口説き文句はたとえ話じゃ伝わらない

※『800文字で恋をする』で書いたお話のロングバージョンです。

 感情が読めなくて怖い。冷たすぎる。生気がない。死んだ魚の目か。
 無表情が常であるせいか、義勇に対して言われる言葉は、大概がそんなものだ。義勇自身はといえば、ときに心外と思いはするが、聞いてもどうということはない。
 そもそも、義勇の目を見て話しかける者自体が、そうそういない。このところは、義勇のほうから歩み寄ろうともしているけれど、大方の者は恐れ畏まるか、なぜだか腹を立てる。
 自覚はないのだが、どうやら自分は口下手らしいと、薄々義勇も感じだしていた。ついでに、自分の目は人からすると高圧的だったり、生ける屍のように見えたりもするようだと、悟りだしてもいる。
 とはいえ、目を取り換えるわけにもいかないし、一朝一夕に話し上手になれるわけでもない。
 いきなり明るくなれと言われても無理な話だ。柱たちとくらいはもう少し親しくしたいと思いはするが、大儀の前の小事であるに違いはなく、まぁおいおいと、暢気に構えてもいる。
 だが、たったひとりだけ、義勇をまったく厭わず、それどころか義勇の目に対してもみなと異なる見解を見せる者がいる。
 
「義勇さんの目って本当にきれいですね。宝石みたい。俺は見たことないですけど」
 
 きた。義勇は一瞬だけ体をこわばらせた。
 陰で能面のようだとのそしりを受けることも多い相変わらずの無表情っぷりには、おそらく、かすかにも動じた様子はないだろう。だが内心では、おどおどと逃げ出したくなるほどの恐慌状態に襲われている。
 じっと義勇の目を見つめ、うっとりと瞳を煌めかせて言う、弟弟子。
 お愛想やゴマすりならば無視もできた。だが炭治郎は、きっと本気で言っているのだ。ならばなにか答えてやらねばならないだろうとは思う。だが、なんと言えばいいのやら。義勇にはさっぱりわからない。
 ありがとうと礼を言うのもなんだかうぬぼれているようで嫌だし、見え透いたことをと叱責するには炭治郎はいたって本気である。浮ついたことを言っている暇があるなら鍛錬しろと、叱ることはできるだろうが、そこまで狭量にもなりたくない。
 第一、困っているだけで、怒っているわけではないのだ。
「いつまでだって見ていられます。本当にきれい」
 炭治郎は、ほぅっとため息さえついて、義勇の目に見惚れ言う。そして今日も義勇は、そうかと呟き、炭治郎の視線に耐えることしかできなかった。
 そうかってなんだ。自分でもその返しはどうかと思う。けれどもほかに言葉が見つからない。
 一度や二度ならばまだいい。だが、最近ことあるごとに炭治郎は義勇を誉めそやす。死んだ魚のようだとさえ言われる、義勇の目をだ。
 
「きれいな目……海ってこんな感じかなぁ」
 
「富士山の色って義勇さんの目に似てますね。登ったら青く染まりそう」
 
「義勇さんの目みたいに気持ちいい空ですねぇ。飛んでみたいなぁ」
 
 どう返せというのだ。宝石や海を見せればいいのか? 富士山に一緒に登れと? 空を飛ぶのはさすがに無理だろう。
 美しいと思われているのはわかる。宝石にしろ海にしろ、見たことのない炭治郎にとっては憧れなのだろう。富士や空などにたとえるのも、好意や敬愛の表れだ。炭治郎にしてみれば、清々しく心洗われるものにたとえるのにふさわしいと、自分の目は思われている。
だからこそ、義勇のいたたまれなさは尽きることがない。軽口でもって返してやれぬ不甲斐なさも相まって、近ごろは、炭治郎の目を見返してやることもできなくなっている始末だ。


