忘却心中 3

 少し気づまりな車中で、あそこだと指し示された義勇の住むマンションは、あの夜のコンビニにほど近い場所にあった。炭治郎の家からもそう遠くはない。外観からするとファミリータイプのマンションのように見えるけれども、家族と住んでいるのだろうか。

 (まさか、そんなわけないよな。家族がいるのに俺を連れてくるわけないか)

 思ってはみても不安は拭いきれず、炭治郎はそろりと義勇の横顔をうかがった。けれど、義勇の表情からはなにも読み取れない。
 人の美醜に特にこだわることのない炭治郎から見ても、義勇の顔は整って格好いいと素直に思う。
けれども炭治郎が義勇を気にしていたのは、端正な顔が理由ではない。『あの人』を思わせる長い黒髪。それだけが炭治郎にとって重要だった。少なくとも、義勇の告白を聞くまでは。
 義勇が夢のなかの『あの人』だとわかった今は、気がつけば男らしい眉や、スッと伸びた鼻筋も、すべてが好ましく見えるのだから現金なものだ。我知らず小さく苦笑した炭治郎に、不意に義勇が声をかけた。
「マンションに入る前にシートを倒せよ。人に見られると面倒だ」
 ぶっきらぼうな声で言われた言葉に、炭治郎は、わずかに頬をひくつかせた。
 自分は義勇にとって面倒な存在なのか。一瞬泣きたくなったけれど、それでも炭治郎はどうにか笑ってみせる。それこそ面倒なことを口にして、厭われるのはごめんだ。
「……生徒と個人的に会うのは、あんまりよくないですもんね」
 聞きわけよく笑って言った言葉は、義勇の意に沿ったものだったのだろう。ずっと不機嫌そうだった顔が、少しだけ緩んだ気がする。
「人の口には戸が立てられないからな。なんだかんだと言われたら、こうやって逢うのもむずかしくなる」
 声もいつもよりもやわらかい気がして、炭治郎はホッと胸をなでおろした。

 言われてみればその通りだ。恋人になったとはいえ、義勇と自分が先生と生徒であることに変わりはない。人目を避けなければいけないのは当然じゃないか。

 駐車場の入り口に近づく前に、言われた通りにシートを倒し、炭治郎はドキドキとしながら胸元で手を握りしめた。誰にも見られませんようにと祈っていれば、もういいぞと声がした。
「急げ。人がくる前に行くぞ」
 言いながらさっさと車を降りる義勇につづいて、あわてて炭治郎も体を起こす。炭治郎が降りるのを待って、義勇は「念のために顔は伏せておけよ」と言い置き歩き出した。
 隣を歩かせてほしい。そう思ったけれど、口にはせず、炭治郎は素直に数歩離れて義勇の後を追った。
 義勇の立場上しかたないのだと自分に言い聞かせても、胸はじくじくと痛む。なんだか無性に切なかった。
 世間に後ろ指さされる関係なのは、炭治郎だって理解している。男同士だ。偏見や差別の目はあるだろうし、先生と生徒では、倫理上咎められるのは当然のことだとわかってもいる。炭治郎の年齢を思えば、義勇が犯罪者扱いされる可能性だってあるのだ。だから、文句を言う筋合いなんてない。義勇の社会的な信用や生活を守らなければならないと、強く思っているのも確かだ。
 けれど、こんなふうにコソコソと人目を避けることを強要されると、まるで自分が義勇にとっては厄介者でしかないのだという気にもなる。
 いや、実際そうなのかもしれない。
 義勇は、前世で恋人だったのは自分だと、告白してくれた。キスもされた。炭治郎を抱くつもりだってあるようだ。だけど、今の炭治郎を好いてくれているのかは、わからないままなのだと気づいてしまった。
 前世ではどんなふうに愛しあっていたのか、炭治郎にはどうしても思い出せない。学校では問題行動など起こさないし、部活にも入っていない炭治郎は、義勇との接点はあまりなかった。告白されるまでは、まともに会話した記憶もない。精々スマホを没収されたときのお小言ぐらいのものである。
 だから、今の義勇にとって自分が好みのタイプかどうかすらわからない。ずっと黙っていたのは、もしかしたら今生では炭治郎と恋仲になるつもりなどなかったからなのかもしれないと、思ってしまった。
 炭治郎が複数の男と寝ていることに、教師としての責任感を刺激されただけのことで、本音では厄介なことになったと思っているのかもしれない。義勇は、本当は前世のことなんか、すべて忘れ去りたいのかもしれない。
 そんな不安ばかりが胸を占めて、前を歩く義勇の背中を見ていても、恋い焦がれた『あの人』の背中とはうまく重なってくれなかった。振り返ってくれない寂しさはあれど、あんなにも安堵した背中のはずなのに。

