本日はお日柄も良く、絶好のお葬式日和で

 輝利哉視点

 吹き抜ける風が、幾重にもつらなる藤をゆらす。広い庭をおとずれる小鳥も今日はいない。静けさに満ちた座敷で一人、ひっそりとゆれる藤の花をながめていた輝利哉は、かけられた声にこうべをめぐらせ振り返った。
「輝利哉様、炭治郎が着きました。不死川様へのご挨拶を済ませましたら、こちらにお通ししてもよろしいですか?」
「うん。炭治郎は昼餉は食べたのかな。もしまだだったら炭治郎のぶんも用意してやっておくれ」
 はいと穏やかな声で答えた女性が立ち去れば、また静寂が満ちる。
 広すぎる座敷にぽつりと座っていると、父の姿をまざまざと思い出す。生まれ親しんだ屋敷ではないのに、ここにこうして父も座っていたような気がして、少しだけ落ち着かない気分になった。
「輝利哉くん、久し振りだね」
 明るい声がして、輝利哉はぱちりとまばたきすると、今度は体ごと向き直り、笑ってうなずいた。
「先月ぶりだね、炭治郎。実弥に挨拶はしたかい?」
「あぁ。穏やかな顔をしてたよ」
「だろう? 本当に、安らかないい顔をしていると僕も思ったよ」
 前回顔を合わせたのは、十月の晴れた日。冨岡義勇の葬儀の日だった。
 あのときは夏の残滓が色濃く残る暑さで、みな汗ばんでいたというのに、十一月末の今日はすっかり冬めいている。あまりにも駆け足で過ぎた短い秋を惜しむ暇もなく、木枯らしが庭に吹いていた。
 座敷の入り口に座ってニコニコと笑う炭治郎に、輝利哉は少しだけ目を細めた。炭治郎の笑顔のまぶしさは、昔からずっと変わらない。
 初めて炭治郎に逢ったのは、炭治郎が十五、輝利哉が八歳のころだった。十九となった炭治郎はもうすっかり大人の顔立ちをしているし、輝利哉も女児の格好などはしない。それでも笑みの温かさやまぶしさには、なんの変わりもないことがうれしかった。

 招きに応じて輝利哉のもとへ進み出た炭治郎は、すぐに明るく話しだした。座る距離の近さに、ほかの者にはない親しみを感じるけれど、炭治郎自身はとくになにも考えてはいないだろう。見ようによっては傍若無人と受け取られそうな炭治郎の距離感は、輝利哉にとっては不快なものではない。
「急に寒くなったね。禰豆子のところではもう火鉢を出してたよ」
「赤子がいるからね、暖かくしないといけないもの。勇治郎と炭義は元気にしているかい?」
「うん! すっかり首もすわって、二人そろってこのあいだ寝返りをうったって!」
「七月の十八日生まれだから、今四カ月半か……赤ん坊の成長は早いね」
 輝利哉が言うと、炭治郎はくふんと笑って小さく首をすくめた。きょとりと首をかしげた輝利哉に、炭治郎は大人びた顔で、輝利哉くんの成長も俺らよりずっと早いよと、労わるような微笑みを浮かべている。
 なんとはなし気恥ずかしく、けれどもそれを表に出すことなく輝利哉は、そうか、それもそうだねと笑い返した。
 幼いながらに重責を背負い、先祖代々の宿願を果たした輝利哉を、誰もが誉めそやす。功績を称え、謝辞を伝えてくれる。誇らしくありがたいことだけれども、少しばかり腰の据わりが悪いのも事実だ。
 お館様、輝利哉様と、鬼殺隊を解散したあともたかが八つの子供な自分に、元鬼殺隊士たちや隠たちは、父へ向けるのと変わらぬ尊敬と敬愛の態度で接してくれた。もう自分自身の新たな道を好きに進んでいいというのに、おそばにいたいのですと、そば仕えをつづけてくれる者も少なくはない。
 全員一丸となって必死に戦ったあの激闘の一夜から四年の月日が経った今でも、産屋敷家には、以前と変わらず多くの者が仕えてくれている。輝利哉や妹たちに対する態度も相変わらず恭しく、今もって輝利哉をお館様と呼ぶ者は多かった。それに苦笑して、もうそんなふうに呼ばなくてもいいんだよと答えたのは、最初のうちだけ。
 鬼殺隊がなくなろうとも、輝利哉様こそが我らが敬愛する父、お館様であることに変わりはありません。そう口をそろえて言うものを、かたくなに拒むのははばかられた。
 もうお館様と呼ばないでいいよとの言を聞き入れ、ただの子供に対するようにしか輝利哉を呼ばなくなったのは、炭治郎だけだった。一番そばにずっといてくれた実弥は、ただ一度をのぞき、常に輝利哉様。
 炭治郎は生来の馬鹿正直なまでに素直な気質がそうさせたのだろうが、さて、実弥はどういった心持ちで輝利哉様と呼んでくれていたのだろう。もうその答えを問うことはできない。
 
