あなたの手が伝えてくれること(お題:61合図)

※原作軸。お題:15後ろめたさで書いた『花にひそむ宿痾』の続編。その後の二人のぬるいエロと、最終決戦後のお話です。

 流しの前での子に膝をつき、鼻歌まじりに鍋を洗う。善逸あたりが聞いたのなら、奇声を上げて逃げ出しそうな音階だけれど、幸いなことに聞く者などいない。ふんふんと歌う鼻歌はいかにも上機嫌で、鍋を洗う手も軽快だ。
 すっかりなじんだ水屋敷のくりや1台所は、文明開化の波からはまだ遠く、昔ながらのたたずまいである。土間にしゃがみ込んでの家事はそれなりに手間がかかるが、小さいころから母の手伝いだってしていたから、これぐらいは苦でもない。
 古い家ではあるけれども、それでも水道はひいてあるのだから、やっぱり柱のお屋敷というのはすごい。初めて訪れたとき、炭治郎は素直に感心したものだ。今も、そのつど水がめからくまずとも蛇口をひねるだけで水が出ることに、毎度のことながら、少しばかり感動してしまったりもする。
 蛇口から出る水を見るのは、炭治郎と手初めてではない。つい最近までお世話になっていた蝶屋敷にも、水道はひかれていた。けれど、あちらは傷病人の世話もあるから、設備が近代的なのは当然だろう。土間にかがみこんで調理しないでいいのは助かると、アオイやなほたちも、ずいぶんと楽そうだった。

「禰豆子が嫁に行くときも、おっきなお屋敷じゃなくてもいいから、楽に家事ができる家だといいなぁ」

 しみじみとつぶやいて、炭治郎は、自分が言った『嫁』という言葉にわれ知らずドキリとした。
 恋しい人と暮らし、恋しい人のために掃除したり洗濯したり。質素であっても手間をかけた手料理を、二人で楽しく笑いあいながら毎日食べる。夫となる人と仲睦まじく暮らす禰豆子を思い浮かべたつもりが、自分の現状と重ねあわせてしまった。
 屋敷の主であり敬愛する兄弟子でもある義勇から、どうせ毎日通ってくるんだ、いっそこちらに引っ越してこいと言われ、ともに寝起きすること早ひと月。朝から晩まで義勇の麗しいご尊顔を拝める生活には、いまだ慣れたとは言いがたい。それでも少しずつ、抱きしめられてもうろたえないようにはなってきた。
 思わず炭治郎は手を止め、ほわりと頬を染めた。

 ひと月前、炭治郎は義勇と恋仲になった。

 初恋を自覚してからその日までを振り返れば、思い出すだけでも苦しくなるような日々だった。それこそ、今でも罪悪感にのたうち回りたくなる悔恨の記憶だ。幸せだと思いこんでいた偽りの、綱渡りのような日々と違い、今は心の底から幸せだと思う。
 花吐き病という奇病に侵されていたあのころ、きっと自分は正気ではなかったのだろう。追いつめられていたとはいえ、義勇に自分の吐いた花を食べさせるなど、とうていまともな思考じゃなかった。
 たとえそれがきっかけで、義勇と恋仲になれたのだとしても、怪我の功名なんて言葉ですませられるようなものではない。花吐き病を発症した義勇の、恋しいと思っていた相手が炭治郎だったから、こうしてなにごともなく暮らしていけている。だが、もしもほかの誰かだったのなら、義勇は今も苦しく花を吐いていたかもしれないのだ。考えたくもないが、最悪の場合は死んでいたかもしれない。
 炭治郎は、知らずブルリと体を震わせ、唇を噛んだ。
 後悔はとめどない。もしも時を戻せるのなら、あのころの自分を殴ってでも止めるだろう。本来ならば、義勇の傍らにあることすら許されざる行為だった。罪科されるのが当然だと、誰もが言うに違いない。けれども義勇は、炭治郎が申しわけなさをあらわすたびに、常の不愛想っぷりが嘘のようにやさしく微笑み、気にするなと抱きしめてくれる。