「……おい、なぜ俺らに言う」
 唸るように言われ、義勇はパチリとまばたいた。どうやら伊黒は、機嫌が悪そうだ。
 なにも話さぬのも愛想がないかと思ったのだが、悩み相談は、食後の話題には場違いだったのだろう。やはり自分は人づきあいが下手らしい。
 ふらりと立ち寄った食堂にいた伊黒と甘露寺に誘われ、相席したのはいいが、場を盛り上げる話題も見つからず、どうにか義勇が口にできたのはこのところの悩みであった。
 以前は食事や酒に誘われることもあったが、断り続けているうちに声をかけてくれる相手はいなくなり、柱合会議や任務以外で顔をあわせることもない。そんな有り様であったのに親しく誘ってくれたのが、自分で思う以上にうれしかったのだろう。少々舞い上がっていたようだ。余計なことを言うものじゃない。
 すまないと義勇が謝るより早く、明るい声が響いた。
「素敵! 炭治郎くんにとって冨岡さんの目はとびきりきれいなのね」
 頬染め言う甘露寺は、実にうれしそうだ。けれどもその言は、義勇にとってはあまりありがたくはない。それこそが悩みなのだと、つい眉尻が下がった。
「炭治郎の目のほうが、ずっときれいだ」
 なのに、自分の目なぞをこそ炭治郎は褒めるから、どうにも落ち着かない。
 明るく微笑む炭治郎の目は、温かい。赫灼の瞳は、熟れたザクロの実のようにつややかで、冬のかがり火のように人を安堵させる。自分の目とはてんで違う、誰からも好かれる美しい心根そのままの、煌めく瞳。
 褒め称えられるべきは、炭治郎のほうだ。
「ならそう言えばいいだけの話だろう」
 グダグダと悩むことかと吐き捨てられ、義勇は少しうつむいた。
「……褒めたりしたら、口説いていると思われるかもしれない」
「は? 口説く、だと?」
 怪訝に眉を寄せる伊黒の視線に、義勇はますます身の置き所をなくした。
「えっと、万が一口説いてると思われても、そんな気がないのならそう言えば、炭治郎くんは笑っておしまいにしてくれるんじゃないかしら」
 甘露寺の言ももっともだ。口説き文句ではないのだと伝えれば、きっと炭治郎は、なんだビックリしましたと笑い、引きずることはないだろう。だが、それでは炭治郎に嘘をつくことになる。
「口説きたいわけではないが……そんな気はないと言えば、嘘になってしまう。炭治郎に嘘はつきたくない。だが、正直に言ったらきっと炭治郎を困らせる」

 義勇は炭治郎に惚れている。いつからなのかは、義勇にもわからない。気がつけば、炭治郎の笑みで固く凍りついていた心は解かされて、もっと笑ってくれと願っていた。
 そばにいれば触れたくなり、いつまでだって楽しいおしゃべりを聞いていたいとも思う。
 あの美しい赫い瞳が、自分だけを映して笑ってくれたなら。今ではそんな浅ましいことまで願うのだ。炭治郎といると心弾みもするが、ときに切なく胸を締めつけられもする。
 齢二十一にしての初恋だ。想うだけで満足しろと自分に言い聞かせてはいるが、もしも口説き文句めいて褒めてしまったら、ひた隠す恋心があふれて、声音が熱を帯びてしまうかもしれない。そうなれば、炭治郎だって義勇の想いに気がつくのではなかろうか。
 兄弟子からそんな想いを向けられても、炭治郎は迷惑だろう。

 どうにかそんなことを言い終えてみれば、甘露寺は身悶え、伊黒の機嫌は地を這っていた。
「なんだそれは馬鹿らしい。惚気のつもりか、惚気だろうっ! 貴様、俺と甘露寺の邪魔をした挙句に惚気ているのか!」
「はぁぁっ、素敵! キュンキュンしちゃう! 冨岡さんの恋のお話を聞けるなんて感動だわ! しかもお相手が炭治郎くんだなんて! お似合いだと思うわっ、絶対に炭治郎くんに伝えてあげるべきですよ!」
 ガシリと手をつかまれ、爛々とした目をして言う甘露寺に、義勇の背に冷や汗が流れる。力が入りすぎていて、ちょっと手が痛い。伊黒の殺気立った視線が、ズブズブと突き刺さってくる気がする。
「いや、無理だろう」
「無理じゃないっ!」
 食い気味に反論する甘露寺から逃れたくて、伊黒に助けを求めようとしたが、射殺さんばかりの目でにらまれ、蛇にまで威嚇されては、視線をそらせることしかできない。
「貴様、甘露寺がここまで言ってるんだぞ。男らしく覚悟を決めて、口説き文句でも褒め言葉でもとっとと言ってこい。そして甘露寺の手をさっさと放せ」

