欲しいものはなんですか

※『800文字で恋をする』で書いた話のロングバージョンです。

 炭治郎が義勇の誕生日を知ったのは偶然だった。
 アオイがめずらしくうっかりして落としたカルテを、拾い集めるのを手伝ったときのことだ。盗み見たわけじゃない。冨岡義勇の名を見た瞬間にドキリとして、勝手に目に焼きついてしまっただけのことである。

 隊士となって義勇に恋心をいだくまで、炭治郎は誕生日には興味がなかった。
 炭治郎が生まれたころにはすでに、明治政府は年齢を満年齢とする法律を施行していたと聞くが、竈門家でもふもとの村でも、年をとるのは昔と変わらず正月と決まっていた。みんなそろってひとつ年をとる。それが当たり前すぎて、今更それぞれ誕生日ごとに年をとるのだと言われても、しっくりこなかったものとみえる。
 都心部でも同様だったらしく、今まで炭治郎は誕生日なんていう話を誰かがしているのを、聞いたことがない。せいぜいが伊之助のふんどしに生まれた日も書かれていたと聞いたぐらいだ。その伊之助だって誕生日の感覚は薄いようで、覚えてはいるがどうでもいいと言わんばかりだった。
 炭治郎だって、自分の誕生日や禰豆子たちの誕生日はちゃんと覚えている。けれどもそれだけだ。今まではそれが特別な日だと思ったことはない。
 華族のなかには誕生日を祝う人もいるようだが、そんな大仰なことをできるのだからお大尽様はすごいものだと、少しばかり感心したきりだった。

