そこ、やめ……っ!!」
砂粒ほどの安堵はもうない。自分の意思に反し湧きあがる快楽が辛い。
「いい声だ。だが、拒絶はいただけないな」
体内で息づく悦楽の根幹に、また無惨の指が触れた。押し潰す指先に容赦はなく、細く上がった自分の悲鳴に、認めたくない媚が滲むのに義勇の目からまた涙が散った。
道具なら道具らしく扱ってくれと、懇願してしまいたい。痛みだけでいい。快楽や達する為の愛撫などいらない。こちらの苦痛など考慮せずに突っ込まれ揺さぶり尽くされ、汚らしい欲望をぶちまけられる。そんな拷問でしかない行為しか、義勇は知らない。知らなかった。
なのに無惨は自身の欲よりも、義勇を善がらせ絶頂に導かせることだけに執心しているようだ。何度も吐き出させられた白濁は、義勇の肌を穢していく。どれほどの時間こんなことを繰り返されているのか。窓の存在しないこの部屋では、夜になっているのかすら分からなかった。
必死に頭を振り熱を逃がそうとするが許されず、強く顎を掴まれ、合わされた唇のあわいから差し込まれた舌に、淫らな苦鳴を飲み込まれる。
肌で乾いた最初の欲液が、義勇の腰が捻られるのに合わせてパラパラとはげ落ちた。それを許さぬと言わんばかりに更に絶頂を強要され、新たなぬめりを肌に塗りこめられた。
穢れを一つも逃すことなく身に纏え。そう命じられているのだと思った。
「やはり、髪は長い方がいいな。漆黒の髪を振り乱すお前はきっと見事だ。伸ばせ。いいな？」
耳元で命じる声に、義勇は必死に頷いた。もうなんだっていい。早く突っ込んでくれ。好き勝手に動き回り、終わらせてくれ。声にならないそんな懇願に応えるかのように、義勇の背にのしかかっていた無惨の体が離れた。
カチャカチャという小さな金属音に、ホッとして首を巡らせ見れば、取り出された無惨の赤黒い逸物がぬめりを帯びて聳えていた。
無惨の衣服に乱れたところはなく、欲望の塊だけを露出した姿を滑稽だと微かに思う。
義勇の頭の片隅で嘲笑が響く。嘲笑は幾ばくかの安堵を湛えていた。
所詮はこの男も、自らの欲望を晴らしたいだけの俗物だ。発情し腰を振る獣と変わらない。
義勇の濡れた瞳に過ったそんな嘲りは、すぐに掻き消えることになった。
「や…ぁ、あ、あ、も、やぁ……やだぁ」
高みへ押し上げ果てさせる為の無惨の動きに、掠れた嬌声が絶えず自分の口から出るのを、義勇は絶望と共に聞いていた。
もはや硬く強張ることを忘れた義勇の男の象徴は、震える脚の間で力なく揺れるばかりだ。だというのに、絶頂はやまない。それが信じられなかった。
全身を悦楽に沈められ溺れる。息もできない。身体を支える力などもう何処にもなく、頭をシーツにこすりつけ、高く掲げられた腰が解放されることをただ願う。
喘ぐことすらもうままならず、うわ言のように嫌だと繰り返すことしか出来なかった。そんな義勇に無惨は笑ったようだ。
「まったく強情な子だ。そろそろ嫌だは聞き飽きたぞ。言うべき言葉は、もう分かっているだろう？ 義勇。──言え」
無惨の声には興奮の乱れはない。どこまでも声音は冷えて威圧的だ。
地獄の王が、扉の向こうで笑っている。自分の手で扉を開けろと笑う。
義勇は乾いた咽喉から声を絞り出した。微かな血の味。喘ぎ過ぎると咽喉が切れるのかと、遠い場所でぼんやりと思う。
「気持ち、イ……も、っと……して」
掠れ切った己の声に、地獄の扉が開く軋みのようだと思った。
・むざぎゆお仕置きエロ（※拷問的なシーンを含みます。また、作中の白粉彫りはフィクションです。実際には存在しないことをご了承ください）
無惨が用意した緋襦袢を身にまとい、義勇は静かにドアを開けた。この世の誰よりも憎い男に抱かれるために、自ら身を清め、屈辱に耐えつつ自分の手で抱かれるための準備を施す。いつもながら、なんて馬鹿馬鹿しい話だろう。
