やきもちとヒーローがいっぱい

5 ◇杏寿郎◇

「おい、ちょっと離れて追うぞ」
「なぜだ? あの子たちも不安だろう」
 冨岡を追いかけている子供たちは、遠目にも必死な様子だ。煉獄としては、ひとまずあの子たちに声をかけるべきかと思ったのだが、宇髄の考えはどうやら違うらしい。
「声をかけてやったほうが安心するのではないか?」
 問えば、カメラをかまえたまま走る宇髄から返されたのは、ニヤリとした人の悪い笑みだ。
「なんか事件なら証拠があったほうがいいだろ? 隠れて動画撮っておくんだよ」
「よもや! なるほど、証拠というのは考えていなかった! 宇髄は策士だな!」
「常識だってぇの。今どきドラレコ付けるのなんざ当たり前だろうがよ」
「む? 俺たちは車ではないぞ、ドライブレコーダーは付けられんだろう」
「たとえだってぇの! おい、それよかそろそろ黙らねぇと派手に気づかれるぞ」
 走りながらの会話でも、宇髄は息を切らすでもない。煉獄も体力には自信があるが、宇髄も煉獄と遜色のない運動能力だ。
 思いがけない宇髄との共同戦線に、なんとはなしワクワクとする。
 剣道は門外漢だろうが、宇髄が冨岡同様なにがしか武道に携わっているのは、身のこなしを見ればわかる。しかも、おそらくは相当な実力者だ。荒事は学生としては避けるべきだろうが、思いがけず宇髄の実力のほどを目にする機会に恵まれたかもしれない。
 強者につい高揚してしまうのは、煉獄にしてみれば性のようなものだ。非常事態なのだろうから、期待するのは冨岡には申し訳ないけれども。
 ともあれ、宇髄の発言に感心しつつ煉獄も、宇髄とともに木立を回り込むようにして冨岡の背後に近づいて行った。

 そして聞こえてきたものはといえば、あまりにも醜悪な言葉だ。

「おい、ガキ。そんな頭おかしくなってるやつといたら危ねぇぞ。近くにいたらなにされっかわかんねぇよなぁ?」
「そうそう、油断してると殺されるかもよぉ?」
「いきなり暴れだしたりしそうだよな。なんせ狂っちゃってっから」

 ゲラゲラと嗤う声には品性など微塵も感じられず、煉獄は不快感にぐっと眉根を寄せた。
 繋がれて怯える犬と、その周囲に散らばる石ころ。聞こえてきた鳴き声はきっとあの犬のものだろう。その犬の近くに居並ぶのは、品性下劣そうな三人の少年たち。なにが起きていたのかはすぐに理解できた。
 少年たちの言動から推測するに、冨岡とは知り合いらしいが、友好関係にないのは明白だ。
 なに一つ語らず、表情さえ動かすことのない同級生だが、冨岡がああいう輩とつきあいがあるとは煉獄には思われなかった。
 なにを考えているのかさっぱりわからない冨岡の為人ひととなりを、煉獄が理解しているかといえば、答えは否だ。だが、たとえ一切感情を見せぬ目であっても、冨岡の目は澄んでいる。なにより、あんなに小さな子供たちが体を張って守ろうとしているのだ。冨岡が悪いやつだとは思えない。
「チッ。あんなくだらねぇこと言われて、なに黙ってやがんだぁ、冨岡の野郎。少しは怒れよ」
 派手な出で立ちに似合わず面倒見がいい宇髄は、冨岡への侮蔑の言葉に腹立ちを隠さない。冨岡への怒りにみせてその実は、と、煉獄は内心で苦笑した。
 本人は認めないだろうが、これでなかなかやさしいのだ、宇髄天元という男は。
「おい、なに笑ってやがんだ」
「ん? 宇髄はいいやつだと思ってな」
 内心に押しとどめたつもりだったが、笑みはつい顔に出ていたようだ。いかにも不満げに顔をしかめる宇髄に、煉獄が声をひそめつつもはっきりと笑い返したそのとき。事態が唐突に動いた。

「義勇さんを馬鹿にするなっ!!」

 赤みがかった髪の子供が、ひと声怒鳴るなり少年たちに向かって駆けてゆく。あまりにも無謀な行動に、煉獄たちにも緊張が走った。
 あいつらの間合いに入る前に止められるか。考えつつ煉獄が走り出そうとした、その刹那。犬のリードを手放した冨岡が、竹刀を手に走り出したのが目に入った。

