戦いが終わって平穏に暮らせるようになってから、義勇さんは日頃、書生のような恰好をするようになった。
洋装では片腕であるのがどうにも目立つし、仕方なしというのが正直なところらしい。俺もそうだけれども、片腕だと洋装のほうが断然楽ではある。ひとりで着替えるのは帯を巻くだけでも一苦労だ。袴なんていったら、帯を巻いてさらに袴の紐を結んでと、時間がかかることこの上ない。
それでも書生さんみたいな服装で過ごすのは、人目を気にしてのことのようだった。
人にじろじろと見られるのが嫌なわけじゃなく、見ていて気持ちのいいものでもないだろうと言うのが、義勇さんの弁だ。らしいと言えば義勇さんらしい。
俺は元々山で着ていた野良着に股引が常で、ふたりともお洒落にはとんと縁がない。派手好きで洒落者な宇髄さんからすると、もうちっと着るもんに気を使えやと苦虫を噛み潰したようになるふたり連れに見えるみたいだけれども、楽が一番。贅沢するのもお互い性に合わない。
とはいえ、たまに義勇さんは勝手に散財をすることがある。
大概は、禰豆子たちに送る服やら菓子、宇髄さんちに生まれたおチビちゃんへの玩具だけど、それなら俺も文句は言わない。でも、相談なしに「これ、必要ですか?」と聞きたくなるようなものを買ってこられると、俺だってちょっと困る。特に、身につけるものに関しては、洒落めかして出かけるあてもなく、狭い長屋暮らしじゃしまいこむ場所だってありゃしない。
で、今回も、思わず呆気にとられる買い物を義勇さんはしてきたわけだけれども。
「義勇さん、うちの番傘はまだちゃんと使えます」
「……きれいだったし」
「はい、視線そらさない。ちゃんとこっち見る!」
正座して向かいあい、義勇さんにお説教するなんて、出逢ったころには到底考えられない状況だ。でもふたりで暮らすようになってからは、ときどきこういうことはある。変われば変わるものだ。
しょんぼりと肩を落としてうつむいた義勇さんは、甘えるみたいな上目遣いで見てくる。義勇さんは意外と甘え上手だ。子どものころはきっと、こんなふうにお姉さんに甘えていたんだろう。
長男の俺は、こういう目には滅法弱い。わかっててやってるだろ、この野郎と、甘やかしたくなるのをこらえて咳ばらいをひとつ。
「傘なんて何本もいらないじゃないですか。しかも、こんな高そうなの」
義勇さんの今回の無駄遣いは、一本の洋傘だ。持ち手は螺鈿細工で、確かにきれいな造りだけれども、絶対にお高いに決まっている。
ただでさえ番傘にくらべたら洋傘はべらぼうに高いっていうのに、まったく困った義勇さんだ。前にいきなり買ってきた腕時計にくらべれば、まだマシだけど。アレだけで米が何合買えるのかと思うと、ちょっとクラクラしたものだ。
「なんで傘?」
「……雨でも、少しは楽しくなるかと」
「楽しい?」
「買い物に行くのに、雨だといつもみたいに籠も持てないだろう?」
肩を落としたまま言われ、あぁ、と合点がいった。
夕暮れが近くなるとふたりで晩の買い物に行くのが、我が家の日課だ。買い物かごをふたりで持って、ブラブラと買い物して、散歩がてら寄り道して帰る。
でも、雨の日はそうもいかない。
お互い隻腕だから、傘を差してしまえば互いにそれきり。義勇さんが傘を差して、俺が籠を持つのが定番だ。寄り添って歩けるのはうれしいのだけれども、なんとなく寂しくもある。
畳に置かれた洋傘を手に取って、まじまじと見れば、朱塗りに桜の螺鈿細工の持ち手は、確かにとてもきれいで、値段を考えなければなんとはなしウキウキとする。
「雨でも、気持ちだけは晴れの日でと……」
しょんぼりと、叱られた子どもみたいな風情で義勇さんは言う。
なんだかもう、怒ってるのが馬鹿みたいで、思わず笑った。
この長雨で、桜ももう大分散っている。花散らしの雨のなか、桜の傘を持ってふたりで歩く。うん、悪くない。
「買い物、行きましょうか。この傘差して」
パッと顔をあげた義勇さんが、ホッとしたように笑う。外はだいぶ暗くなってきた。そろそろ買い物に出ないといけない。
桜雨が降るなかを、桜の傘を差して、ふたりで買い物。のんびりと。
着たきり雀な男ふたり、お洒落なんか縁のない暮らしだけれど。贅沢なんてできるほど、悠々自適な暮らしでもないけれども。
それでも、少しぐらいはいいじゃないか。うんざりする長雨でも、お日様みたいに笑ってふたりで歩けるのなら、気持ちだけは日本晴れ。
降っても、晴れても、隣であなたが笑うなら。