彼の日、来し方、行く末は

 さて、それから四日経った本日も、不死川は蝶屋敷へと足を進めていた。
 あの後、慌てて駆けつけたしのぶが、嫌ってなどいないと常になく必死な様子でなだめること暫し。ようやく不安が拭われたらしい義勇と炭治郎は笑顔を取り戻し、その場にいた者たちだけでなく、遅れて訪れた残りの柱たちも次々に陥落させていったものだ。
 元々炭治郎のことを気に入っている時透はもとより、子供になにがしかわだかまりを持っているらしい悲鳴嶼や、子供になどまるで興味なさげな宇髄までも、炭治郎が振りまく天真爛漫な愛想には勝てなかったようだ。なにしろ、ただでさえ愛らしい顔立ちの幼児となった炭治郎は、愛想の権化かというくらいに愛想がいい。ご機嫌な笑顔で「にいちゃもあしょぼ」だの「おっきいねぇ、にいちゃ、しゅごいねーっ!」だのと、舌っ足らずな声で言われてみろ。そりゃあいかに人外めいた柱たちといえども目尻も下がるというものだ。
 そんな炭治郎にくらべ、義勇は人見知りな質なのか初めのうちこそおどおどとしているのだが、素直なことに変わりはない。相手に悪意がないことを認めると、はにかみながらもそっと近づいてくるのには、どうにも調子を狂わされる。おまけに、懐いてしまえば愛らしい笑みとともに口にするのは素朴な気遣いやら、素直な好意だ。なんともむず痒いことこの上ない。
 水柱である冨岡義勇を知るだけに、あどけなくいかにも躾が行き届いたお坊ちゃん然とした義勇に戸惑いを覚えたのは、不死川だけではないだろう。けれどもその戸惑いを悟らせぬよう気遣うくらいには、柱たちは皆、子供になった義勇のことも炭治郎同様に気に入ったとみえる。
 なにせ、気遣いなどはなから持ち合わせてなさげな時透や、義勇と気の合わぬ不死川や伊黒までもが、義勇が顔を曇らせぬよう心配りするぐらいだから、義勇に対してわだかまりを持たない面々などひとたまりもない。
 微笑ましいという言葉を具現化したら、きっとこの二人になると思わずにはいられないほど、幼い義勇と炭治郎は一同の顔を緩ませる。

 そろった柱たちに懐いた頃合いには、まだ赤子といっていい炭治郎はすっかり眠くなってしまったようで。うとうとと舟をこぎ出した炭治郎を微笑み見たしのぶが、義勇に添い寝してあげてくださいと頼むのは自然な流れだった。義勇は炭治郎につられるように、睡魔に瞳をとろりと潤ませていた。ずっと笑ってはいたが、見知らぬ場所で初対面の大人たちに囲まれ気疲れしていただろうことは想像に難くない。添い寝うんぬんは言い訳で、しのぶとしては義勇のことも休ませたいと思っての発言だろう。
 炭治郎を抱いた義勇を連れて、アオイたちが出ていけば、残されたのは柱ばかりだ。柱合会議でもないのにこんなふうに柱が一堂打ち揃うなど、初めてのことではないだろうか。
 居並ぶ面々をゆるりと見まわして、わずかに顔を引き締めたしのぶが口を開いた。

