9 ◇炭治郎◇
どうしよう。みんなビックリしてる。やっぱり俺のモヤモヤは悪いことだったんだ。
友達が俺以外の子と仲良くしてたら、俺もうれしい。でも、義勇さんが錆兎や真菰と仲良くしてたら、ちょっと悲しくなる。
禰豆子にオモチャを貸すように言われても、禰豆子が楽しかったら俺も楽しい。でも、義勇さんを貸してってほかの人に言われたら、俺はきっと悲しくなる。
義勇さんを独り占めできたらいいのにって、思ってしまうだろう。
義勇の特別である錆兎や真菰みたいに、自分も義勇の特別になりたいと思うことは、やっぱり悪いことなんだろうか。それに……。炭治郎はわれ知らずブルッと体を震わせた。
俺は錆兎たちにやきもちを妬いてるんだって、錆兎は言う。やきもちは嫉妬だって、宇髄さんは言ってた。
さっきの人は義勇さんに嫉妬してるんだって、煉獄さんと宇髄さんは言ってた。
義勇にあんなひどい言葉を投げつけ、馬鹿にして嗤っていたやつらは、義勇に嫉妬してたからあんなことをしたのだ。嫉妬したら、自分も同じことをするんだろうか。義勇にひどいことを言って馬鹿にするなんて、そんなこと絶対にしたくない。そんなことをするぐらいなら、二度と口が開かなくなったっていいと、炭治郎は思う。義勇を馬鹿にするような言葉、絶対に言うもんかと、強く思う。
それでも、義勇が錆兎たちと仲良くしていると、モヤモヤとして悲しくなるのは事実なのだ。それが嫉妬でやきもちなら、自分はきっと義勇に嫌われる。義勇と一緒にいられなくなる。
悲しくて、たまらなくつらくて、また泣き出しそうになった炭治郎をどこか呆然と見ていた煉獄と宇髄が、困ったように顔を見合わせた。
「おい、これぐらいの年だったら、もう独占欲ぐらいあるもんじゃねぇのか? まさか、これが初めての独占欲とか言わねぇよな?」
「うぅむ、俺の弟の千寿郎は竈門少年より年下だが、俺に対しての独占欲はあるようだ。もっと小さいころには俺の友人に妬いて、その人より自分と一緒に遊んでと泣いたこともあったぞ。やきもちを知らないなんて、よもやよもやだ。まったく稀有な少年だな、じつにおもしろい!」
言いながら煉獄は、炭治郎の頭をなでて愉快そうに笑ってくれた。悪い子だと怒られるかと思ったのに、ずいぶんと楽しそうだ。
わけがわからなくてちょっとドギマギと煉獄を見上げたら、炭治郎の体が、突然包みこまれた。
え? と振り返れば、間近に見えたのは義勇の顔だ。義勇の腕に抱え込まれているんだと気づいて、炭治郎は思わずパチクリと目をしばたかせた。
義勇も怒ってないんだろうか。煉獄みたいに笑ってくれるんだろうか。思いながら見つめる義勇の顔は、相変わらずの無表情。瑠璃色の目は、上目遣いに煉獄を見上げていた。
なんとなく不満そうというか、拗ねているみたいな匂いがするような……。
でも、なんで? なんで義勇さんは煉獄さんを不満そうに見てるんだろう。
炭治郎が困惑していると、錆兎と真菰が声を上げて笑った。
「なんだ、義勇もやきもち妬いてんのか」
「炭治郎を取られちゃうって思ったの?」
言いながら義勇の頭をなでだした錆兎たちにビックリして、炭治郎は義勇の顔をまじまじと見つめた。炭治郎の視線に気づいたのか、義勇はすぐに顔をそむけてしまった。
その横顔からは、義勇が考えてることなんて伝わってこない。それでも義勇は、拗ねて不貞腐れているように見えた。しかも、義勇は今、やきもちを妬いているらしい。
なんで義勇さんがやきもちなんて妬くんだろう。だってやきもちは嫉妬で、悪いことで、義勇さんは絶対にそんな悪いことしない人なのに。
「……俺より、煉獄のほうがヒーローらしい」
「え?」
ぽつりと聞こえた義勇の声に、炭治郎の頭のなかは、疑問でいっぱいになる。
