サンセット・サンセット

 晩秋の日暮れは早い。いつもなら、部活が終わって帰るのは、もう夜。
 だけど今日は、綺麗な夕焼け空。多分、悪魔さんなりのプレゼント。
 嬉しかったの。本当よ。
 今日一日、ずっと嬉しいことばかり。すごく幸せだったの。
 たくさんのおめでとうと、たくさんのプレゼント。

 だって今日は、私の誕生日。

 幸せだったの、さっきまで。
 今までで一番素敵な誕生日だったの。さっきまで。
 だけど、今の私は泣いていて。大好きな人は、困った顔して私を見てる。
 ああ、もう、最低。なんでこんなことになっちゃったの?

 私は、私が、大嫌い。

サンセット・サンセット

「まもり、今日は早く帰れるの?」
 お弁当を詰めてる最中にお母さんに訊かれて、ちょっと考えた。
「いつもと同じだけど……どうして? なにかあるの?」
 外せない用なら、放課後は部活休むって、早目にヒル魔くんに言わなくちゃ。それから昼休みまでにやれること全部済ませて……忙しくなるな。放課後のことは鈴音ちゃんにお願いしておこう。今のうちに電話しといたほうがいいかしら。

 頭のなかで今日の予定を組み直してたら、お母さんは呆れたように笑った。
「いやね、今日はあなたの誕生日じゃない。17歳ね、おめでとう」
「あ……そっか。今日、24日なんだ」
 思わず壁にかけられたカレンダーを見れば、『まもり誕生日』って小さなメモ書き。
 毎日忙しくて、すっかり忘れてた。
「張り合いのない子ねぇ。そんなんじゃ彼氏もガッカリするわよ?」
 呆れた様子の笑い声に、ドキッとした。
「そんなこと、ないわよ」
 彼が私の誕生日を覚えているとは、思えない。だって当の本人の私ですら、忙しくて忘れてたんだもの。
「あら、それくらいじゃ彼は怒ったりしないっていう惚気? 優しいものね、あの人。ね、お祝いするから彼も誘いなさいよ。お母さん、ご馳走たくさん作って待ってるから」
「そんなこといきなり言われても、きっと無理よ。すごく忙しいんだから」
 そう、彼は多分、デビルバッツで一番忙しい人。入院したお父さんの代わりに自分が仕事に出ていたころよりも、学校に戻った分、より忙しい。
 いつでも高校生とは思えないほど落ち着いていて、どっしり奥にかまえた大黒柱のお父さんみたいな人。
 だから皆気づかないの。彼が……ムサシくんが、どれだけ慌ただしい生活をしているか。

 復学してからというもの、部活は当然全力で。手が空けば相変わらずお家の仕事場にも顔を出しては、夜遅くまで手伝ってる。お父さんの看病で忙しいお母さんの代わりに、少しは家事だってやるのよ? それなのにちゃんと勉強までしてるんだから、いつか体を壊しちゃうんじゃないかって、心配になる。
 せめてほかのことくらい少し手を抜いてもいいと思うんだけど、ムサシくんはそれができない。
 自分がやるべきこと。そうと決めたら、必ずやり遂げる。彼はそんな人。
 そのために、大好きなアメフトからも離れていたくらいだもの。
 それに、告白されたときだって、ムサシくん、言ってたから。普通のことは、きっとなに一つしてやれないって。

 でも、それでも良かった。普通のことなんてなにもできなくても、ムサシくんが好きだって言ってくれただけで、嬉しかったの。
 だから、誕生日くらい忘れられてても、かまわない。だってムサシくんは忙しいんだから。

「そうよねぇ……でも、聞くだけ聞いてみてちょうだいね」
「もう、お母さんたらなんでそんなにムサシくんを呼びたがるの?」
「だってお母さん、あの人のファンなんだもの」

 ニコニコしながら、とんでもないことを言う。

「渋いわよねぇ。髪型変えたときはちょっとビックリしたけど、見慣れちゃえばああいうのも似合ってると思えるし。礼儀正しいし、優しいし、お母さん大好き」

 ああ、もう、聞いてられない。

「はいはい、わかりました。朝練遅れちゃうから、もう行くわね。行ってきます」
「あ、まもり! ちゃんと誘ってみるのよ? お母さん待ってるから」
「もう……お母さんの馬鹿」
 まだ暗い夜明け前の道を歩きながら、思わず呟いた。
 嫌われたり反対されるよりいいけど、あれじゃどっちが彼女だかわからないじゃない。
 惚気るとか、私には絶対無理だもの。