「さて、現状を皆さんにもお伝えしておきますね」

 そうしてしのぶが柱たちに告げたのは、アオイが語った内容とさほど違いはなかった。
 付け加えるならば、鬼は子供へと変わる前に義勇が滅していることと、駆けつけた隠たちが大きさの合わなくなった衣服に埋もれてぎゅっと抱き合う二人に確認したところ、二人の年齢は九つと三つで、記憶もまた当時のものであることぐらいか。
 炭治郎はともかく、もう物の道理も知る歳だろう義勇がどこまで信じたのかはわからないが、人買いに攫われたところを救出し保護したという話になっているとは、しのぶの言だ。義勇はそれに一応の理解を見せ、家族が迎えにくるまでこの屋敷で待つことを了承したとのことだった。
 義勇一人であればもっと怯えたのかもしれない。子供らしく心細さに泣きべそをかいてもおかしくはないところだ。けれども義勇は、炭治郎の前で年上の自分が不安がってはいけないと、幼いながらに決心しているのだろう。炭治郎の前では一度として不安な様子を見せはしなかった。
 とはいえ義勇とて幼い子供であるには違いなく、屋敷に来たばかりの昨夜は、夜中に炭治郎を起こさぬよう声を殺して不安そうに泣いていたと聞かされれば、不死川でなくとも柱たちは一様に、義勇のいじらしさに庇護欲を掻き立てられたようである。
 元の二人への感情はそれぞれ異なるが、それはさておき、術が解けるまでは心砕いてやろうと思わせる子供たちではあった。

 そんな具合にすっかり柱たちを骨抜きにしてしまった幼子たちだったが、どれほど懐いた様子を見せても、一番に想うのはお互いであるのは間違いがない。ものの四半時すら離れているのは耐え難いようだった。
 とくに炭治郎は、義勇の姿が見えないとわかると泣き出してしまうそうで、結果二人は四六時中くっついていると、経過報告で鴉に告げられたのは昨日のこと。
 柱が血鬼術の所為で戦闘不能というのは隊士たちの士気に関わるだろうと、お館様の命により箝口令が敷かれた今回の事態。義勇と炭治郎の現状は、柱と蝶屋敷の面々しか知らない。
 炭治郎と仲のいい同期すら例外ではなく、だから現在、傷病者以外で蝶屋敷を訪れるのは柱と元柱しかいなかった。
 今日も不死川が蝶屋敷に着いたときにはすでに、時透と甘露寺がしっかりと来ていて、子供らとともに笑いあっている。その様子を見て、柱がそんな呑気なことでいいのかと、不死川は自分を棚に上げ思わず顔をしかめた。

 出遅れたなんて思ってない。断じて、思ってない。

 キャッキャと笑い声を立てている炭治郎は、今日も今日とて義勇の腕のなかだ。子供がもっと小さな子を抱っこしている姿というのは、なんとも愛らしく微笑ましい。
 炭治郎は齢三つの赤子と言っていい歳だが、義勇だってまだ子供なのだから、ずっと抱きかかえているのは大変だろうに、炭治郎を落とさないようにとしきりに抱え直しているのは健気ですらある。ことや寿美を抱く玄弥もあんな具合だった。思えば知らず不死川の頬も緩む。

