不死川とともに母屋に戻ると、禰豆子の笑い声が玄関まで聞こえていた。禰豆子がこんなに大きな声で笑うのは久しぶりだ。大好きなおねえちゃんである甘露寺と久々に会えて、ご機嫌なのだろう。楽しげな声に、義勇の唇に知らず笑みが浮かんだ。
炭治郎と出逢って以来、禰豆子の精神状態はかなり落ち着いている。笑顔は圧倒的に増えた。
このままつらい記憶を忘れてくれたらいいのだが。思っていれば、傍らの不死川も同じようなことを考えたのだろう。いつもは不機嫌そうにすら見える顔に、やわらかな笑みが浮かんでいた。
「さて、禰豆子がご機嫌なうちに済ませるかァ」
言いながら上り框をあがる不死川につづいて、義勇が靴を脱いでいると、ひょこりと炭治郎が顔を出した。
「あ、いらっしゃいませ。今日はよろしくお願いします!」
不死川にむかい、ぺこりと頭をさげる。快活な声と笑顔に、不死川がわずかに眉をそびやかしたのをうかがい見て、義勇は知らずムフフと笑った。
炭治郎は本当によい子だ。不死川や伊黒だって、実際に会ってみればちゃんと炭治郎のよさがわかると思っていたが、やっぱりだ。
「なぁに笑ってやがんだ、テメェ」
こつんと頭をこづかれて、少し不満げに見やれば、不死川はフンッと鼻を鳴らした。
「どうせ、俺の見る目は正しかっただろうとか、くそ生意気なこと思ってやがんだろうがァ」
「……すごいな、エスパーか」
「わからいでかっ」
言葉は荒いが、不死川との会話は苦ではない。義勇にとっては、馴染んだやり取りだ。
だが、炭治郎にとっては十分面食らうものであったらしい。ぽかんと口を開けて見つめられているのに気づき、義勇はバツの悪さをごまかすように空咳すると、不死川をうながした。
炭治郎にはもう、家事の下手なバツイチ男の顔を見せてしまっているのだから、今さら雇用主としての威厳もなにもないものだとは思う。とはいえ、あまりみっともないところを見せたくはないのも事実だ。
「法務部の不死川だ。契約のアドバイスをしてくれる」
あるかなきかの威厳を取り戻すべく努めて冷静に言えば、炭治郎はぱちりとまばたきしたあと、神妙にうなずいた。対する不死川はといえば、いかにもあきれ顔だ。少々居心地の悪い思いをしつつ、義勇は先に立って廊下を歩きだした。
炭治郎が信用に足る子だと不死川が理解してくれれば、話し合いはすぐ終わるだろう。恥をさらさぬうちにさっさと終わらせようと、炭治郎に向かい、手がすいたら座敷へと言い置くと足を速める。
「……ま、すれた感じはしねぇなァ。見た目では合格ってとこか」
「性格だっていい」
食い気味に言った義勇に、不死川のあきれはいよいよ深まったようだ。口には出さないが、表情が如実に物語っている。
多少なりとはいえ、感情の機微を言葉にせずとも察することができるぐらいには、不死川との付き合いは深い。大学時代までの自分からは考えられないなと、ふと思い、義勇はわれ知らずまつ毛を伏せた。
過去の自分を想い返すと、叫びだしたいような怒りとも悲しみともつかぬ感情が胸のなかに渦巻いて、どこか遠くへと逃げてしまいたくなる。そんな場所はありはしないし、ひとり逃げることなど許されるわけもないが。
暗く沈みかけた義勇に気づいたのだろう。不死川はことさら大きく伸びをすると、
「さっさと済ませて禰豆子の買い物行くかぁ。おい、今日の飯はテメェのおごりだからなァ」
と、軽い調子で言った。
意をくみ取れるようになったのは、自分ばかりじゃなかったなと、義勇は小さな感謝とともに苦笑しうなずいた。