 本当は、皆に自慢したいって、ちょっと思う。私の彼氏はこんなに素敵なのよって、世界中の人に言いたいときが、たまにある。
 でも、内緒だから。
 どこかの悪魔さんの命令をきくのは釈然としないけど、『勝利のため』なんて言われると、反論もしにくくなる。ムサシくんもべつにかまわないって言うし。
 それに、自慢したいのと同じくらい、誰かに知られるのが恥ずかしい。

「変なの、自慢したいけど秘密にしたいなんて……」

 なんだか少し笑っちゃう。自分のなかの矛盾と、ちょっぴりの淋しさに。
 ほかの人達もこんな風に思うのかしら。恋をすると、皆こんな気になるの?
 わからないけど、でも……。

「姉崎」
 背中からかけられた声に、飛び上がりそうになった。
「おはよう。どうした? そんなに驚かせたか?」
「あ、ううん。そうじゃないの」
 誤魔化したけど、なんだか顔が熱い。周りのことなんにも見えなくなるくらい、ムサシくんのことばかり考えてたみたいで。
「おはよう、ムサシくん。寒くなってきたわね」
「ああ……たしかに寒くなったな」
「セナ達にも体調管理しっかりするように言わないとね」
「姉崎」
「ん? なに、ムサシくん」
「寒くなったからってわけでもないんだが……」
 言いながらムサシくんが差し出したのは、小さな紙袋。

 ドキンッ、と、心臓が大きな音を立てた。

 覚えていてくれたの? 今日が私の誕生日だってこと。
 嬉しくて、嬉しくて、胸がドキドキする。あんまり思いがけなくて。

「見てもいい?」
 少しだけ照れくさげな笑みでムサシくんがうなずく。紙袋のなかには鮮やかなブルーのマフラー。ラッピングされてないのが、なんだかムサシくんらしい。
「綺麗な青……」
「見掛けたときにあんたの目を思い出して、それにしたんだが……青で良かったか?」
「もちろんよっ。本当に……嬉しい。ありがとう、ムサシくん」

 覚えていてくれただけでも嬉しいのに、そんなこと言われたら、幸せすぎて涙が出そう。

「ちゃんと覚えていてくれるなんて思ってなかったの。ごめんなさい。本当に、すごく嬉しい」
「は? なにを……」

「まもり姉ちゃんっ」
「まっもりさーん!」
「まも姉ーっ!」

 いきなりの三重奏に慌てて振り返れば、セナ達が駆けてくる。

「おはようございます! ムサシ先輩も早いっすね」
「おはよう、今日も寒いね。風邪ひかないよう気をつけるのよ?」
 どこか悪戯っぽい笑みを見交わす三人に、ちょっと首をかしげた途端。

「お誕生日、おめでとう!」

 大きな声と一緒に、揃って差し出された三つのラッピング。ビックリしたのと同時に、嬉しくて胸が一杯になった。

「ありがとう、セナ達も覚えてくれてたんだ」
「アッタリマエっすよ! たとえ宿題は忘れても、まもりさんのお誕生日は絶対忘れません!」
「嬉しいけど、宿題も忘れちゃダメよ。モン太くん」
「まも姉、そのマフラーどうしたの? ねっ、もしかしてムサしゃんからのプレゼント?」
「マジすかっ、ムサシ先輩! 一番早くお祝いしたかったのに!」
「でもすごく綺麗な青だね。ムサシさん、センスいいんですね」
「うんうん、まも姉、瞳と同じ色ですっごく似合いそう! ねね、巻いてみせてっ」
「えっと、こう? 似合う……?」
「バッチリっす! 悔しいけど似合う度MAXっす!」

 騒がしい笑い声に包まれている内に空は明るくなってきて、今日も綺麗な青空を予感させる。首に巻いたマフラーと同じくらい、綺麗な青い空を。
 幸せで、嬉しくて、心が温かくなって。どうしようもないくらい、そのときの私は浮かれてた。

