残念ながら重症です、お幸せに

 ――病は気からと言うだろう? 私のかわいい子供たちが、悩みや心配事で体を壊さないか、私も気になってね。自分では悩んでいることにすら気づかない子や、友人や家族には話せなくても医療なら悩みを口にできる子もいるかもしれない。柱稽古もかなり進んでいるし、悩みがあるのなら今のうちに対処したほうがいいからね。

 ご自分こそ病床にいらっしゃるお館様がおっしゃるならば、しのぶにだって否やはない。問診の大切さも重々承知している。

 ――とは言っても、問診を受けに行くのすらためらう子だってきっといるだろう? だからね。

「まずは、柱も問診を受けたという実績を作るべきというのは、私も理解しています。お館様のお考えに反抗する気もありません。ですから問診を受けていただくことに文句はないんですよ? でもですね?」
 そう言って、しのぶは目の前に座る男の不愛想極まりない仏頂面に向かい、にっこりと笑ってみせた。
 問診の前段階としていくつかの質問に答えるようにと、調査票を柱に配ったのはほんの三日ほど前。反応は様々だが、拒絶したものはいなかった。お館様の発案となれば従わない者などいるはずもない。ほどなく集まった回答は、おおむね問題はなし。
 そう、おおむね。正確には、一名を除いて。

「冨岡さん、本当にこの回答ふざけているわけじゃないんですよね?」
 手にした調査票をひらひらと振ったしのぶに、義勇の眉がかすかに寄せられた。疑われて不満なのだろうが、しのぶのほうこそいっそ不満を顔に出したいくらいだ。無言で小さくうなずいた義勇をじっと見て、深くため息をつく。
「……真面目に書いたのなら、あなたの心理状態、かなり危険ですよ?」
 ここ一ヶ月での自分の心身状態を問う幾つかの項目があり、四段階に分けた回答のうち、一番自分の心境に当てはまるものに丸をつけるだけの、簡単な調査だったのだが。
「活気がある、元気いっぱいだ、イキイキしている……これらが『ほとんどいつもあった』なのはいいです。元気いっぱいの冨岡さんやイキイキしている冨岡さんなんて、想像もできないですけど、いいことだと思います。でも!」
 義勇に向けた調査票を指でトントンと叩きながら、しのぶはにっこりと笑いながら蟀谷(こめかみ)に青筋を浮かべた。
「内心腹立たしい、不安だ、落着かない、悲しいと感じる、動悸や息切れがする、食欲がない、よく眠れない。これ全部、『しばしばあった』ってなんなんです? 矛盾もいいところじゃないですか。というか、これじゃ冨岡さん、本当に病気の疑いがありますよ?」
 そんな健康そのものな肌艶でふざけたこと抜かさないでくださいますかぁ? と言いたくなるのを、しのぶはぐっと飲みこんだ。
「……正直に答えた」
「そうですか……わかりました、私も腹を据えました。一つずついきましょう」
 柱への調査は簡単に終わると思ってたんですけどね……長くなりそうです……。