けれども、浮かびかけた自嘲の笑みは、無惨が腰かけたベッドの傍らに立つ男の姿に、瞬時に露と消えた。
ベッドサイドに並べられた針が、明かりを弾いて銀色に煌めくのに、義勇の顔から血の気が一気に引く。覚え込まされた痛みの記憶に、ガクガクと手足が震えるのを抑えきれない。
縋るようにベッドに悠然と座っている無惨へと視線を投げるが、逃げられないことは分かっていた。
それでも、願わずにはいられない。今日はやめておこうと、無惨が気紛れにでも言ってくれることを。
けれど、そんな願いはけっしてかなわぬことも重々承知している。立ちすくむ義勇に、無惨はいっそ穏やかとさえ言える笑みを浮かべて言った。
「そろそろ彫り直しをしなければな。なぁ、義勇？」
「……聞いて、ない」
思わずつぶやいた声が、みっともないほどに震える。知らず懇願の響きをたたえた義勇の声に、無惨は僅かに眉を上げただけだった。秀麗な顔に浮かんだ笑みは崩れることがない。
「教える必要などないだろう。それとも、私が決めたことに逆らうとでも？」
浮かぶ笑みも語る声も、優しげとすら言っていいほどなのに、決して逆らうことを許さぬ圧力を感じずにはいられなかった。
反発や嫌悪は義勇の胸の奥底に常にある。無惨も常ならばそれを楽しんでいるふしが見受けられた。
大概は、義勇の抵抗や不服従を子猫の甘噛み程度にしか思わぬのか、鷹揚に受け流す無惨だが、それでも時折こんな風に、義勇をいたぶり尽くす日がある。
「早く来い」
優しく冷たい声が命じる。
断頭台の刃が落ちる音は、こんな音なのだろう。思いながらも逃げることは許されず、よろけそうになりながらも一歩踏み出した義勇の足が「義勇？」という、無惨の僅かに威圧感を深めた声に止まった。
呼びかけひとつで、命令の意を悟り、絶望が義勇の身を飲みこんでいく。
無言のまま佇んでいる男に、ちらりと視線をやった。義勇に輪をかけ無口なその男――無惨のお眼鏡にかなった彫り師は、じっと立っているだけだ。
震える手で緋襦袢の帯に手をかけ、義勇はゆっくりとそれを脱いでいった。
無惨の視線にさらされながら、パサリとまとう布地を床に落とし、結んだ髪をほどく。ほんの僅かに動かされた顎先での指図に従い、義勇は髪をかき上げながら無惨に背を向けた。用心深い無惨は、いつ頃からかこんな風に、ことに及ぶ前に義勇の身を検分するようになった。
人を殺すのに、大それた武器など必要ない。たとえばボールペン一本でさえ、使いようによっては人の命を奪うことができるのだ。人を害することに慣れた義勇を、無惨も警戒しているのだろう。
いや、警戒のふりで、辱めることを楽しんでいるのか。
いずれにせよ、義勇は命じられるままに、暗器など持ちあわせていないことを示すよりほかない。
結ばれていた髪のなかには、なにも仕込んでなどいないと証明したら、それで終わりというわけではなかった。
ここまでは、まだいい。彫り師に背の刺青を見せる時は、常に全裸である。肌を見せるだけなら、羞恥などもはや消えた。
けれども、この先は。
義勇は、僅かに振り向き、再び彫り師を見た。義勇の切願など届くわけもなく、彫り師は彫像のように佇んでいる。せめて、視線をそらせてほしいと思っても、口にすればさらに無惨の不興を買うだろう。
いや、その懇願が無惨に向けたものならば、あるいは。
微かな望みを託して、ちらりと無惨の様子をうかがった義勇の瞳が映したものは、無惨の美しい笑みだった。
サタンの前身は、天上で最も美しかった天使なのだという。無惨の美しさは、邪悪ゆえに完成された美だ。一見穏やかで優しげにすら見える笑みこそが、空恐ろしい。
「なにをしている？ いつものように証明してみせろ」
楽しげにも聞こえる声が命じる。とうとう義勇は膝をついた。けれども、その先へ進むことには言いようのない羞恥が邪魔をして、動けなかった。
