花発多風雨、人生別離足

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「うわっ」
「俺の勝ちだ。また打ち込む寸前にためらったな、義勇」
 勝利を喜ぶでもなく憮然と言う錆兎に、義勇は尻もちをついたまましょんぼりと肩を落とした。
「ごめん」
「謝るぐらいなら、もっと思いきり打ちこんでこい。これじゃ手合わせにならないだろ」
 山を下りる鍛錬ではちゃんとできるのに、なんで俺を相手にするとためらうんだよと、眉をひそめたまま少し苛立った声で言いつつも、錆兎は義勇の手をつかみ引き起こしてくれる。
 やさしいなと思いながら、空いた手でパタパタと土汚れをはらい、義勇は、けれど理由を口にすることはできずに、また小さく「ごめん」とつぶやいた。
「まぁいいさ。次はちゃんと打ちこんでこいよ?」
「う、うん。がんばる」
「よし! じゃあ戻ろう。先生が飯を作って待ってるぞ」
 カラリと笑って義勇の手を引く錆兎に、もう怒りは見えない。錆兎は気持ちの切り替えも上手だ。義勇の目にはまぶしいくらいに、錆兎は義勇の先を行く。
 無惨を必ず斃す。固い決意は、義勇だって錆兎と変わらない。決して許さないという怒りは義勇の胸にも強くあった。
 けれども、錆兎のようにはわりきれないのだ。

 鬼は、元は人だ。

 鱗滝から聞いたその言葉が、どうしても頭から消えてくれない。人だというのなら、きっと鬼にも大切な人はいただろう。義勇にとっての姉のような人がいたに違いない。鬼になりたくてなったわけでもないはずだ。
 姉を食い殺した鬼を、義勇は決して許さない。許せる日がくるとも思えない。それでも、ほかの鬼に対しての恨みはなかった。
 自分と同じつらさを味わった人たちが大勢いることはわかっているのに、穏やかな暮らしを理不尽にうばわれたのは鬼も同じだと、どうしても思ってしまう。
 元々義勇は、人と争うのが好きではない。
 人と諍うことなくにこやかに過ごし、困っている人がいれば惜しみなく手を貸す。助けあいながら生きるのが、人として当然のありかたである。亡き両親や姉が、義勇に態度や言葉で教えてくれていたのは、そんな生きかただった。幼いころから義勇もそうありたいと思ってきたし、今でもその考えは変わらない。
 なのに今、自分は鬼を狩るために鍛錬している。武器など持ったこともない手で刀をにぎり、必死に鬼を斬る術を学んでいる。

 人であった者を、斬り殺す術を。

 鍛錬自体はつらくても苦ではなかった。錆兎がいてくれたのも大きいだろう。同い年ながら錆兎は、義勇にとっては憧れでもあった。
 生来口下手で、あまり人づきあいのうまくない義勇に対しても、錆兎は嫌厭することなく接してくれる。家族を鬼に殺されたという共通する境遇がなくとも、錆兎はなにも変わらないだろう。いつどこで出逢ったとしても、錆兎はきっと、尋常小学校や高等小学校の級友たちのように、生真面目すぎる義勇を煙たがったり馬鹿にしたりはしない。
 男らしく、正々堂々とした錆兎。親友と呼べる初めての相手。けれど、そんな錆兎にさえ、義勇は本心を吐露することができなかった。
 姉の代わりに自分が死ねばよかった。そんな泣き言は口をついたというのに、どうしても言えないことがある。

 なぜ、すべての鬼を殺さなければならないのか。どうして、共生する道を探そうと思わないのか。

 言えない理由は明白だ。義勇だってそんな疑問が浮かぶたび、ありえないと打ち消そうとしてきた。
 鬼に大切な人を殺された者は、大勢いるのだろう。義勇が姉を殺した鬼を憎んでいるように、きっとその誰もが鬼を恨んでいる。
 人を食い殺す鬼は、姉を殺した鬼だけではない。錆兎の父も鬼に食い殺された。その鬼だって、義勇にとってはかたき同然だ。畢竟ひっきょう、鬼とは誰かの幸せをうばった敵なのだ。
 だから鬼は滅する。滅せねばならない。わかっているのに、わりきれない。そんな自分がひどく弱虫に思えた。

 錆兎のように迷いなく剣をふるえたらいいのに。

 迷うのは自身の心が弱いせいだろう。弱いままでは姉の敵すら討てない。このままでは、悲しみや絶望を生み出す元凶――鬼舞辻無惨を斃すことなど、夢のまた夢で終わる。
 強くなろう。錆兎や先生のように、迷いのない刃をふるえるようにならなければ。
 でも、どうすればこのとまどいは消えてくれる? どうしたら、すべての鬼を憎めるのだろう。そんな日がくることさえ、義勇にはうまく想像できない。
 それでも、こんな弱い自分にだって、守りたいものがある。
 義勇の手を引き先を歩く錆兎の背を、じっと見つめて義勇は、言えぬ本心を抑えつけ誓った。
 錆兎を守ろう。錆兎さえ生きていてくれたなら、きっと姉の敵も、無惨でさえも、錆兎が討ちとってくれるに違いない。
 錆兎を守るために、そしていつか、誰もが笑って暮らせる日がくるように、強くなる。
 恨みないまま鬼に刀を向けることはできないかもしれないが、錆兎を、誰かを守るためなら、きっと自分にもできるはずだ。
 それで自分が道半ばに倒れたとしても、錆兎がつないでくれる。誰もが笑える未来を、錆兎は必ずつかみとってくれるだろう。

 そのためにも、錆兎だけは命をかけても俺が守る。

 自分と変わらぬ体格なのに、ずっと大きく見える錆兎の背を見つめ、義勇が心に誓ったのはそんな言葉であった。

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