検索履歴はブラックボックス

 炭治郎の好みはわかりやすいようでいて、さっぱりわからない。
「ね、面白そうでしょ?」
 映画雑誌のページを開いてみせる炭治郎の顔は、いかにもワクワクと輝いていて、大変愛らしいと思う。思うが、同意はいたしかねる。
「……だいぶ、前衛的だな」
「そうですか?」
 きょとんと小首をかしげる様がかわいい。義勇はちらりと雑誌に視線を落とした。
「……じゃあ、行くか」
「はいっ! やったぁ、義勇さんとデート!」
 ピョンピョンと飛び跳ねんばかりに喜ぶ炭治郎は、やっぱりかわいい。誰がなんと言おうと、世界中の誰よりも、かわいい。
 だからまぁ、まったく興味をそそられない映画だろうと、観るのはやぶさかではない。一時間半あまりの上映時間は、楽しいデートと言うよりも苦行になりそうだとすら思うが、我慢してみせようじゃないか。だって喜ぶ炭治郎がかわいいんだから。

 炭治郎が卒業し、ようやく教師と生徒という立場でなくなったというのに、デートのひとつもせずに夏が来る。これはさすがに不甲斐ないだろうと、一念発起しどうにか完全休養をもぎ取ったのはいいが、デートなど実のところ義勇は一度もしたことがない。
 なにせ、義勇の初恋はまだ小学生だった炭治郎だ。高校生が小学生相手に初恋。こればかりは親友の錆兎にも言えない、墓まで持っていく秘密だと決意している。まぁ、錆兎にはとっくにバレバレな気もするが。
 年齢差や性別を思えば、恋心を自覚したってどうこうできるわけもない。ひっそり思い続けるだけの片恋を、つづけること十二年あまり。どうやら炭治郎も自分を想ってくれているらしいと気づいたのは、それよりは前だ。けれども、あいにくとそのころには義勇は教職についていて、生徒となった炭治郎とはやっぱりどうこうするわけにもいかなかった。
 だが炭治郎ももう大学生だ。同性愛という世間一般的なハードルはあるが、法的にはなんの問題もなくなった。互いに想いを伝えあい、恋人になれたその日は、義勇にとって一生忘れがたい記念日である。
 だというのに、恋人らしいことなどいまだになにひとつしてやれていない。これを不甲斐ないと言わずしてなんと言おう。
 それなりに張りきったのだ。炭治郎が喜びそうな場所を検索しまくり、義勇が決めたのは水族館だ。炭治郎は生き物が好きだが、匂いに敏感で動物園はちょっと苦手だったりする。水族館ならば匂いはそう気にならないだろうし、夏場でも涼しい。それなりにムードもある……と言われているらしい。
 今週末は休めるから、どこかへ行くか。そう切り出した義勇は、シミュレーション通りに水族館なんてどうだと言うつもりだった。計画が狂ったのは、目をキラキラとさせた炭治郎が、ちょうど観たい映画があると言い出したからだ。
 もちろん、炭治郎が楽しんでくれることが重要なので、映画だってかまわない。炭治郎が観たいと言うなら、断る理由なんてないのだから、義勇はすぐに了承した。
 だがまさか、お目当ての映画がいかにも際物なB級ホラーコメディーだなどと、誰が思うものか。
 しかもずいぶんと昔の映画のリバイバルらしい。単館上映とはいえ、映画館も、こんなニッチな映画をよく公開する気になったものである。
 義勇は流行にうといほうだ。だから自分が知らないだけで、もしかしたら知る人ぞ知る人気作品なのかもしれない。だが好意的に考えてみようとしても、タイトルだけでげんなりしてくる。

 これを観るのか……初めてのデートで。

 話題作ではありえない小さな小さな記事に書かれたタイトルは『キラーコンドーム』名前からして、嫌な予感しかしない。
 だいたい、ホラーなのにコメディーってなんなんだ。恐怖と笑いじゃ真逆すぎるだろう。いやまぁ、怖すぎると笑えてくるとも聞くけれども、きっとそういうこっちゃない。
「楽しみですね!」
「……そうだな」
 どんなに胸中で勘弁してくれとため息ついても、そう答える以外、義勇にはできやしなかった。