他人とかかわりを持たぬように過ごしてきた義勇だが、不死川や伊黒たちのことならば、少しはわかる。逆もまた真なり。わかりにくい義勇の感情を推し量れるだけの時間を、不死川たちも義勇とともに過ごしたということだ。思えばそれは、なんとも面映ゆい。
だが、感謝をうまく伝えられるような器用さは義勇にはなく、不死川もとくに望んではいないだろう。
応接間として使用している座敷に入ると、義勇は炭治郎が準備していてくれた座布団を不死川に勧め、自身はそのまま部屋を出た。雇用契約書などのひな型は、書斎に置いてある。アレがなくては話にならない。
手際が悪いと言わんばかりの、不死川の視線が背中に痛い。けれども、文句を言う気はなさそうだ。急がなければと自然に歩みは速まった。
机に置いたままだった書類を手にした義勇は、さて戻るかと踵を返しかけた瞬間、目に入ったノートパソコンに、これも持っていくか、と独り言ちた。
義勇が作った書類は、現状あくまでもひな型だ。炭治郎の要望なども取り入れてから、諸々の条件は決定する予定でいる。変更が必要ならば、その場で修正し印刷したほうがよかろう。
パソコンとプリンターも、客間に持っていくか。そのほうがきっと効率的だと、プリンターの上に必要なものをまとめて乗せる。思ったよりも荷物になったが、さほど重いものでもない。
急いでセッティングしなければ、短気な不死川をまた怒らせてしまう。心中で少しばかり焦りつつ、プリンターなどを両手に抱え義勇が書斎を出ると、背後からうれしげな声がかけられた。
「パパ! あのね、みっちゃんたちが公園行ってもいいよって!」
振り返ると、禰豆子が甘露寺の手を引きながら寄ってきた。後ろに伊黒がつづいている。
「そうか。甘露寺と伊黒の言うことを、ちゃんと聞くんだぞ」
「うん!」
笑ってうなずく禰豆子の頭をなでてやりたいと思うが、あいにくと両手はふさがっている。わずかに眉を寄せた義勇に、甘露寺が笑った。
「禰豆子ちゃんはいい子だもの、大丈夫ですよ~。それより、冨岡さん、大荷物ね。持ちましょうか?」
「甘露寺は禰豆子と手を繋いでいるだろう? チッ、しかたがないから手伝ってやる。さっさと渡せ」
義勇が答えるより早く言い、奪い取るようにプリンターなどを手にした伊黒が眉を寄せたのは、義勇の反応の遅さへの苛立ちばかりではないだろう。
予想より重かったんだな。
思いながら、義勇は、ともかく禰豆子の前にしゃがみ込んだ。重いだろうなどといえば、きっと伊黒はへそを曲げる。ネチネチとそんなわけがあるかとの長口上を聞かされるのは、避けたいところだ。
「急いで転ばないよう気をつけろ。車にも注意するんだぞ」
「はーい!」
元気に手をあげて、よい子のお返事をしてみせる禰豆子に、こくりとうなずく。さて、伊黒の腕が震えだす前にプリンターを受けとらねば。
しかし義勇の意に反し、ありがとうと手を出す前に、伊黒は先に立って座敷に向かって歩き出していた。
「座敷に持っていけばいいんだな?」
「あぁ。だが、俺が……」
「禰豆子も行っていい? お兄ちゃんとしーちゃんにもいってきます言うの」
「そうだな、それじゃ三人で行くか」
小刻みに腕を震わせながらも言う伊黒に、禰豆子と甘露寺がうれしげにうなずいてしまえば、義勇に口をはさむ余地などない。上げた手はそのままに、オロオロとしてしまうだけだ。
「おいっ、紙が落ちる。これぐらいは持て」
イライラとした声が飛んできて、あわてて書類を取り上げたが、最初から俺に荷物を渡せばいいのでは? と、思わなくもない。言わないけれども。
多分、甘露寺の前だからいいところを見せたいのだろう。たかがプリンターとノートパソコンで感心されるかどうか、よくわからないが。