 幸せだ。怖いくらいに。

 稽古は変わらず厳しく、ちょっとでも気を抜けばたちまち怒号が飛んでくる。ぼろぼろになるほどに、したたか打ち据えられもする。稽古中の義勇の顔は、夜叉か羅刹かというぐらいに険しい。真剣な眼差しは、空恐ろしいほどだ。たとえ恋仲になろうとも、ひとたび木刀や刀を握れば、義勇は炭治郎にいっさいの甘えを許さない。
 だが、今日はこれまでと終わりを告げれば、それも一変する。炭治郎がおたおたとしてしまうほど、やわらかく甘い空気をまとい、義勇の手は炭治郎にそっと触れてくるのだ。
 もしもまた花を吐くことがあるのなら、炭治郎の口から吐き出される花は、恋の喜びを示す花ばかりに違いない。

 義勇さんも同じだといいけれど。幸せだと思ってくれていたらいいな。

 ほわほわと思いながら、ほぅっと満ち足りたため息をついたとき。
「炭治郎、留守を頼む」
「お出かけですか?」
 姿を現した義勇に、手を拭きながらたずねれば、義勇はこくりとうなずいた。
「紙を買ってくる」
「紙?」
高野紙こうやがみ2今でいうトイレットペーパーが切れそうだ」
 あぁ、と合点し、それなら俺が買いに行ってきますと炭治郎が言うより早く、義勇が薄く微笑んだ。
大高檀紙おおたかだんし3寝具を汚さないように使われた檀紙(楮を漉いてつくられた和紙)を、交撚紙、もめた紙と呼びました。大高檀紙は主に賞状とか免状に使われます。大判の檀紙だから大高檀紙。もめた紙は通常二つ折りにして使われていたようです。まぁ、紙ですしね。布団に染みたら意味ないしね。も減ってる。夕餉までには戻る」
 言われた瞬間、炭治郎は、ひょわっ!と、奇声をあげそうになった。

 義勇の言葉の意味がすぐにわかるほどには、共寝して過ごす夜は多くなった。
 とはいえ、抱きしめられることには少しは慣れたけれど、ねやでのあれこれにはまだ慣れない。

 あわあわと視線を泳がせた炭治郎に、義勇はくつりと小さく笑う。その顔は、炭治郎の初心さをからかって、楽しんでいるようにも見えた。
 土間に降り立ち静かに近づいてくると、義勇は、もじもじとする炭治郎の額にこつんと自分の額をあわせてきた。トンッとやさしく炭治郎の胸に触れて、義勇がささやく。
「……今夜は鮭大根にしてくれ」
 グッと息を飲み、義勇の瞳を見返すことなく炭治郎は、声もなくわずかにうなずいた。
 ふわりと鼻先をくすぐった義勇の匂いは、いかにも上機嫌だ。恥じらいに顔を上げられずにいる炭治郎の頭を、一度やさしくなでて、義勇は行ってくると厨を出て行った。
「いってらっしゃい」
 あわてて声をかければ、振り返り目顔で微笑む。余裕に満ちた様は、六歳の年の差ゆえなのだろうか。

 義勇の姿が見えなくなると、はぁっと深く息を吐きだして、炭治郎は赤く染まった頬をパンパンとたたいた。顔が熱くてしかたがない。
 鮭大根は義勇の好物だから、恋仲になる以前にもたびたび膳に乗せてきた。それに意味ができたのは、炭治郎が水屋敷で義勇とともに寝起きするようになってからだ。
 今夜は鮭大根をと、義勇のほうからねだってくるのは、二人だけの秘密の合図なのだ。
「あ、準備しとかなきゃ!」
 あわてて流しの鍋をすすぎ、さっそく夕飯の下ごしらえにとりかかる。幸い大根ならばある。昨日、買い物に行った帰りに傷薬などをもらうため蝶屋敷に寄ったら、おかずのおすそ分けまでもらってしまったから、食べそこねて埋めておいたのだ。鮭も味噌漬けにしたばかりのものがあるから、今日はそれを使わせてもらうことにしよう。
 藤の家でも蝶屋敷でもそうなのだが、一汁三菜が毎食きちんと膳に乗る。それでなくとも、柱である義勇に、まさか炭治郎が家で食べていたような質素な食事を出すわけにもいかない。おかげで炭治郎は、毎日の献立に頭を悩ませることになった。なんとも平和な悩みだ。それは、幸せを炭治郎に実感させた。