煉獄や宇髄が格好いいヒーローみたいに炭治郎たちのピンチを救ってくれたのは、間違いない。けれど義勇だって、怒ってたハチからも、さっきも、炭治郎を助けてくれた。やさしくて強くって格好いい、炭治郎のヒーローだ。
「義勇さんは俺のヒーローですよ!」
一所懸命言ったけれど、義勇はふるふると首を振ってしまう。かすかに悲しんでるような匂いがした。
どうしてと頭をひねっていたら、炭治郎の肩に義勇の額がこつりと当てられて、抱きしめてくる腕に少しだけ力が込められた。
「俺は、すぐぼんやりする。人とうまく話すこともできない。……本当は、犬だって怖い。あいつらが言ったのは本当のことだ。頭のおかしいヒーローなんていない」
炭治郎の薄い肩に顔をうずめ、義勇は言う。顔は見えない。でも悲しい匂いがした。なんでそんなことを言い出すのかと、炭治郎も泣きたくなった。
「なに言ってんだ、義勇!」
「義勇はおかしくなんてないよっ!」
錆兎と真菰が言うのに、炭治郎が同意の声を上げかけたとき。義勇が顔を上げ、またじっと炭治郎を見つめて口を開いた。
「でも、炭治郎のヒーローでいたい。だから、がんばる」
まっすぐに炭治郎を見つめてくれる瑠璃色の瞳。しっかりと綴られた言葉。悲しい匂いはまだしているけれど、その瞳にも言葉にも、迷いはない。
義勇の腕のなかで炭治郎がちょっともがくと、義勇の腕の力がゆるんで、悲しい匂いが濃くなった。それにかまわず義勇に向き直ると、炭治郎は、ギュッと義勇に抱きついた。
うれしくて、誇らしくて、どうしたらいいのかわからないぐらい幸せで。
義勇が炭治郎のヒーローでいたいと言ってくれたことが、うれしくて。そのためにがんばると言ってくれたことが、誇らしくて。泣いちゃいそうなぐらい、幸せだ。
だって、それなら義勇は、炭治郎のそばにいてくれるってことだ。炭治郎を嫌いになったりしないでくれるってことだ。
「俺も義勇さんと一緒にいられるようにがんばります! やきもちもちゃんと消します! だから、ずっと俺のヒーローでいてくださいねっ!」
だから炭治郎は笑って宣言する。義勇も喜んでくれると思ったのに、なぜだか義勇は、少し困っているようだ。
なんか変なこと言ったかなと首をかしげた炭治郎に、宇髄が呆れたような苦笑をもらした。
「やきもちはべつにいいんじゃねぇの? 少しぐらい妬かれるほうがこいつもうれしいだろうし」
「えっ!? でも嫉妬は悪いことなんですよね? あれ? そう言えばさっき、錆兎が義勇さんもやきもち妬いたって言ってたな。でも義勇さんがそんな悪いことするわけないですよね?」
なんだか嫉妬ややきもちってむずかしい。炭治郎が混乱していると、宇髄が合点がいったとばかりに手を打った。
「あー、なるほどな。おまえ、やきもち初めてだったか。あの馬鹿どもの嫉妬とおまえや冨岡のやきもちは、まったく別物だから安心しろよ、坊主」
「やきもちと嫉妬は違うんですか?」
しっかりと抱きついたまま義勇に問えば、義勇も小さく首をかしげた。考え込むように少し眉が寄せられている。
「ふむ、改めて問われると説明しにくいな。国語はそれほど得意ではないのだ」
「一緒といえば一緒だし、まったく違うといえば違うような……あーっ、地味にメンドクセェ! いいか、坊主。あの馬鹿どもみたいなこと、おまえは絶対にしねぇんだろ? 冨岡だってするわけないって思ってんよな? ならそれで納得しとけ! そのうち嫌でも嫉妬ぐらいするようになってくだろうよ」
炭治郎の質問は煉獄や宇髄のことも困らせてしまったみたいだ。困らせるのは駄目だよな。よくわからないなりに炭治郎がうなずこうとしたとき、突然伸びてきた煉獄の手が、義勇の髪をなでた。
当然、炭治郎もビックリしたけれど、義勇の驚きは炭治郎の比ではなかったようだ。ビクッと震えて目を大きく開くと、炭治郎を抱きかかえたまま義勇が素早く立ち上がった。
義勇さんに小さい子みたいに抱っこされてる!