 いや、握られてるのは俺のほうなのだが。

 そんなことは言い出せる空気ではなく。絶対に、絶対にっ、炭治郎くんに言ってあげてくださいね! と力説する甘露寺と、万事甘露寺の言うとおりにしろと迫る伊黒に、義勇ができたことといえば、蛇に睨まれた蛙よろしくうなずくことだけだった。

 さて、そんな一幕の後に、義勇が勇気を振り絞り
「おまえの目が好きだ。俺よりずっときれいだ」
 と炭治郎に告げたのは、それから一月ほども経ってから。
 顔をあわせることなど今まではほとんどなかったのに、事の次第が気になるのか、やけに出くわすようになった伊黒と甘露寺に、今日は言ったか、明日こそは言えと、毎度せっつかれた挙句のことだった。
 いや、言おうとはしたのだ、義勇だって。
 どうにか炭治郎の目を褒め返そうと、炭治郎が義勇の目を褒めるたびに、今までとは違いなんとか一言返しはした。

「おまえの目は、朝焼けに似てるな」

「ザクロの実みたいで甘酸っぱそうだ」

「おまえの目のような赤い宝石をルビーというらしい」

 その後に「きれいだ」とか「美しい」と言えたのなら、よかったのかもしれない。声にはならなかったが、思い浮かべる赤はどれも、炭治郎の瞳のほうが美しいと思えた。
 世界中を探したって、きっと炭治郎の瞳の赫よりもきれいな赤などありはしないだろう。似ていると口にしたそばから、なんだか嘘をついているようで落ち着かず、それきり黙り込んでしまう日々だった。
 それでも炭治郎は、義勇が言葉を返したことがうれしかったとみえる。照れくさそうにうれしげな笑みを浮かべていたのが救いであるような、よりいたたまれないような。義勇なりに頑張った日々ではあったのだ。
 そうして過ぎた一月で、義勇の思い描く炭治郎の瞳に似た、赤く美しいものは尽き果てて。炭治郎の褒め言葉を拝聴したあと、たっぷり数分間は黙りこくって炭治郎を見つめつづけた義勇が、ようやく口にしたのが、先の言葉である。
 口説き文句どころか、告白にほかならない文言は、言ったそばから後悔に襲われた。
 今まではうれしそうにしてくれたが、此度ばかりは炭治郎だって困るだろう。陶酔の目で義勇の瞳を見つめ、微笑みながら褒めてくれるのは、もう二度とないに違いない。
 すまない忘れてくれと言おうとした義勇の唇は、けれども、見る間に染まっていった炭治郎の頬を目にして言葉を忘れた。
「うれしいです……」
 はにかみ答えた炭治郎の頬は、真っ赤に染まっている。炭治郎の瞳の次にきれいな赤は、この頬の色以外ありえないと、義勇は言葉もなく見惚れた。
「俺も、義勇さんの目が好きです。義勇さんが、好きです」
 少し潤んだ赫い瞳は、鮮やかな朝焼けや、煌めく宝石よりもきれいで、やっぱり義勇は落ち着かなくなった。
 けれども知らず抱きしめた腕のなか、炭治郎は幸せそうに笑ったので。口説き文句どころか告白だろうと問題はなかったらしい。
 たとえ話というのは、物事を理解しやすくさせるために口にするものだろうけれども、恋するふたりにとっては、とんでもなく回り道をさせるものであるようだ。

 俺よりずっときれいな目だと互いに譲らぬふたりに、どちらが正しいか判断してくれと詰め寄られた伊黒が、だからなぜ俺らに言うと叫び、甘露寺が感極まって打ち震えたのは、また別のお話。