「あ、実弥お兄ちゃん! 炭治郎、実弥お兄ちゃんも来てくれたよ」
「しゃねみにいちゃっ! あい、おいちぃのしゃねみにいちゃにもあげゆっ!」

 訪いを入れずに直接庭へとやってきた不死川に、真っ先に気づいたのは義勇だった。炭治郎がふくふくとした小さな手で掲げているのは、べっ甲飴だろうか。おそらくは甘露寺か時透からの貢物……もとい、土産だろう。
 自分のおやつを分けてくれるという心遣いは愛らしいが、さすがに舐めて小さくなった飴は御免被りたいと、思わず不死川は苦笑した。
 ニコニコ笑う炭治郎を抱える義勇の腕が、小さく震えているのを認め、苦笑はますます深まった。いじらしいその姿が玄弥と重なって見えるなんて、口が裂けても言いはしないけれど。
 ガシガシと義勇の頭を撫で、不死川は炭治郎に向かって手を広げてみせた。
「そりゃあお前のおやつじゃねぇのかァ? お前が食えや。それより、ホラ、こっちこい。ずっとお前を抱っこしてたら、こいつも疲れちまうだろうがァ」
「う?」
 きょとんとした炭治郎は、ひとしきり義勇と不死川をきょときょとと見くらべた後、「あい……」と不死川に向かって小さな手を伸ばした。
 少しばかり寂しげなのは気のせいではないだろう。義勇もまた、わずかに物言いたげな顔になった。けれども、人の気遣いを無下にできる子ではない。素直に炭治郎を不死川に預けると「ありがとう、実弥お兄ちゃん」と小さく笑ってみせさえする。
 そんな二人の様子に、余計な気を回したようで不死川が落ち着かずにいると、
「不死川さん、ズルいよ。僕も炭治郎を抱っこしたいな。ねぇ、炭治郎、僕も抱っこさせて?」
「無一郎くんの次は私も抱っこしていいかしら! ねっ、炭治郎くん」
 いかにも羨ましいと言わんばかりに話しかけてくる時透と甘露寺に、不死川は思わず首をかしげた。これほど愛想の良い子供ならとっくに抱っこなんてしまくっているだろうに、なにをそんなに羨ましがる必要があるのか。不死川の怪訝な視線に気づいたのか、時透が肩を竦めた。
「だって炭治郎ってば冨岡さんから離れようとしないんだもん。なんで不死川さんだけ抱っこさせてくれたのかなぁ。顔怖いのに」
「あぁん? 喧嘩売ってんのかてめぇ」
 凄んでみせた途端に、くいくいと袖を引かれ見れば、義勇がなぜだか泣き出しそうな目で見上げてきていた。袖を掴んでいる手がかすかに震えているのは、ずっと炭治郎を抱きかかえていたせいばかりではないだろう。
 育ちの良さが滲み出ている義勇のことだ、こんなガラの悪い言葉には縁がないに違いない。怯えさせたかと内心焦った不死川に、義勇が口にした言葉はといえば、
「お願い、喧嘩しないで。喧嘩するとね、ここがぎゅうって痛くなっちゃうんだよ? 実弥お兄ちゃんと無一郎お兄ちゃんが痛いの、やだよ」
 胸元をキュッと掴み締めて、瞳を潤ませながら言う言葉に、怯えや畏縮はない。どこまでも不死川と時透に対する思い遣りだ。そのいじらしさにこそ胸が痛くなるようで、思わず言葉に詰まった不死川に、義勇はなおも言い募る。
「それに、喧嘩したら炭治郎も怯えちゃうから……だから、あの、あのね」
「……べつに喧嘩じゃねぇから安心しろやァ」

 この子がどう育ったらあの鉄面皮で傲岸不遜な水柱になるというのか。いくらなんでも変わり過ぎだろう。

 なんとはなし遠い目をしそうになってしまった不死川だったけれども、すぐに思い至ったそれに苦く笑った。
 理由なんてわかり切っている。自分だって例外じゃない。
 辛かったからだ。苦しかったから、哀しかったからだ。
 絶望したからだ。
 それでも、この子たちは立ったのだ。自分の足で。不死川がそうであったように、刀を握り涙をこらえて。
 いけ好かない奴らには違いないが、それだけは共感できる。わかりすぎるほどに、わかってしまう。
「炭治郎を怯えさせるようなことしないよ。喧嘩なんかしないから怖くないよね、炭治郎?」
 炭治郎のまろい頬を突きながら言う時透や、険悪なことにならずにホッとしたのか笑って「優しいね~」と義勇の頭を撫でている甘露寺の胸中など知らないけれど、それでもこの子供たちを不安がらせるのは本意でないということだけは、不死川と変わらないだろう。
「けんか、ない?」
「うん、お兄ちゃんたち仲良しだって。よかったね、炭治郎」
「あいっ!」
 ニコニコと笑い合う子供たちに、彼の日の己と護りたい者の姿を見る。
 重なる姿は苦く、けれど優しい。
 そりゃあ柱たちだって骨抜きにもなるだろう。とうに失って、もう二度と手に入らないと諦めたものがある。それでも護り抜きたいものがある。今の義勇と炭治郎の笑顔は、それに重なるのだ。お前たちが傷だらけになり命を懸けてまでも護っているものはこれだよと、教えてくれているような気さえする。
 じわりと心に染みてくる感慨に、不覚にも涙ぐみそうになった不死川の顔をひきつらせたのは、時透の一言だった。