 十一月二十九日、満二十五歳を迎えたその日に、実弥は彼岸へと旅立った。昨夜のことだ。
 
 鬼殺隊が解散してのちもずっと輝利哉たち兄妹のそばに仕え、風貌に似つかない細やかさで心配りしてくれた実弥の――鬼殺隊の柱最後の一人であった実弥の終焉は、穏やかなものだった。
「葬儀はどうするの?」
「うん……それなんだけれどね、葬儀は執り行わないことにしたよ」
 驚く炭治郎に輝利哉は笑った。
「想像どおりの顔をしているね」
 ころころと子供らしい顔で笑う輝利哉に炭治郎は、しばしぽかんとしていたが、やがて、そっかぁと笑い返しうなずいた。
「不死川さんの意向なのかな」
「うん、俺の葬儀はしないでくださいって言われていてね。みんなそれぞれ忙しいんだから、俺の葬儀なんかするよりしっかり暮らしていけばいい。通達も不要です、って言っていたよ」
「不死川さんらしいと言えばらしいなぁ。本音はみんなに感謝の言葉を言われるのが恥ずかしかったのかも」
 クスクスと笑う炭治郎に、輝利哉もアハハと声をあげて笑った。
「そうかもしれないね。実弥はとても照れ屋だったから」
「素直じゃない人だなぁ……不死川さん、笑ってた?」
 微笑み聞く炭治郎にうなずき、輝利哉はついっと視線を庭に投げた。
 藤の花がゆれている。木枯らしは不思議と座敷には吹きこんではこない。しんと冷えた座敷は、それでもやさしい空気に満ちていた。
「……誕生日の前夜に、僕や妹たちの目の前で倒れてね。それでも日付が変わるまで、苦しみながらも笑ってくれていたよ」
 ふふっと笑って、輝利哉は少し悪戯っぽい顔で炭治郎を見た。
「実弥からの伝言があるんだ」
「俺に?」
「うん。あの野郎より長生きしたぞ、ざまぁみろ……だって」
 笑いをこらえつつ言えば、炭治郎は目を丸く見開き、そうしてぷぅっと頬をふくらませた。
「なんって負けず嫌いなんだ! とんでもない不死川さんだ!」
 ぷんぷんと怒る炭治郎の子供っぽい怒り顔に、輝利哉は思わず吹き出した。
「そうだね。でも実弥らしい」
「……うん、そうかも。あっちで義勇さんと喧嘩してなきゃいいけど」
「それは大丈夫じゃないかな」
 義勇の葬儀のときに、実弥が小さく口にした言葉を思い起こし、輝利哉はひっそりと微笑んだ。ん? と首をかしげる炭治郎に首を振る。教えてやったところで実弥は怒りはしないだろうが、秘密のままというのも悪くはないだろう。輝利哉たちと実弥だけの秘密だ。
 炭治郎は追求してこなかった。代わりに苦笑し、不死川さんそれ言うために誕生日までねばったのかもと、さほどあきれたふうでもなく言う。輝利哉もふわりと破顔した。
 痣が発現した者は、二十五を迎えることなく死を迎える。愈史郎の札と鴉の献身により、それを超えた者がいたことを輝利哉は知っているが、実弥もそのわずかな例外となったのだ。
 二十五を超えても生きた者がいることは、もう輝利哉と妹たちしか知らない。三人で話しあい、炭治郎と義勇に告げるのはやめたから。今後も誰かに告げることはないだろう。
 生き残れる条件は今もわからないままだ。幾人生き残れたのかもわからない。おそらく鬼殺隊を追われたという始まりの呼吸の剣士その人が、ただ一人生き延びたのではないかと思っている。
 それでも、期待は心にあった。もしかしたら義勇は、実弥は、炭治郎は、生き延びてくれるのではないかと。それを期待し、望まずにはいられなかった。
 事実を聞けば、炭治郎たちにも希望が生まれるだろう。期待するだろう。だからこそ言えなかった。海のものとも山のものともつかぬ願望に一喜一憂するのは、心穏やかに暮らすことを決意した者たちには、不要なものだと思った。
 それに、口にしたなら微かな期待は木っ端みじんに砕け散るかもしれないと、兄妹そろっておびえてもいた。裏を返せば、胸に秘めて口にせずにいたのなら、もしかしたらずっと変わらずともにあることができるのではないかと、心のどこかで思ってもいたのだろう。

