デザートは貴方のお好きなように

『行儀が悪いことをしてみたいです!』

 文化祭シーズンともなれば、高校教師の義勇も大学生の炭治郎も、猫の手も借りたいぐらいの忙しさで、とにかく慌ただしい。サークルには無所属で、友達の手伝いに駆り出されているだけの炭治郎はまだしも、義勇はいつ眠っているのかと炭治郎が不安になるほどの忙しさだ。
 お陰でこのところ炭治郎と義勇は、生活ペースがまったく合わなかった。顔をあわせても碌に話も出来ず、当然のことながら恋人としてのあれこれも無し。そんな折、義勇が、来週の土曜日には漸くゆっくり出来そうだ、なにかしたいことはあるかと訊いてきたのは、久し振りに一緒に夕食をとれた日のこと。
 それだって、会話すら出来ない日が続くのに音を上げた炭治郎が、先に寝ているようにとの義勇の言いつけを破って午前様の義勇を待っていたからこそだ。
 義勇は出迎えた炭治郎にまず驚いて、次いで盛大に眉を顰めた。先に寝てろと言っただろうと叱られたが、炭治郎の身体を思ってのことだと分かっているから、炭治郎はめげなかった。
 義勇さん不足で眠れないし食欲も落ちてるんです。だから健康の為にも義勇さんを補給しないと! そう力説すれば義勇は呆れたようだったが、それでも重ねて叱りはしなかったし、遅ればせながらもただいまと抱き締めてくれたので、義勇もすれ違い生活はそれなりに堪えていたのだろう。
 そして言われたのが、来週土曜の魅惑のお誘いである。
 食事に箸をつける前に言ったきり、義勇は黙々と好物の鮭大根を口に運んでいる。高校を卒業してすぐに義勇の2DKのアパートに転がり込んで以来、好物を食べて顔が緩んでいる義勇は数えきれないぐらい見ているけれど、炭治郎は未だに見飽きることがない。
 だからいつもだったら、炭治郎もにこにこと笑顔になってしまうのだけれど、今日はつい考え込んで箸まで止まった。

 したいこと。したいことってなんかあったっけ?

 とりあえず、義勇と一緒にいたい。これはもう絶対に外せない。というよりもそれこそが重要なので、義勇と丸一日一緒にいられるなら家から一歩も出なくたっていいし、むしろ人目を気にしてくっつけないなら出かけたくないし、いやもうはっきり言って家でイチャイチャさせてほしい!
 が、哀しいかな義勇は、滅多に恋人同士の甘い雰囲気に浸らせてくれないのだ。
 同棲してからもう半年になろうというのに、未だに義勇は炭治郎を生徒扱いする癖が抜けないらしい。それは本当のところ炭治郎だって似たり寄ったりで、今でも義勇が自分と一緒に暮らしていて、キスしたりそれ以上のこともしちゃったりなんて日常は、もしかしたら夢を見ているだけなのかもと思うことすらある。
 起きたら全部夢で、今まで通りピアスを外せと義勇に追いかけられたり、昼休みに突撃して義勇に大好きですと告白しては躱される日が待っているのかもと、眠るのが怖い夜だってあったりするのだ。
 そもそも炭治郎は、炭治郎の告白をのらりくらりと、また時にははっきりきっぱりと断り続けてきた義勇が、卒業式の日に前触れもなく逆告白してくるなんて想像すらしていなかった。
 嘘だ。本当は何度も想像していた。そのたび、そんなことあるわけないよなと、切なく溜息を吐いた夜は数えきれない。
 だからこそ、今回のすれ違い生活は盛大に堪えた。このまま気持ちまですれ違って、破局なんてことになったらどうしようと、不安にだってなろうものだ。

 恋人になれた今だって自分ばっかり好きで、義勇はただ絆されてくれただけなのだ。ほんのちょっとの切っ掛けで、いつ別れ話になるかわかりゃしない。
 たまにだけれど好きだと言ってくれることはある。身体を重ねている時には何度も名前を呼んで、可愛いと言ってくれたりもする。基本的に義勇は炭治郎に優しい。恋人らしい雰囲気になった時には、炭治郎が照れてしまうぐらい甘やかしてもくれる。
 それでもやっぱり不安なものは不安で、だから炭治郎は我儘なんて到底言えない。