 けれども今は、ちょっと違う。

 カルテに書かれていた義勇の誕生日は二月の八日。もうじきだ。
 それにふと気づいたとき、炭治郎は、誕生日とはすごいものだと思ったのだ。
 今の炭治郎の暮らしは、義勇の存在がなければなかったものだ。雪と血の記憶のなかにあるあの日、やってきたのが義勇でなければ。義勇が禰豆子を見逃してくれなければ。そして義勇が炭治郎に道を示してくれなかったのなら、炭治郎は今ごろただただ悲嘆に暮れていただろうし、もしかしたら生きてはいなかったかもしれない。
 そんな義勇が生まれてきた日。その日がなければ、『今』という日もないのだ。
 義勇がこの世に生まれた。それだけで、なんということもない一日が、炭治郎にとって一年で最も特別な日に変わったのだ。
 そしてもうじきその日が来る。義勇は生き延びて、またひとつ年を重ねる。今は離れて暮らす義勇の近況は、義勇からくるようになった返信や、輝利哉や宇髄、村田ら知己からももたらされてはいるが、逢いたい気持ちも大きい。
 もちろん、カナヲの検診を受けに炭治郎が山を下りるたび、義勇は快く逢ってくれる。以前より穏やかな笑みで息災かと炭治郎をねぎらい、食事をしたり活動写真へ連れて行ってくれたりもする。禰豆子が山を下りたときにも、逢えば義勇はいっぱいご馳走してくれるそうで、炭治郎たちへの土産を持たせてくれたりもしている。
 義勇の心配りに対して毎回感謝を伝えてはいるけれど、生まれてきてくれたこと、そして生きていてくれることや出逢えたことに対する感謝を伝えるには、到底足りない。
 今までのお返しも込めて誕生祝いを義勇に贈りたいと言ったら、禰豆子たちも快く――というよりも、是非にもそうしろと賛成してくれたので、炭治郎たちはここ数日いろいろと贈り物を考えていた。だが最良だと思われる贈り物は、一向に思い浮かばなかった。
 伊之助が提案したピカピカなどんぐりは、善逸が全力で反対した。善逸がコソコソと言ってきた春画なんて、とんでもない話だ。義勇だって成人男性だし独り身だし、絶対に喜ぶと言われても、そんなもの贈る以前に買い求めるのさえ炭治郎には敷居が高い。義勇がそれを喜ぶ様も、なんとなく見たくはなかった。
 禰豆子が新しい着物を仕立てようか? と申し出てくれたのはありがたいけれども、それでは禰豆子ばかりが苦労をする。反物は炭治郎が買い求めるにしろ、仕立てるのは禰豆子だ。日にちもそれほどない。
 炭治郎たちが反物を買い、禰豆子が仕立てたと言えば、義勇はきっと、心から喜んでくれるだろう。わかっているけれども、それでは炭治郎の気が済まなかった。
 わがままなのだろうと思いはする。けれどもみんなからではなく、炭治郎から義勇へ贈りたいのだ。着物を仕立てるのはもちろんかまわないが、それだけでは足りない。伝えることができないままの恋心も込めた贈り物。それは炭治郎がえらんで、炭治郎から義勇に贈りたいのだ。
 義勇はなんだって喜んでくれるだろうが、できることなら義勇が望むものをあげたい。
「面倒くせぇなぁ。半半羽織が欲しいものなんて、俺らにわかるかよ」
「お兄ちゃん、素直に義勇さんになにが欲しいか聞いてみたら?」
 伊之助と禰豆子はそう言うが、なんだかそれも寂しい。
「うん……それしかないかなぁ」
「あ、そうだ。こっそり調べてみりゃいいんじゃね? ここで考えたってわかんないんだしさぁ。冨岡さんをこっそり観察したら、欲しいもんもわかるかも!」
 名案とばかりにはしゃいだ声をあげた善逸に、炭治郎は目を見開いた。禰豆子たちもパチクリとびっくり眼をまばたかせている。
「そんなことしたら義勇さん、迷惑じゃないかなぁ」
「それに義勇さんだったら、お兄ちゃんが見てることぐらい、すぐわかっちゃうんじゃない?」
「だからさぁ、変装するんだよ! 炭治郎だってわかんないように!」
「なんだそれ、面白れぇな! よしっ、半半羽織に挑戦だ、伝八郎!」
 義勇の生活を覗き見る。そんなことしていいものかためらいはあるが、なんだかそれはワクワクとする心持ちもなくはない。炭治郎だって、義勇のことをもっと知りたい気持ちはあるのだ。
 手紙では知ることができない義勇の今。近況は伝えられているが、すべてではない。ほんの少しだけ、ちくりと胸が痛むこともある義勇からの手紙。宇髄たちと温泉に行っただとか、村田からお裾分けされる梅干しが気に入っているだとか、不死川さんと食事に行ったとか。そんな諸々は、以前の義勇を思えばうれしいかぎりで、心がほっこりと温まるのは確かだ。けれども少しだけ、そこに自分がいないことが悲しく、ほんのちょっぴりだけれども、モヤモヤと嫉妬めいた気持ちにもなる。
 以前の義勇は、心開く相手など限られていた。親しく笑いあい、食事をともにする者は、炭治郎だけだったのだ。優越感がなかったとは言えない。義勇の子どもっぽい笑みや、心浮き立つような美しい微笑みを知る者は、自分だけ。義勇のことを一番に思うのなら、喜んではいけなかったのだろう。今のように宇随一家と旅行に行ったり――混浴は勘弁願いたかったとの一文には、善逸が発狂しそうなほどにわめいたのはともかく、炭治郎も少し胸が痛かった――あの不死川ともときおり一緒に食事をしに行くという現況は、義勇にとっては良いことなのだと炭治郎だってわかっているのだ。
 恋心とは、実に厄介なものだ。喜ばしいことなのに、どうしたって悋気がチリチリと胸を刺す。炭治郎は、義勇からの手紙を読むたびに、幸せとともにその痛みも甘受している。
 伝えられるわけもない想いだ。自分がどうこう言えるものではない。義勇の幸せだけを願う誠実さと、枯れるのを待つしかない己の恋心への寂しさに、炭治郎の心はいつだってさわさわと波打つ。
 義勇の生活を覗き見るという誘惑は、ひどく甘かった。おまけにこれは祝いだ、義勇を内緒で喜ばせるのだという大義名分まで添えられている。
 俄然乗り気な伊之助と善逸に背を押された格好となった炭治郎は、禰豆子にまでちょっと楽しそうなどと笑われて、誘惑に勝つことはできなくなった。
 そうして、炭治郎は禰豆子たちの声援を背に山を下りた。

