※『800文字で恋をする』で書いたお話のロングバージョンです。
「プレゼントください」
「は?」
いったいなんなんだ。ドアを開けた格好のまま、義勇の思考と体は停止した。
珍しい完全休養の朝。何カ月かぶりに惰眠を貪れると思いきや、連打されるチャイムに起こされ、ドアを開けたら大荷物を持って真剣な面持ちでプレゼントをねだる生徒。本当になんなんだ、これ。
「誕生日なんです」
「あぁ……今日は十四日か」
パチリとひとつまばたいたのを皮切りに、ようやく脳が再起動した。
生徒全員の誕生日を覚えているわけじゃない。さすがにそれは無理難題と言うものである。すぐに納得したのは、教師になる前から知っているからだ。
とはいえ、はいどうぞとプレゼントを渡せるわけでもない。
起き抜けからかなり疲れ切った気分だ。義勇は、知らずギュッと寄った眉間をもみながら、小さくため息をついた。
「竈門……あのな」
「あ、今日は幼馴染の炭治郎として、先生じゃない義勇さんにおねだりにきました!」
ハキハキとした声は、いつもながら気持ちがいい。が、休日の朝っぱら、安普請のアパートの廊下にはふさわしくない。端的に言えば、声が大きい。ぶっちゃけうるさい。
苦情まできてはかなわないと、少しあわて気味にとにかく入れと促せば、炭治郎はどこか緊張した面持ちで部屋に上がりこんだ。
「義勇さんの部屋、変わってないですね」
キョロキョロと部屋を見まわす炭治郎を招き、小さなローテーブルをはさんで向かい合う。おめでとうの一言で終わるのならいいが、プレゼントとは。さてどうしたものか。
義勇が教師になる前までなら、誕生日プレゼントぐらいおねだりされずとも毎年渡していた。逆もまたしかり。誕生日だけじゃない。クリスマスにだって、お互いプレゼントを交換しあったものだ。
以前まで姉と暮らしていたマンションが、炭治郎の家であるベーカリーと近かったこともあり、小さかった炭治郎には滅法懐かれていた。義勇にしても、無条件に懐いてくる炭治郎がかわいくてたまらず、高校ぐらいまでは友人と遊ぶよりも炭治郎を構っていた日のほうが多いぐらいだ。
だから年齢差はあれど、幼馴染という関係に異論はない。大学生になったのと同時に姉が結婚し家を出ることになったため、このアパートで独り暮らしをするようになったとはいえ、今もちょくちょくベーカリーに買い物にも行く。親しさや好意が目減りしたわけでもない。
だが、今は教師と生徒だ。プレゼントなど渡すのは依怙贔屓になるのではと思ったから、卒業するまで幼馴染は封印と言ってある。学校では呼び名も竈門に冨岡先生だ。
炭治郎も納得していたはずなのに、なにがあったんだろう。滅多にわがままを言わないだけでなく、炭治郎は、人に物をねだるような性格ではない。プレゼントが欲しいなど言われたのは、長いつきあいのなかでも初めてのことだ。
おまけに、やけに思い詰めたような面持ちとくれば、義勇も段々と心配になってくる。
なにか悩みでもあるのだろうか。立場的にも心情的にも力になってやりたいが、炭治郎は頑固で融通が利かない。意固地なまでにひとりで抱え込みがちでもある。
どう切り出せば炭治郎は素直に打ち明けてくれるだろう。胸中で目まぐるしく考えていた義勇が、解決策を見出すより早く、炭治郎がグッと力のこもった目で見つめてくるなり口を開いた。
「物が欲しいわけじゃないんです。今日だけでいいですから、やさしさをください」
前みたいに。言われ義勇は思わず眉を下げた。
突拍子もない言葉に面食らうより先に、いささかショックだ。
「……やさしくないか?」
そりゃ、毎日ピアスを外せと追いかけているけれども。それは校則違反だからであって。炭治郎に殊更厳しく接しているつもりはないのに。
幼馴染は封印と言ったのは確かに自分だ。そこについては覆すつもりはない。だが、炭治郎にとって自分は、もうやさしいお兄ちゃんではなくなってしまったのかと思うと、なんだかどっぷりと落ち込んでくる。
「いえ、いつも義勇さんはやさしいですけど、そうじゃなくて」
義勇を沈鬱させておいて、炭治郎はケロリと言い放った。
やさしいという評価に変わりがないのは結構だが、いつもと言われると、それはそれで少しばかり複雑だ。炭治郎にだけとくに厳しくした覚えはないが、特別やさしくしていた記憶もない。むしろやさしくしてしまいそうになるのを、我ながら涙ぐましい努力でもって抑えてきただけに、それはどうなんだという気分にもなる。
そんな義勇の葛藤をよそに、決意の面持ちをした炭治郎の言わんとすることをまとめると。
「俺の世話……」
「はい! 我慢してましたけど、いい加減限界です! 中等部のころは校舎が違ったから知りませんでしたけど、高等部に上がってみたら義勇さんってば、毎日お昼はいつもぶどうパンだし、朝もコンビニのおにぎり食べてるのぐらいしか見たことないし! ちゃんとしたご飯食べてるのか、掃除はできてるのかって、もう気になって気になって!」