「炭治郎は本当に冨岡さんが好きだね。なのに、冨岡さんだけ『にいちゃ』って呼んであげないのはなんで?」

 きっと時透にはなんの含みもない。ただ疑問を口にしただけだろう。けれども不死川と甘露寺を固まらせるには十分だった。
 少しは気を遣え! と詰め寄りたいのは山々だけれども、不死川たち以上に動揺している義勇を見てしまえば、迂闊なことは言えない。炭治郎が笑って「ぎゆうにいちゃ」と呼んでやれば終わる話だろうが、頼みの綱の炭治郎はといえば、不死川の首にきゅっとしがみつき、なにやらしょんぼりとしているばかりだ。
「で、でも偉いよね、義勇くんは! 炭治郎くんのことちゃんとお守りして、いいお兄ちゃんだね~」
「あぁ、いい兄ちゃんだ」
 どうにか場を和ませたいのか笑って言った甘露寺に追随して、ガラにもないと思いつつ不死川も言えば、どうにか義勇の顔にも笑みが浮かんだ。だがまだ動揺は抜けきらないようだ。唇が少し震えている。
 それでも
「だって炭治郎はこんなに小さいし、俺は炭治郎よりお兄ちゃんなんだもん。俺が守ってあげなきゃ」
 と言った声には、誇らしさが滲んでいた。
 だというのに。
「にぃちゃ、ちがう……」
「え……?」
 チラチラと義勇を窺いつつ、炭治郎が小さく唇を尖らせ言った言葉に、思わず不死川と甘露寺は固まった。義勇にいたっては狼狽のあまり血の気が引いてしまっている。
「冨岡さんはお兄ちゃんじゃないの? 僕や不死川さんたちはお兄ちゃんなのに?」

 だから少しは気を遣うことを覚えやがれ!

 そう怒鳴りたくなったのは山々だけれども、時透の疑問はもっともで、不死川にとっても不思議ではある。一番に懐いているというのに、義勇だけはかたくなに名前でしか呼ばぬ炭治郎の真意など、まったくもって思いつかない。これぐらいの年ごろだった弟妹の言動を思い返してみても、参考になりそうなものは思い当たらなかった。甘露寺も同様なのか、冷や汗をかきつつオロオロとしてしまっている。
 ずんっと落ち込んでしまったらしい義勇をどう慰めたらよいものか。焦る不死川と甘露寺を尻目に、炭治郎は泣き出しそうに瞳を潤ませ言った。

「にぃちゃ、ないのっ。たんじろは、ぎゆしゃんのおよめしゃんになゆのっ」

 思わずぽかんと口を開いてしまったのは仕方ないだろう。呆気にとられるとはこのことか。あまり物事に動じない時透でさえ、目をぱちくりとさせ言葉を失っている。
 当の義勇はといえば、やはりすぐには炭治郎の言葉の意味を捉えかねたのか、きょとんと目を見開いて「えっと、でも、炭治郎は男の子だよね?」と首をかしげていた。
 義勇の反応を拒絶と思ったのか、ヒクリと一つしゃくり上げた炭治郎の大きな目に、見る間に涙が浮かび上がる。まずいと不死川が思った次の瞬間には、炭治郎の泣き声が蝶屋敷の庭に響き渡った。
「およめしゃんが、いいのぉ! たんじろ、ぎゆしゃん、の、およめしゃんに、なゆんらもんっ。にぃちゃは、やなのぉ! ちゅかれちゃったかや、ぎゆしゃん、およめしゃんないの? も、だっこないから、たんじろ、およめしゃんなゆぅ」
 言葉を詰まらせ泣きながら言い募る炭治郎に、「でも、炭治郎も俺も男だから」と狼狽えつつも答える義勇は、どうにも生真面目すぎるようだ。泣きやませるためであっても、誤魔化す言葉は出てこないらしい。
「ね、炭治郎くん、どうしてお嫁さんじゃなきゃ駄目なの?」
 耳元での泣き声に閉口するばかりの不死川と違って、どこかウキウキとした声で訊く甘露寺は、さすがは恋柱といったところか。赤子のものであっても色恋沙汰ならばときめくものらしい。
 こんな状態でなければ呆れ返るところだけれど、現状打破の一言であるには違いなく、不死川は思わず内心で、よく訊いた! と叫んだ。おまえは時透と違ってできる奴だと、甘露寺を褒めてやりたくなる。
 義勇にとってもその疑問は渡りに船なようで、困惑した声で義勇が炭治郎を促せば、炭治郎はしゃくり上げつつも答える気になったようだ。