犬のように惨めに這いつくばる義勇の肌が、うっすらと汗ばんでいく。心のなかは覚えた痛みに怯え、シンと冷えていくのに、総身を焼く屈辱は義勇の肌に熱をともす。
怯む様などこの男に見せたくはない。だが、そんな矜持などなんの役にも立たぬことも、重々この身で知っていた。
「見せたくないのか？ なにか隠し持っているのかな？」
冷ややかな問いかけに、ギクリと体が強張った。必死に首を振る。
「……ほかの、奴には……嫌だ」
ようよう口にした言葉は、反吐が出そうなほどに媚を含んでいた。
世の中で最も忌み嫌う男に媚びへつらうように、震える声に甘えをにじませ懇願する。惨めさに涙が出そうだ。
義勇の言葉は、無惨の意にかなうものだったのだろう。悪魔のように美しい顔をゆるませ、くつくつと機嫌よさげに笑う。だが、発せられた言葉は義勇の僅かな期待を裏切り、無慈悲な命令でしかなかった。
「可愛いことを言う。だが、私に逆らうのはいただけないな、義勇。誰がいようと、私が命じたなら従えと教えた筈だが？」
駄々っ子に言い聞かせるような声は、穏やかで、楽しげですらある。けれども、逆らえぬ冷ややかさを湛えていた。
目に見えぬ手に抑えつけられるように、義勇の頭が下げられる。肘を折り、床に額をこすりつけるような体勢をとり、高く腰をかかげた。
逃れられないのなら、早くこの屈辱にまみれた時間が過ぎるよう、唯々諾々と従うよりほかない。
それでも、廉恥を捨てて己の尻をつかみ広げる手は、情けないほどに震えた。
外気に晒された恥部が、義勇の意思とは関係なく小さくひくつく。無惨の指示通りに己の手で準備を施したそこから、とろりと潤滑剤が零れ落ちる感触に、胸の奥がきしみを上げた。
「奥まで見せろと、何度言えばわかる？」
もう逆らう気力すらなく、義勇は自らの指で、無惨の視線に己の陰道までをさらけ出す。小刻みに痙攣する恥部の、奥深くまで見通せるわけもない。暗器を仕込んでいるなど、無惨とて思ってはいないだろうに。それでも無惨は、飽きもせずこうして義勇を検分し、義勇の心を切り刻む。
せめて、そこにそそがれる視線が無惨のものだけであればいい。彫り師だって、こんな馬鹿げて醜悪な男の痴態など、見せられたくはないだろう。
結局のところ、義勇も男も同類なのだ。無惨の命令に逆らう術を持たぬ、ただの使い勝手のいい道具であり玩具である。
これから自分に苦痛を与える男に対して、憐みとも、連帯感とも言っていいような感慨をいだく自分に、義勇は鬱屈した笑みを浮かべそうになった。
こんな忌むべきポーズに、ただひとつ利点があるとすれば、自分の表情を見られないことぐらいだろう。
いっそ、こうまでしなければ安心できないのかと、臆病者めと、無惨を嘲笑ってやりたい。けれども、そんな嘲笑が義勇の顔に浮かぶことはなかった。義勇の端麗な顔に浮かぶのは、そんな臆病者の仕打ちにこそ怯える自分への、例えようもない卑下をたたえた蔑みだった。
（略）
針を束ねた鑿が、肌に食い込む。義勇の喉がぐぅっと鳴って、額に浮かんだ汗がしたたり落ちた。
体を突き刺す針の痛みだけならば、堪えきれぬでもない。だが、墨を使わず水だけで彫り進められる白粉彫りは、幾度も、幾度も、同じ個所に針を刺して描かれる。針の数も多い。血のにじむ傷口が乾く間もなく、針の束は突き刺さり、えぐるように肌を引っかけて突き上げられる。そのたび走る激痛は、いつ果てるとも知れなかった。
義勇のわき腹から背中一面に施された図案は、刺青には珍しく彼岸花のみだ。墨を入れぬぶん、濃淡は傷口の深さに頼るよりなく、濃い色味を求められる箇所にいたっては、何度針を突き立てられたかわからない。
無惨の目の前でこの背に初めて彼岸花を背負ったその日は、気の遠くなるような痛みの連続に、義勇は失神しかけたものだった。無惨から命じられていたのだろう。義勇が気を失いかけるたび、彫り師はより深く針を刺し、長時間続いた痛みに朦朧とした義勇を、無惨はその日にかぎってひどく丁寧に抱いた。