 けれど望みは儚い夢のまま、義勇の訃報は届けられ、そして昨日、実弥も逝った。

 残る痣者は、炭治郎ただ一人。
 二人口をつぐめば、風の音がする。藤がただゆれている庭を、沈黙のまま二人で静かにながめた。
「……逝く寸前にね、実弥が言ったんだ」

 くいな、かなた……輝利哉。俺に、兄貴の気持ちを味あわせてくれて、ありがとうな。

 たった一度きりの呼びかけは、やさしい兄の顔でつづられた。
 知っていた。どんなに輝利哉様とかたくなに呼ぼうと、実弥が兄妹を見る瞳は、兄のやさしさに満ちていたことなんて、わかっていた。ふところに抱え込み、どんな苦難からも守ってやると、言葉にせぬまま庇護してくれていたことなんて、全部、知っていたのだ。
 甘えてやればよかっただろうか。お兄ちゃんと呼べば、うれしげに笑ってくれただろうか。
 もうただの子供なのだからと言いながら、鬼殺隊の父という自覚は、深く輝利哉のなかに根差している。そのせいか、年相応のあどけなさで鬼殺隊の面々に接することに対するためらいは、いまだにあるのだ。実弥への態度をくずせなかったのは、輝利哉のほうだったかもしれない。
 実弥のやさしさに触れるたび、玄弥の顔が脳裏をよぎることもまた、子供らしい態度を実弥に取れなかった一因かもしれなかった。
 どれだけ慕っても、実弥の弟は玄弥だけだ。命をかけて実弥を守ったのは、玄弥なのだ。自分らがその立場に陣取っていいものか、輝利哉にもくいなたちにもわからなかった。
 少しうつむいて、そんなことをぽつりぽつりと話した輝利哉に、炭治郎の顔に苦笑が浮かんだ。
「玄弥はきっと喜んでると思うよ」
「そう、だろうか」
「うん! 不死川さんが慕われるのを喜ばないやつじゃないもの。輝利哉くんたちが不死川さんのことを兄ちゃんみたいに思ってくれてたって知ったら、俺の兄ちゃんやさしいだろう? いい兄ちゃんだろう? って、うれしそうにするんじゃないかなぁ」
「そうだね……玄弥はそう言うかもしれない」
 けれどももう遅い。実弥は玄弥たちの元へと旅立った。一度も、実弥兄ちゃんと呼んではやれないままに。
「遅くないよ。これからずっと、実弥兄ちゃんって呼びかけてやるといい。不死川さんだって絶対にうれしがるはずだよ!」
 そう言って炭治郎は、よしよしと輝利哉の頭をなでた。
 ぱちりと大きな目をまばたたかせた輝利哉に、炭治郎ははたと手を止め、あわてた様子でその手を引っこめた。
「ごめん、つい癖でなでちゃった」
「いや。もっと……ううん、なんでもない」
 炭治郎も目をしばたたかせると、ふんわりと花開くように顔をほころばせた。
「輝利哉くんはいい子だなぁ」
 頭をなでる炭治郎の手はやさしい。いつか父や母がそうしてくれた手と同じように。ときおり実弥がそうしてくれたのと同じ、やさしい家族の手だ。慈しみをこめた、温かい手だった。

