どんより。
言葉にするなら、今の空気は、まさにそれ。
べつに険悪というわけではないんだけれども、いたたまれない、というか、うんざり、というか。
泥門高校アメフト部の部室に漂う空気は、一部を除いて、まさしく、うんざり。そして、どんより。
まるっきり正反対の空気に包まれたその一部の空間が、周囲の空気をますます重苦しくしていく。
「美味しいねー」
「フゴッ」
なんて、周囲の空気に気づかず呑気に菓子を頬張る人達もいるけれど、それはおいておくとして。問題なのはべつの二人。
部活終了後のちょっとした憩いの一時。カジノテーブル奥側の中央、いつもの指定席には、見目良い足を悠然と組んで、いつもと変わらずPCに向かっている、金髪の悪魔。向側に座っているのは、もはや泥門ではお馴染みの他校生、白い長ラン纏った長い腕の男。
なんであんたがここにいる、なんて言葉ももはや浮かばないほどに、すっかり見慣れた二人の姿は、今日も部員達の心を荒ませていた。
「おっ、コレわりと好きなんだよな。食うか? 結構イケるぜ?」
「ん……まぁまぁだな。あ、おい、糞奴隷」
「ほらよ。テメェあんま炭酸ばっか飲んでっと、飯入んなくなんぞ。あんま食うほうじゃねぇんだからよ」
「菓子勧めながら言う台詞じゃねぇな。それに最近はきっちり食ってんだろ。テメェがウッセェから」
「カッ! んなこと言って、テメェ食うの肉ばっかじゃねぇか。もっと野菜も食え、野菜も!」
「テメェはどこのオカンだよ、ウゼェなぁ。食ってほしけりゃ料理のレパートリー増やしやがれ、糞マム」
「テメェは食うだけかよっ! ったく、俺がいなけりゃなに食って生きてんだかわかりゃしねぇな」
「安心しろ、糞カメレオンと違ってハエは食わねぇ」
「カッ! 俺だって食わねぇよっ!」
……とかなんとか。当人達は普通の会話だと思ってるんだろうが、聞かされるほうはたまったもんじゃない。
ケケケってご満悦に笑ってますけど、それ、相当HP削られますから。
いくら私や栗田くんが勧めても、お菓子なんて手をつけなかったくせに。葉柱くんだと食べるのね。糞菓子なんか食えっかとか、言わないんだ。ふーん、そうなの。葉柱くんも断られるなんて欠片も思ってない顔して……ああ、そうですか。
なんで『おい』だけでコーラだってわかるんすかっ、葉柱先輩! ヒル魔先輩も当然みたいに飲んでるけど、アイコンタクトもなかったっすよね? 熟年度MAXの夫婦の会話っすか!!
は? はぁ? はぁぁ?! いっつもその悪魔に、あんたが手料理食わせてやってんのかよ、賊学ヘッド! つかよ、マムとか呼ばれてなんで赤くなんだよ! 満更でもねぇって顔してんなっつうの!
ヒル魔くんがお昼食べてるの見たことないけど、その内、ご飯にピンクのハートの愛妻弁当とか持ってきちゃったりするのかな。こういう場合も愛妻弁当っていうのか、知らないけど。勉強だけじゃわからないことってあるよなぁ……いや、知りたくもないけど。
ああ、もう、まったく。
「ウゼェんだよ、バカップルが……」
ぼそり。聞こえた小さな呟きに、ビクリ、揃って一瞬硬直する。
全員一致の心の声。口に出して言ったのは。
「セ、セナ……?」
泥門の小さなエース。ビビリで小心者なパシリだったのは、もう過去のこと。とはいえ、今の台詞はあまりにも……。
思わず。当のバカップルの耳に入らなかったかと、全員揃って視線をやってしまった団結力は、デビルバッツにとって必要なものではあるけれども。幸か不幸か、当のバカップルは聞いちゃいなかったようなのも、安堵すべきなのかもしれないけれど。
ああ、神様、それはあんまりです。
「あ……」
「と……ワリィ」
仲良くスナック菓子に伸ばした指先、ちょん、と触れて。見交わす視線、ほんのり頬赤らめ、慌てて手を引っ込めてる、バカップル。
Noォォォォォォッ!!!!
なんじゃそりゃ!? なにもじもじしてんだよ、あんたら! んな光景、靴箱にラブレター以上に、乙女チックな漫画でもまず見当たらないっつうんだよっ!!
団結力が仇になり、全員目にしたその光景。心の中は阿鼻叫喚。いっそ泣かせてくれとは、誰もが思っているはずで。
だけど悪魔はあくまでも非情。善良な人々の願いを踏みにじる。
「……んだよ、ご主人様が食ってるもんに、手ぇ出すなよ、糞奴隷」
そういう台詞を、頬赤らめて視線外したまま言われても、困ります。
「カッ! テメェ、いつもはあんまり菓子とか食わねぇから、油断したんだよ……」
あんたも最凶ヘッドとか呼ばれてんなら、んなことで頬染めるのやめて下さい。
「テメェが旨そうに食ってっから、つられたんだよっ」
旨そうに食う奴ならうちにもいますけど、なにか?