「ここ一ヶ月で、冨岡さんの身の回りになにか変化はありましたか? どんなことでも結構です、教えていただけますか」
「……柱稽古を……」
 少し視線を落として口ごもりつつ言う義勇に、しのぶはポンと手を打った。
「ああ、たしか炭治郎くんに柱稽古をつけてらっしゃるんですよね」
 なるほど、とカルテに書き込みながら、しのぶはちょっと眉を寄せた。
「……冨岡さん、確認しますが、この活気があるとか元気いっぱいって炭治郎くんのことじゃないんですか? 炭治郎くんがほとんどいつも傍にいたって意味で丸を付けちゃったんですね。駄目ですよ、ちゃんとご自分について回答してください」
「それぐらい理解している」
「……そうですか。間違えたと言われるほうが話が早かったんですけど、残念です」
 活気があるのも元気いっぱいなのも、イキイキしているのだって、全部炭治郎のことなら納得できるのに。
「それでは、柱稽古を始めてから、冨岡さんはほとんどいつも元気いっぱいでイキイキしてらしたと。そういうことでよろしいですか?」
「まぁ……」
 冨岡義勇が元気いっぱい……なんて不似合いな言葉だろう。いやまぁ、義勇だって人間だ。元気いっぱいなときだってあるだろうけれど。でもきっと、そんなときでも無表情なんですよね冨岡さんは。と、しのぶはちょっと遠い目になる。
 元気があろうとなかろうと。活気があろうとなかろうと。常に無表情、不愛想、仏頂面。それが水柱、冨岡義勇という男だ。
 諦観を滲ませつつも気を取り直し、しのぶは問診を続けた。
「それらはどんなときに感じましたか?」
「それは……」
 また口ごもり、義勇はまた沈思黙考に入っている。しのぶの蟀谷にもふたたび青筋が浮かんだ。
「冨岡さーん? これは問診です。医療行為です。正直にお答え願えますかぁ?」
 ぐっと眉を寄せ義勇は小さく嘆息しているが、ため息をつきたいのは私のほうですよと言いたい。こらえて、しのぶは義勇の返答を待った。
 患者が心を開くまで辛抱強く待つのも、医療従事者には大事です。自分に言い聞かせること暫し、ようやく義勇が口を開いた。
「炭治郎に稽古をつけてやっていたり、休憩中に話をしているときだとか……炭治郎が話すのを聞きながら食事しているときもだ。目覚めてすぐに、炭治郎がおはようございますと笑いかけてきたときにも、そういう心境になる。あとは……炭治郎が風呂で背中を流してくれているときもか。それから閨で炭治郎が……」
「ちょっと待った! えーと、すいません、少し話を整理させていただいても?」

 この男、一体なにを言いだした?

 話を遮られた義勇が首をかしげているが、しのぶにしてみれば知ったこっちゃない。なんだか話が変な方向に進んでいる気がする。
「あの、今のお話をうかがうかぎり、冨岡さんは柱稽古が始まってからずっと、一日中炭治郎くんと一緒だと聞こえましたが?」
「毎日じゃない。炭治郎がいないこともある」
 食い気味な否定が少し不満げなのは気のせいだろうか。むしろ気のせいであってほしい。
「……次にいきましょうか。えー、では……なんだか嫌な予感がするので聞きたくありませんが。聞いたらおしまいって誰かが頭のなかで忠告している気がしますけれど! この『内心腹立たしい、不安だ、落着かない、悲しいと感じる、動悸や息切れがする、食欲がない、よく眠れない』……これらがしばしばあったというのは」
「炭治郎が」

「ですよねー! わかってました、ええ、わかってましたよ私は! わかってましたとも!」

 机を叩くドンッという音で言葉を遮られたうえ、いきなりしのぶに叫ばれて、義勇がめずらしく困惑をあらわにおろおろとしているが、それどころじゃない。
「こ、胡蝶、その、大丈夫か?」
「なんなんですか、これ、なんなんですか? たしかに大事な調査ですから真面目に答えてくださいねと言いましたよ? ええ、言いました。でも! いくらなんでも馬鹿正直に答え過ぎじゃないですか!? あれですよね、これって炭治郎くんがいないときとか炭治郎くんがほかの人と楽しそうにしてたりとか炭治郎くんが微笑みながら義勇さん尊敬してますなんて言ってきたときとか、どうせそういうことなんでしょう!?」
 私だって暇じゃないんですよ惚気のろけなんて聞いてる暇はないんですよと、笑顔のまましのぶはピクピクと頬を引きつらせる。しのぶの剣幕に目を見開いた義勇が口にしたのは。
「なぜわかった」

 わからない人がいたら見てみたいですよ!!