 その後の三十秒にも満たない捕獲劇は、あまりにも見事で。知らず息を飲み、煉獄は目に焼きついた冨岡の行動に、おののくように身震いした。

 なんという流麗な剣技だろう。鋭い突き。流れるような体捌き。見惚れるとはこのことか。
 高揚する煉獄の傍らで、宇髄も「すげぇな」と感嘆の呟きを漏らしていた。
 そして煉獄はふと思い出した。去年、剣道の大会で噂されていた他校の少年のことを。
 残念ながら同じ大会に参加したことはなく、煉獄がその少年と試合したことはない。だが、中学生の部の優勝常連である煉獄と比べても遜色ない実力の持ち主であるのは、確かなようだ。
 噂によれば年は煉獄と同じく当時中学二年。春先辺りから突然大会に参加するようになり、剣道を始めて間もないのではないかと言われていた。もしそれが事実なら、幼少から剣道をしている煉獄以上の才能があるかもしれないと、師範である煉獄の父も気になっていたようだった。
 煉獄自身も、是非とも手合わせしてみたいと思っていたのだが、その少年はあるときを境にぴたりと大会に参加しなくなってしまった。
 これもまた噂ではあるが、たった一人の肉親が亡くなり、少年は心を病んでしまったらしいと聞いた。

 そうか、冨岡だったのか!

 煉獄はもはやそれを疑わない。あれほどの剣の冴えを持つ同年代の少年など、二人といるものか。
 なんという偶然。なんという僥倖。気になってやまなかったまだ見ぬライバルが、よもやこんな近くにいようとは!
 もし冨岡とともに剣の腕を磨けたのなら、どこまで高みを目指せるだろうか。実力高い好敵手がいるのといないのとでは、自身の実力の伸びも違う。切磋琢磨しあえるライバル。それは煉獄が求めてやまないものだった。

 凄い凄いとはしゃぐ子供の声がひびく。煉獄は目を輝かせて声もなく笑いながら、その声に同意を示しうなずいた。
 まったくもって凄い男だ。ぜひとも友好な関係を築かねば!
 うんうんとしきりにうなずいていた煉獄の耳に、またもや汚らわしい声が飛び込んできた。ちらりと隣の宇髄に視線を向ければ、宇髄はまだカメラを回している。宇髄の唇には、ふたたび人の悪い笑みが浮かんでいた。煉獄の笑みも、どこか戦闘的なものへと知らず変わる。

「こんなことしてどうなるかわかってんだろうなぁ、冨岡ぁ!」
「てめぇがいきなり乱暴してきたって言いふらしてやるからな! てめぇみたいな頭おかしいやつは、鉄格子ついた病院にでも入ってりゃいいんだよ!」
「さっさとどけよ、痛ぇだろ! 絶対怪我したぞ、慰謝料よこせよな!」

 冨岡にいともたやすくねじ伏せられたというのに、口ばかりよく動くものだ。煉獄は不快感をつのらせる。だが笑みは消えなかった。その色合いは、先までとはだいぶ異なることだろうが。
 よもや荒事に及ぶことにはなるまいが、それでも正義感からくる憤りと、冨岡への期待からくる高揚は、どうしたって抑えきれない。今、宇髄のカメラが自分を写せば、そこには瞳を爛々と燃えたたせた、猛々しい笑みの男がいることだろう。

「ったく、ああいう馬鹿はどうしようもねぇなぁ」
「まったくだ。もう勝敗はついたというのに潔さの欠片もない。まったくもって嘆かわしいな」

子供たちが口々に冨岡を擁護する声を上げ、犬たちが吠えたてる。
そろそろ人が集まってくるかもしれない。宇髄と視線を交わし合う。

「うるせぇガキどもだなぁ。そうだ、こいつらも冨岡と一緒に犬に石投げてたことにしてやろうぜ」
「お、それいいな。注意した俺らに冨岡がいきなり襲いかかってきた、と」
「ガキや頭の狂ったやつの言うことなんか、誰も信じるわけねぇもんな。俺らのほうが被害者でーす、頭おかしいやつらに襲われて怖かったですーってな!」

 途端にふわりと冨岡の気配が変わる。ゆらゆらと、目に見えぬ闘気が陽炎のように立ち上った気がした。
 そうか。冨岡は自身への侮辱にではなく、守るべき者のためにこそ怒るのか。やっぱり、あの澄んだ瞳は、冨岡の心根そのままだったらしい。好戦的な高揚感はそのままに、煉獄は知らず微笑みかけた。心のなかで穏やかに冨岡に語りかける。
 君の剣は、そんな下賤な輩を打ち据えるためにあるのではないだろう? と。

 君の剣を、そんな輩のために汚されるのはごめんだ。君は、俺が認めたライバルなのだから!

「さて、そろそろ派手にぶちかますか」
「うむ!」

 さぁ、ライバルのピンチを救いにいこうか。