(夢のなかだけじゃなく、現実でも振り返ってもらえないのかな……)

 心の内で呟けば、切なさに胸の痛みが増す。見つめる背中は振り返ってはくれない。夢のなかと、同じように。
 

 義勇の部屋は三階にあった。
 エレベーターを使わずに、駐車場から直接続く階段を上ったのは、人目を避けるためだろう。数歩離れて無言で歩く間、炭治郎はすっかり落ち込んでしまっていた。
 学校から離れた街での待ち合わせも、こんなふうに他人の距離で歩くことも、しかたないのだと理解している。けれども感情が理性に追いつかない。どうして? もしかして。と、不安をかきたてる言葉ばかりが胸のなかで繰り返し浮かんで、泣きたくすらなっていた。
 だから、玄関に入ったとたんに抱きすくめられても、ときめきよりも混乱が頭を占めた。わずかばかりの不満もあった。当然だろう。先ほどまで空気のように扱っていたくせにという反発のほうが、抱きしめられた喜びよりも、ちょっとだけ多かったかもしれない。
「やっと二人きりだ」
 囁く義勇の声には、あからさまな情欲がにじんでいた。それをすぐに悟れるぐらいには、炭治郎は男の欲に馴染んでいる。
 ほかの人と、同じだ。なにも変わらない。それが不思議で、ちょっと怖い。
 疑う材料なんて、なにもない。義勇は誰にも明かしていない羽織の柄だって知っていた。炭治郎の夢を覗き見るか、当の本人でもなければ、きっとわかりはしないことを、義勇は言い当てた。だから、疑う要素なんてなにもないはずなのに、なんで不安になるんだろう。