「はぁ……もういいです。わかりました。冨岡さん、問診の結果は恋わずらいです。とっとと炭治郎くんに告白して玉砕するなり、まかり間違ってもないだろうとは思いますが恋仲になるなりしてきてください。はい、お大事にっ!」
 常になく乱暴な声になってしまったのは致し方ない。だって心底馬鹿らしいではないか。
 お館様に任じられたからだけでなく、これでもしのぶだって少しは心配したのだ。どうにも不器用で天然ドジっ子な同僚が、病気だったらどうしようかと。
 それが病気は病気でも恋の病とは。この朴念仁にも春というのは巡り来るのだなぁと、ちょっぴり感慨深くもあるが、それ以上に疲れた。
「……告白は、もうされた」
「はい?」
 今、なんと?
 思わず凝視してしまったら、義勇はいつもの無表情のまま、ずんっと重い空気をまというつむいていく。
「えーと、冨岡さん? されたというのは受身形ですよ? それだと炭治郎くんが冨岡さんに告白してきたことになりますけど……」
「だからそう言っている」
 いや、だって、それなら。
「それなら問題ないじゃないですか! 恋しい炭治郎くんに告白されたんでしょう? なんでそんなに落ち込んでるんですか」
 そう。どう見ても目の前の義勇は落ち込んでいる。惚れた相手から告白され、ほとんどの時間をともに過ごしているともなれば、この世の春を謳歌しているはずだが、目の前の男はまったくそんなふうには見えない。
「……炭治郎は、俺のことを好きすぎる」
「お帰りはあちらです」
 扉を指差した自分はまったく悪くない。炭治郎に愛され過ぎてつらいと? ただの惚気じゃないですかっ!!
 笑みさえ消して怒りに震えたしのぶは、なんで!? と言わんばかりに目を見開いた義勇をじとっと睨みつつも、医療従事者としての矜持を奮い立たせ義勇に言い聞かせた。
「あのですね、好かれることのなにが悪いんです? 炭治郎くんは真正直で真っ直ぐな気性ですから、そりゃ愛情表現は大袈裟なのかもしれません。ですが、たとえ気恥ずかしくとも、それぐらい大人の度量で受け止めてあげるべきでしょう」
「そういうことじゃない」
 義勇の堅い声に、しのぶは思わず首をかしげた。
 無表情ではあるけれど、かすかに眉根を寄せた義勇はなんだか苦しげだ。思いつめたような瞳には恋の喜びなど微塵も感じられない。
「炭治郎は俺と恋仲になれてうれしいと笑ってくれる。だが、俺の気持ちは炭治郎とは違う。俺のは恋じゃない。炭治郎が俺に向けてくれる埋もれそうなほどの恋心と、俺が炭治郎に向ける気持ちは釣り合わない」
 はぁ!? と口に出さなかったのは褒められていいと思いつつ、呆れは隠せぬまま、しのぶはまじまじと義勇を見つめた。いったいこの男はなにを言っているのだろう。この調査票に記されているのは炭治郎への並々ならぬ恋心にほかならないというのに。
「では、冨岡さんは炭治郎くんへの感情を、どのようにお考えなんですか? 炭治郎くんと一緒にいられたり笑いかけられたりするのがうれしくて、元気いっぱいになっちゃうんですよね? 傍にいないと悲しくて、食欲がなくなるしよく眠れなくなるわけですよね? ほかの誰かと炭治郎くんが楽しげにしているだけで、不安だったり腹立たしかったりするんでしょう?」
 それが恋でないならなんだと言うのか。
「それがわからないから悩んでいる……」
「はぁ!?」
 あ、言っちゃいました。うっかりです。いえ、でも、これはしかたないしかたない。天然ドジっ子だとわかってはいましたけど、ここまでとは。
「えーと……今のお話ですと、冨岡さんは炭治郎くんの告白を受け入れたわけですよね。そして恋仲になったと。でも、冨岡さんは炭治郎くんに恋をしていないとおっしゃる。……それですと冨岡さんは、炭治郎くんの純真な恋心を弄んでいることになりますけど?」
 あらあら、冨岡さんが真っ青になるところなんて初めて見ちゃいました。
 めずらしいものを見たと思いつつ、しのぶは軽いため息をついた。どうやらこの朴念仁は自分の恋心にさえ気づいていないらしい。まったくもって世話の焼ける男だ。
「冨岡さん、ともかく一つずつ整理していきましょう。そうですねぇ……冨岡さんは恋をするとどのような気持ちになります?」
「それは……相手を想うだけで、心が温かくなって幸せな心地になると。その人に笑いかけられたら、ふわふわと夢を見ているような気持ちになると聞いた」
 はい? 聞いた、とは? 自分の体験ではなく?
 なんだか雲行きが怪しくなってきた予感がして、しのぶは恐る恐る訊いてみた。
「……どなたから?」
「姉だ。なぜ嫁に行くのか聞いた俺に、恋をしたからだと教えてくれた。姉は本当にうれしそうで、いつも以上にやさしく笑っていた。恋とはきっとやさしさに溢れているんだろう。炭治郎だってそうだ。俺に好きだと言ってくれるとき、炭治郎はとてもうれしそうに笑う。幸せでたまらない顔で笑うんだ。俺とは違う……」
「えーとですね、お姉さまにお聞きしたのは、お幾つでですか? それと、あの、冨岡さんご自身が恋をされたご経験は……?」
「十三だった。恋は……その、初めのうちは炭治郎に対しての気持ちが恋なのかと思ったのだが……俺の気持ちは、やさしく幸せなばかりじゃないと気づいた……。だから俺はまだ、恋をしたことがないのだろう」

