林檎甘いか酸っぱいか

「大荷物になってしまったな!」
 快活に笑う煉獄の両手は、山ほどの野菜が盛られた籠でふさがっている。空はぶ厚い雲で覆われているが、煉獄の笑みはどこまでも明るい。
 傍らを歩く冨岡の両手にも、野菜の山があった。吐く息は二人とも白い。そろそろ雪が降り出しそうだ。
「こんなにいただいてしまうとは、かえって申し訳ないな」
 感謝の品を渡されるのはよくあることだが、今回は村中総出だ。山間の小さな農村である。命の恩人とはいえ農作物をこれほど寄越してしまえば、それなりに困りもするだろうに。思えども、なにとぞお受け取りくださいと伏し拝んで請われては、固辞するのもためらわれる。結局受け取ってしまった冬野菜の数々は、どれもこれも瑞々しい。大根、白菜、ほうれん草。白や緑に映える幾つかの林檎。千寿郎もさぞ腕の振るい甲斐があるだろう。
 とはいえ男三人の煉獄家ですら、消費しきるのに難儀しそうな量だ。一人住まいの冨岡はどうするんだろうと思っていれば、どこか途方に暮れた風情で冨岡がちらりと視線を向けてきた。
「やる」
「ふむ、では与ろう! 代わりに食べきるまで君は我が家で食事する、それでどうだ?」
 なんでそうなると言わんばかりの顔で凝視してくる冨岡に、カラカラと煉獄は笑った。
「せっかくの心尽くしだ! 俺にやっておしまいというわけにもいくまい?」
 せっせと話しかけた甲斐あって、そろそろ交誼と言っても差し支えないところまで親しくなれたと煉獄は思っているが、いまだ冨岡は一歩引いた様子を見せる。家に招くいい機会を得たと、煉獄は上機嫌になお笑う。
 煉獄から冨岡に向ける感情が好意から恋へと変化したのはいつだったか。自覚は早かったと思うが、なにがしかの発展があるかといえば否だ。冨岡との距離を詰めるきっかけを求めていた煉獄にとっては、渡りに船の展開だった。
「いい」
「よしっ、決まりだな!」
 迷惑だろうから遠慮する。きっと冨岡はそう言いたかったに違いないが、あえて煉獄は気づかぬふりを通した。多少強引にでも誘わねば、冨岡は遠慮してばかりだ。凪いだ瞳の奥にうれしげな色を浮かべても、小さく首を振って断ってくる。それはいかにも寂しかった。
「四人で食べれば腐らせることもあるまい! 君が来てくれると助かる!」
 善意の品を腐らせるのは冨岡も心苦しいのだろう。一瞬不機嫌そうに寄せた眉がほどけ、ため息をつく。
「……わかった」
「では善は急げだ! 小雪も降ってきたしな、早く帰ろう! あぁ、林檎ぐらいは君一人でも食べきれるだろう? 俺のぶんも持っていくといい」
 すべて千寿郎任せというのも気がとがめる。言えば冨岡も同様だったのか、少し考える素振りをしたが小さくうなずいた。
「全部はいらない」
 つややかに光る林檎は高価な珊瑚玉のように赤い。熟しきっていかにも甘そうだ。
「なら、野菜は俺の屋敷で、林檎は君の屋敷で食べるというのはどうだ? 我が家では千寿郎が皮を剥くだけでも大変そうだしな」
 林檎の収穫時期は過ぎているせいか、数は多くない。大食漢の煉獄ならば一度に食べきってしまえるだろう。冨岡とてそれは承知しているはずだが、指摘するどころか冨岡は、わずかな逡巡の末にうなずきすらした。
 色白な冨岡の肌はちらつく雪に似ている。けれどもかすかに覗いた耳や鼻先は、林檎の色に染まっていた。惹かれるままに煉獄は思わず顔を寄せた。
 チュッと軽く吸った冨岡の鼻先は冷たかった。
「なに、を」
「味見をと思ってな」
 呆然とする冨岡の顔が、鼻先と変わらぬ色に染まっていく。深く澄んだ瑠璃の瞳の奥に、煉獄と同じ想いがほの見えた気がした。気のせいだとか思い違いではあるまい。煉獄ほどには熟していない想いだろうと、冨岡の胸にも恋は芽吹いているはずだ。きっかけ一つできっと花開き熟す。
 籠の上からころりと転がり落ちそうな林檎は、熟しきって赤く、いかにも甘いよと訴えかけてきている。
 さて、絶句し林檎と同じ色に染まった冨岡の肌は、どれだけ甘かろう。冷たい鼻先と同じく冷えた白い肌が赤く熱く染まる様を、煉獄はきっと間もなく目にできるはずだ。
 きっかけを掴んだのなら、もう離さない。熟した林檎より甘酸っぱい恋の味を、さぁ、二人で味わい尽くそうか。