 抱きしめる腕が腰にまわり、明確な意図でもって撫でてくる。まだ部屋に上がってさえいないのに。
「あの、ここ、玄関……」
「なんだ、気になるのか?」
 気にならないわけないじゃないか。浮かんだ言葉は声にはできない。不満げな声だけならまだしも、義勇の瞳にかすかによぎった蔑むような冷たさが、炭治郎から声を奪う。
 今更もったいぶるつもりか。初めてでもないくせに。
 そんな言葉が聞こえてくるようで、炭治郎はすくむ腕をどうにか持ち上げ、義勇の背を抱き返した。
「……ベッドがいいです」
 本当は、少しでいいから話がしたかった。なんでずっと黙っていたのかとか、昔はどんなふうにふたりで過ごしていたのかとか。不安を晴らしてくれる会話がしたいと思ったのだけれど。
 心の奥でわだかまっている不安や反発を、炭治郎は無理にも抑えつけた。
 出逢えばわかるなんて、そんな楽観はしていない。前世の自分がどれだけ生きて、どれほどの人と関わってきたのかなんてわからないけれど、その誰とも今まで一度もすれ違いもしなかったというわけではないだろう。袖振り合うも他生の縁というではないか。もしかしたら、前世の両親やら友人と、街中ですれ違いながらも気づくことなく過ごしてきたかもしれないのだ。
 『あの人』の後ろ姿は知っているけれど、それだけだ。こんなにも狂おしい恋心は、前世から恋してきたからだと炭治郎は信じているが、顔も名前もわからない人であるのはどうしようもない。自分が思い出せないのと同様に、『あの人』だって炭治郎のことを覚えてない可能性のほうが高かった。
 それでも忘れがたいからこそ、運命の恋なのだと信じた。生まれ変わっても恋をする。それを定められているに違いないと。
 逢っても、すれ違っても、もしかしたら会話の一つもしたところで、記憶が戻らないのであれば『あの人』である確証は得られない。
 だから炭治郎は、ゲイでもないのに男と寝る。女の子をかわいいと思うし、友人がこっそり見せてくれた全裸のグラビアに体が反応したりもする。触れられれば男相手であっても反応するし、快感だって得ることができるけれど、ときめいたり恋愛感情としての好意を持ったことなんてない。
 『あの人』だけなのだ。あの、黒髪を背に揺らし風変わりな羽織を着た、つれなくて、でもやさしくて、全身全霊で炭治郎を守ってくれていることがわかる、その背中に恋をした。ずっと恋していたのだと、疑うことなく信じられた。
「準備はしてきた?」
 どこか面白げにたずねてくる義勇に、炭治郎は顔を上げないまま、こくりとうなずいた。
 きっと、これからわかるはず。恋人だったのなら、記憶はなくても体が覚えているかもしれない。魂に刻み込まれているはずの、あの人の肌の感触、体温、匂い、なんでもいい。きっと確信を得るなにかが起きる。
 それはたぶん、漫画などでよく見る頭のなかに鳴り響くファンファーレのように、祝福でもってもたらされると炭治郎は信じている。
 先生と寝たら、きっと、それが起きるのだ。そうしたらなにも疑うことなく恋しさを伝えあい、また寄り添いあい愛しあって過ごせるはずだ。
 前世の自分がどんなふうに愛されてきたのかだって、思い出せるかもしれない。そのときには、愛おしさはきっともっと増すのだろう。
 靴を脱ぐ間ももどかげに進む義勇は、炭治郎を顧みない。腕をつかむ手の強さは痛いほどだった。
 室内を見回す余裕もろくにないが、たぶんオシャレな部屋なのだろう。インテリアはシンプルで、こだわっているように見えた。家族と暮らしている感じはしない。
 広いリビングを通り抜け、連れ込まれたのは寝室らしい。大きなベッドに炭治郎の胸がドクンと鳴った。期待なのか、それとも不安なのか、自分でもわからない。黒で統一された寝具は、なんだかホテルのベッドよりもいかがわしく見えた。
 ドアを閉めたと同時に、義勇は炭治郎の腕を放した。性急にジャージを脱ぐのをぼんやりと見ていたら、少し不満げに眉を寄せられ、炭治郎もあわてて着ていたパーカーを脱ぐ。せめてシャワーなんてことを言える雰囲気じゃない。

 (出逢い系サイトで逢った人たちだって、こんなにすぐさまベッドインなんてしなかったのに)
 
 思うけれど、義勇の不興を買うのは嫌だ。それに義勇だって、早く抱きあいたいと思ってくれているからこそ、急かせるのかもしれない。炭治郎と逢いたかったと、前世の恋人を今も思っているのだという、証かもしれないじゃないか。
 グッと一度唇を噛むと、炭治郎は義勇に笑いかけてみた。
「全部脱いだほうがいいですか? それとも……」
「脱がせるのも楽しそうだが、それはまた今度」
 返された声は少し楽しげに聞こえた。内心炭治郎はホッと安堵のため息をつく。こんな感じの軽いやり取りが、義勇は好きなのだろう。ちゃんと覚えておこうと胸に刻み込む。
 上だけ脱いだところで、また腕をとられた。引き寄せられ、キスされながらベッドに腰かける。一連の動作はスムーズだ。慣れてる。そんな言葉が浮かんで、胸がチクリと痛んだ。
 うなじに落ちた唇が、肌をやんわりと食んでくる。ゾワリと背筋に快感の震えが走った。大きな手のひらで胸を包まれた。掌で持ち上げられた小さな頂きが、プツリと立ち上がる。
「まだ小さいな。ここは開発されてないのか?」
「えっと……あの、わかんない、です」
 うっそりと笑いながら淡く色づいているそこをつまみ上げ、義勇が言うのに、炭治郎は戸惑いつつ答えた。どんな答えなら義勇の意に沿うのかわからない。この答えで機嫌を損ねはしないかと、少し不安になる。
 義勇は、仕込み甲斐があるなと目を細めた。よかった、大丈夫だった。思って炭治郎は少し泣きたくなった。
 この調子で進めるのでは身がもたないかもと、不安になる。一挙一動、一言一句に気を遣いながらのセックスなんて、したことがなかった。一晩限りで終わった見知らぬ相手と抱きあうほうが、よっぽどリラックスしてたなんて信じられない。これが恋人とするセックスなんだろうか。