 だから、気づかなかったの。ううん、気にもならなかったの。
 ムサシくんの、少し困ったような顔なんて……。

 それから放課後まで、会う人毎におめでとうって言われて。友達からのプレゼントも、いつのまにか抱えきれないくらいになってて。
 当然のように、金髪の誰かさんはおめでとうなんて言わなかったけど、今日の練習は早目に切り上げるって、日頃では考えられないことを言い出した。おまけに、私とムサシくんに練習終わったら買い出ししとけ、なんて。素直じゃない悪魔さんなりのプレゼントなのかしらって思ったら、ますます今日が幸せになって。

 だから、気づかなかったの。ううん、気にもならなかったの。
 まだ、ムサシくんからだけ、おめでとうって言われてないってことも。

「買い出しとか言って、買うものこれだけなんて。ヒル魔くんたら、素直じゃないわよね」
 並んで歩く帰り道、ムサシくんが両手に持ってくれてる紙袋は、全部私が貰ったプレゼント。私の荷物なんて、鞄のほかには薬局の小さなビニール袋くらい。
 首には、ブルーのマフラー。木枯らしが吹いても暖かい。
「でも、すごく嬉しい。こんなに嬉しい誕生日、初めて……ムサシくん?」
 不意に立ち止まったムサシくんに振り返れば、ムサシくんはなんだかとても、困り顔。
「どうしたの?」
「すまん、姉崎。それは、誕生日プレゼントじゃない」
「え……?」
「この間、タオルをくれたろう? その礼にと思ってたんだ」

 なに……?

「今日が誕生日だって、忘れていた……」
 なんで、そんなこと、言うの?
「本当にすまん」

 どうして、今、それを言うの……?

 ムサシくんの下げた頭を呆然と見てた。なにが起きてるのか、よくわからない。

「姉崎……」
「なんで……そんなこと言うの……? 言われなかったら、気づかなかったのに……嬉しかったのに」
 やだ、涙。どうしよう、こんなところで。
 でも、止まらない。止められない。
 わかってる。ムサシくんは正直なだけ。私を騙したくなかっただけ。なにも悪くない。
 だけど、哀しいの。どうしても、哀しいの。だって、皆覚えていてくれたのよ? お母さんやセナや、モン太くんや鈴音ちゃん。栗田くん達も、皆。
 友達も全員おめでとうって、言ってくれたわ。あのヒル魔くんですら、きっと覚えていてくれた。

 それなのに、世界で一番好きな人だけが、忘れていたなんて。

「姉崎……本当に悪かった。今からでもプレゼント買いに行こう」
「いらないっ! 欲しく、ない……」
「しかし……」
「いらないもの。今更、そんなこと言われたって……もう、プレゼントは貰ったじゃない。これ以上いらないものっ」

 ああ、私ってなんて嫌な子なんだろう。なんて可愛くない女なの。覚えてなくてもいいって、忘れていてもかまわないって、思ってたはずなのに。たとえ誕生日プレゼントじゃなくても、ムサシくんが私のためにプレゼントしてくれたことに、変わりはないのに。
 一人で勝手に誤解して。一人で勝手に浮かれて。勝手に傷ついた挙句、困らせてる。

「それは、お礼だから。ちゃんと誕生日のお祝いはさせてくれないか?」
「……じゃ、歌って。ここで、ハッピーバースデー、歌って」

 私、意地悪だ。酷い女だって嫌われたってしょうがない。夕暮れの歩道で泣いて我儘言って。通り過ぎる人が皆見てるじゃない。ムサシくんだって困ってる。
 だけど、止まらないの。止められない。哀しくて、哀しくて、我儘で意地悪な気持ち、胸の奥に溢れてくる。
 ほかの誰にも、こんな気持ちになったことなんて、ないわ。我儘言ったり、意地悪したくなったり、そんなこと、一度もなかったの。ムサシくん、だけなの。一番大好きな人なのに、ムサシくんにだけは、こんな意地悪な気持ちになる。

