「うーん、やっぱり多すぎないですか?」
「これぐらい食えるだろう」
まぁ、割合に大食漢な炭治郎と義勇で三人前なら、確かに食べられるけれども。それにしたって大雑把にも程がある盛り付けと量だ。恋人同士のランチタイムという雰囲気などまるでない。まさに男飯。
義勇に甘いムードを演出してほしいなど言ったところで、徒労に終わるだけだから、別にいいけれども。
それより気になるのは、パスタが置かれた位置だ。ぴったりくっつけと言われたのはいい。食べにくそうだがウェルカムだ。けれども、大皿が乗ったお盆を炭治郎と義勇の膝の上に置くのは、一体どういうことなのか。
「えーと、これ、どうすれば……?」
「やるならとことんやるぞ」
言いながらフォークでパスタを掬い取って、そのまま口に運ぶ義勇に、ぽかんとしてしまう。炭治郎と負けず劣らず行儀には煩い義勇の、そんな乱雑と言うか行儀悪い仕草など、店の常連で大大大好きなお兄ちゃんだった頃から、炭治郎は見たことがない。
あんまり炭治郎が懐いていたものだから、竈門家での義勇はいつの間にやら身内同然。義勇の姉の蔦子が留守の時などは、是非家でご飯を食べて行けと、竈門家全員で義勇を食卓に引っ張り込むことも度々あったぐらいだ。
だから小さい頃から知っていたのだけれど、義勇は躾が行き届いているのか、箸遣いなどのマナーは完璧だった。その割には食べるのが下手くそで、気が付けば頬に米粒だのなんだのが付いてしまっていたりもするが、そんなギャップも幼い炭治郎の胸をキュンとさせたので問題はない。
ついでに、炭治郎の目の前で口元を親指でグイっと拭い、そのままその指先を小さく舐めとる仕草にも、今現在キュンキュンさせられているが、まぁ、それはいい。
要するに、どうせ行儀悪くするならとことん、ってことか。
うん、と一つ頷いて、炭治郎も義勇に倣いフォークでパスタを掬い取った。零れ落ちそうになるのを急いで口へと運ぶ。
「……っ!! 義勇さん、これ美味しいです! めんつゆしか入れてないのになんで!?」
「めんつゆを使えば大抵はなんとかなる」
めんつゆは偉大だと頷く義勇に、一体そのめんつゆ信仰はなんなのかと、ちょっと訊いてみたくはあるが、とりあえず。
「こっちのサラダも美味しいです! あんなに適当なのになぁ」
無言でこつんと頭を小突かれたのは、義勇の口にもサラダが頬張られているからだろう。
相変わらず義勇は食べながらだとお喋りできない。初めて義勇と食事した時には、俺とお喋りするのが嫌だからですか? と泣きそうになったものだ。
その時は、高速で咀嚼し終えた義勇が、喋りながら食べられないだけだ、ちゃんと聞いてるからもっと喋ってくれと、困った匂いをさせながら言ってくれたんだったか。
いつだって言葉が足りない義勇だけれど、そんな風に炭治郎を安心させる言葉を一所懸命に紡いでくれるから、幼かった炭治郎の胸には、好きがどんどん溜まっていって、今ではもう溺れそうなほど。
今日だって、ドキドキさせられているのは炭治郎ばかりなのが、ちょっと悔しい。
けれど、折角機嫌が良さそうなのに、義勇の興を削ぐようなことは言える筈もなくて、炭治郎は義勇の肩にこてんと頭を預けると、パスタを食べ続けた。
めんつゆだけで薄めに味付けられたパスタは、キャベツの甘みと鮭のしょっぱさが際立って、いくらでも食べられそうだ。パスタの余熱で火が通った鮭はしっとりとしていて、しめじやエリンギの食感との差が、ますます口へと運ぶペースを速めさせる。サラダも水切りされた豆腐は味が濃くて、食感がモッツァレラチーズのようで美味しいし、トマトやレタスも良くタレに絡んでいる。
ニンニクの匂いがちょっと気になるところだが、一緒に食べているんだし、今更義勇も気にしないだろう。
行儀の悪い恰好で、行儀悪く一つの皿をつつき合って、炭治郎的には大変行儀の悪いことに、特に興味もないテレビをダラダラと流し見ながらのランチタイム。義勇が初めて作ってくれた手料理は美味しいし、こんな風にぴったりくっついていても文句は言われないし。ドキドキするのは自分ばかりでも、まぁいいか、と炭治郎は思う。
だって、ずっと寝顔ぐらいしかまともに見られなかった。慌ただしい挨拶ぐらいしか、声も聴けなかった。そんな忙しなくて寂しい日々は終わったのだ。しかも、こんなに初めて尽くしのサプライズを伴って。
それに、なんだかんだ言っても義勇にドキドキさせられるのは、炭治郎だって大歓迎なのだ。
いつでもどんな時でも、炭治郎の胸は義勇の一挙一動にときめいたり不安になったりするけれども、どうせだったら今日みたいにキュンキュンとときめくほうが嬉しいに決まっている。
なんだかすっかり安心して、触れ合った場所から伝わる義勇の体温だとか、義勇がパスタを口に運ぶたびにより近づく綺麗な顔だとかに、胸の奥がホワホワとして久々の幸せを噛みしめる。
義勇も同じように、幸せだとか安心感だとかを感じてくれていたらいいのだけれど。思いながらパスタを掬って口に入れたのは同時。ん? と、思わず顔を相手に向けたのも同時。
二人の口を繋いだ一本のパスタに、きょとんと互いに瞬きを一つ。思いがけない状況につい笑いそうになった炭治郎だったけれど、義勇の口元に浮かんだ笑みは、炭治郎の笑いとは大分趣が異なっていた。
少しずつ、少しずつ、近づいてくる義勇の顔は、笑っている。
これは、もしかして、ポッキーゲームならぬパスタゲーム、ってこと? あの義勇さんがっ!?