「気に入ったんなら、残りテメェが食えよ。俺はいいから」
「ちょっとしか残ってねぇじゃねぇか。テメェが食えよ。好きなんだろ、コレ」
もう、いい。もう十分です。神様。
「いや、俺はテメェが珍しく旨そうに食うから、つられただけで……」
「つられたのは俺だって言ってんだろ。ご主人様の命令だ、テメェが食え、糞奴隷」
もう勘弁して下さい。こんな過酷な精神修行、きっと王城や神龍寺だってしちゃいません。
「ヒル魔さん! と、葉柱さん」
いや、でも。いやいや、だから。もじもじしながらの譲り合い。止めたのは、小さなエースの笑顔と声。
「こっちのも美味しいですよ? お一人ずつどうぞ」
ズイッと二人にスナック菓子を差し出す顔は、確かに笑っているんだけれど。
「あ? いや、俺はもう……」
「まだこっちのも残ってっし……」
「そう言わず、どうぞ。遠慮なさらずに! 是非、お一人ずつ!」
目が。
目が笑ってないからっ。
声も妙に威圧的。なんだか周囲の温度が急にマイナスまで下がった気がする。
「……はい、イタダキマス……」
変な迫力に気押されたのか、あの悪魔と賊学ヘッドが素直に菓子を受け取るくらい、怖いですから、その笑顔!
毒気を抜かれたみたいに大人しく、ぽしぽしと自分の分の菓子を食べ出す二人を、チラリ、横目で見やって。
「世話焼かすんじゃねぇよ、バカップル」
…………
大人しい子程怒らせると怖いって言うけど……これは、ちょっと……。
今、すっげぇドス黒いオーラを見た気が……うわ、悪魔より怖ぇ……。
はっきり言って怖さMAX!
逞しくなってくれるのは嬉しいけど、こんな、こんなセナは……嫌ぁぁぁぁっっ!!
神様。神様。ただでさえ破壊的なバカップルぶり振り撒いてる最強最凶な二人に加えて、こんな最終兵器はいりません。もう本当に勘弁して下さい。神様。
ああだけど、今は泣いてる場合じゃない。
今の内に捻り出せ、絞り出せ、この地獄の空間から違和感なく脱出できる言葉を! 今ならまだ間に合う。脳髄焼き尽してでも考えろ、俺!!
辺りに満ちる緊迫感。焦れば焦るほど、言葉が見つからない。誰かがキッカケ作ってくれないものかと、飛び交うアイコンタクト。
だけど。
悪魔はやっぱり悪魔。おまけにハートにはキューピッドの恋の矢が刺さってるともなれば、神様にだって止められない。
「……おい、そっちのちょっと寄越せよ」
「ん……じゃ、そっちくれ」
ちょっと待て。なぜこの空気が読めない!
なんでこの場面で分け合いっこすんだよっ!
うわ、またドス黒オーラが……っ。
も、そこでやめとけ。つかやめて下さい。土下座でもなんでもしますからっ。
なのに。ああ、それなのに。
「カッ! 食いカスついてんぞ」
笑って。
「あ……と、ワリィ」
「いや……別に、いいけど、よ……」
今、舌、伸びた?
なんか、有り得ない光景、見ちゃいましたか? 俺ら。
つか、問題は、そこじゃなくて。
舌で、取ったよね、この人。
悪魔の唇の端っこに、ひゅるんって、舌伸ばして。
「……今なら、人殺しても罪に問われない気がするなぁ、僕……」
前ではまたもじもじ合戦繰り広げてるバカップル。後ろにゃ、ふふふと小さな笑い声立ててる暗黒オーラのエース。
ぷつり。なにかが切れた。
「……め……目指せ、クリスマス・ボウルッ!!」
「ヤるぜ俺は! やってやるってんだよ、コンチクショウ!」
「皆、頑張ろうねっ! 負けちゃダメよ!」
「おぅっ!!」
泣きながらの一致団結。沸き上がるシュプレヒコール。
だって、神様は助けてくれないし。
「わぁ、皆スゴいやる気だねぇ。僕らも頑張ろうねっ、小結くん!」
「フゴッ!」
こんな脳天気には、なれそうもないし。
「やっぱり毒が楽だよね……どこで手に入るのかなぁ……」
あそこまでは、いきたくないし。
「……おい、テメェんとこの部員、なんなんだ? なに考えてやがんだ、いきなり」
「さぁ……俺にもさすがにコレは読めねぇ……」
唖然、呆然、読めなくて当然。
だってあんたら、惚気てる自覚、皆無ですからっ!
ぶっ殺せはっ倒せと掛け声の喧騒、涙に濡れた頬もそのままに。
なにが哀しいって、これがありふれた日常になりつつあることで。
でもでも神様、お願いですから神様。せめてここだけの話に留めておいて。
たまの休日、うっかり街中で出会した日にゃ、人生の終りを感じそう。
だって、ほんのちょっぴり、思ってしまう。
お幸せに、なんてほっこりと、胸の奥温かくなる。
それはやっぱりちょっと、あんまりでしょう?
常識だけは、まだ捨てたくないんです。神様。
デビルバッツの面々はまだ知らない。時々カメレオンズの部室でも、あんな破壊行動が見られることを。
デビーズ、sonson、二人の立ち寄る先々で、やっぱり阿鼻叫喚巻き起こしてることを。
恋の矢が刺さった悪魔の破壊力。神様にだって抑止不能。
そういうことで、あしからず。
END