(でも、まだ抱かれてないからだよな。抱かれたら、きっと今までのどんなセックスより、幸せな感じがするんだ。先生が『あの人』なら、絶対に……)

 不安を残してはいても、慣れた体は与えられる快感を拾っていく。胸から手を離されて、試すように耳をなめられたら、んっ、と息がつまった。気をよくしたのか、義勇はわざと音をたてながら耳のなかに舌を差し込んでくる。ねっとりとなぶったと思ったら、疑似セックスめいて舌を抜き差しされ、とうとう声がもれた。知らず腰が揺れる。
「あ、やっ!」
 唐突にデニムのなかで兆しだしたそれを揉まれ、炭治郎は、反射的に義勇の肩を押し返そうとした。途端にしかめられる顔に、ビクリと肩を揺らす。
 ごめんなさいと謝るより早く、性急な手つきでベルトが外された。
「あの」
「まだるっこしい前戯は好みじゃないらしいからな」
 違うとは言えなかった。
 もういいとやめられるより、よっぽどいいじゃないかと、炭治郎は自分に言い聞かせる。これでおしまいになってしまっては、確かめることができない。義勇が『あの人』である証明ができないのだ。
 複数の男達と寝てきて、炭治郎にはひとつわかったことがある。男と寝るのは確かに気持ちがいいが、それだけだ。自分でするよりも感じるのは間違いがないが、それは肉体的なものの域を出ない。心がそれを気持ちいい、幸せだと感じたことは一度もなかった。
 肉体的にも、中で感じられるようにはなっているが、男と寝るのが好きだと思ったことはない。頭のなかはどこかいつも冷静で、ずっと『あの人』の欠けらを探している。いや、それは逆かもしれない。
 乱されようと冷静に。『あの人』だと感じるなにかを逃さないためにも。そんな意識が常にどこかにあって、理性を飛ばすほどセックスにのめり込むことを自制している。それがきっと正しい。
 想い人を探すための行為だ。なにも考えられなくなっては元も子もない。
 だから炭治郎は、いつもどこか冷めている。セックスを楽しいと思ったことなんて一度もない。

(あ、違う。いっぺんだけ、あった。楽しいなって思ったこと)