とはいえ、燃え上がるような熱を伝える背を揺らせながら剛直に刺し貫かれる苦しさは、労わるようにじっくりと時間をかけられるぶん、苦痛を増すものでしかなかったが。
無惨もそれは承知の上だっただろう。色を差し込まぬ白粉彫りは、一般的な刺青よりも頻繁な手入れが必要だ。義勇は白粉彫りに向くとは言いがたい体質であるようで、彫られた線が薄れるたびに、塞がった傷をふたたび針で切り裂かれ、彼岸花が鮮やかな深紅に染まるまで耐えがたい苦痛に苛まれることになる。
義勇の血の色で描かれた緋色の花を、無惨は殊の外気に入っているようだった。僅かにでも色あせることを許さない。そして、その花が髪一筋ほどでも傷つくこともまた、義勇に禁じるほどだった。
「締めつけ過ぎだ。そんなに気持ちいいのか？」
パチンとどこか間の抜けた音をたてて義勇の尻を叩いた無惨は、顔をしかめてはいるが、声はどこまでも楽しげだ。否と首を振りたくりたくなるのを、義勇は懸命に堪えた。身動きは禁じられている。針先がぶれ、彼岸花が損なわれれば、無惨の激昂に晒される羽目になる。
だから義勇は、答える代わりに無惨の首に縋りつく腕に力を込めた。
対面座位で刺し貫かれながら、背に針を突き刺される。もはや拷問でしかない性交は、痛みも快楽も地獄としか言いようがなかった。
痛みに萎えることを許されず、愛撫されながら気持ちがいいだろうと耳元で繰り返されるたび、義勇の意思とは裏腹に、痛みを快楽へと脳がすり替えていく。もはや洗脳だ。
いっそ痛みだけでいい。気が狂いそうな激痛でかまわない。願っても、覚え込まされた快楽に体は勝手に悦び、浅ましく無惨の剛直を食んだ。
一体いつまでこんな状態でいなければならないのか。手入れにかかる時間は、常ならば数時間に及ぶ。まさか無惨もそんな長時間このままでいるつもりはないだろうと思いはするが、この男のすることは、義勇に楽観を許さない。
「あ、あ、動かす、な……っ」
「おまえのここは、そうは言ってないぞ？ 締めつけながら中に誘い込もうとして……健気なことだ」
忍び笑いながら言う無惨は、いつものように突き上げてこない代わりに、体の内で熱棒をピクピクと蠢かす。その些細な動きに、強い刺激を求めていることを実感させられる。
足りない。足りない。いつものように突き上げ、掻き混ぜ、自我を壊し尽くすほど犯してほしい。なのに、それを与えてくれるはずの灼熱の陰棒は、独立した生き物であるかのようにビクリビクリと時折息衝き存在を主張するだけで、けっしていつものように義勇の内臓を擦りたててはくれない。
そんなことを望むこと自体、耐えがたく、心は恥辱にまみれ死にたいほどだというのに、体は悦びに打ち震え、もっと、もっとと、浅ましく先を望んでいる。
気が、狂いそうだ。
あぁ、いっそ狂ってしまいたい。無惨の欲を受けとめるだけの人形になってしまえたら、どれだけ楽だろう。けれど、それを望まぬ自分もまた、いるのだ。
決して許されぬ罪を背負い、落ちぶれ男たちの陰欲にまみれても、人でありたいと願ってしまう。人でありたいから、ここに来た。
約束、したんだ。だから。
狂うことも許されず、逃げ出すことも選べない。
誰と交わした約束なのかすら、もう、思い出せないけれど……。それでも、確かに、約束したんだ。
それだけが、義勇を生かすよすがだった。
針が突き刺さる。背中が燃えたつ。顎をつかまれ、上げさせられた視線が、無惨の赤い瞳をとらえた。
毒々しい、彼岸花の赤が、嗤っている。血の色。地獄の猛火の色。義勇を捕らえ、苛むその赤に、痛みと快楽にゆすぶられる脳髄の片隅で、おぼろに浮かんだ温かな色は、なんだったのか。
刹那の疑問は、幻のように、すぐに消えた。