 うつむいたまま、輝利哉はぐっと目を閉じると、浮かび上がる涙を抑えこんだ。
 涙はもうたくさん流した。実弥の亡骸を前に、妹たちとともに、屋敷に残ってくれたみなとともに、夜通し泣いたのだから、もう笑ってやらねばならない。
 泣き顔なんて見飽きている。実弥は義勇の葬儀でそう言っていた。柱は、鬼殺隊の面々は、何度も何度も、人々が悲しみに暮れる顔を見てきたのだ。旅立ちのときには、笑顔で見送ってやりたい。見飽きるほどに見てきた涙ではなく、安心させる笑みで送ってやらねば、申し訳ないというものだ。
「炭治郎、昼餉を食べたら実弥を埋葬するんだ。炭治郎もきてくれるかい?」
「もちろん! なんでも手伝うからこき使ってくれ!」
 快活な声に憂いはない。悲しくないわけではないだろう。実弥の死を悼む心は深いに違いない。義勇という片翼を、炭治郎も亡くしたばかりだ。そのときも、炭治郎は笑っていた。
 みなの笑顔のために。それこそが鬼殺隊の、柱たちの願いだと、炭治郎はちゃんと理解しているのだろう。そして、いつかくる果てない未来で、ふたたび出逢えることを疑わない。
 だから、炭治郎は笑うのだ。また出逢うその日まで。
 そのまぶしい笑みを見つめながら、輝利哉もやわらかく笑った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 迎えに来てくれた後藤の運転する車で墓所へと向かったのは、日も高くなってからだった。
 産屋敷が所有する広大な敷地のなかに、その墓所はある。
 家族を失い入隊した鬼殺隊士たちには、弔ってくれる縁者など一人もいない者も少なくない。
 実弥の意向で、玄弥もそこで眠っている。遺骸は塵一つ残らなかったから、墓石の下にはなにもない。実弥の想い出としての玄弥が眠るだけである。
 義勇もまた、同じ地で眠っている。懐かしい狭霧山や、生家のあった野方に墓をかまえることもできたが、義勇自身が隊士たちとともにここに眠ることを望んでいたと、炭治郎から聞いた。
 師のそばにはきっと友がいてくれるだろう。彼岸でその友には逢えるはず。野方には、姉や父母の眠る冨岡家の墓があるにはある。けれども、もう死んだものとされているであろう自分がいきなり遺骨となって現れても、弔いをしてくれる者は近くにおらぬのだから、いい迷惑というものだろう。
 義勇はそんなことを言い、みなと同じ場所で眠ることを望んでいたと、炭治郎は笑っていた。
「炭治郎さんは水屋敷に残るのでしょう? 墓参りにきてくれやすい場所のほうがいいと、冨岡様は思ったのかもしれません」
 くいなとかなたがクスクス笑いながら言うと、照れながら相好をくずし、やっぱりそうかなぁ、義勇さんけっこう寂しがり屋さんだからねと、嬉々として炭治郎は笑う。
 そんなことを言う炭治郎自身、ついこの間も義勇の墓をおとずれているらしい。月命日には必ずくるつもりらしいですと、後藤が苦笑とともに教えてくれた。
 死が二人を分かつまでと耶蘇教では婚姻の際に誓うそうだが、炭治郎と義勇は、死によって分かたれようとも想いあう心はなに一つ変わらぬようだ。
「禰豆子にも、言われたんだ。雲取山の家は勇治郎達がもう少し大きくなったら自分たちが移り住むから、お兄ちゃんは心配しないで義勇さんの思い出が詰まった屋敷を守ってよって。お兄ちゃんが逢いに行きづらくなったら、義勇さん拗ねちゃうかもしれないでしょだってさ」
 双子の意思を確認してからだけれど、どちらかに竈門の名を継がせるつもりもあると言われたのは、ちょっとばかり悩むところだけれども。
 そう語った炭治郎は少し眉を下げた困り顔だったが、それでもどことはなしうれしそうだ。
「水屋敷はもう炭治郎のものだからね、好きなようにしていいよ。義勇の親戚には、連絡は取ったのかい?」
「うん。義勇さんを看取ってくれてありがとうってお礼の手紙が届いたよ。あちらでも子供が生まれたばかりらしくて、すぐには墓参りには来られないけど、落ち着いたら挨拶にくるって書いてあった。輝利哉くん、教えてくれてありがとう」
「法はどうあれ、炭治郎は義勇の伴侶だからね。義勇を看取ったのも炭治郎なんだから、炭治郎から告げるのが一番いいと思ったんだよ」
 義勇が子供のころに入院させられるはずだった病院は、冨岡家の分家らしく、いなくなった義勇を探していたことは、父から義勇には伝えてあった。義勇自身は一度も連絡を取らなかったようだったが、義勇の安否は父がたびたび伝えてきたのを、輝利哉は知っている。
 その任は輝利哉が引き継ぎ、訃報を伝えるのは連れ合いである炭治郎にまかせた。
 遺産だの男同士云々を言い出さぬ親族であったのは幸いだ。もちろん、それを知っていたからこそ、炭治郎に親族の件を話はしたのだが、やはり、心ない言葉で炭治郎が傷つけられるのは忍びない。
 義勇の血を残すことができない炭治郎にとって、義勇の親族によって冨岡の姓と血筋が継がれてゆくことは、幾ばくかの安心をもたらしたようだった。義勇さんに似てるかな、逢うのが楽しみだと、炭治郎はずっとうれしげにしていた。
 竈門の姓も、禰豆子の子らによって受け継がれる可能性はある。言葉にしたことはなくとも、竈門の家を断ち切らせてしまうことには義勇にも罪悪感はあっただろうから、義勇も草葉の陰で禰豆子たちの言を喜んでいることだろう。