 イチャイチャしたいです、って言っても、嫌そうな顔されるかもしれないよな。

 自分の想像でちょっぴり哀しくなってしまったが、ここで挫けたら、折角二人で過ごせる休日が味気ないものになってしまいかねない。
 とりあえず、自分がしたことがない事でも言ってみようか。そう考えて思いついたのが、行儀が悪いことがしてみたい、だった。
 なにせ炭治郎は長男なものだから、弟妹のお手本となるべく行儀には中々に煩い。友達と食事している時でも、ついつい弟妹にするように肘をついて食べたら駄目だとか、箸で器を引き寄せるんじゃないだとか、口煩く言っては友達に「お前はお母さんか」と呆れられたり不貞腐れられたりしている。
 高校生時代だってピアス以外は模範的生徒だった炭治郎の、行儀の悪い仕草なんて義勇は見たことがない筈だ。というか、炭治郎自身だってそんな自分はあまり記憶にない。
 だらしない姿を義勇に見せるのは幻滅されそうでNGだが、多少いつもと違うことをして義勇をドキドキさせてみたい。そう思っての提案だったけれど、鬼の生活指導の冨岡先生がOKしてくれるとは、正直思っちゃいなかった。
 ふざけてないで真面目に考えろって言われるかなと、少し身構えた炭治郎に、食事を終えて義勇が返した言葉は

「具体的には?」

 だった。
「うーん、そうですねぇ……テレビの部屋でテレビ見ながらご飯食べるとか?」
 自分で提案しておいてなんだが、行儀の悪いことで思いつくのがこの程度な辺り、我ながらドキドキさせるもないもんだと思う。だからまさか、義勇が事も無げに頷くなんて炭治郎はこれっぽっちも予想していなかった。
 おまけに。
「分かった。土曜の昼飯は俺が作るから、お前は行儀悪くダラダラしてろ」
 そんなことを言い出すなんて、予想外もいいところだ。
「明日はちゃんと先に寝てろ。俺は何時に帰れるか分からない。お前だって忙しいなら夜はちゃんと寝ろ」
 そう言って食器を流しに運ぶ義勇に、返事をすることすら忘れ、炭治郎は義勇の言葉の意味を理解した瞬間に叫んでいた。
「義勇さん料理できるんですかっ!?」
「夜中に大声を出すな、馬鹿者!!」
 いや、義勇さんの声だって大きいじゃないですか。と、反論するどころじゃない。だって義勇の昼飯はずっとパンばっかりでお弁当なんて持ってきたことがないし、同棲してからも一度だって料理をしてるとこなんて見たことがない。
 いやこれは、炭治郎が率先してご飯は俺が作ります! と宣言し、義勇好みの味を追求すべく毎日精進しているからだけれども。胃袋を掴めばこっちのものという思惑があっての宣言だったが、中々功を奏していると思っている。
 ともかく俺が作るから、お前はその日はなにもしないで行儀悪く過ごせばいい。それよりさっさと食って寝ろと、言いながら自分の食器を洗い終えた義勇は風呂に行ってしまって、後に残された炭治郎は慌てて食事を再開するしかなかった。

 そして、今日である。疲れ切っている義勇を質問攻めにするわけにもいかず、風呂から上がるなり即寝落ちした義勇の寝顔を見たのを最後に、今日まで再びすれ違い生活。昨夜も帰りが遅かった義勇が起きてきたのは、もう昼近かった。
 行儀悪くとは言ったものの、やっぱりいつも通り規則正しく目覚めた炭治郎は、いつもと変わらぬ家事をこなして義勇が起きてくるまで過ごした。義勇が見ていないのにわざわざ変わったことをするまでもない。だからいつもと同じようにしていたのだけれど、起きてきた義勇は、干された洗濯物やきちんと掃除された部屋を見て、少し呆れた顔をした。
「ダラダラしてろと言ったのに」
「日課なんで勝手に身体が動いちゃうんです。義勇さん、寝てたし」
 最後の一言はちょっとばかり拗ねた響きをしていたものだから、義勇も申し訳なく思ったのだろう。ソファに座った炭治郎の髪を通りすがりにくしゃりと撫でてくれた。
「約束通り昼は俺が作る。使われて困る食材はあるか?」
「え、いえ、特には……」
 今あるもので作ると? なにその日頃から作り慣れてます感。いやでも、作るのはいいけどメシマズということも……。
 そんな炭治郎の失礼な心配などよそに、義勇は軽く頷きながらシャツの袖を腕まくりしている。
 何気ないその仕草が、妙に色っぽい。思わずぼぅっと見惚れてしまう。ボタンを外す為に少し俯いた横顔や、捲り上げられるダークグレーのシャツと義勇の白い肌のコントラストにドキドキする。
 大人の男の色気っていうのは、きっとこういう些細な仕草に現れるんだなぁと、うっとりと見つめる炭治郎の視線に気づいているのかいないのか。義勇は冷蔵庫を覗き込み、さして悩む様子もなくさっさと食材を取り出していた。
「なに作るんですか?」
「パスタ。それとサラダを適当に」
 簡潔な物言いは、テキパキと鍋に水を入れ火をつけながら。炭治郎の前ではレンジを使うぐらいしかしたことがないのに、義勇の動きには迷いがない。
 リビング代わりにテレビを置いてある部屋からじゃ背中しか見えなくて、炭治郎は、我慢しきれず義勇の傍に寄っていった。
「見てていいですか?」
「……変わったことはしないぞ? それとも心配か?」
 少し揶揄うような声。小さく笑った口元。今日は義勇も随分と機嫌がいいようだ。
 そういえば、義勇にとっては久し振りの丸一日休める休日なのに、ご飯なんて作らせちゃっていいんだろうか。今更ながら思い至って心配になるけれど、義勇の珍しい姿も見ていたい。
「百面相だな」
 くくっと咽喉の奥で笑いながら言う義勇に、炭治郎の頬がほんのりと赤く染まる。
「……お手伝いします」
「行儀悪く過ごすんじゃないのか?」
「テレビ見ながらご飯食べるのからスタートで!」
 義勇は小さく笑っただけで、それ以上は止めなかった。その間も手は休みなく動いて、危なげなくキャベツをざく切りしている。
 用意された食材はキャベツに塩鮭の切り身、冷凍してあったしめじやエリンギ、同じく小口切りして冷凍していた浅葱。絹ごし豆腐とレタスにトマトはサラダ用だろうか。
「鮭焼いてくれ。豆腐は水切り」
 言われるままに鮭をグリルに入れて、豆腐はキッチンペーパーに包む。重石代わりに水を入れた皿を豆腐に乗せて義勇を窺い見ると、義勇は小鉢にチューブのおろしにんにくを絞り出しているところだった。そこに醤油やごま油、お酢と、如何にも適当に入れて混ぜていく。
「量らないんですか? 計量スプーンありますよ?」
「まぁ大丈夫だろ。ほら」
 指先で掬い取られたタレに思わず目を見開いて、差し出された指をまじまじと見てしまう。味見しろということだとはわかるのだけれど、指で直接? これじゃ義勇のほうがよっぽど行儀が悪い。
 待ちきれなかったのか、ちょんと濡れた指先で唇を突かれて、炭治郎はこくりと咽喉を鳴らした。