 ふと浮かび上がった記憶をたどることは、できなかった。
「ふっ……ぅんっ」
 胸に吸いつかれながら、ゆるく立ちあがりかけた性器を大きな手でしごきあげられ、思考が一瞬かすんだ。知らずもれた鼻声は甘える子犬のようだった。
 けれども炭治郎の心情にそんな甘えはみじんもない。短兵急で即物的に感じられる愛撫にとまどうばかりだ。
 義勇を無駄に刺激しないようにと、努めるだけの理性が炭治郎にはあった。なにも見逃さないように自制心を働かせるのが、男とのセックスで一番大事なことだと、炭治郎は思っている。そもそも『あの人』探しのための行為なのだから、それは当然だとも考えていた。
 自分はゲイではないのだろうと思うひとつの要因は、そのかたくなな理性にあったかもしれない。
 好きなのは夢のなかの『あの人』だけだ。『あの人』が男だから、炭治郎は男と寝る。生まれ変わった『あの人』だと確認するため以上の理由なんてない。
「考えごとか? 余裕だな。よっぽど慣れてるらしい」
 義勇の声は笑っているように聞こえた。焦って見あげた義勇の顔も、笑ってはいる。でも、目が不快さをたたえていた。
 否と答えるべきなのだろう。だが言葉が浮かばない。違うと言ったところで義勇は信じない気がした。こびてお愛想の嘘をつく器用さは、炭治郎にはない。両親や友人にも融通が利かないと呆れられるが、炭治郎自身も、自分の頑固さや生真面目さは認識している。ここで義勇に甘えてみせたところで、空々しさにますます怒らせそうで、困惑は深まるばかりだ。
 どうすればいいのかわからず迷っていると、自身も衣服をすべて脱ぎ捨てた義勇が、炭治郎の足を肩に担ぎあげた。
 膝立ちの義勇の足のあいだでゆるく屹立するそれを目にした瞬間、炭治郎の顔からサッと血の気が引く。
 爽やかな風貌に似つかわしくない逸物は、期待よりも恐怖を炭治郎にもたらした。
「そんなおっきいの、入らない……」
 思わず口をついた言葉は、義勇の機嫌を上向きにさせたようだ。弧を描いた唇から楽しげな忍び笑いをもらして、義勇は炭治郎の足を担いだまま、身を乗り出してきた。
 膝が顔の横につきそうなほど深く体を折り曲げられ、小さく息をつめる。眼前につきだされる赤黒い肉棒から目をそらそうとしたが許されず、舐めろと無慈悲な命令が降ってくる。
 拒むわけにもいかず、炭治郎は息苦しさを感じながら、おずおずと舌を伸ばした。
 体はやわらかいほうだと思っているが、さすがにこの体勢はきつい。早く義勇を満足させるのが先決と、必死に舌を動かすが、先端をどうにか舐めまわすのがやっとだ。押しつけるように突き出されるたび、更に体も圧迫されて、息が苦しい。われ知らず炭治郎の目尻にじわりと涙がにじんだ。
「もういい」
 ようやく言われたときには、伸ばし続けた舌は付け根がジンジンと痛んでいたし、つらい体勢でいた腰も鈍痛を訴えていた。少し休みたい。ささやかな願いは口にする間もなく打ち捨てられた。
「あぁ、本当にちゃんと準備してきてるな」
 予備動作なしにいきなりグイっと秘所を指で押されて、羞恥より先に恐怖がぶわりとわき上がった。
「これならそんなに慣らさなくても、すぐに入りそうだ」
 言いながらグニグニとそこを揉みこんでくる指に、快感を覚えないわけじゃない。炭治郎はもうその場所で得る快楽を知っている。けれども、不自然な行為には違いなく、挿入には痛みや圧迫感をともなうのだ。どうしたって身がすくむ。
 前戯というよりも下準備と呼ぶほうがしっくりくる手付きは、どこか機械的だった。こんな仕草は別に義勇が初めてじゃない。炭治郎が寝てきた男たちの大半は、挿入が目的だと隠しもしない手つきでそこに触れた。炭治郎の反応を楽しむように前戯として触れる者はといえば、継続したつきあいを望んでいるのがすぐにわかる。馴れ馴れしい態度や言葉に辟易したことは多かった。
 一度の行為で見限った相手に、ベタベタといやらしく懐かれるぐらいなら、いっそドライに進められるほうがマシだなと思っていたのに。
 期待を裏切られたようで、義勇の感情的でない動作には、胸がツキリと痛む。『あの人』となら、なにもかもが違って見えるはずだと思い込んでいたからだろうか。頭のなかに鳴り響く祝福のファンファーレもなく、開かれた扉からあふれる光のような天啓もない。ほかの男たちと変わらぬ行為に、不安ばかりがいや増していく。

(あぁ、でも、ひとりだけ。なんかほかの人とはちょっと違う人、いたな)