膝の上で抱きしめられたことはあるけれど、こんなふうに抱っこされるのは初めてだ。なんだか恥ずかしくって、炭治郎は顔を真っ赤に染めた。
うれしいけど小さい子みたいでちょっと恥ずかしい。そんなことを思ってしまう炭治郎だって、義勇たちから見れば、まだまだ小さい子供だろう。でも、物心ついたときから『お兄ちゃん』な炭治郎には、自分が小さい子だなんて自覚はない。
義勇はといえば、よほど驚いたのか炭治郎が照れているのにすら気づいていないらしい。まばたきすらせず煉獄を凝視して固まっている。
「おまえ、いきなりなにやってんの?」
「いや冨岡が、俺が聞かれたのにと拗ねているように見えてな! 前に千寿郎が、近所の幼稚園児に対して同じことをしていたなと思ったら、なんだかかわいく見えたのだ!」
呆れる宇髄に、煉獄はなんの衒いもなく笑って、そんなことを言う。
「まぁ、チビ助がもっとちっこいの相手に兄ちゃんぶってんのは、なんか微笑ましくはあるよな。でも、冨岡は俺らと同じ中三だぜ? かわいいはねぇだろうよ」
「そうだぞ! 義勇の兄ちゃんは俺なんだからな!」
「義勇をなでてあげられるのは、お兄ちゃんとお姉ちゃんな私たちだけなのっ!」
俺も兄ちゃんだけど、義勇さんをなでたことないな。俺も義勇さんによしよししてあげたいけど……怒られちゃうかなぁ。でも、禰豆子も前に、義勇さんをなでたことあったよな。あのときは義勇さん怒らなかったし……。
炭治郎が密かに悩んでいることなど、気づく者もなく。煉獄の闊達な声がなおもひびいた。
「冨岡が君たちの弟ならば、俺は千寿郎の兄だ。兄とは弟をかわいがるものだ! 俺にだって冨岡をなでる権利ぐらいあるだろう!」
「どういう理屈だよ……っていうか、どこ見てんの、おまえ。俺も弟はいるが、冨岡をなでたいとは思わねぇぞ」
宇髄のげんなりとした声や錆兎たちの文句など、煉獄はこれっぽっちも気にならないらしい。仁王立ちで腕組みし堂々と言った煉獄は、クリンッとまた義勇に顔を向けてきた。その視線にビクンと義勇が肩を跳ね上げらせ、さらに強く炭治郎を抱きしめてくる。
圧の強い眼差しで義勇を見据え、煉獄は笑顔のまままたもや義勇に手を伸ばしてきた。その手が触れるより早く、義勇は炭治郎を抱いたままじりっと後ずさる。顔は無表情のままなのに、泡を食っているのがめずらしくもはっきりとわかった。
イヤイヤするように小さく首を振るのが、なんだかかわいい。炭治郎もますますなでてあげたくなってしまったけれど。
煉獄がひょいと近づくたび、じりっと下がる義勇は、人馴れしてない子猫が怯えているみたいで、ちょっとかわいそうにも思うので。
「義勇さんが怖がってるから駄目です! よしよしするのは、もっと馴れてからにしてください!」
助け船のつもりで言った炭治郎の言葉が、こだまするみたいに木立にひびいて。一瞬の沈黙のあと、宇髄の爆笑と義勇のなんとも言えない表情で、おかしな攻防劇はひとまず終わりを告げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
途中まで道が一緒だと言う煉獄と、キメツ学園の寮生である宇髄も伴っての帰り道。ハチを送り届けるあいだも、その後も、義勇はずっとなにか考えているように見えた。
煉獄が話しかけると一瞬ビクッと震えるものの、すぐにまた考えごとに戻ってしまうみたいで、炭治郎はちょっと不安になる。
宇髄や煉獄はとてもいい人だ。二人が義勇のクラスメイトでよかったなと、炭治郎は思うのだけれど、義勇は嫌なんだろうか。まぁ、錆兎たちにされるのとは違って、同い年の煉獄になでられるのは、義勇だって困るだろうけれども。
ついでに炭治郎だって、ちょっぴり胸がモヤモヤする。
だって炭治郎はまだ、義勇の頭をなでたことなどないのだ。それなのに、禰豆子だけでなく煉獄まで義勇をなでるなんて、なんだかズルいと拗ねたくなってしまう。
このモヤモヤがやきもちだということはわかったけれど、本当に自分は、やきもちを妬いてもいいんだろうか。
いろいろとむずかしくて、炭治郎にはよくわからない。でも、義勇のことが大好きで一緒にいたいのなら、ちゃんと考えなくちゃいけないだろう。嫌われるようなことはしたくない。義勇が悲しむことは、もっとしたくない。だからいっぱい考えようと、炭治郎は決めた。
義勇さんは、ヒーローでいたいからがんばるって言ってくれたもんな。俺だって義勇さんを悲しませないようにがんばんなきゃ!