 みんなからの贈り物として禰豆子が仕立てる着物の反物を買い求め、義勇に見つからぬよう、義勇の欲しいものを調べるのが、今日の炭治郎の使命である。
 柱だった義勇を、たやすく欺けるとは思えない。到底炭治郎だとは思えぬよう、しっかり変装すべきだと、炭治郎は禰豆子や善逸に言われるままに洋装させられた。
 すべて借り物だ。さすがにスーツやらトンビ(インバネスコート)、中折れ帽にステッキなんて、買いそろえるわけにもいかない。今日しか着ることなどないのだから、そんな無駄遣いなどできるものか。
 せいぜい買ったのは革靴ぐらいのものだ。そればかりは寸法があわず、借りるわけにはいかなかった。
 トンビや帽子はともかく、ズボンや吊りバンド、上着などは、丈が少しばかり炭治郎には大きい。それでも以前より筋肉が落ちていたのは幸いだったろう。もしも隊士であったころならば、上着の丈や袖は長いくせに肩やら胸やらは窮屈で、てんでおかしなことになっていたかもしれなかった。
 いずれにせよ、大人の紳士然とした服装は、炭治郎には早すぎることに違いはない。どう見ても服に着られている格好だ。落ち着かないことこの上ない。伊之助はへんてこだとゲラゲラ笑ったし、善逸も笑いをこらえようと変な顔をしていた。禰豆子まで「お兄ちゃんにはちょっと似合わないかもね」と苦笑していたぐらいだから、鏡など見ずとも似合わなさ加減を炭治郎も悟るよりほかなかった。
「炭治郎なら絶対に着ない服だから、余計に変装になるんじゃね? 耳飾り外して、つけひげでもつけりゃ完璧だろ!」
 善逸はそう言ったし、確かにこの格好ならばひげがなければかえっておかしい。仕方なし、村で馬の毛を少し刈らせてもらって作った口ひげは、こそばゆくてムズムズとする。まだ幼さの残る炭治郎の顔立ちには、どうにも不釣りあいなのだろう。言い出しっぺのくせに善逸もとうとう爆笑したものだ。