 こんなふうに、ずっと暮らせたらいいな。

 大根を洗いながら、炭治郎は微笑んだ。いつまでも続くわけではないとわかっているからこそ、こんな幸せなひとときが、胸を甘く締めつける。
 ぼんやりと物思いにふけりながらも、手は止まらない。慣れた仕事だ。考え事をしていても手は動く。
 今日は夕暮れまでに下ごしらえを済ませて、風呂の準備もしなくてはならない。風呂場には水道がひかれていないから、風呂に水をためるのは時間がかかる。それに、閨の準備もしなくては。
「急がなきゃ」
 知らず熱くなる顔を持てあましながら、炭治郎は、せっせと大根を切った。

 ひととおりの下ごしらえを済ませ、風呂に水をためたら、寝所へと向かう。部屋数も多い立派なお屋敷だが、まったく使っていない部屋ばかりだ。だから水屋敷には家具が少ない。
 隊服一辺倒の義勇は、箪笥のなかにもろくな衣服はなく、炭治郎がくるまでほこりをかぶるに任せていた部屋も多かった。普段の生活に、いかに関心がなかったがわかるようだ。もちろん、炭治郎とて着たきり雀なありさまなのだから、義勇のことをなんやかやと言うわけにもいかない。だが、あれだけ麗しい人なのだ。ときおり、身なりに気を使わぬのはもったいないなと、思うこともある。口に出して言ったことはないけれど。
 屋敷には寝に帰るだけと言わんばかりだった義勇が使うのは、今もせいぜい文机くらいなものだ。だけれども、ここ最近は、こまごまとしたものが増えつつある。いうまでもなく、炭治郎と暮らすための品ばかりだ。

 寝所に置かれた文机の上には、そっけのない黒漆のものと、金蒔絵の少しばかり華やかなものと、二つの文箱が並んで鎮座していた。黒漆のものには、報告書などをしたためる際に使用している硯などが入っている。炭治郎の目的は、金蒔絵のほうだ。炭治郎がこの屋敷に暮らすようになってから、義勇が突然買い求めてきたそれは、素人目にも値の張る代物だとわかる。
 うかつに扱えば手垢がつきそうなほどに艶やかな朱色の蓋をとれば、なるほど、おさめられていた檀紙はかなり減っている。知らず炭治郎の頬が、カッと火がついたように赤く染まった。
 この紙の減り具合は、そのまま、義勇と床をともにした回数である。はわはわと落ち着かなくなるけれども、うろたえてばかりもいられない。義勇が帰ってくるまでに準備を済ませねばならないのだ。
 恥ずかしさを持て余しつつ、炭治郎は残る紙を手に取った。一枚、いや、一枚で足りるだろうか。義勇は清廉な顔に似合わず、性欲はわりあい強いのだと思う。比べる対象を知らないから、よくわからないが。
 遊郭で女の子たちに教わった『強蔵つよぞう4絶倫とは、たぶん義勇にも当てはまるのだろう。一晩でこなす回数は、ときに三度、四度とつづくこともある。
 もちろん、受け入れる炭治郎の体を労わり、挿入をともなわぬことのほうが多いのだが、それでも義勇が満足げに終わるまでに、炭治郎はいつだって息も絶えだえになるのが常だ。
「きっと、義勇さんは強いだけじゃなくって、うまいんだろうなぁ」
 ほぅっと吐息とともに言えば、しくりと胸が切なく痛んだ。
 色恋に一切興味などないと言いきっていた義勇が、なぜあんなにも床上手――たぶん、そうなのだろう――なのか、考えればどうにも狂おしく、誰と? どうして?と、つめ寄りたくもなる。遊郭への潜入任務で、婚姻せずとも床入りすることがあるのだと知ったけれども、あの義勇が妻でもない女性とそういうことをしていたとは、あまり思いたくはない。
 手にした紙に視線を落とし、はぁぁっと落としたため息は深い。が、落ち込んでばかりもいられない。
「よしっ、やろう!」
 うん、と一つうなずいて立ち上がる。過去を気にして鬱々と過ごしたところで、時が戻るわけでもない。ましてやこの身は、命の刻限が定められているのだ。それでなくとも鬼殺隊に身を置く以上、自分にも義勇にも、命を惜しむ余地などない。いつなんどき大願成就の道半ば、こと切れてもおかしくない身の上である。覚悟はとうにできている。
 いっときも無駄に過ごす時間などない。きっと義勇も、同じ想いでいるからこそ、閨で炭治郎を離したがらぬのだろう。体を重ねあわせ、想いを繋げられるのは、もしかしたら今この時かぎりと、覚悟を胸に臨む閨事であるのかもしれなかった。
 とはいえども、どれだけ真摯な思いで抱きあおうと、世間をはばかる後ろめたさはいまだに拭いがたい。義勇の過去への悋気も、消え去りはしなかった。けれども、幸せなのだ。今このときだけは。