いずれにせよ、三人とも楽しそうなのだから、それでいい。思いながら眺めるほんの少し前を歩く三人は、仲睦まじい家族のようだ。
俺よりもよっぽど家族らしい。ふと浮かんだ言葉を、義勇はわずかに視線をそらせることで振り払った。
俺でなければ、もっと。俺なんかより、きっと。そんな言葉は何度だって浮かんでくる。けれど、もしそれが最善なのだとしても、禰豆子の父でいたいのだ。禰豆子がいてくれるから、どうにか『普通』の顔をして、『普通』の人のように暮らしていける。なによりも愛おしいこの子がいるから、義勇は、自分自身に生きていくことを許せるのだ。
自分が不甲斐ないばかりに、つらい目に遭わせた愛し子。泣くことにすら怯えていた幼子。そんな禰豆子が、楽しそうに笑っている。
守らなければ。けっして悲しい顔をさせないように。
炭治郎が来てくれて、禰豆子はますます明るくなった。あの笑顔をくもらせないよう、炭治郎にはこのまま一緒に暮らしてもらいたい。
それにはなんとしても炭治郎に、この家で働き続けてもらわなくてはならないのだ。もちろん、将来的にはこの家を出て、きちんとした会社に就職することを勧めるつもりではいる。炭治郎の先々を考えれば、そのほうが炭治郎のためになるのは間違いない。
だが、それも先の話だ。少なくとも、炭治郎が高校の卒業資格を得るまでは、禰豆子のそばにいてもらいたい。
義勇は手にした書類に視線を落とした。あのスーパーとは比べものにならない好待遇だとは思うが、さて、炭治郎はこれで了承してくれるだろうか。
寮のある就職先だって、探せばいくらでもあるはずだ。福祉厚生などの面からすれば、自分が個人的に雇うよりも、よっぽど炭治郎の利になる会社は多かろう。
なんだか不安が増してきて、もっとしっかりと不死川に相談してからのほうがよかっただろうかと、わずかに後悔がよぎった。だが、そんな後悔は手遅れだ。先を行く三人が座敷の襖を開けるのを見て、義勇はため息を飲みこんだ。
ともかく、これはまだひな型なのだ。炭治郎の要望をできるかぎり盛り込んで、なんとか納得してもらうよりほかにない。
よし、と姿勢を正し、三人から少し遅れて義勇が座敷に顔を出すと、すでに禰豆子たちは炭治郎にいってきますの挨拶を済ませたようだった。不死川が勝手知ったる他人の家とばかりに、プリンターのコンセントを繋いでいる。
義勇と入れ替わりに、パパいってきますと明るく笑った禰豆子の手を引き甘露寺と伊黒が出て行けば、座敷にはそこはかとなく緊張感が漂った。いや、そんな気がするのは、義勇だけだったかもしれない。なにも気負うことはないと思ってみても、義勇にしてもこんな場は初めてのことだ。どうにも緊張してしまう。あまり物事に動じない質だと自分では思っていたが、炭治郎と出逢ってから、なんだか勝手が違うことが多すぎる。
わずかに及び腰になっていると、卓を挟んで向かい合って座る不死川と炭治郎が、そろって義勇を見上げた。不死川の顔は、言葉にせずともさっさと座れと言わんばかりにしかめられている。
少しあわてて炭治郎の隣に腰をおろそうとした義勇に、その顔はますますしかめられた。
「おい、コラ。なんでテメェがそっちに座んだよ。テメェは面接する側だろうがァ」
それもそうか。言われてパチリとまばたいた義勇は、少々バツ悪く不死川の隣に座り直した。
どうも不死川たちといると、炭治郎に恥ずかしいところばかり見せてしまっている気がする。
ろくに家事もできないことについては今更だが、会社でもこんなふうに子ども扱いで世話を焼かれているのではと、あきれられるのは遠慮したい。見栄を張りたいわけではないが、失望されるのはなんだか妙に胸が痛んだ。