もう少しで家に着く。義勇たちとはそこでバイバイしなきゃいけない。寂しいなと思って隣を歩く義勇を見上げたら、義勇もようやく炭治郎に視線を向けてくれた。
「……好きだからだ」
やっと声を聞かせてくれた思えば、義勇が口にしたのはそんな言葉だった。
ポカンとしてしまった炭治郎とは裏腹に、義勇はちょっと満足そうだ。
「おまえ、こんなチビッ子相手になに言ってんだ?」
宇髄に言われ、義勇も言葉が足りないと思ったんだろう。炭治郎を見つめながら、さらに言ってくれた。
「嫉妬は嫌いな相手にもする。やきもちは……好きだから、独り占めしたくてするんだと思う」
「おぉ、なるほど! たしかにそうだな。嫉妬は悪意でもあるが、やきもちだとかわいらしい気がするのは、そういうことなのかもしれん」
「っていうか、おまえ、ずっとそれ考えてたのかよ。派手にテンポ遅すぎだろ」
「義勇は一所懸命考えてたの!」
「そうだぞ、義勇はちゃんと炭治郎にわかるようにって考えたんだ。面倒だって投げだしたくせに、おまえが文句言うな」
「好きだとやきもちするの? じゃあ、禰豆子もお兄ちゃんや真菰ちゃんたちに、やきもちしてもいいの?」
わいわいと騒がしい声がなんだか遠くに聞こえる。
やきもちは、好きだから。独り占めしたいから。
義勇の言葉が耳の奥で静かにリフレインする。
「……じゃあ俺、やきもち妬いてもいいんですか? 義勇さんを独り占めしたいなぁって思ってもいいですか? 義勇さんのことが大好きだから、やきもち妬いてもいいですか?」
ドキドキしながら小さな声で聞いた炭治郎に、義勇は少し驚いた顔をしたけれど、小さくうなずいてくれた。
ふわっと心が温かくなって義勇に手を伸ばせば、炭治郎の意を悟ったんだろう。義勇はすぐに背を屈めてくれた。
近づいた義勇の顔。耳に顔を寄せてもっと小さな声で内緒話を。
「宇髄さんや煉獄さんはみんなを助けてくれたヒーローだけど、俺の大好きなヒーローは、義勇さんだけですよ。絶対に覚えておいてくださいね」
どんなに格好良くたって。どんなにあっという間に敵を倒したって。ほかのヒーローじゃ駄目なのだ。
炭治郎のヒーローは一人きり。格好良くてやさしくて、心が迷子になってしまうほど悲しくても、大切な人を思いやれる強さを持ってるヒーロー。犬が怖くても、子猫みたいに怯えても、炭治郎にとっては義勇だけが、たった一人のヒーローだ。
ちょっぴり頬を染めて言った炭治郎に、義勇はさっきよりもっと驚いた顔をして、それから、うれしそうに笑ってくれた。
楽しそうにおしゃべりしながら歩くみんなは、きっと気づいていないだろう。だからこの微笑みは、炭治郎しか知らない。
炭治郎にだけ見せてくれた、花開くようにやさしい義勇の笑顔。
今だけは、炭治郎が独り占め。