ポケットを叩くと幸せふたつ

「いってきます!」
 義勇は張り切って家を出た。首にはお母さんが紐をつけてくれたお財布をぶら下げて、大丈夫、大丈夫と、自分を励ましながら歩いていく。
 ケーキ屋さんへ初めてのお使い。お母さんやお姉ちゃんと一緒なら何度も行ったけれど、義勇だけで行くのは初めてだ。
 でもちゃんとできるはず。横断歩道は信号を守って手を挙げて渡るし、お財布だってこれなら落とさない。ケーキ屋さんで言う言葉も覚えてるから、きっと大丈夫。
 通るたびいつも義勇に吼える犬は散歩中でいなかった。ホッとして義勇はどんどん歩く。
 お母さんは、人見知りで恥ずかしがりやな義勇が、ひとりでお買い物できるかちょっぴり心配していた。でもケーキ屋さんなら迷子になるわけがないし、幼稚園でお買い物ごっこだってしたことがある。ケーキをくださいってお店の人に言って、お金を払うだけだもの。義勇にだってできるはずなのだ。
 今日はお客さんがいっぱいくる。お母さんは料理で忙しいし、お姉ちゃんだってお手伝いしてる。義勇がお買い物しなくてはお母さんが困るのだ。
 そりゃ、いつもはお姉ちゃんが全部してくれて、義勇は荷物を持ってあげるだけだったけれど。幼稚園でだって義勇は、いつも大大大好きな錆兎にくっついてまわっているけれども。
 だけど、義勇だってひとりでもちゃんとできる決まってる。だって、今日は特別な日なんだから。
 
「あの、ケーキをお願いした冨岡です。お誕生日のケーキをください」
 お母さんに教えられた通り、間違えずに言えたはず。ドキドキしてちょっぴり頬を染めた義勇に、ケーキ屋の小母さんはにっこりと笑ってくれた。
「はい、できてますよ。お名前は義勇くんで、ロウソクは六本ね?」
「うん! 今日ね、俺、いっこお兄ちゃんになるんだよ」
 パッと瞳を輝かせた義勇に、小母さんが渡してくれた白いケーキの箱からは、甘い匂いがする。
「お誕生日おめでとう。はい、これはオマケ。揺らさないように持っていってね」
 まあるいクッキーを一枚、小母さんは義勇のズボンのポケットに入れてくれた。
 ありがとうとお礼を言ってお店を出た義勇は、そっとそっと歩き出した。小母さんは揺らさないでねと言ったから。
 ウキウキして、つい大きく腕を振ってしまいたくなるけれど、我慢我慢。
 ケーキは買えたし、帰ったらお母さんとお姉ちゃんがご馳走を作ってくれてる。お父さんも今日は早く帰るよと言ってくれた。仲良しの真菰たちもお祝いに来てくれる。もちろん、錆兎も。
 錆兎は同じ年長さんなのに、ひとりでお買い物ができる。すごいねと感心してしまった義勇だけれども、尊敬してばかりもいられない。
 三月生まれの錆兎より、義勇のほうがちょっとだけお兄ちゃんなのに、お買い物もできないなんて恥ずかしい。だけど義勇もひとりでお買い物できた。錆兎に言ったらきっと、義勇はすごいなと笑ってくれるだろう。
 大きな箱は持ちにくいしちょっぴり重いけれど、義勇の足取りは軽かった。もちろん、そっと歩くのは忘れない。
 ようやく家まであと半分まで来たとき、前を歩いている男の子が見えた。錆兎だ。
「錆兎!」
 義勇の声に錆兎が振り返った瞬間。
 
 ワンワンワンッ!
 
 大きな犬の声にビックリして、義勇は飛び上がった。
 いつも義勇に吼える犬だ。飼い主さんが犬を叱って引っ張ってくれてるけど、怖くてたまらない。
 思わず義勇は錆兎に向かって駆け出した。
「きゃうっ」
「義勇!」
 つまづいて転んだ義勇に、大急ぎで錆兎が駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
 呆然としたまま義勇は、手を差し伸べてくれてる錆兎を見上げた。ポロッと涙がこぼれてくる。
「ケーキ……揺らしちゃ駄目って、小母さんに言われたのに」
 ケーキの箱は義勇の前に転がっている。きっとぐちゃぐちゃだ。
「大丈夫だって。ケーキはケーキだろ。絶対においしい」
「でも、錆兎はちゃんとお買い物できたって」
 錆兎は一所懸命なぐさめてくれるけれど、悲しい気持ちはなくならない。男は泣いちゃ駄目なのに、涙は止まってくれなかった。
「……本当は、ちょっと失敗した。頼まれたのはお酢だったのに、間違えてみりんを買ったんだ」
 ちょっとそっぽを向いて言った錆兎に、義勇はひとつしゃくり上げると、ポカンと錆兎を見つめてしまった。
「義勇には恥ずかしくて言えなかったんだ。ごめん」
 だから義勇だって恥ずかしくない、義勇のほうが間違えなかったからえらいと、錆兎はぶっきらぼうに言う。ちょっぴり恥ずかしそうに。
「だからもう泣くなよ。誕生日おめでとう、義勇」
「うん。ありがとう、錆兎」
 ごしごしと袖で義勇のほっぺを拭いて、錆兎は笑ってくれる。義勇もスンッと鼻をすすると笑ってみせた。
「行こう。パーティーするんだろ?」
「うん。あ、そうだ! さっきクッキー貰ったんだ。錆兎にあげるね」
 よいしょと立ちあがって、義勇はズボンのポケットからクッキーを取り出した。
「……割れちゃってる」
 まあるいクッキーは、ふたつに割れて、なんだかまたちょっと悲しくなる。
「ビスケットの歌みたいだな」
 ポケットを叩くとビスケットはふたつ。歌いながら、クッキーを手にした錆兎は封を開けると、割れた半分を義勇に差し出した。
「半分こできてよかったな」
「……うん!」
 錆兎はやっぱりすごい。悲しい気持ちをうれしい気持ちに変えてくれる。
 半分こしたクッキーを一緒に食べたら、ちょっと汚れたケーキの箱を持って一緒に家に帰ろう。ぐちゃぐちゃになったケーキだって、錆兎は絶対においしいよと笑ってくれるから。
「あのね、錆兎。来年の誕生日も、その次も、そのまた次も、ずーっとクッキー半分こしてくれる?」
「そんなの当たり前だろ」
「本当? 本当にいいの?」
「当然! 大人になってもみんな半分こしようなっ」
 ふたつになったクッキーは、半分こ。一緒にいればひとつのクッキーもふたつに増える。
 ポケットを叩くたび増えるビスケットみたいに、錆兎といれば、うれしい気持ちはいつでも増えて、幸せふたつ。ずっと、ずっと、半分こ。
 笑って手を繋いで、ずっと、ずっと、一緒に半分こ。