 ほかの人達もこんな風になるのかしら。恋をすると、皆こんな気になるの?
 わからないけど、でも……。

 わかっているのは、ひとつだけ。
 あなたが、好き。
 ただ、それだけ。

 ……謝ろう。ムサシくんはなにも悪くない。それに、誕生日、だもの。ひとつ大人になったんだから。
 ちゃんと、謝って、忘れよう。嬉しかった気持ちだけ、大事にすればいいじゃない。こんな風にムサシくんを困らせる私は、大嫌い。だから、もう、忘れよう。

「……ムサシくん、あのね」

 顔を上げた瞬間、聞こえてきたのは。
「ムサシくん……」

 小さな声の、だけど、はっきり聞き取れるハッピーバースデー。私を見つめて。
 夕暮れの帰り道は、人通りも結構あって。通り過ぎる人は皆、好奇心をあらわに私達を見てく。
 恥ずかしくないわけ、ない。こんなところで、泣いてる女の子を前に歌うなんて、恥ずかしいに決まってるのに。
 だけど、ムサシくんは歌ってくれてる。優しい声で、私のために。私だけの、ために。

 そして。

 happy birthday dear まもり

 たしかに、今、そう……

「……誕生日おめでとう……まもり」
「……っ」

 初めて名前で呼ばれて。涙が、ますます溢れた。

「ごめんなさい……ムサシくん、ごめんな、さい……っ」
「謝るのは俺のほうだと思うんだが……」
「ううん、私が悪いの。ごめんなさい、ムサシくん……」

 謝り続けてたら、頬に温もり。指先が、不器用に涙を拭う。お仕事のときはあんなに器用なのに、不思議ね、私に触れるときだけ少し不器用になるの、あなた。
 そんな優しくて少し不器用な指先が、私は、好き。あなたが、好き。

「すごいプレゼント貰っちゃった」
 笑ってみせたら、ムサシくんも照れくさそうに笑い返してくれる。ああ、あなたのそんな笑顔が、好き。

「来年からは、絶対に忘れないから」
「うん……」

 晩秋の日暮れは早い。いつもなら、部活が終わって帰るのは、もう夜。
 だけど今日は、綺麗な夕焼け空。多分、悪魔さんなりのプレゼント。
 嬉しかったの。本当よ。
 今日一日、ずっと嬉しいことばかり。すごく幸せだったの。
 たくさんのおめでとうと、たくさんのプレゼント。

 だって今日は、私の誕生日。

 でもね哀しかったの、さっきまで。
 今までで一番最低の誕生日になりそうだったの。さっきまで。
 だけど、今の私は笑っていて。大好きな人は、私の隣で微笑んでる。
 だから今日はやっぱり、素敵なバースデー。

 私は、あなたが、大好き。

                              END

~おまけ~

「ねぇ、このマフラーいつ買いに行ったの?」
 思いついて聞いてみた。だって毎日部活で、遅くなるから帰りはいつも一緒で。そんな暇なかったと思うのに。
「ああ、見かけたのは随分前でな。ヒル魔が近くに買い物に行くようなことを言ってたんで、ついでに頼んだ」
「ふーん、ついで、なんだ」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
「嘘よ。嬉しい。私の瞳と同じ色だから覚えていてくれたんでしょ? すごく嬉しい。でも、ヒル魔くんが自分で買い物って、珍しいわね。またとんでもない武器とかなのかしら」
「ん? いや、タオルがどうこう言ってたと思ったが……なんだかやけに楽しそうだったぞ」
「へぇ、そうなの。誰かへのプレゼントだったりしてね」
「そうかもしれんな」
 思い浮かんだ人の名前は、きっと一緒だったと思うけど。ムサシくんがちょっぴり複雑そうな顔をしたから、黙っておいてあげた。
 ヒル魔くんに対しては、ムサシくんたら時々、娘を持つ父親みたいになっちゃうんだもの。そのせいかしら。私もたまに、ヒル魔くんに対してはお母さんみたいな気分になる。

「結婚式で泣かないでね、お父さん」

 なんのことだかわからないって顔がちょっと可笑しかったから、なんでもないのって笑ってみせた。
 やっぱり私、ムサシくんにはちょっとだけ意地悪したくなっちゃうみたい。ごめんなさいね。大好きだから、許して。

 ね? お父さん。

                                    おわり