 さて、約束を交わしたのは月曜日。本日はもう金曜だ。明日の夜には炭治郎が泊まりにきて、日曜には映画デートが待っている。
 つきあいの長さを思えば、勝負服なんて用意するのもなんとなく気恥ずかしいし、そもそも一緒に家を出るのだから、気負って準備するようなことはなにもない。
 とはいうものの、初めてのデートなのだ。せめて炭治郎と話をあわせるためにも、予備知識ぐらい入れておこうかと、義勇は生真面目に考えた。
 正直、自分のパソコンの検索履歴にこんな名称が残るのは、なんだかちょっと釈然としないけれども、まぁいい。炭治郎が楽しみにしているのだから。あらすじなどを知れば、それなりに期待できるかもしれないのだし。
 思いつつ検索した義勇が、スンッと虚空を見つめるまでさほどかからなかった。
 性器を食う避妊具型の生物兵器。それだけで腹いっぱい。もう十分ですと言いたくなる。しかもゲイ映画ときたもんだ。いや、炭治郎と自分もそのくくりに含まれるのだろうけれども。
 というか、画像にあるこれ、本当にコンドームなのか? いくらなんでも分厚すぎるだろう。こんなものをつけたがる男がいるとでも? 数十年も前の作品とはいえ、そのころだって多分、コンドームは薄さを競っていたのではないだろうか。それとも海外では分厚いコンドームが主流なのか? だが、これでは受け入れる側だって辛いだろうし、着用していたら快感だってかなり薄れそうなものだ。もしかして早漏対策だったりするのか?
 どんなに考えても、映画に対する印象も、最初に浮かんだ疑問も、まったく変化がない。

「本当にこれが観たいのか?」

 なにか間違えてないかと、キーワードを変えて検索してみたが、映画はこれで間違っていないようだ。唸りつつも現実逃避するように検索が増えていく。
 小一時間もするころには、義勇のパソコンの閲覧履歴は当初の目的からかけ離れたページで埋められていた。

「……そうか、コンビニで買うやつじゃ、炭治郎には少し辛かったかもしれない」

 まぁ、実りはあったと言えよう。なにしろ不自然な行為に使うのだから、避妊具だって最適なものを選ぶべきだ。万が一にも炭治郎の体を傷つけるようなことがあってはいけない。
 うんうんと頷き、吟味した製品の購入を済ませた義勇の頭からは、すっかり映画のことなど消えていた。
 パソコン画面が示すのは、映画よりもこっちが大事と言わんばかりの誘惑だらけである。これぐらいだったら炭治郎も拒まないかもとか、一度ぐらいならとか、言い訳やらなんやらをつぶやきつつも、ついついポチポチと購入ボタンをクリックしていく。
 頭を悩ませていた映画など、すっかり記憶のかなただ。義勇の頭のなかは、小さい小さい布地一枚をまとった炭治郎の肢体だったり、ふわふわのウサギ尻尾がついた炭治郎の丸っこい尻やら揺れるウサ耳だのに埋めつくされている。

 水族館がB級ホラーコメディーに変わりはしたが、デートが楽しみなことに違いはない。大事なのは炭治郎とデートという、その一点のみである。
 だから義勇は、概ね満足してパソコンの電源を落とした。
 まさか、泊まりに来た炭治郎がパソコンを貸してくれなど言い出すとは思いもせずに。
 映画の情報を検索しようとして、ずらりと出た検索履歴に奇声をあげて、真っ赤な顔をすることも、今はまだあずかり知らぬところである。

 もちろん、恥らう炭治郎に盛り上がりに盛り上がりまくった挙句、日曜はでかけるどころじゃなくなるなんてことも、今はまだ、義勇は知らない。
 検索履歴なんて機能を誰が作ったと恨んでいいのか拝んでいいのかわからないが、初めてのデートは、もうしばらくお預けになりそうだ。
 それでももちろん、ふたりが幸せいっぱいな恋人同士であるには違いなく、避妊具型の生物兵器に襲われる不安も、当然のことながらありはしない。
 だから今日も、平和で甘くて不甲斐ない毎日を、義勇は過ごす。
 今日こそ観ましょうねと炭治郎が借りてきた、チープなホラーコメディーのDVDに、頬を若干引きつらせはしても、幸せだからそれでいいのだ。