力説されるに従い、義勇の肩ががっくりと落ちていく。いっそ床に伏せたいぐらいの脱力感やら羞恥心に襲われる。
確かに独り暮らしとなった義勇の以前の食生活は、おおむね炭治郎によって支えられていたと言っていい。感謝もしてきた。
嫁に行った姉からも頼まれるほど、当時のまだ小学生だったころから、炭治郎の家事能力は優れている。掃除が趣味と豪語するだけあって、水周りからなにからピカピカになった部屋。食事も絶品。とくに好物の鮭大根ときたら、一週間三食鮭大根でも飽きないと思えるほどだった。たまにやってくる姉と鉢合わせたときには、義勇のお嫁さんに来てほしいくらいと褒め称えられていたものだ。
男の子に対しての褒め言葉に、嫁にほしいというのはどうなんだと思わなくはないが。炭治郎はうれしそうに照れていたので、まぁいい。
だがしかし。いくらなんでも義勇ももう社会人である。男子高校生に世話を焼かれるのはいかがなものか。しかも炭治郎の先生だ。家事をやらせるなんて、依怙贔屓どころか公私混同甚だしい話ではないか。
「わがままだってわかってるんですけどっ、でももう俺、本当に我慢の限界で! 義勇さん、誕生日の俺にやさしさください! 一日だけでいいんです、前みたいに義勇さんのお世話がしたいです!」
「……土下座をやめろ」
「掃除セットも調味料も持ってきました!」
「炭治郎、もういいから」
「タッパーも持参してます! スーパーの特売もチェック済みです!」
「わかった! わかったから頭を上げろっ!」
パッと顔をあげて目を輝かせた炭治郎に、ため息が落ちた。
まったくもって情けないことこの上ないが、炭治郎の頑固さはよく知っている。好きにさせてやらないかぎり、ずっと土下座したままに違いない。それこそ今日が終わるまで。
いくらなんでも、せっかくの誕生日を土下座で終わらせるのはあんまりだ。言い訳、大義名分、そんな言葉がちらつくが、所詮炭治郎には甘くなってしまうのだ。どうしたって突っぱねることなど義勇にはできやしない。
「今日一日やさしくしてやる」
甚だ不本意だが、折れるよりほかに義勇に選択肢はない。だが、少しぐらいは意趣返ししてもいいだろう。
覚悟しろよと思わず浮かべた笑みは、ちょっと不穏だったかもしれない。それでも、うれしげに緩んだ炭治郎の頬は、ほわりと染まった。
さて、そこから義勇がしたことといえば、言葉通りである。やさしくした。ただそれだけだ。ただし、やるからにはとことん。これでもかというほどに。
炭治郎の指示に従いつつ掃除を手伝い、買い物にも一緒に行った。重いほうの荷物を持つのは当然のこと、工事中の歩道では危ないからと手を繋いでやりもした。並んで料理し、ご飯は「はい、アーン」だ。正直、新婚さんごっこ以外のなにものでもない。
義勇さんは休んでてくださいと炭治郎が言うたび、「やさしくしてやるって言っただろう?」と顔を寄せてささやくのは、大変楽しく、いっそ義勇のほうがプレゼントをもらった気分である。顔を真っ赤に染め「う、え、あぅ」とうろたえる炭治郎は、実にかわいかった。
炭治郎には刺激が強すぎたようで、うろたえまくり照れまくる様は、少しばかり可哀相なぐらいではあったが、これぐらいは許されると思うのだ。
小さかった炭治郎もどんどん成長していく。それこそ義勇の目には眩しいくらい、愛くるしさはそのままに、大人へと近づいていくのを、ずっと見てきた。鉄の意思でもって自分を律さなければ、うっかり手を伸ばしてしまいそうで、頑なに教師としての節度を死守してきたのだ。その努力は、いったいなんのためだと思っているのだか。腹をすかせた狼にうかうかと近づく子ウサギには、ちょっとぐらい思い知らせてやっても罰は当たるまい。
「全部俺がやるつもりだったのに……」
家まで送ってやる道すがら、ちょっと拗ねた顔で言う炭治郎は、やっぱり愛くるしい。義勇の目には、かわいいという言葉はこの子のために存在するとしか思えないほどだ。
拗ねた上目遣いを見ていると、卒業まで我慢できるか少し不安にもなる。けれども、先は長いのだ。今日の出来事すべてを日常にするためには、今は忍耐の二文字である。
「俺のやさしさはいらなかったか?」
高校一年生。一日ごとに花開いていく炭治郎を、許されるものなら腕のなかに閉じ込めたい。それでも義勇は耐える。三年後の今日を夢見て。
「……多すぎです」
また我慢できなくなっちゃうとポツリ言う炭治郎の、桜色の頬や甘い声音が、未来を確約している。だからこそ今はここまで。明日からまた、我慢の日々だ。
「多すぎた分は、おまえが卒業したら、三倍返しで」
だから今はまだ生徒でいてくれと内心で苦笑し、キョトンとする愛し子を、誕生日おめでとうとやさしくなでてやった。