 ともあれ、これならバレないとの太鼓判はもらった。ここまでして義勇が一日出かけることなく家にいたら、なんとも情けないこととなっただろう。だが幸い、炭治郎が義勇の住む最寄り駅に着いたとき、ちょうど義勇が汽車に乗り込むところだった。
 あわててまた汽車に飛び乗って、炭治郎は、義勇から少し離れた座席についた。ひょこりと座席の背もたれから見える義勇の後ろ頭を、ちらちらと覗き見る。内緒で見つめる義勇の姿には、面と向かって顔をあわせているときとはどこか違うときめきがあった。
 前に逢ったのは一月ほど前だろうか。初めて洋食をご馳走になって、ふたりだけで楽しく会話して、なんとも幸せでたまらない一日だった。
 お互い隻腕だから、ナイフとフォークは使いづらい。恐縮する炭治郎に義勇はこともなげに笑い、店の人にふたり分の箸を頼んでくれた。
 慣れている。ちょっぴり思ってツキリと胸が痛んだけれど、それでも、義勇と一緒にいるのは今は自分だと、義勇の微笑みをひとり占めする時間に炭治郎は酔った。
 あの日のように、義勇に微笑みを向けられ、楽しく会話しながら食事をする人は、どれだけいるのだろう。今日もその人と逢ったりするのだろうか。不死川や宇髄などの知己ですら少しばかり焼けるのだ。炭治郎の知らぬ愛らしい娘さんやら、きれいな女の人であったのなら、どれほど悲しい思いがするのか、炭治郎にもわからない。
 どこに行くのだろう。誰かと逢うのだろうか。考えては不安になって、だけれども義勇の穏やかな様子にはやっぱり幸せな心地もして、炭治郎の胸中は天秤のようにあっちへこっちへ傾きつづける。
 まさか炭治郎がこっそり見ているなど思いもよらないのだろう。義勇は振り返ることがなかった。日本橋で汽車を下りた義勇は、のんびりと物見遊山の足取りで歩いていく。尾行する炭治郎に気づいた様子はない。
 見つかってはいけないと離れてはいるのに、見失わずにいられるのは、義勇の歩みがゆったりとしているからだろう。以前とは、こんなところも違う。柱だったころ、義勇の歩みはとても速くて、炭治郎はついて行くのも大変だった。最初のうちだけは。
 いつからか義勇は、炭治郎と一緒のときには少しだけ歩みをゆるめていたように思う。炭治郎に合わせて歩いてくれている。それに気づいたとき、炭治郎は知らず泣きそうになった。
 義勇のそういうさりげないやさしさに気づくたび、胸のなかには恋しさが積もって溜まって、育っていく。早々に逢えなくなった今でも、それは変わらない。逢えない時間が長いほど、より深く強く想いは育っていっている気がする。
 お慕いしていますと告げることは、できないかもしれない。手を繋いでみたいのですなど、恥ずかしくて言えない。義勇は新しい人生を歩きだしたのだ。炭治郎の手を取ることなどきっとないだろう。
 それでも、生まれてきてくれてありがとうとだけは、伝えたかった。逢えたことが自分にとっては奇跡のように幸せなのだと、少しだけでも知ってほしい。
 義勇が喜ぶ贈り物を買うのだ。これが欲しかったのだとどうしてわかった? と、少し驚いた顔をして、ありがとうと笑ってほしいのだ。
 見つからぬよう、炭治郎は細心の注意を払って義勇をつけていく。着いたのは大きな洋風の建物――百貨店だった。
 通りと違って人が多くいる店内では、あまり離れていては義勇を見失ってしまうかもしれない。あわてて炭治郎は少しづつ義勇との距離を縮めていった。
 この近さで見つからぬよう尾行するのは、きっと骨が折れるだろうと思っていたが、存外楽だ。
 なんともなれば、義勇はしょっちゅう足を止める。見るのは簪やらリボンばかりだ。
 誰かに贈るのだろうか。うつくしい髪飾りが似合うのは、きっと義勇と並べばお雛様のように見える愛らしい人だろう。思えばズキリと炭治郎の胸は痛んだ。

 義勇が欲しいものは、義勇が恋しい人に贈るもの。これでは自分が買うわけにはいかない。

 恋しい人への贈り物は、自分でえらんで買ってこそ価値がある。そう思ったからこそ、炭治郎だって今ここにいるのだ。義勇が望むものを、炭治郎の目で選び、炭治郎が汗水たらして稼いだ金で買う。そうして、おめでとうございますと、出逢ってくれてありがとうございますと、炭治郎の手で渡したい。
 義勇だってきっと同じだろう。恋しい人への贈り物を、これが似合うだろうか、あれのほうが喜んでくれるだろうかと悩む時間も、楽しく愛おしいに違いない。

 なんだか、惨めだ。似合わない洋装を着こみ、妙なつけひげなんかつけてまで、コソコソと義勇をつけて回っている自分なぞよりも、義勇に似合いの人はもういるのだろう。
 楽しげに微笑みながら簪を吟味している義勇をこのまま見つめていては、涙がこぼれてしまいそうで、炭治郎はうつむくと帽子をグッと下げた。
 帰ろう。みんなから贈る反物をえらんで、それだけもって汽車に乗ろう。いつか「所帯を持つことになった」と書かれた義勇の手紙が届いても、笑っておめでとうございますを言えるように、恋心は殺すのだ。義勇には知られぬまま贈る、炭治郎からの贈り物は、それしかない。