 ――炭治郎はあんなにも俺を恋い慕ってくれるのに、俺は同じ気持ちを返せない。炭治郎に対してやさしい気持ちばかりにはなれない。炭治郎が誰かに笑いかけるたびに、無理矢理にでも攫って腕のなかに閉じ込めたくなる。俺以外を見るなと叱りかけるのもしばしばだ。
 炭治郎が俺の隣で眠らない夜などは、今誰といるのかと心配になったり、苛立ちで胸を焼かれる心地がする。炭治郎にも用があるのだとわかっていても、逢いたくて泣きたくなった。もちろん次の日にはちゃんと炭治郎は帰ってくるが、そういう日は無性に意地の悪い気持ちになることもある。
 俺の背にすがって幸せだと、うれしいと甘く泣くくせに、任務でもないのに俺と離れて過ごしたことに苛立って、いっそ孕ませてやろうかと……。

「ちょっと冨岡さん!? しっかりやることやってるんじゃないですかっ!!」
 この男本気で恋がわかってないのかとか、それが熱烈な恋心じゃなければいったいなんだというんだとか。この男の情操教育、まさか十三で止まっているんじゃあるまいな。というか日頃の無口どこに置いてきた。澄ました顔してどれだけ嫉妬深いんだか。炭治郎が泊まる日には必ず一緒に寝ているとか聞きたくない。だいたい帰るもなにも炭治郎はおまえの家に住んでるわけじゃないだろう。など、いろいろと。本当にいろいろと言いたいことはあるのだけれど。
「恋じゃないなんておっしゃりながら、なに炭治郎くんの貞操奪ってるんですかっ!! 言語道断ですよ!!」
「炭治郎が布団の上で三つ指ついて、少し震えながらお慕いしてますお情けをくださいと言うんだぞ!? あんなにかわいらしく、それでいながら覚悟を決めた目で言われて、袖にするような無体な真似ができるかっ!!」
「そこを我慢するのが日本男児というものでしょう!! 武士は食わねど高楊枝ですよ!」
「据え膳食わぬは男の恥だろう!! しかも炭治郎は、俺に抱いてもらえないならいっそ誰の肌も知らずに死にたいとまで言うんだぞ!! あのいじらしさに応えないなど男がすたる!!」
 はぁはぁと肩で息をしながら睨み合う。もういっそお互い刀の柄に手をかけないのが不思議なくらいだ。鬼殺隊士たちに尊敬される柱二人が真剣な目で睨み合う原因が、よもや炭治郎の貞操とは。さすがにお館様でもこんな結果は想像もしていないだろう。

「……もういいです。わかりました。改めて問診の結果ですが、冨岡さん、あなたはやっぱり深刻な病をわずらっています」
 はぁ、と疲れた息を吐いて、怒りを抑え込みしのぶは言った。しのぶの言葉に義勇も怒りを忘れたんだろう。常にない困惑した様子で眉尻が下がっている。
「治療方法ですが、私には治療はできません。ですが対処法はあります。いいですか、冨岡さん。先ほどおっしゃった炭治郎くんへの気持ちを全部、炭治郎くんにも言ってあげてください。その上で、炭治郎くんにも冨岡さんのことがどんなふうに好きなのか、冨岡さんがほかの人と二人でいると炭治郎くんはどんな気持ちになるのか、それらをしっかりと聞きだすように! いいですね!」
「胡蝶、いい加減なことを言うな。話をするだけで治る病など聞いたことがないぞ。第一、病ならばうつる可能性はないのか? 炭治郎が同じ病に罹りでもしたら……本当に治療方法はないのか?」
 まったく。なんて情けない顔をしてるんでしょうね。炭治郎くんは凄いです。あの冨岡さんにこんな顔をさせることができるんですから。
「ありません。だって昔から言うでしょう?」

 お医者様でも草津の湯でも、惚れた病は治りゃせぬ、って。