 明日をも知れぬ立場であり、先の見えぬ関係だからこそ、ともに過ごす時を大事に生きたい。

 切実な願いは、悲愴感をともなうことなく炭治郎の胸を温かくしてくれる。義勇が慈しんでくれるからこその温もりだ。であればあるほど、覚悟のうえでの終りならばともかく、心変わりで捨てられるのは真っ平ごめんだとも思う。暮らしのあれこれだけでなく、閨のなかでも義勇には心地好く過ごしてもらいたい。そのためにも、準備を怠るわけにはいかないのだ。

 よし、やるかと立ち上がり、炭治郎は紙を手に厨へと足を進めた。
 丁子油は、取り分けて厨にも置いてある。食事の支度をする場所で、閨に使用するものを準備するのは、ちょっとばかりためらいがあるのは確かだ。だが、万が一畳を汚してしまったらと思うと、えらべる場所は限られた。
 土間に茣蓙ござを敷き、檀紙を広げる。縦一尺七寸(約五〇センチメートル)、横二尺二寸(約六七センチメートル)ほどの大判の紙は、厚手があって白くやわらかい。山暮らしのころには、こんな値の張る紙など炭治郎は見たことがなかった。鬼殺隊に入って以来、紙一つとっても炭治郎の暮らし向きはずいぶんと変わった。
 病床の父に代わり仕事していた炭治郎は、尋常小学校にもあまり通えてはいない。それでも読み書きそろばんもできないようでは先々困るのだからと、父や母は炭治郎を学校へと送りだしてくれた。あのころは、習った文字を家に帰るなり木片に書きつけ、使った紙は漉し返して繰り返し使ったものだった。
 貧しい暮らし向きのなかでは、帳面一つ買うのも厳しい。申しわけがないと眉を下げる父母に、気にしないでと笑ったのを、まざまざと思い出せる。文をしたためるなど、思いもよらぬ生活だった。

 すべてが、あの日を境に変わった。

 家族を殺され、禰豆子を鬼にされたあの日。思い出せば怒りと悲しみに胸が張り裂けそうになるけれど、変化は、すべてがすべてつらいものではない。いくつもの出逢い、別れを経験した。人々のささやかな暮らしや幸せを奪う存在を知り、強い想いをいだいて鍛錬にはげむ現状は、炭治郎の世界を大きく広げてくれた。
 そして。
 目の前に置かれた檀紙を見つめて、炭治郎は小さく微笑んだ。
 恋を知った。狂おしく、言葉どおり命すら賭けられる、ただ一つの恋を。
 先は見えず、いつまで続くかなど誰にもわからぬ暮らしであり、恋だ。けれど、だからこそ今この場にあることが、どうしようもなく幸せだと思う。

 夕餉に出す大根を少し取り分け作った絞り汁と、刀の手入れに使う丁子油を、炭治郎は丁寧に檀紙に塗った。綿のようにやわらかく、水気を弾いてくれるようになれば、もめた紙の出来上がりだ。
 寝具を汚さぬように使用するこの紙を、炭治郎は遊郭への潜入任務で知った。女の子たちとともに、炭治郎も作ったことがある。あのときは、ずいぶんとさまざまな紙を使用するのだなと、感心しただけだった。どう使うものなのかなど、そのときの炭治郎には思いもよらなかったのだ。
 ところが今では、自分が使うためにせっせと支度している。変われば変わるものだ。まったくもって人生というのは先の予測がつかない。
 浮かぶ羞恥に頬を染めつつ、炭治郎は仕上がった紙をたたむと、ふたたび立ち上がった。
 丁子油の残りを小鉢へと注ぎ、菜種油と混ぜあわせる。男同士の交合では、潤滑剤がなければ受け入れる側がつらい。初めてのときには、媚肉を舌でなぶり唾液で湿らされたが、正直、あれはもう勘弁願いたいところだ。羞恥もとんでもないが、罪悪感が半端ない。
 あの麗しい人に、排泄する箇所をなめられるなど、できれば金輪際ごめんこうむりたい。それを言うと、義勇は少し不満そうではあるけれども、炭治郎のいたたまれなさも汲んでほしいものである。