 実弥の亡骸を乗せて走る車中は、笑い声が満ちていて、おしゃべり好きな炭治郎がいるからというだけでもなく、話題がつきることはない。そんな一行に、実弥も喜んでくれているんじゃないだろうか。実弥が小さく笑う顔を思い浮かべながら、輝利哉も楽しげな笑い声がひびくなか、ずっと微笑んでいた。

 輝利哉たちが墓所に着いたとき、不死川玄弥と刻まれた墓石には、すでに実弥の名も並んでいた。荼毘にふされた実弥の遺骨を埋葬し、手を合わせたのは、輝利哉たち兄妹のほかには炭治郎と、ここで墓守を務める後藤だけである。
 ゆっくりと水入らずで語らいたいこともあるでしょうと、泣きすぎて腫れぼったいまぶたをした家人たちは、それでも笑いながら一行と実弥の亡骸を送り出してくれた。
 もしかしたら、また泣いてしまうかもしれないという不安もあったのだろうか。笑って見送らねばと思っても、勝手に涙はあふれてしまうようだったから。
 実弥は風屋敷を引き払い輝利哉たちと寝食を共にしてくれていたので、そば仕えの者たちにとっては、ほかの柱たちよりもずっと心安い存在になっていたのだろう。
 義勇のとき同様に、感謝の言葉を伝えたいと願った者は多かろうが、実弥の意向を優先することに異議を唱えるものはなかった。

 実弥を弔ったあとで、手分けしてみなの墓に花を供えた。墓石の一基一基に刻まれた名を、その顔を、輝利哉は覚えている。父がそうであったように、鬼殺隊士たちはずっと年上であろうとも、輝利哉にとっては我が子だと思っている。そうあらねばならなかった。そしてその気持ちは今も変わらない。
 今、輝利哉は立場上はただの子供だ。鬼殺隊はすでになく、隊士たちはそれぞれの道を力強く歩んでいる。たった一つの宿願は果たされ、それぞれが心に抱いている夢や希望は、今では一人ひとり異なることだろう。輝利哉もまた、自分自身の夢や希望に向かい進まねばならない。
「お館様、くいな様とかなた様も、学校はどうですか? なんか困ったことはないですか?」
 ようやく花を供え終えて、ほっと一息ついた後藤に問われた輝利哉が浮かべた笑みは、我ながら少しは子供らしいものだったかもしれなかった。
「大丈夫、なにも問題はないよ。中学校にも無事上がれそうだ」
「そりゃあよかった。輝利哉様たちは優秀でらっしゃるから、勉学のほうはなんにも心配してなかったですけどね。それでもちゃんと評価してもらってるってわかって、安心しました」
 以前は隠の常としておおっていた素顔をさらして、後藤は穏やかに笑う。
 墓守に志願した者はそれなりにいたが、後藤はとくに熱望したクチだ。
 なんでまたと問うた者は何人かいたようだ。しかし後藤は、口をにごしてはぐらかすばかりだと聞いていた。
 それでも、意思確認のためにたずねた輝利哉には、後藤はひっそりと笑いながら答えてくれた。そのときの言葉が、脳裏にふと思い起こされる。その言葉にうながされるように、義勇の墓に向かってニコニコと話しかけている炭治郎へと、輝利哉は視線を向けた。