「さて、さっさとやるかァ」
書類を奪われてしまえば、いよいよ手持ち無沙汰だ。もたもたしているあいだに炭治郎がいれてくれたらしい茶は卓に置かれているが、客人である不死川が口をつけていないものを、先に手にするのもためらわれる。
仕事ならば、これほど不甲斐ないところなど見せることはないと思うが、どうにも勝手がつかめない。
炭治郎は、こんな自分をどう思っているのだろう。そればかりが気になって、けれども炭治郎の顔を見るのもなんとなく気まずい。あきれや軽蔑の瞳と出逢ってしまったらと思うと、視線を合わせることすら躊躇してしまう。
「ふーん、まぁまぁ考えられてんじゃねぇか」
そう言った不死川の声は素っ気ない。だが、少しばかり弾んでいるように聞こえるのは、気のせいだろうか。
空気を読めないと言われがちな義勇だが、不死川たち同期のことは、他人に対するのとは段違いに理解できていると思ってはいる。しかし、なぜ不死川の機嫌が上向きになるのかは、さっぱりわからない。
困惑しつつも、表情を変えることなく義勇はかすかに首をかしげて不死川を見た。合格かと問う意思表示は、あやまたず不死川に伝わったようだ。二ッと笑う不敵な顔に、心中で胸をなでおろす。
「が、まずは確認だなァ。おい、前の職場での未払い金は、どういう形で支払われるんだ? ちゃんと決めてあんだろうなァ」
言われ、パチリと義勇はまばたいた。視線を向ければ、炭治郎も同様に、キョトンとしている。
「……おい、まさかなんにも取り決めてねぇんじゃないだろうなァ」
「……次の給与と一緒に支払われると思うが」
とくに確認はしなかったが、当然そうなるものだと思っていた義勇は、内心の戸惑いを隠して呟いた。一気に険しくなった不死川の目つきに、ヒヤリとした汗が背中を流れる。まさか、そんなところからダメ出しを食らうとは思いもしなかった。だが、これほど殺気立った様子を見せるからには、それでは問題があるのだろう。
「未払い金を一気に払やぁ、違反してたことがバレるかもしれねぇって、不安になってもしかたねぇ。退職金ってわけにゃいかねぇんだからな。一気に支払うのは渋るに決まってんじゃねぇかァ。とりあえず、まだ働いてることにして、給与として毎月支払うって言いだすかもしれねぇだろ」
そうなれば、実情はともあれ、炭治郎は仕事の掛け持ちをしていることになる。労働時間が基準を超えれば、厄介なことになりかねない。
そう宣う不死川に、思わず義勇は炭治郎と目を見あわせた。
なるほど、確かにそのとおりだ。そこまで考えが及ばなかった自分に、忸怩たるものを抱えつつ、義勇は不死川に向き直り、口を開いた。
「うちでの勤務時間を減らして、あちらはパート扱いに変更させればどうだ? 合わせて八時間以内に調整すれば、なんとかなるか?」
「えっ!? それじゃ、ここでの仕事が、二、三時間になっちゃいますよ!」
不死川が答えるより早く、泡を食って身を乗り出してきた炭治郎に、義勇は、わずかに眉を寄せた。
「しかし、法を破るわけにはいかないだろう。うちでの勤務は朝食と禰豆子の弁当作り、俺が帰るまでの子守りだけにして、保育園の送り迎えもしなくていい」
「そんなっ!! 大丈夫です! お給料をもらわなかったらいいんですよね? 俺、店長さんにお金はいりませんって言ってきます! じゃなきゃ、未払いのお金をもらい終えるまで、ここでの給料はいりません。それなら大丈夫ですよね!?」
