ヒル魔のコーヒーはいつでもブラック。寝る前だろうと濃い目がデフォ。
せめてミルクくらい入れりゃいいのにと、葉柱はいつも思う。できることなら、日に4杯の最低ラインも切ってほしいところだけれど。
甘い物は一切受け付けないご主人様は、まろやかなミルクすら自分から求めることはないらしい。葉柱だって特別甘い物を好むわけではないけれど、コーヒーにはやっぱりミルクが欲しいと思うのは、そのほうが体に優しいような気がするから。
べつにブラックでも飲めるけどよ。一日一杯ってんなら、俺だってブラックでもかまやしねぇし、テメェにも文句つけたりしねぇっての。
けど、な。テメェ、飲みもんつったらコーヒーかコーラの二択じゃねぇか。それってどうよ? 日本人なら茶を飲めよ、茶を!
つか、肉じゃがだの鯖味噌だの食いながら、よくコーヒーなんて飲めるよな。腹さえ膨れりゃ味は二の次っつっても、美味いもんまで不味くなりそうじゃねぇ? おまけにアメリカンは却下って、その内マジで胃悪くすんぞ、コラ。
初めて一緒に食事したときには、思わず目を丸くして。その内げんなり呆れ返り、今じゃちょっとハラハラしてる葉柱といえば、前時代的なナリにふさわしく、古風というか、保守的なところがあったりするので。正直、ヒル魔の食事習慣にはいまだに馴染めない。
それよりなにより、意外なほど食には無頓着なヒル魔が、心配でしかたなかったりもする。
だってアメフトのためならなにをもさて置くヒル魔が、健康管理の基本の食事に関しては、こんなにも考えなしだなんて。葉柱にしてみれば信じられないと驚く以上に、俺が気をつけてやらないと! なんて使命感に燃えてしまうから。まったくもって奴隷の鑑だと、自分でも思ってしまったのは、とりあえず内緒。
そんな小さな自己嫌悪はさておき、ヒル魔の食事に関してはなるべく葉柱が料理して――こっそり料理本を買い込んだことについては、内緒を通り越してトップシークレットだ――肉ばかり食べたがるのを、なんとか野菜や魚も食べていただけるようになりつつあるけれども。コーヒーだけは、どうにも改まる気配がない。改めてもらおうにも、策がないと言うべきか。
口うるさく言ったところでヒル魔が改めるわけもなくて。ましてや感謝なんてされるはずもない。
感謝されたくて心配してるわけじゃ勿論ないし、人の嗜好にケチをつけるのはいかがなものかと、葉柱も思う。だけれど、何事にも限度はあるとも、思うのだ。
最近では、ヒル魔のコーヒーを淹れるのは葉柱の仕事になっていて、気を遣ってある時薄めに淹れてみたら、えらく怒られた。しかたなしにヒル魔好みの濃さで毎日淹れている葉柱にしてみれば、ヒル魔の健康を害する要因の一端を担っているようで。サイフォンを前にして、胃が痛いと唸ってしまうこともザラ。
これじゃ俺のほうが先に胃をやられそうだと、しょんぼり舌を垂らす、意外に繊細な賊学ヘッド様だったりする。
なにも今後一切コーヒーを飲むなって言ってるわけじゃなし、寝る前くらいはアメリカンでもいいじゃねぇか。自分で言うのもなんだがよ、アメリカンだって俺の淹れるのは美味いと思うぜ? なにしろ隠し味の愛情は欠かしたことねぇんだから。
そんなことうっかり口にしようものなら、たちまち爆笑するか、本気で嫌そうな顔するか。どっちにしろ糞超絶ドリーマーなんて、有り難くない呼び方されるのは、わかりきっているので。
真心と優しさ込めて淹れたアメリカンコーヒー、泥水と変わらねぇってマシンガン乱射付きで罵倒されても、心配なんだとは、口に出せない男心。プライドなんて大層なもんじゃなく。
心配なんだと言えないのは、ヒル魔が自分の身体に無頓着なこと、これ以上思い知らされたくないからで。
だってただただ哀しくなる。アメフトしかない男が、アメフトに支障をきたすことにでもなったら、一体どうなってしまうのか。そんなこと考えるのもゴメン。
ましてや、案じることすら余計なお世話と切り捨てられたら、自分はどうやって守ればいいんだろう。
見守ることも、本当はキツイ。葉柱だってわかってる。ヒル魔のように決して弱味を他人に見せずに、すべて自分一人の肩にしょいこむ奴なら、尚更に。