 俺は呼吸もうまく使えなくて、鬼を前にしたらきっと戦うことなんてできずにブルっちまうくらい弱いから、隊士にはなれませんでした。そんでもね、せめて鬼舞辻を斃してくれるはずのみんなの役に立ちたかった。まぁ、隠はみんなそうなんですけど。
 炭治郎がね、大怪我負って動けないときに、なんでだか知らんけど俺が運ぶことが多かったんですよ。縁なんですかね。水さんのことはよく知らんけど、でも、炭治郎と一緒にいるのをたまに見かけました。二人ともすげえ穏やかな顔してて、あぁいいなぁって、こういうのが好きだなぁって思ったんですよね。いつか鬼舞辻を斃したら、炭治郎や水さんたち柱にも、笑って穏やかに過ごしてほしいなぁって、思ってたんです。
 でも、痣が出たお人は長生きできないって聞いたから……そしたら、いつかほかの柱と同じように、水さんたちもここで眠るんかな、柱や隊士たちが安らかに眠るのを守るぐらいなら、俺にだってできるよなって、そう思ったんですよね。
 そんぐらいの恩返しは、戦えなかった俺がしなくちゃなぁって、そう思ったんです。

 後藤は照れくさそうにそんなことを言って苦笑していた。
 戦えなかっただなんて……そんなことはないのにと、輝利哉は少し泣きたくなったものだ。
 鬼舞辻に立ち向かっていったのは、後藤たち隠だって同様だ。死を恐れるなと励ましあって鬼舞辻に向かうみなの姿を、自身の不甲斐なさへの自戒も含め、輝利哉は死ぬまで忘れられないだろう。
 幸せそうに義勇の墓に向かって語りかける炭治郎を、後藤もやわらかい眼差しで見つめている。
 本当は、ずっとあんな顔で寄り添いあいながら、生きていってほしかった。輝利哉だけでなく、後藤も、妹たちも、心の底からそれを願っていただろう。けれども死は必ず訪れる。義勇や実弥に訪れたそれは、残酷なほどに早かったけれど、それでも当人たちの胸に未練や後悔はなかったのだろうと、その穏やかな死に顔に思った。
 自分たちも、そうありたい。いつか訪れる終焉を後悔のない笑顔で迎えられるよう、いつかふたたび出逢う遠い未来が平和なものであるよう、精一杯生きていかなければならないのだ。

「……学校を、いつかつくりたいんだ。そこではね、みんな笑っているんだよ。勉強して、体をきたえて、もしかしたら恋もして。そうやって笑ってすごす学校で、生まれ変わったみんなが出逢うんだ。僕にできるかな。そういう場所を、つくれるかな」

 自然と口をついて語った夢は、実弥にも言ったことがない。なんとなく恥ずかしくて、言えなかった。けれども、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
 うれしそうに破顔して、そりゃあいいと、後藤は夢見るように言ってくれた。
「お館様の恩返しは、みんなが笑ってすごす未来での居場所を作ることなんですねぇ。できますよ。お館様なら絶対に、いい学校をつくれますって」
「兄さまの夢、私もお手伝いします」
「絶対に、いい学校を作りましょう」
 妹たちの張り切る声に、少し照れつつ、けれども強く輝利哉はうなずいた。
「うん……ここで眠る子供たちに誓うよ。僕は必ず、みながまた出逢う未来の居場所をつくる」
 その日まで安心してみなが眠れるように守ってやっておくれと、後藤に笑いかければ、後藤はぱちぱちとまばたきし、ぐっと引きしめた顔で、はいと力強く答えてくれた。

 おーいと、炭治郎が明るく手を振るのに、みんなで手を振りかえし笑う。
 晩秋の墓所に夕日が差した。鬼の出ない夜がくる。いつかの未来のその先も、もう夜におびえることはない。
 ここで静かに眠る輝利哉の子供たちが、命懸けでつかみとってくれたおびえぬ夜を、平和な世の中を、守り続けることこそが生き残った自分の使命だ。
 繋いで、守って、生きていく。だからどうか、いつかまた……遠い未来で、いつかまた出逢い、ともに笑っておくれと、輝利哉は一番星が輝く空を見上げた。
 風が吹き、輝利哉の髪をゆらす。その風は、昼間頭をなでてくれた炭治郎の手のように、やさしかった。
 待っているよと笑う、大勢のなつかしい声が聞こえた気がした。