 義勇の顔を見ていられずに、少し目を伏せて義勇の堅い指先を舐めれば、吐息だけで笑った気配。見慣れない姿を見せてドキドキしてもらいたかったのに、自分ばっかりドキドキさせられてる。
「……美味しいです」
 微かに笑んだ口元は、当然と言いたいのかそれとも安堵なのか。どちらにしろ身が持たない。
 ときめきを持て余している炭治郎にはそれ以上は構わずに、浅葱を小さめのガラスボウルに入れた義勇は、今度はレタスを千切り、ついでトマトを一口大に切っていた。流れるような動作は、やっぱり手馴れている。
「鮭、もういいぞ」
「え? でもまだ半生くらいですよ?」
「パスタの余熱でいける。大きめにほぐしといてくれ」
 言いながら湧いた湯に塩とオリーブオイルを入れているのを見て、炭治郎はまたまた呆気にとられた。調味料を合わせるのは適当というか大雑把なのに、こういう裏技的なことはちゃんとするんだ。もはや義勇の料理の腕前は疑いようがなくて、鮭をほぐしながら思わずうーんと小さく唸ってしまう。
 どうした? と言う視線を投げられて、炭治郎はちょっぴり困ったように笑った。
「もしかしたら俺より義勇さんの方が料理上手かもって思って……」
「お前の飯は美味い」
 即答された言葉にはお愛想なんて感じられなくて、きょとんとした顔も、何故そんなことを言うのか分からないと言いたげだ。

 嬉しいけれど、こんなに一緒にいるのにまだまだ自分は義勇のことを知らないのだと思うと、ちょっとだけ切ない気持ちにもなる。
「パスタ茹でとけ。その前に」
 フライパンを取り出しながら、あ、と口を開いた義勇に、首を傾げた炭治郎は、すぐに笑って取り除いたばかりの鮭の皮を摘まむと、義勇の口に運んだ。
「義勇さん、焼いた鮭の皮必ず食べますよね。おにぎりの具に焼いた時とかも、皮だけくれって」
 クスクスと笑う炭治郎の頭をくしゃりと撫でた義勇からは、少しだけ照れてるような匂いがする。こういう義勇の一面も、知れたのは一緒に暮らしてからだ。

 うん、これからもっともっと、義勇さんのこと知ればいいんだ。俺だけが知ってる義勇さんを、もっともっと増やせばそれでよし!

 決意してしまえば、義勇と一緒に料理するのは実に楽しい時間だった。
 鍋に入れたパスタの量に、そんなに!? と驚いたり、フライパンを揺する義勇の腕にまた色気を感じて見惚れたりしつつ、義勇の隣で言われるままに手伝っている内に料理も完成。

 大皿にドンッと山盛り三人前のパスタと、タレを作ったボウルでそのまま和えられた豆腐サラダを隣の部屋に運んで、ソファに並んで座る頃には時計の針は正午を指してた。