月に吼えろ

 込みあがる暗い笑みを、烈しすぎる快感が追い越していく。切羽詰ったゾロの喘ぎに煽られて、なにも考えられなくなっていく。
 共に昇りつめるために烈しさを増す律動。繋がりあうそこから響くいやらしげな水音が、鼓膜を震わせ。古びた座席は、哀れなまでにぎしぎしと、悲鳴のような軋みをあげる。もはや互いの唇から零れる声は意味を持たず、ただ喉を震わせる音でしかなくなり。

 奥まった一点を強く突き上げたその瞬間。

「――――っ!」
 場内に響き渡った嬌声に、舞台での見世物が終わりを告げたのだろうと、熱を放出した気だるさの中でぼんやりと思い、サンジは強すぎる快感に詰めていた息を、深く吐き出した。
 前列の席の背もたれに放たれたゾロの精液が、ゆっくりと滴り落ちていくのを見るともなしに眺め、今更始末することもないだろうと、どこか遠いところで考える。

 いつぶっ壊れるかと思ってひやひやしたけど、結構頑丈にできてやがんな、この椅子。今のゾロの声、よく気付かれなかったな。客席の照明が点く前に身繕いしねぇと。
 ああ、処理もしてやんなきゃ、ゾロが辛いだろう。さっさと抜かねぇと、またしたくなっちまうかな。

 つらつらと埒もなく浮かぶ言葉はいくらでも頭を掠めたが、もたれかかってくるゾロの重みの心地好さに、すべてどうでもいいような気がして。このまま目を閉じてしまいたい欲求に駆られた時、

「……ぐだぐだ悩んでんじゃねぇよ」

 腕の中で呟いたゾロの声に、サンジはびくりと体を震わせ目を見張った。
 傷跡に添えられたままのサンジの手に、ゾロの手がゆっくりと重ねられる。
 どこか愛しげにすら思える仕草で重ねられた手は、熱をおび汗ばんでいた。

「お前が悩もうが、苦しもうが、俺はどうしてやることもできねぇ。お前一人のために生きてやることなんて、俺にゃあ絶対にできねぇからな」
 体を強張らせるサンジに人の悪い笑みを見せ、ゾロがゆっくりと立ち上がる。萎えたそれが抜け出る感触にくすぶる熱を煽られたのか、かすかに息を詰めはしたが、ゾロはすぐに息を整えると足元にわだかまっていたボトムを引き上げた。
「野望もまだ果たしてねぇし、ルフィが海賊王になるまではついていくって約束しちまったし」
 思わず不服をあらわに眉根を寄せて見上げれば、不貞腐れたその顔が気に入ったのだろう、ゾロは情交の艶の残る顔に満足げな笑みを浮かべた。
 わかりきっていることを改めて思い知らされ、サンジは不快感を隠しもせずに舌打ちを響かせた。先程までの心地好さなど木っ端微塵だ。嫌な野郎だと胸の中で毒づき、自分も手早く身仕舞いを済ませると、煙草を咥え噛み締める。
「ここ、禁煙じゃねぇのか?」
「火はつけてねぇ」
 面白げに聞こえるゾロの声に、苛々と吐き捨てるように言い、立ったままのゾロを睨み上げる。
「で?」
「ああ? なにが、で、だよ」
「てめぇで振った話を忘れんじゃねぇよっ。それで? てめぇはどうしたいんだよ。俺と別れてぇのか。ぐだぐだ悩む男はいらねぇって?」
 ぎりっとフィルターに歯を食い込ませ、サンジは瞳を逸らすことなくゾロを睨みつづけた。
 みっともなく震えだしそうな体を叱咤し、虚勢を張る。
 もし、そのままの答えが返ってきたとしたら、自分はどうなってしまうだろう。嫌だと泣いてすがるか。ふざけるなと怒鳴るか。

 それとも、ここにいる奴らの目の前で犯し、よがり狂わせ、お前は俺のものだと思い知らせてやろうか……。

 どれもが起こり得る気がするが、同時にどれも実行することはない気もした。
 心のどこかで安堵する自分がいる。終わらせてくれ。こんな無様な男でありたくない。それでも俺は自分からお前を手放すことなんてできない。お前から終わらせてくれないかぎり。自分の不甲斐なさを、醜さを、思い知らされて。独占欲と嫉妬に身を焦がして。苦しい、辛いと、もがきながら。優しくしたい、慈しみたいと願いながら。
 身の内に巣食った闇を振り払うこともできずに、足掻くばかりの、哀れな男だ。いっそ狂ってしまいたいなどと愚かなことを考えるくせに、どうあっても自分から壊してしまうことのできない、滑稽なまでに無様な。

俺を、解放してくれ。
この熱から。
もう、解放してくれ。

「誰がんなこと言ったよ」
 小馬鹿にしたような口調で鼻で笑うゾロに、サンジの眉間の皺が深くなる。
「俺は、お前が悩もうが苦しもうが、お前を手放す気なんてねぇ」
 見下ろすゾロの顔は笑っていた。どこか楽しげに。少し痛ましげに。
「お前が俺から離れたがっても、手放してなんてやんねぇよ。いいか、てめぇがじゃねぇ。俺が、だ」
 ゆっくりとゾロの手が伸び、武骨な手が自慢の金髪に差し込まれるのを、サンジは呆然と見上げていた。
 静かに下りてきた唇が、軽く髪に触れる。