 男と寝るのは初めてだったのだろう。炭治郎のどこに触れるのにも、少し怯えるように手指が震えていた。あれは確か。そうだ。義勇と深夜にコンビニで逢った日に、寝た男。やたらときれいな顔をしていた無口な人。男女問わずモテそうなのに、キスひとつするのにも震えていたから、もしかしたら童貞だったのかもしれない。
 慣れてるから大丈夫と言っているのに、大丈夫か、つらくはないかと、ずっと炭治郎を気遣うからなんだかおかしくなった。ちょっとでも炭治郎が痛みを訴えるそぶりをしたら、すぐにピタリと動きを止めて、不安そうに瞳をゆらせるのが、妙にかわいく思えて……あぁ、駄目だ。
 炭治郎はゆるく首を振り、記憶を振り払った。
 その仕草は、感じ入っているように義勇には見えたのだろう。また考えごとをしていたとは、バレずに済んだようだ。これ以上不興を買うのは、いろんな意味で怖い。

(先生としてるのに、ほかの人を思い出すなんて、失礼すぎる)

 もしも義勇が『あの人』ではなかったとしても、マナー違反には違いないだろう。
 とはいえ、誰と寝ようと炭治郎の頭には、常に『あの人』がいるのは確かなのだけれど。
 悠長な考えごとは、指を押し込まれて入り口を広げられてもつづけられたが、いよいよ義勇が避妊具を被せた自身を押し当ててきた瞬間に、全部が吹き飛んだ。
 巨根としか言いようのない逸物は、入り込むとき、受け入れるそこがメリッと音をたてた気がした。必死に体の力を抜き深く息を吐きだして、痛みを和らげようとしたけれど、どうしても体が強張ってしまう。
「慣れてるわりには狭いな」
 言う声は、楽しそうにも、面倒くさそうにも聞こえた。いずれにしても、気遣いは感じられない声だった。
 入り込みかけたそれが、唐突に抜き去られた。刹那の安堵は、くるりと無造作に体をひっくり返されたことで、すぐに消えた。
「せ……義勇、さん?」
 一瞬口にしかけた先生という呼びかけを、どうにか飲みこみ名前を呼べば、不思議と甘く胸がうずく。うつぶせにされ、高く腰を持ち上げられた格好は、羞恥に身が焼かれそうにもなるけれども、胸の奥でトクリと高鳴る甘さに気をとられ、不安が少し薄れた。
「このほうが入れやすい」
 うっそりと笑う義勇に、炭治郎は、ゆっくりと深く息を吐いた。
 義勇の言の確かさを、炭治郎は身をもって知っている。男同士の不自然な行為では、陰道がまっすぐに伸びる後ろからのほうが、受け入れる側としては格段に楽だ。
 気遣いゆえと思いたいところだが、改めて入り込んできた巨大な熱に容赦はない。たっぷりと塗りたくられた潤滑剤が、ジュプリと湿った音を立てるのが、どうにも落ち着かなかった。
 受け入れるときは、いつだってそうだ。
 けっきょくのところ、炭治郎にとって男同士で寝る意味など、人探しのためでしかない。楽しいとか好きだとか、そんなことを思ったことなどなかった。これしか方法がないから、男と寝る。ただそれだけ。
 義勇が『あの人』ならば、この行為にも意味が生まれるはずだ。この時間が終わるまでに、なにか天啓のようなものがあればと、必死に願いながら、炭治郎はグッと押し込まれる熱に耐えた。
 一番狭い入り口を、最も太い先端が過ぎれば、少し楽になる。全部入るとは到底思えない大きさだったけれど、義勇は根元までおさめたいらしい。止まらず奥まで入り込んでくる異物に、ひどい圧迫感と異物感を覚えた。吐き気をこらえて辛抱強く耐えていると、太い傘でひっかけるようにある場所が圧迫された。
 刹那背を仰け反らせて嬌声をもらした炭治郎に、忍び笑いが降りかかる。