そんなわけにいくか。思わず気色ばんだ義勇に、炭治郎の肩がビクリとすくめられた。それでも、撤回する気はないらしい。キリッと眉をつり上げ、口をへの字に義勇を見つめてくる。
頑固者めと思わず舌打ちしそうになったとき。
「……とりあえず、向こうは週五日、一日二時間のアルバイト扱い。冨岡んとこで、六時間。勤務は朝二時間、禰豆子を迎えに行ってからの四時間。んなもんかァ」
声を荒げかけた義勇に、水を差したのは不死川の少し間延びして聞える声だ。われ知らず肩の力が抜けて、まじまじと不死川を見やれば、ニヤリと笑みが返ってくる。
このまま言いあうよりも建設的だと、義勇はうなずきかけたが、炭治郎はますます不満げな顔をした。
「それじゃ昼間なにしてたらいいんですかっ。家のことをするのが家政夫さんですよね? 掃除や洗濯もしないで、料理と禰豆子の子守りだけでお給料もらうなんてありえません! あんなちゃんとした部屋に住まわしてもらったうえ、ご飯まで食べさせてもらうのにっ」
わめく炭治郎に、学生なんだから勉強すればいいだろうと義勇が言うより早く、口を開いたのは不死川だった。
「さもなきゃ、テメェがひとまず未払い分をこいつに払って、その分を店長に貸し付けたことにすりゃあいいんじゃねぇの? 店長からテメェに借金返済の形で月々払わせりゃ、帳尻はあうだろ」
こともなげに言う不死川に、炭治郎の目がパチパチとせわしなくしばたいた。義勇も思わず目を見開き、わずかに放心する。言われてみれば、簡単なことではないか。なにも店長から直接支払われることに固執する必要はない。
「で、でもそれじゃ義勇さんが困りませんか? 月々お給料をもらうだけでも、かなり家計にひびくと思うんですけど。未払いがいくらかわかんないけど、いっぺんに出すなら結構な金額になりますよね?」
「不要な心配だ」
名案だと安堵した義勇と違い、炭治郎はまだ納得しかねているようだ。安心させたくて言ったのだが、不安が晴れるどころか、どこか傷ついたような目をする。
なにか失敗しただろうかと、かすかに義勇はうろたえた。炭治郎の切なげに憂いているような瞳に、胸がツキリと痛む。
いつもこうだ。自嘲に義勇の胸の痛みが増した。自分が口を開くと、みんな眉をひそめたり、イライラした顔をする。炭治郎は不快な様子を見せないが、怒るよりも悲しげな顔をされるほうが、なぜだかつらい。
けれども、どうしてそんな顔を炭治郎がするのか、義勇には理由がわからない。
心のなかでは動揺しても、表情は常と変わらないだろう。けれども炭治郎には、義勇の困惑や愁然とした気配は伝わってしまったらしい。先までの切なさとはまた異なる、もの言いたげな目をして義勇を見つめ、言葉を探しているように感じられた。
「……んじゃまぁ、そっちは店長に連絡とって、計算させとくってことでいいな。契約するまえに、もういっちょ確認だ。おい、おまえ。施設育ちってこたぁ、ちっせぇガキの扱いには慣れてんだよなァ?」
「あ、はい。六歳ぐらいのころからは、俺が一番年上になりましたから。小さい子の面倒は見慣れてますけど」
不甲斐ないことだが、不死川が話を進めてくれるのに、正直ホッとする。
これ以上炭治郎にみっともないところを見せたくないだとか、嫌われたくないだとか。心のどこかでそんなことを願っている自分がいた。そんな自分にとまどいつつも、義勇は、不死川の確認になにを今さらと思わなくもない。
禰豆子があれだけ懐いているのだ。その一事だけでも、炭治郎が子どもの扱いに慣れていることぐらい、もう不死川だって認めているだろうに。
