それは心を照らす光

※『800文字で恋をする』で書いた話のロングバージョンです。原作軸。義勇さんの無自覚片想いのような両片想い。

 鬼の出現が途絶えたとはいえ、油断はならない。柱稽古の合間に、柱のいずれかが警邏に出るのはよくあった。
 稽古を始めたとはいえ、義勇の元にたどり着いたのは弟弟子である炭治郎だけだ。勢い警邏を引き受けるのは義勇が多くなる。義勇にも否やはなく、警邏に出るとき炭治郎は、ほかの柱の稽古に交じるのが常だ。
 最初の一、二度は、見回りなら俺もと炭治郎はついてきた。だが、東京府全域を走り回る柱の足に、到底ついてゆけるものではない。足手まといになりますよねと、しょんぼりする様はかわいそうだったが、実際、炭治郎が一緒ではその日のうちに見回りを終えるのは困難だ。
 落ち込んだ炭治郎はすぐに気持ちを切り替えて、義勇さんについていけるようになるためにも鍛錬頑張りますと、宇髄や悲鳴嶼のところへ向かうようになった。
 安堵もしたが、ほんの少し寂しい。まったくもって不甲斐ないことだと、義勇は、夜明けがた辿り着いた屋敷の前で、小さく自嘲の笑みを漏らした。
 炭治郎と過ごすようになってから、ひとりでいると寂しさを感じるようになった。冬の気配色濃いこんな季節は、なおさらに炭治郎の温かく明るい笑顔が恋しい。
 人といるのを厭うたことはなかった。仲間を大切にも思っている。それでも、自分にはその輪に入る資格はないのだと、背を向けてきた。不甲斐ない、情けないと自嘲はしても、寂しいとは思わなかったものを。
 温かい笑みを向けられ、名を呼ばれ、明るく話しかけられる。幼いころや狭霧山での修行中には、ごく当たり前に傍らにあったもの。失い、再び手にすることから目を背けてきたもの。まぶしく温かい陽だまりのような親愛の情。それを炭治郎は無造作に義勇へとよこしてくる。
 光に慣れれば闇が濃くなるのは道理だ。温もりを覚えれば寒さが身にこたえる。傍らに、あの朗らかな笑みがあることが当たり前になりつつある今、逢えぬことが、情けなさを覚えるほどに寂しい。
 これではまるで、母を求めて泣く頑是ない子どものようだ。
 大の男が埒もないと声にはせず独り言ち、手燭に火をともす。白熱灯もあるにはあるが、明るすぎるのが義勇は少々好かない。昔を懐かしむような年齢でもないし、電気に慣れていないわけでもないが、昔ながらの行灯などのほうが、やさしい明かりだと思うのだ。
 夜店などのアセチレン灯はにぎやかすぎるし、白熱灯の白々とした明かりは、見えすぎて寂しさがいや増す気がする。
 陽射しやかがり火のような温かみのない人工の明かりは、確かに便利ではある。しかし、そっけないくせになにもかもを見せつけるようで、目をそらしたくもなった。
 手燭のなかで、ろうそくの火がちらちらと揺れる。電灯と違い、光の届く範囲は狭い。けれども不思議と安心する。孤独を見透かすよそよそしい明るさは、今は欲しくなかった。
 揺れる明かりを手に廊下を進む。座敷の前で立ち止まった。かすかに人の気配がする。鬼ではない。物取りかと眉をひそめたが、物音は一切なく、息をひそめている様子もない。
 静かに手燭を床に置き、刀の柄に手をかけた。鍔に親指を添えるが、まだ鯉口は切らない。中にいるのが人ならば、抜刀するには早い。
 身構え襖を開けば、暗い室内の真ん中に、うずくまる影があった。
「……炭治郎?」
 かすかに届く明かりにぼんやりと浮かび上がる人物は、頭を深く下げて顔は判断できないが、どう見ても炭治郎だ。うずくまるというよりも、その姿はまるきり土下座である。初めて逢った雪の日の光景を思い出させる様だった。常の朗らかな気配はみじんもない。だからすぐに炭治郎だと気づけなかったのかと、腑に落ちた。
 警戒を解いた義勇だが、訝しさが消えるわけでもない。こんな時刻に炭治郎が屋敷にいるなど思いもよらなかったうえ、いつもとは気配まで異なるだけに、呼びかけには逡巡が交じった。
 義勇の声にピクリと肩を震わせた炭治郎は、そのままの姿勢で声を張り上げた。
「すみません!」
 まだ夜明けやらぬ時刻だというのに、轟くような大声で詫びる炭治郎に、義勇は思わず肩を跳ねさせた。
「声が大きい」
「はい! すみません!」
 わかっているのかいないのか、まったく控える様子のない声に、ついため息が出た。
 なにはともあれ、話を聞かねば始まらない。炭治郎の前まで進み出て、電灯をつける。たちまち明るさに包まれた室内には火鉢すらなく、冷えた空気で満ちていた。
 煌々とした電灯の下で平伏する炭治郎の、畳についた指先が赤い。吐く息も白くなったこの時季に、明かりひとつつけずどれだけの時間そうしていたのか。見ていられず義勇が腕を伸ばすより早く、炭治郎の手が動いた。