 男色にもちいる潤滑剤には、口中で溶かして使うふのり紙や痛和散などもあるそうだけれども、義勇は、丁子油を好んでいるようだった。5丁子(クローブ)には、局所麻酔としても使用されるほどの鎮痛作用のほか、筋弛緩薬作用、(精神面での)高揚特性、抗菌、抗真菌、消毒作用があります。江戸時代の対女性用の媚薬として使用されていた文献もあります。とはいえ、基本的にはふのり系(いちぶのりや安入散など)やトロロアオイ系(痛和散や高野糊など)の潤滑剤が男色における主流です。刀の手入れに使うからなじみが深く、常に持ちあわせているというのも、理由かもしれない。
 そのまま使うには刺激が強すぎるが、鎮痛効果があるという丁子には、媚薬の働きもあるのだというのも、炭治郎は義勇から教わった。たしかに、油を丁寧に塗り込まれるたび、チリチリとむずがゆいような感覚6丁子油は直接使うには刺激が強すぎるため、現在でもアロマとして使用するには0.25%ほどに希釈したほうがよろしいそうです。媚薬としては、かゆみを性感としてとらえる効果を得る意味合いも。肥後芋茎と同じですね。ちなみに陰間を仕込むのに使用されることもあったとのこと。痛みよりも痒みのほうに気を取られるかららしいです。がして、それだけで炭治郎は自制心を失いそうなほどに身悶えてしまう。
 閨での義勇はやさしい。これでもかというほどに、炭治郎を甘く慈しんでくれる。けれども、同時に少し意地が悪い。いやいやと泣いて首を振っても、許してはくれない。ひどい、いじわる、となじれば、やわらかく微笑み、でも気持ちがいいだろう? これが好きだろうと、ささやくのだ。
 炭治郎は、うなずくよりほかない。違う、いやだ、嫌い、なんて。言えるわけもなかった。
 だってうれしいのだ。やさしく高められることも、意地悪くさいなまれることも、義勇がもたらすものならば、炭治郎はなにもかもが気持ちがよく、幸せなのだ。
 嘘をつくのは得手ではない。いやだというのは嘘ではないが、本心でもなかった。気持ちがよすぎてつらい。幸せすぎて怖い。そんな相反するような、けれどもどちらも紛うことない心からの感慨を、炭治郎は、恋をして初めて知った。
 目合うことには、まだ慣れない。だが、少しずつ義勇の手によって教え込まれる愉悦は、固いつぼみだった炭治郎の体を花開かせる。匂い立って咲くその花を、義勇の手によって摘み取られるためにと。

 秋の夕暮れはつるべ落とし。燃えるような夕焼けが、作り終えたもめた紙をそっと文箱に戻し入れる炭治郎を、赤く染めていた。
 義勇はもうじき帰るだろう。今宵の夕餉は鮭大根。温めなおすころには味もしみて、ちょうど頃合いになるはずだ。
 夕餉を済ませたら、きっと義勇は、一緒に入ろうと風呂に誘ってくる。風呂で挿入までおよぶことはないが、たわむれに触れてくることはままあった。湯でほどよくやわらんだ秘所をそっともみこみ、早くここに入れてくれとささやかれれば、頭のなかがとろけて必死にうなずくばかりとなる。
 今夜も、きっとそんな具合だろう。知らず赤らんだ頬を、夕焼けが隠してくれる。だから早く。夕日が羞恥を隠してくれるうちに、帰ってきてと願う。
 ことりと音立てて蓋をした文箱が、夕日を弾いてきらりと光った。