「それじゃあ、ガキのわかりにくい話も、馬鹿にしたり怒りだしたりしねぇで聞けるか? ついさっきのことを聞いてんのに、関係なさげな一週間も二週間も前のことから話しだしたりすんだろ、ガキってのは。もっとわかりやすく言えっつぅと、今度はいきなり結論だけ言ってみたりよォ」
「あぁ、小さい子にはよくありますよね、そういうの。大丈夫です! 慣れてますし、ちっちゃい子のおしゃべり、かわいいですから!」
よく本を読み聞かせてやっているからか、禰豆子はあの年頃にしては語彙は豊富だと思う。話し方も達者なほうだ。理由を考えるとやりきれない気持ちになるが、ほかの子どものように回りくどい喋り方など、めったにしない。
不死川だって知っているはずなのに、なぜそんな確認を? と、首をかしげたくなった義勇だったが、炭治郎がやっと見せてくれた笑顔には思わず安堵した。
炭治郎が笑っていると、なんだか安心する。まるで自分が、温かな陽だまりでまどろんでいる猫にでもなったような心地になるのだ。
「ならまぁ、合格だァ。よかったじゃねぇか、ガキの扱いに慣れてる家政夫で。ちゃんと面倒見てもらえや」
澄ました声で言って、すぐにクックと忍び笑いだした不死川に、炭治郎が小首をかしげた。義勇もわけがわからない。
「オラッ、ちゃんとさっきの言葉の説明してやれや。こいつに月々支払う給料以上に、こいつを雇うメリットがあんだろ」
言って、結論だけで済ませんじゃねぇぞと念を押すようにつづける不死川に、炭治郎はパチッと目を見開くと、まじまじと義勇を凝視してきた。その視線に少したじろぎつつ、義勇は深く息を吸い、改めてうなずいた。
「……禰豆子には、ずいぶんつらい目にあわせてきた。禰豆子が安心して笑ってすごすにはおまえが必要で、それは金には代えられないものだ。俺はそれなりに給料も貰っているし、貯蓄もしているほうだと思う。中学のころに、親が家賃収入を見込んで建てたアパートがあって、その収入が」
「その情報、今はいらねぇだろうがァ! 金ならあるから心配すんなで済む話じゃねぇかっ」
「……そういうことだ」
いつものごとくギンッと睨みつけてくる不死川に内心あわてつつ、きっばりと言いきれば、炭治郎はポカンとした顔で義勇と不死川を見比べてくる。呆気にとられたような様子に、またぞろ不安が頭をもたげだしたころ、くすっと炭治郎は笑った。
「はいっ、わかりました! それならいいんです。でも、ちゃんとお給料分の仕事はさせてください。光熱費や食費だって、俺のぶんが増えるでしょう? 休日の食事の支度や禰豆子の子守りなんかは、その分をお手伝いで返すって形にしちゃ駄目ですか? 仕事じゃなくて、お世話になってる人に恩返しするためのお手伝いなら、かまわないですよねっ」
先ほどまでの不満や悲しげな風情は消え失せて、ニコニコと笑う顔は明るく朗らかだ。それに勉強もたまに教えてくれるんでしょう? 家庭教師代も込みってことでと、有無を言わせず笑う様は、ちょっとだけ、いたずらっ子のようでもある。
それではこちらのほうが甘えすぎではないかとの逡巡は、それでいいんじゃねぇの? という不死川の後押しで、飲みこまざるを得なくなった。
なぜ炭治郎が笑顔になったのか、義勇には理由などわからないけれど、それでも、笑ってくれたその事実がうれしい。どうしてこんなにも、自分の感情は炭治郎の一挙一動にあわせて揺れ動くのか、それは義勇の想像の埒外で、今は見当もつかないけれど。
今はただ、これから本当に炭治郎と禰豆子と、三人の生活が始まることを喜び、希望に胸躍らせてもいいだろう。
きっと、うまくいく。そう信じて、義勇は炭治郎の笑みに釣られるように、小さく笑った。