 幼児の拙い、しかも泣きながらのお喋りだ。要領を得ない言葉をどうにかこうにか皆で繋ぎ合わせてみれば、どうやら炭治郎にとってお嫁さんになるというのは、ずっと一緒にいる約束事のようなものらしい。
 炭治郎が父や母と麓の村に行くたびに、炭治郎を可愛がってくれていた娘がいたそうで、その子の嫁入りが決まった際の会話が原因なようだった。

――ねえちゃ、なんでおよそに行っちゃうの? たんじろ、ねえちゃに会えなくなゆの、いやら。
――ごめんね、お嫁さんにしてくれる人が住んでる村は、ちょっと遠いんだよ。大好きな人とずっと一緒にいたいから……ごめんね。炭治郎ちゃんも大好きな人とはずっと一緒にいたいでしょ?
――およめしゃんになったら、じゅっといっしょ? たんじろね、ねじゅこしゅきなの。たんじろもおよめしゃんになったら、ねじゅことじゅっといっしょ?
――禰豆子ちゃんは炭治郎ちゃんの妹だからねぇ。それは無理かなぁ。兄妹じゃお嫁さんにはなれないのよ。

「にいちゃは、じゅっといっしょないもん。およめしゃんは、じゅっといっしょれしょ? ぎゆしゃんは、にいちゃないのっ。たんじろ、じゅっといっしょのおよめしゃんになゆから、ぎゆしゃんはにいちゃになっちゃやなの。たんじろ、ぎゆしゃんとじゅっといっしょがいいの」

 しくしくと泣きながら言う炭治郎の言葉を聞きながら、みるみるうちに赤く染まっていった義勇の頬は、いっそ見物だった。

 真っ赤に染まった顔を少しうつむかせて、義勇は込み上げてくる面映ゆさをこらえているようだ。そんな義勇と炭治郎の様子に、甘露寺は早くも感極まっているのか、義勇と遜色ないほどに頬を染め身悶えている。時透は少しばかり不満そうではあるけれども、炭治郎をこれ以上泣かせるのは避けたいのだろう。いらぬ言葉を口にしないでいるのが有り難い。
 しゃくり上げる炭治郎を抱きかかえたまま、そんな一同を見ている不死川はといえば、とにかく疲れていた。

 なんだこれ。惚気か。惚気なのか? ガキと赤ん坊の惚気に付き合わされてるのか?

 微笑ましいと言えば微笑ましいのだろうけれど、振り回されるこっちはたまったもんじゃない。
「おい、どうすんだァ。ちゃんと答えてやれや」
 呆れを滲ませつつ義勇を促せば、ハッと我に返った義勇は顔を赤く染めたまま、じっと炭治郎を見つめた。
「あのね、炭治郎。俺も炭治郎も男だから、お嫁さんにはきてもらえないかもしれないけど、でも、大人になっても俺が必ず炭治郎を守るからね。いつか絶対に炭治郎に逢いに行くから、大人になったらずっと一緒にいよう」
 だから離ればなれになっても覚えていられるように、いっぱい抱っこさせてと笑った義勇に、思わず瞠目したのは不死川ばかりではなかった。
 甘露寺と時透も気づいたのだろう。義勇はきちんと理解していると。
 この状況は埒外の出来事で、このまま一緒にいることはできないのだと。別れてしまえばもう、たやすく逢うことはできないと、義勇は知っている。真摯な声音と優しい笑みが、そう語っていた。
 それでも、大人になったらという言葉に嘘はないのだろう。生真面目すぎる子供だ、誤魔化しの言葉は口にはすまい。
 大人になったら、炭治郎に逢いに行く。炭治郎を必ず守る。それは子供ながらに強い決意が口にさせた言葉なのだろう。傍にいたい気持ちは炭治郎と一緒なのだと、義勇の瞳が告げている。
 義勇の海の青をした瞳を見つめ返した炭治郎が、まだしゃくり上げながらも小さな手を義勇に向けて伸ばした。
「やくしょく?」
「うん、約束」
 義勇が差し出した小指に、炭治郎のふくふくとした小指が絡んだ。

