尽きることなく満ちて、増えて、繋がってゆけ

お題:なし ※ファンブックネタ。書いてる本人が義炭と思って書いたので義炭。でもカプなしに近いです。あえて言うなら宇嫁w 800字2/6分

 義勇は一度だけ、聖母像を見たことがある。隊士になっていくらも経たないころのことだ。
 その日、義勇は心身ともに疲れ果てていた。先輩隊士三人と臨んだ任務だったが、生き残ったのは義勇だけであった。
 義勇自身も怪我を負っていたけれど、歩けないほどではない。隠たちが手当てをと言うのを断り、義勇はひとり疲れ果てた体を引きずるように歩いていた。
 目に入った教会に寄ったのは、信仰心ゆえではない。異国の神どころか日本の神仏にさえ、隊士になって以来義勇は祈ったことなどなかった。疲れた体を少しだけ休めたい。ただそれだけの理由である。
 教会は静かで、人けはなかった。どさりと椅子に腰を下ろし、肩にとまった寛三郎が気遣わしげに頬へと小さな頭をすり寄せるのを、しびれる腕でなでてやる。少し血を失い過ぎたのかもしれない。傷は塞いでいたけれど、体力は底をつきかけている。
 少しでも体力を回復しようと本能が訴えるのか、まぶたが重い。だが、さすがにこんなところで居眠りなどしていれば、注意のひとつも受けるだろう。神に仕える身であるからには、追い払われるということはあるまいがと思いつつ、義勇は、ようやく周囲を見回した。
 そして初めて、祭壇に立つその像を見たのだ。
 
 
 隣の部屋から聞こえてくる怒号にも似た叱咤激励と絶叫に、義勇は落ち着かぬまま空の湯飲みを持ち上げては、空なのに気づき下ろしていた。傍らに座る宇髄も、常の悠然とした風情など微塵もなく貧乏ゆすりを繰り返している。
 まさか妊娠中の宇髄の嫁を見舞いに来たその日に、産気づくなど思いもしなかった。お産を手伝うことになった禰豆子はともかく、自分が残ったところでなんの役にも立たぬのだから、帰ったほうがいいんじゃないだろうか。思いはするが、すっかり暇を告げる機会を失ってしまった。
「義勇さん、顔が青いですよ? お産は病気じゃないですからね、大丈夫ですよ」
 新しい茶を入れてきた炭治郎が気遣わしげに言う。義勇が口を開く前に、宇髄が苛ついた声で答えた。
「おい、それじゃまるで冨岡が俺の子産むみてぇに聞こえんぞ」
「えー? そうですか? それはちょっと嫌だなぁ」
「……産めないし、宇髄の子は産まない」
 宇髄も嫁たちも好きではあるけれど、家族になるのは勘弁願いたい。男同士でさえ一緒に入浴するのは少々恥ずかしいのに、嫁たちまで一緒とか、ない。ああいう空気感のなかで暮らすのは、自分には無理だ。
 それよりなにより。
「炭治郎の子なら産んでもいい」
 ちょうどいい温度で入れられた茶を飲みつつ、なんの気なしに義勇が言ったとたん、ボンッと音を立てそうなぐらいに炭治郎の顔が真っ赤に染まった。
「お、俺も義勇さんの赤ちゃんなら産みたいです!」
「いや、産めねぇだろうよ、おまえらふたりとも……ていうか、え? 産む立場って炭治郎じゃなく冨岡もなのかよ?」
 なんのことかわからずに、同様らしい炭治郎とともにきょとんと小首をかしげたそのとき、大きな産声がひびきわたった。バッと宇髄が立ちあがり、飛びつくように襖を開く。義勇と炭治郎も腰を浮かし、息を飲んで隣の部屋を見つめた。
「元気な男の子ですよっ、宇髄さん」
「お、おぅ……」
 禰豆子の腕に抱かれた赤子は、文字通り赤い。ふにゃふにゃと頼りなく小さな手足と、くしゃくしゃの猿のような顔で、大きく声を張り上げ泣いている。
「ハハッ、俺様が父親になるなんざ、思ってもみなかったなぁ……」
 宇髄の声は震えていた。渡された赤子を抱く手も小さく震えて見える。
「本当に元気な子ですね。かわいいなぁ」
 弟妹の多い炭治郎は慣れているのだろう。物おじせずに赤子の顔をのぞき込み相好をくずしていた。
「ちょっと抱いててくれ」
 宇髄に赤子を託されて、よしよしと抱く手も堂に入っている。
 隣の座敷に入った宇髄が、襖を閉めた。母となった嫁に声をかけているのだろう。さてもう仕事と禰豆子が厨に向かってしまえば、座敷には赤子を抱く炭治郎と義勇だけが残された。
「義勇さんも抱いてみますか?」
 問われて義勇はブンブンと首を振った。赤子など一度も抱いたことがない。万が一にでも落としでもしたらと思うと、怖かった。
「大丈夫なのに」
 苦笑して、赤子に視線を落とす炭治郎の顔には、柔らかく温かな笑みがあった。
 
 聖母子像のようだ。
 
 一度だけ見た母子の像と、炭治郎の穏やかな慈しみの笑みが重なって、義勇は知らずその笑みに見惚れた。
 ポロリと、涙が落ちる。
 姉と錆兎の犠牲の上にある自分の命。ずっと生きることを恥じてきた。昔教会で見た聖母の笑みは、もう二度と自分に向けられることのない姉に似ていて、胸が痛かった。
 義勇の涙に気づいた炭治郎が、ぱちりとひとつまばたいた。ふうわりと微笑む顔は、もう二度と自分には与えられるはずもないと思っていた、慈しみの笑みだ。
 視線で促されて、そろそろと義勇は泣く赤子に手を伸ばす。小さな手にちょんと触れたとたんに、頼りない手は義勇の指先をギュッとつかんできた。
 その強さに、涙はますますこぼれた。
「……これから何度も、こんなふうに赤ん坊に触れられますよ。幸せな命はまだまだ生まれてくるに決まってるんですから」
「うん……」
「俺は産めないし、義勇さんに産んでもらうこともできないけど……でも、この子もこれから生まれてくる子たちも、みんな、俺らや煉獄さんやしのぶさんたちの子です。みんなで見守りましょうね」
 この命のために、俺たちの日々はあったんですねと、炭治郎は微笑む。
「……そうか」
「はい」
 指先をつかむ小さな手に、ポトリと涙が落ちて、義勇も静かに笑った。
 あの日の聖母子像は、見ていられずに顔をそむけてしまった。けれども温もりを伝える小さな命と、それを抱く炭治郎のやわらかな笑みは、深く義勇の心に染みわたっていく。
 姉を亡くし、錆兎を失ってから、神に祈ったことはない。けれど、祈りは自然に義勇の胸にわいた。
 
 神は、産めよ増えよ地に満ちよと、宣ったと聞く。
 
 義勇は祈る。そして願う。これから先もつづく命の謳歌を。幸せが増えていくことを。
 口にはしない。だが炭治郎には伝わったのだろう。大丈夫ですよと笑ってくれるその顔は、たとえようもなくやさしく、きれいだった。