 困らせないから、今だけ悲しむことを許してください。

 思いながら炭治郎が唇を噛んだとき。突然帽子がヒョイと持ち上げられた。
 あわてて顔をあげれば、少しあきれた匂いをさせた義勇が、帽子を手に目の前に立っている。
「ずいぶんと酔狂な格好だな」
「えっ、あっ、あの! こ、これはですねっ! えっと」
 クックッと忍び笑う義勇は、あきれた様子ではあるが、つけられていたことを怒っているふうではなかった。誤魔化すこともできずにオロオロと炭治郎がうろたえるのを、どこか楽しげに笑って見ている。
「立ち話もなんだ。食堂に行こう」
 有無を言わせず先を立って歩きだした義勇に、炭治郎の思考はついていけない。どうすればいいのだろうと困っていると、立ち止まった義勇が振り向いて、苦笑とともに戻ってきた。
「ほら、行くぞ」
 言って炭治郎の手を取った義勇の手は、大きい。初めて手を繋いだ。息が止まりそうなほどに驚いて、鼓動がドキドキと暴れ出す。
 固くなった炭治郎の手よりもさらに固い手に、義勇が刀を振るってきた時間を思う。もうこの手は刀を握ることはない。それがうれしくて、引っこんだ涙がまた出そうになった。
 手を繋いだまま、義勇はさっさと歩いていく。炭治郎の歩みに合わせてくれてはいるが、止まる気も手を放す気もないらしい。人目など気にならないのか、どこか上機嫌な匂いがうっすらと炭治郎の鼻に届く。
「えっ、なんですか、これ。階段なのに動いてる!」
「エスカレータァだ。ホラ、俺に合わせて乗ってみろ」
 うながされて上へと動いていく段におっかなびっくり足を乗せる炭治郎を、義勇は子どもの手を引くように微笑んで見ていた。
 小さい子のように手を引かれて、ぴょんとエスカレータァを飛び降りれば、義勇はやっと手を放した。少し寂しい気がしたが、目的地であった食堂はエスカレータァのすぐ目の前だ。
 もっと遠くてもいいのにと、ほんのちょっぴり肩が落ちたが、残念な顔は見せられない。こんな珍妙な格好の理由を言わねばならないと思うと、逃げ出したくもなるが、今さらそんなわけにもいかず、炭治郎は覚悟を決めてよしっとうなずくと勇んで足を踏み出した。
「討ち入りでもするみたいな顔だな。通りに出て甘味屋にでも入ったほうがよかったか?」
「へ? やっ、そんなことはないんですけど! あの、ちょっと緊張して……田舎者ですから」
 アハハと上滑りな笑いに、義勇の苦笑が深まるのを見てしまえば、ますます炭治郎はいたたまれなくなった。なにを頼んでいいのやらもわからずに義勇に任せるまま、琥珀色の紅茶やらバタークリームの洋菓子やらを出されてしまえば、覚悟も揺れる。
 なぜ付け回すような真似をしていたのか、義勇はたずねてこない。いつから気づいていたのかを聞きたくても、聞けば藪蛇になりそうで、迂闊なことは言えそうになかった。
 モジモジと茶菓にも手をつけかねていると、義勇が炭治郎を見つめたまま口を開いた。
「姉へだ」
「え?」
 義勇は笑っている。穏やかな笑みだ。
 以前聞いた義勇の姉の話を、炭治郎は忘れてはいない。婚礼の前日に鬼に襲われ、義勇を匿いひとり命を落とした人。その人の献身と愛で義勇は今もここにいる。悔恨と自責を抱えながらも、生きて、闘い、今、穏やかに笑っている。
「俺が生まれた日はもうじきなんだが、今まではめでたいなど思ったことはなかった。ひとり守られて生き延びたことを、恥だとしか思ったことがないのと同様に」