「……サンジ」

 卑怯だろう。そんな声で、そんな風に、名前を呼ぶなんて。
 欲情の艶を残したその声で、愛しくてならないというような響きで、日頃は決して口にしない名で呼ぶなんて。

 思いがけぬゾロの行動に、サンジの口から咥えたままだった煙草が落ちた。
「……もったいねぇ」
 ぼんやりと視線を落とし思わず呟いた声に、我ながら間抜けななことを言ってるなと思ったが。
「拾やいいじゃねぇか。吸えねぇわけじゃねぇだろ」
 呆れた風に言うゾロに、むっと唇を尖らせる。
「どこのどいつがザーメン撒き散らしてっかわかんねぇクソ汚ぇ床に落ちたもん、吸えるわきゃねぇだろっ!」
 思わず怒鳴りつけ、睨みあい、やがて。
 サンジの肩が、小さく震えた。
 ゾロの口角も、小刻みに震え。
 くっ、と最初に咽喉を鳴らせたのは、どちらだったか。
 押し殺しきれない息が洩れてしまえば、もうこらえようもなく。次第に零れだした笑い声は、気がつけば場内中の視線を集めるほど大きく響きわたっていた。
 怒声や呆れ返った視線の中、悠然と立ち笑いつづけるゾロの手を取り、サンジも笑いながら立ち上がる。
 店員がどやしつけにくる前にさっさと退散しようと駆け出しても、笑いの発作は抑えられず。握り合った手もそのまま。
 逃げ出した通りを包む空気は、いまだよどんだ熱を孕んでいた。駆ける足を止めた時には、二人とも汗だくで。それでも、瞳を合わせれば、また笑いがこみ上げる。汗ですべる手を、繋いだままで。
 深夜をとうに過ぎた人影もまばらな通りに、笑い声を響かせても、はた迷惑な酔っ払いとしか人は思わないだろう。よもや先ほどまで品性の欠片もない場所で、不埒で不毛な同性同士の情交に耽ったばかりだなどと、誰一人気付きもしない。自分達にお似合いの馬鹿馬鹿しさだ。

 まったく滑稽で、無様で、馬鹿馬鹿しいと、みんな呆れ返るがいいとサンジは笑いつづけた。それでも自分はこの手を放しはしないだろう。胸に巣食った闇を抱えたまま、それでも、この男は自分のものだと足掻きつづけるのだ。
 いつかは優しさだけで包み込んでやろうと願いながら。その日までは精々足掻いてもがいて、悩んで苦しんで。こんな風に笑って。いつものように喧嘩して。たまに不道徳な悪戯に耽って。

 そうして辿り着く最後の時まで、離れてなどやるものか。手放してなど、やるものか。

「で? 機嫌は直ったのかよ」
「んー? さぁなぁ……まだ足んねぇかも。こうクソ暑いと、むかついてしょうがねぇし」
 ようやく笑いやみ、どこへともなく歩き出しながら問われて返せば、ゾロの眉間に皺が寄る。
「暑いのは俺のせいじゃねぇだろうが。大体、暑いってんならこの手、放せよ。暑苦しい」
「つれねぇなぁ。ま、いっけどよ」
 振りほどかれる前に素早くその手にキスを送り、真っ赤に染まったゾロの顔にニヤリと笑う。
「けどよ、お前も足りねぇんじゃねぇの? ご無沙汰だったんだ、あれぐらいで満足ってこたぁねぇよな。……処理もしてやんなきゃなんねぇし」

 繋いだその手を放しても。離れてなどやらないし。

「……っ、阿呆か! そんなもんしなくていいっ!」

 どんなに愚かに成り果てても。どんなに無様な姿を晒しても。

「遠慮すんなって」
「遠慮じゃねぇ!」

 お前がそれを望むなら、どこまでだってしがみついててやるさ。

「おい、しっかりケツの穴引き締めて歩かねぇと、零れてきちまうぜ」
「こっぱずかしいことデカイ声で言ってんじゃねぇよ! 変態エロコック!」
 真っ赤に顔を染めたまま歩き出したゾロの背中に暫し笑い、サンジはその背を照らす月を見上げた。
 月を見上げるゾロがなにを思い、その瞳に優しい色を浮かべるのか。未だ聞くことは叶わないが。

 それでも、今、ゾロの傍らにいるのは、この俺だ。
 ゾロを抱きしめ、笑いあい、熱を分かち合うのは、てめぇじゃねぇ。

「てめぇは指咥えてそこで見てろ」
 月に向かってにやりと笑う。
 立ち止まり振り返るゾロに、軽く肩をすくめてみせ、サンジは足を踏み出した。
 ああ、まだキスしてなかったな。そんなことをふと考えながら。
 まぁいいか、夜は長いと、小さく笑ってゾロの元へと足を進める。

 朝はまだ遠く。
 夜はまだ、終わらない。
 終末は、気の遠くなるほど未来の出来事。
 そう信じて、今は、悩んで足掻いて苦しんで、それでもともに歩くだけ。

 今に見てろと、月に向かって吼えるだけ。

                                      終