「あの、稽古を終えても時間があったので、義勇さんがお帰りになる前に掃除をしようと思ったんですけど……すみませんでしたぁ!!」
 土下座したまま、炭治郎がずいっと差し出してきたのは、耳の欠けた白い狐の面だ。
「天袋の埃を拭こうとしたら落としちゃって……鱗滝さんの厄除の面ですよね? ごめんなさい、大切なものを壊しちゃって申し訳ありません!!」
「ずっと、そうしていたのか?」
 炭治郎は答えない。ただひたすらに頭を下げつづけている。
 壊れた面よりも、炭治郎がこの寒い部屋でひとりきり、罪悪感にさいなまれていたことのほうが、気にかかった。
 気にするなと言っても、おそらく炭治郎は落ち込んだままだろう。師の手による愛情のこもった面だ。炭治郎も受け取っただろうそれは、きっと大切にしまい込まれているに違いない。
 不甲斐ない。また自嘲が義勇の胸に落ちた。
「これは、もう壊れていた。最終選別試験で鬼に襲われたときに」
 腰を下ろし面を手に取る。青い瞳の狐面は、触れるのすら何年振りかわからない。己の弱さ、錆兎の死。鱗滝の心尽くしをも穢した証のようで、見ることすらただつらく。不甲斐ない自分を突きつけられるようで、見えぬ場所へと隠したまま、忘れかけていた。
「でも、大事でしょう?」
 捨てることはできなかった。それでもこれはただの物だ。
「己の弱さも、先生への感謝と詫びも……錆兎の思い出も、この面がなくともちゃんと俺の胸にある」
 気にするなと告げる声は、自分でもずいぶんとやわらかかった。
 この面を前にして静かな心でいられるのは、炭治郎と過ごした時間のお陰だろう。
 煌々とした明かりに満ちた部屋に、炭治郎がいる。身をすくませ泣きだしそうな顔をしているのはいただけないが、そこに炭治郎がいるだけで、寒さはもう感じなかった。
 炭治郎の明るさは、義勇だけを温めるものではない。おそらくは、炭治郎と接した多くの者が救われているのだろう。胸の奥がチリッと痛んだ気がした。
 隊士となって以来磨き上げてきた判断力は、義勇の命をたびたび救ってきたが、今この場においてはあまり役には立たぬようだった。
 胸をよぎった小さな痛み。その理由を明確にすべきだと思うそばから、このままでいいと願う自分もいる。戦闘時に判断を曇らせるものとなるかもしれない憂慮の種は、すべて捨て去ってきたはずだが、この小さな痛みを明確に言語化し、さらには不要と捨て去れるのか。惑う自体が過ちではないのかとの逡巡を、義勇は無理にも抑えこんだ。
「今度から、ちゃんと飾っておくことにする」
 笑いかければ、炭治郎はようやく瞳を明るくした。
「本当にすみませんでした。あの、飾るのなら俺の面も義勇さんの面と並べてかけてもいいですか?」
「……いいのか?」
 炭治郎にとっても大切な面だろうに。手元に置いておかずともよいのだろうか。
 思いもよらぬ炭治郎の提案に、義勇がわずかに目を見開くと、聞いたのは俺のほうですよと炭治郎は笑った。
 笑顔を浮かべた炭治郎の周りが、一層明るさを増した気がする。白熱灯の白く明るい光よりも、炭治郎の笑みのほうが明るく温かく義勇を包んでくれる。
 そんなふうに感じる理由は、まだわからない。けれども心のどこかでは、もう知っている気もした。
「面だってひとりは寂しいと思うんです。しまい込んだままにするよりも、義勇さんの面と一緒に飾られるほうが、俺の面もきっと喜んでくれます」
 俺は義勇さんと一緒にいるのがとてもうれしいから、面だって同じじゃないかなって。
 そんなことを言いながら、炭治郎は照れたように頬を掻いた。
「義勇さんに嫌われたらどうしようって、ずっと不安だったから……よかった、義勇さんにもう来るなって言われなくてすんで」
「おまえを嫌うことなどない」
 とっさに出た声は急いていた。ありえないのだ、そんなことは。われ知らず強い語調になった義勇に、炭治郎はきょとりと目をまばたかせ、ついでほわりと頬を染めて微笑んだ。
「……ありがとうございます。俺も、義勇さんを嫌うなんて絶対にありません!」
 心にやさしい明かりが灯る。やわらかく面映ゆげな笑みは、電灯よりもまばゆく見えた。

 夜が明けたら、道場に面をかけよう。青い瞳の狐と、痣のある狐を、仲良く並べて。
 面と同じようにふたり並んで立てば、炭治郎の顔にはいつもの明るい笑みがあるだろう。
 炭治郎と過ごし、ひとりが寂しくなった。だが同時に、心がやさしい温かさで満ちることも、義勇はもう知っている。
 炭治郎の笑みならば、どんなに明るすぎたとしても、義勇を寂しくさせることはないのだ。