「そんなっ、恥なんかじゃないです! 俺は義勇さんが生きていてくれてうれしいです。義勇さんが生まれて、生きて俺と出逢ってくれたことも、今もこうして生きていてくれることも、感謝しています。幸せです!」
 思わず勢い込んで言った炭治郎に、義勇は微笑みうなずいた。
「うん。俺も、今は感謝している。だから、誕生日には姉に感謝を伝えるために贈り物をすることにした」
 静かに微笑む義勇の顔に憂いはなかった。胸が詰まるようなやさしい笑顔だ。
「お姉さん、絶対に喜んでくれると思います」
「だといいが。義勇は贈り物えらびが下手だと苦笑されるかもしれない」
 飾り物など買ったことがないからと笑う義勇に、炭治郎の鼓動が跳ねた。
「誰かに簪やリボンを贈ったことはないんですか?」
「禰豆子に羽織の礼を買ったときぐらいだな。あれも実は店の者に全部見繕ってもらった」
 禰豆子には内緒だぞと、少しだけいたずらめいた笑みで言う義勇には、嘘やごまかしを言っている気配はない。
「そうなんですね」
 なんだかふつふつとうれしい気持ちがわいてきて、炭治郎はくすぐったげに笑うと、やっと紅茶に口をつけた。琥珀の茶は香り高く、番茶とはまた違った乙な味がする。大人びた味だなとちょっぴり思いつつ、義勇に勧められるままに洋菓子も口に運んだ。
「甘い! すごくおいしいです!」
「それはよかった」
 言いながら義勇の手がスッと伸ばされて、炭治郎の顔に触れた。
「ひげについてる」
 愉快そうに笑われながらひげをむしり取られて、炭治郎の顔が真っ赤に染まった。
「かわいらしい顔をしているから、おまえにひげは似合わないな」
 かわいいなどと義勇に言われたのも、初めてだ。手を繋ぎ、かわいいと言われ、今日一日で炭治郎の心臓は何度止まりかけたことか。
 ますます熟れたように赤くなった炭治郎を、義勇はやさしく見つめたまま笑っている。蕩けそうなその笑みは、幸せだと伝えてくれているようで、なんだか見ていられない。
「あの……本当は、義勇さんの欲しいものが知りたかったんです。誕生日に贈り物をしたくって」
「俺の欲しいものはわかったか?」
「お姉さんへの贈り物ですよね。それじゃ俺がえらぶわけにはいかないから、なにかほかにあったら教えてください。それを贈ります」
 誤魔化す術などないのだし、義勇に嘘もつきたくはない。正直に言った炭治郎に、義勇の笑みが少しだけ苦笑めいた。
「なら、姉への贈り物を一緒にえらんで、俺の誕生日には一緒に墓参りしてくれないか」
「それはもちろん! でも、そんなことでいいんですか? なにか欲しいものはないんですか?」
「俺の欲しいものは、おまえにしか用立てることはできないが、金では買えない」
 自分だけがあげられるけれど、買えないもの。義勇はいったいなにが欲しいのだろう。
 謎かけのような義勇の言に、炭治郎がキョトリと小首をかしげると、義勇の手がまた炭治郎の顔に触れてきた。
 ドキンと胸が音を立てたのと同時に、鼻の下に残る乾いた糊がムズムズとして、くしゃんと大きく炭治郎はくしゃみしてしまった。義勇はビックリした顔をして、ちょんと指先で炭治郎の頬を軽くつつくと手を引いた。
「服だけでなく、早く中身も大人になってくれ」
 穏やかな義勇の笑みは、やっぱりほんの少しだけ、苦笑めいていた。