慌ててしまうけれど、今まで一度だってそんなことしてくれなかった義勇が、楽しくてたまらないって匂いをさせて近づいてくるものを、むざむざと台無しになど出来るわけもない。
よしっ、と意気込んで自分もパスタを食みだした炭治郎の顔は、甘い空気に似つかわしくない真剣さだったけれど、義勇はやっぱり楽しそうだから問題はないだろう。
不意に重さが消えた膝の上、義勇の手でローテーブルへとトレイが置かれたのと、唇が触れ合ったのは同時だった。唇を触れ合わせたまま、口の中のパスタを噛みしめ飲み込んだら、舌先が先を促すように唇をノックしてくる。逆らわずうっすらと唇を開けば、いい子と褒めるように大きな手が頬に当てられて、深く唇が重なった。
絡み合う舌や吐息は男飯の味だったりするけれど、それでも包み込む空気はとんでもなく甘い。
角度を変えつつ何度も唇を重ねて、食み合って。戯れるように、互いの口の中で舌を追って、逃げて、絡ませて。もっと、と義勇のシャツの胸元を掴む手に力を籠めることで強請れば、ゆっくり押し倒されてソファがギシリと音を立てた。
「……義勇さん、ベッド……」
「行儀悪いことするんだろう?」
言いながら足でローテーブルを遠ざける義勇に、足癖悪いと頭の中で長男の炭治郎が頬を膨らませたが、丁寧にお帰り頂く。だって今日はとことん行儀悪いことをするのだ。
今は昼間で、場所は二人でくつろぐソファの上。いつもだったらそういうことは、夜にベッドでが二人の暗黙の了解だ。だから、義勇がこの時間のこの場で炭治郎のシャツのボタンに手を掛けるなんてこと、一度もなかった。炭治郎だって、明るい時間や長い時間を過ごす場所でそういうことをするのは、恥ずかしいし思い出しては身悶えそうで、一度だってしようと思ったことはなかった。
でも今は、夜までなんて待てないし、隣の部屋のベッドは遠すぎる。
寛げられた襟元に、義勇の額が押し当てられた。ぎゅっと抱き締められて、はぁぁぁとしみじみ吐き出された義勇の溜息に首筋を擽られ、炭治郎は思わず首を竦める。
「……きつかった」
「義勇さん?」
ぽつりと零された義勇の声に、なにが? と呼びかけだけで問えば、抱き締める腕に更に力が籠った。
「一ヶ月だ」
「一ヶ月……」
「お前の寝顔しかまともに見られなかった。お前のお喋りが聞けなかった。お前の飯も一人でチンして食ってた」
きつかった、と、まるで駄々っ子のように頭を炭治郎の首元に擦りつけながら、義勇は不機嫌な声で言う。愛想をつかされるかと思った。聞き取りにくい程小さく呟かれたそんな言葉は、少し震えていた。
あぁ、そうか。寂しくて、不安だったのは、俺だけじゃないんだ。
どうしようもなく愛しくて、どうしようもなく幸せだ。
だから炭治郎は義勇の背に腕を回して、宥めるようにゆっくりと撫でた。
「……疲れてる時は、甘いものがいいって言いますよね。デザートは如何ですか?」
あまり甘さに自信はないですが。そこは義勇さん好みに味付けして頂くということで。
遠回しの洒落た誘い文句なんて、炭治郎にはこの程度が限界だけれども、義勇はきちんと誘われてくれたので。
料理上手な義勇だから、きっと炭治郎を上手に料理して、甘く甘く蕩ける逸品に仕上げてくれるだろう。
大雑把な男飯と違って特別製のデザートは、とびきり優しく丁寧に、時間をかけてゆっくりと作り上げたら、お好きなように召し上がれ。
終