二月の風は冷たい。実弥はブルリと背を震わせると、ポケットの五百円玉を握りしめた。母ちゃんがくれたプレゼント代だ。
お誕生会なんてくだらない。お呼ばれするたび、母ちゃんが少し困った顔をするのに実弥は気づいていた。
お呼ばれしたらプレゼントを渡さなければならないし、呼ばれるばかりというわけにもいかなくなる。だけど、父のいない実弥の家はあまり裕福じゃない。ありていに言えば貧乏だ。
フルタイムで働いた上にシール貼りの内職までして母ちゃんが稼いでいる、大切な金。まったくもって無駄遣いにもほどがある。
だから実弥は、いつもだったらお誕生会なんて断っている。今日も本当は行く気なんてなかった。今日呼ばれているのは、時期外れの転校性の家だ。
噂好きな女子が騒いでいたところによれば、両親が事故で死んで、姉と一緒に親戚の家に越してきたらしい。
だからだろうか。転校生は女みたいにこぎれいな顔を、いつも辛気臭くうつむかせている。転校生が笑うのを見たのは、隣のクラスの鱗滝が顔を出したときだけだ。
今日の招待状も、鱗滝と一緒に差し出してきた。
「義勇は転校してきたばかりだから、みんなと早く仲良くなるためにも来てほしいんだ」
実弥にそう言ったのは、鱗滝のほうだ。転校生は無言で白い封筒を差し出しているだけだった。
「行かねぇ」
いつも通り言ったときに先生が通りがかったのは、実弥にとっては災難としか言いようがない。
「冨岡くんはとても悲しいことがあったの。かわいそうだからやさしくしてあげて」
ここで嫌だと言い張れば、母ちゃんが頭を下げる羽目になるのだろう。
舌打ちをこらえて封筒をひったくるように受け取った実弥が、行けばいいんだろうと答えるのに、満足げに笑ったのは先生と鱗滝だけだった。
とりあえず本屋で適当にノートとシャーペンを買って店を出ると、転校生がてちてちと歩いているのが見えた。手にしたビニール袋が重そうだ。鱗滝はいない。今日の主役のはずなのに、うつむいた顔は暗かった。
むぅっと顔をしかめて、実弥は、ずんずんと足音荒く転校生に歩み寄った。
「オラ、貸せよ。持ってやる」
「え? あ、えっと……不死川くん」
なんだ、名前を覚えていたのか。
ビックリ顔の転校生に、ちょっぴり胸の奥がそわりとする。ムズムズとこそばゆいような、イライラするような、変な気分だ。
「主役なのに買い物かよ」
「姉さんも錆兎も、準備で忙しそうだから」
転校生の声は小さい。鱗滝がいないと話もできないのかよと少し苛立って、睨みつけるようによく見ると、転校生の目が海みたいな青だと気づいた。
実弥が見たことのある海は、こんなにきれいに澄んだ青ではなかったけれども。
家族で行った海を実弥はなんとなく思い出した。母ちゃんのお腹は大きくて、今度来るときは俺が教えてやるから一緒に泳ごうなと、お腹に向かって話す実弥を、父ちゃんと母ちゃんは笑って見てた。海は楽しかった思い出を呼び起こす。
「……あの、不死川くん、本当は来たくなかったんだよね? 帰ってもいいよ。先生には不死川くんが来なかったこと言わないから」
おずおずとそんなことを言ってくる転校生に、浮上しかけていた機嫌が、またグンッと沈み込んで、苛立ちが頭をもたげた。
「テメェが言わなくても、誰かしら告げ口するに決まってんだろ」
「そっか……ごめんね」
「んだよ、来てほしくねぇならそう言えよっ」
苛々と声を荒げれば、転校生はあわてたように首を振った。
「そんなことない。でも、不死川くんは嫌そうだったから」
「おい、転校生、その不死川くんってのやめろ。背中がムズムズすんだよ」
「……不死川くんだって俺のこと名前で呼んでない」
少し唇を尖らせる転校生は、不満そうだ。暗い顔でうつむいてばかりいたくせに、実弥を見る目は存外強気だった。
「あー……冨岡」
「うん、不死川……で、いい?」
ふわっと笑った顔に驚いて、ドキンと実弥の心臓が音を立てた。
とっさに浮かんだかわいいという言葉にうろたえて、実弥はぶっきらぼうにうなずくと、視線をそらせた。
「冨岡は、なんであんとき悲しそうな顔したんだァ?」
「あのとき?」
「先生が、冨岡にやさしくしてやれって言ったとき、一瞬泣きそうな顔しただろォ」
黙り込んでいるのも気詰まりで言えば、冨岡はたちまち瞳を陰らせた。
「かわいそうって言われたくねぇのかァ?」
「なんでわかるの?」
驚く目がまるく見開かれて、零れ落ちそうだなんて思う。冨岡の目はきっとまん丸くて、キラキラしたビー玉みたいなんだろうな、なんて、馬鹿みたいなことを考えた。
「俺も、父ちゃんが死んだとき言われたくなかったから」
「……不死川も?」
「そりゃ悲しかったけど、かわいそうな子なんて言われたかねぇよ。かわいそうだからやさしくしてやろうなんて、真っ平だ」
「うん……俺も、同じ」
ふわりと笑う冨岡は、花みたいだ。海みたいな目で花のように笑う冨岡に、なぜだかドキドキと胸が鳴って、どうにも落ち着かない。
「不死川は、俺がかわいそうだからやさしくしてくれるんじゃないんだ」
「ったりめぇだろ……」
母ちゃんは、やさしい気持ちは誰に対しても持ちなさいと言う。貧乏と実弥を笑う奴らにはそんな気持ちは持てないけれど、冨岡にだったらやさしくしてやってもいい。冨岡の目は、海に似てるから。理由なんてそれだけでいい。
「あ、ごめん。俺も持つよ」
今さらのようにあわてた様子で、冨岡がビニール袋に手を伸ばしてくる。少しあきれてながら、実弥はじゃあ一緒になと、重いペットボトルの入ったビニール袋の取っ手を片方、冨岡に持たせた。
冨岡はかわいそうな子じゃないから、甘やかしたりしない。だけどやさしくしたいから、重い荷物を一緒に持つ。
それでも素直になるのはちょっと気恥ずかしいから、実弥はそっぽを向いて言った。
「誕生日、おめでとうなァ」
ちらりと横目で見やった冨岡は、うれしそうに花のように笑っていた。