「守るよ、絶対に」

 警邏帰りの道すがら、意図せず通ったのは千年竹林のほど近く。波音に似た葉擦れを聞きながら、不死川は舌打ちしたい気分で足を速めた。
 ここは水屋敷が近い。急がなければうっかり見たくもない顔に出くわしかねない。

 しのぶの見立てどおり一週間後には術が切れ、元に戻った冨岡義勇と竈門炭治郎は両者ともに、術にかかっていた間の記憶がなかった。
 蝶屋敷で目覚めた二人には、事情を掻い摘んで話してあるそうだが、柱がそろって子供だった二人に骨抜きだったことは言っていないらしい。さしものしのぶでさえ、そんなことは口にできなかったとみえる。
 さもありなん。そんなことを教えてしまえば、自分もまた二人からお姉ちゃんと呼ばれ、身悶えるのを隠すのに苦労したことまで知られかねない。不死川だって、自分が炭治郎を抱っこしたり、義勇にせがまれて御伽草子を読んでやったことなんて、口が裂けても言いたくない。
 元の同僚や後輩隊士に戻ってしまえば、二人はやっぱりいけ好かないし、できるかぎり関りを持ちたくなどない相手だ。
 しかし、なんの因果かひょいと竹林から出てきたのは、見たくもないと思っていた顔をした奴らで、不死川は、ゲッと声を上げ思わず立ち止まった。
 おそらく柱稽古を終えたところなのだろう。二人も不死川に気づき立ち止まった。
「不死川さんっ、ちょうど良かった! 会いたかったんです!」
 明るく朗らかな声で言われ、不死川は憮然と舌打ちした。

 俺は会いたくなんかない。接触禁止令はどうした。近づいてくるんじゃねェっ。

 不死川の苛立ちなど頓着することなく、笑顔で駆け寄ってきた炭治郎は、不死川の目の前に立つとぺこりと頭を下げた。
「血鬼術にかかっていた間、ご迷惑をおかけしてすいませんでした! ありがとうございました!」
「あぁ!? てめぇ、なにを聞いた!?」
 ギョッと目をむき不死川が怒鳴れば、炭治郎はきょとんと小首をかしげ、いつの間にやら隣に佇んでいた義勇に視線を向けた。
「なにって……俺と義勇さんの代わりに、ほかの柱の皆さんが俺たちの任務に就いてくれたって……そうですよね? 義勇さん」
「……借りは返す」
 内心の安堵を押し殺し、不死川は見慣れた仏頂面を睨みつけた。
「いらねぇよ、んなもん」
 それだけ言い捨て駆けだした足を、けれど不死川は不意に止めた。
 ふと腕に蘇った赤子の重みや温もりに、つい後ろを振り返る。
 義勇と炭治郎の隣り合った背が見えた。並んで歩いて行く二人は、一緒に水屋敷へと戻るのだろう。
 約束の記憶がなくとも傍にいる二人に、なぜだか少し泣きたくなった。
 なにも知らずに笑っていた、愛すべき幼子たちはもうどこにもいない。不死川の視線の先にいるのは、絶望を知り、それでも立ち上がって戦う道を選んだ者たちだ。
 ずっと一緒にいたいと泣いた想いや、必ず守ると誓った決意が、今の二人にあるのかなんて知らない。
 それでも。

 行く道の先に約束を果たして笑う二人がいればいいと、ほんの少しだけ、不死川は願った。