「あぁ、ここか」
「やぁっ、そこ、待って!」
 容赦なく固い熱棒でこすりたてられる。そこは弱いのだ。理性が飛びそうになる。
 気持ちいいことが嫌なわけじゃない。けれども理性をなくせば『あの人』の証に気づかぬ可能性があるかもしれないと思うと、愉悦に酔い乱れるのは困る。
 だが炭治郎の制止は、義勇にとってはなんの意味もないらしかった。いや、もしかしたら、ねだる駆け引きぐらいに思っているのかもしれない。
「なかでイッたことは?」
「はっ、あ、ある、けど」
 ようよう答えた炭治郎に、義勇は、軽く鼻を鳴らした。ない、と答えたほうが、よかっただろうか。そんな後悔がちらりと浮かぶ。それぐらいの余裕が、炭治郎にはまだ辛うじてあった。
「なら、これは……されたことあるか?」
 グッと背を押されて、腰以外をベッドに押しつける格好になった。それにあわせて、さらに奥へと灼熱の肉棒が入り込んでくる。
「S状結腸って、知ってるか?」
「は? え、あ、やっ! うそ、や、だぁ!」
 グリグリと押しつけられる熱で、精の源を押しつぶされて、だらりと白濁がこぼれた。目の奥でチカチカと光が乱舞する。
「トコロテン」
 楽しげな声が聞えた気がしたが、ドクドクとうるさい血流が鼓膜でひびいて、よくわからない。
 そのまま義勇も果てるための動きに変わるのだと思った炭治郎の予想に反し、義勇は更に奥を目指してくる。
 身のうちで鈍痛がする。大きすぎる熱棒が、肉のひだを纏わりつかせて進むと、内臓が動いているのを感じた。自分の内臓を無理やり動かされるようなこの感覚は、いつまで経っても慣れない。しかも、今までは感じたことのない奥深くにまで入り込んでくる。
 ゴツンと突かれた衝撃に、炭治郎は苦鳴を上げた。痛いと、口にしてしまえば義勇もやめてくれるかもしれない。けれど、腹を立てたら? 思えば不安は拭いようがなく、炭治郎はただ唇を噛みしめた。
「ヒューストン弁というのが、ここ」
 グリッと奥を突かれて、全身から汗が噴き出すのを感じた。無理。そう言ってしまいたい。我慢しきれず、泣き言が口をつきそうになったとき。
「――ッ!!」
 目の前が、真っ白に染まった。体のなかでグポッと音がした瞬間、脳天まで一気に駆け抜けた衝撃は、なんだったのか、よくわからない。ただ、全身が電流を流されたようにびりびりとしびれていた。射精とは違う、絶頂感。こんなの、知らない。
「ホラ、もっと奥まで入るぞ?」
 嘘だ。そんな言葉は浮かんだ刹那、消えた。代わりにほとばしり出たのは、甲高い悲鳴。
「ここが、コールラウシュ壁。おまえ、すごいな。K点越えだ」
 愉快げな声は、もう耳に入らなかった。勝手に涙がポロポロとこぼれる。開きっぱなしになった口からは、だらしなく唾液がしたたり落ちた。
 もう、なにもわからない。そのまま小刻みに奥を突きだす熱にあわせて、自分でも信じられない淫らな嬌声が、絶えずほとばしり出る。
 理性はもう残っていなかった。不意に大きく腰を引かれ、嫌っ、と抜け出す陰棒を追って腰を後ろに突き出す。もっと。たぶん、そう口走っていた。なにを言っているのかすら、理解の外にある。意味のない母音の羅列が、媚を含んで口から出ていただけ。自制心も理性も、快感が打ち砕いていく。
 ファンファーレは、聞こえない。光り輝く祝福も、ない。けれど、知らない扉は開かれた。
「ぎゆ、さ……はっ、あんっ!! 義勇、さん!!」
 名を、呼んだ。砕けて散っていく理性の欠けらで、必死にその名を呼びつづけた。
 その響きだけが、なぜだか不思議に甘く、温かかった。