だけど、見守るだけじゃ、到底足りないから。手を貸せるところは貸したいのだ。手と言わず足だろうが舌だろうが、ヒル魔を守るためなら、ヒル魔が望んでくれるなら、喜んで差し出したいのだ。本当は。
だけど意地っ張りなご主人様は、心配されるのも好きじゃないので。
外道な悪魔の看板は、ヒル魔が自分で選んで背負ったもの。ブラフで固めた何者にも屈しない強さ。ヒル魔自身が望んで身につけた物だから。
だから葉柱は心配しない。心配を決してヒル魔には見せない。見せたくない。守りたい、甘えてほしいと思っても、葉柱からはなにも言わない。
強くあろうと努力している人に、本当は弱いところもあるんだろう? なんて、誰が言えるもんか。
俺にだけは弱音を吐けよなんて、心の中で思っても、口にするのはお門違いだと葉柱は思う。それは努力に対する侮辱だと、思う。
言葉になんか、しなくていい。甘いものも、柔らかなものも。あったかいものも、優しいものも。望まれたなら、いくららでもあげる。全部あげる。 なにも言わなくてもいつだって、それらはすべてスタンバイ済み。必要な時に必要なだけあげられたなら、それでいいはずだから。
言葉にできないのなら、ほんの小さなものでいいからサインを送ってくれればいい。見逃さない自信はある。
実際、最近のヒル魔はよく甘えてくれる。きっとほかの誰が見たって甘えているようには見えないだろうけれど、葉柱には、わかる。
わかることが、葉柱のプライド。絶対に譲れない、揺るがない、プライドだから。
葉柱もあからさまには甘やかしたりしない。ヒル魔のプライド守りたいから、いつもの通り、いつものように、だけどヒル魔にだけわかる優しさを捧げているつもり。
きっとヒル魔もわかってくれているから、だから甘えてくれるんだろう。
意地っ張り同士、甘えねぇよ、甘やかさねぇよと、口では言い張って。それは嘘じゃなく、内緒にしているだけのこと。お互い嘘は一つもなくて、想う分だけ内緒が増える。
だけれどそれも、少しずつ、少しずつ、甘え甘やかされることが弱さに思えなくなるように。触れる手指に重なる唇に、想いを乗せあって心を近づけていくことで、内緒の数も減っていく。
そんな風に思っている辺り、確かに自分はドリーマーなんだろうなと、今日も今日とてサイフォンを前にして、葉柱はこっそり赤面した。
ああ、だけど、本当に心配なんだ。苛立ちや焦りが飲むコーヒーの量に現われてること、テメェ、気づいてるか? 秋大会が始まってから、覿面にコーヒー飲む回数、増えてるぜ? 不安要素自分で増やしてどうすんだよ。
強く言ってしまえばいいのかもしれないけれど、素直に受け入れるタマじゃないのは、重々承知。第一口にしてしまえば、心配なんだと言葉にしてしまいそうで。
要するに、まだまだガキなんだと、葉柱は思う。お互いに。
重責背負っても粋がって、弱味見せずに不敵な笑み浮かべても。たかが17歳、思い遣りを笑って受け止められるほど、大人になんてなれちゃいない。 照れや意地が表に立つのは、仕方ない。甘えること自分に許してしまったら、弱くなりそうで怖い。少なくとも、言葉にしてはいけないと。そんなかたくなさ、ガキの証明以外のなんだっていうんだろう。
溜息ついて、葉柱は湯気を立て始めたミルクパンに視線をやった。
「……無理、だよなぁ。絶対」
「なにが無理だって? 糞奴隷」
ぼんやり呟いた独り言に、返るはずのない応えは耳元で。ついでにこめかみには硬い感触つきときたもんだ。
「うわぁ! て、テメェいつからいやがった!?」
「テメェが間抜け面してコーヒー眺めてる時からいたが? で、それより答えな。そっちの甘クセェ臭いさせてる鍋の理由もな」
「待て! せめてトリガーから指放せって! テメェ、それ絶対にセーフティーかかってねぇだろっ!」
喚く葉柱に、ニヤリ笑ってご主人様。銃口当てたのとは逆の肩に顎先乗せて、するり空いた手を葉柱の腰に回してくる。
吐息が耳にかかる。背中にぴったり寄り添う温もり、妖しく細腰擦りつけるようにして。挑発めいた仕草は、大変嬉しいんですけどね。
「5、4、3、2……」
「蜂蜜入りホットミルク!」
悪魔の囁く地獄へのカウントダウン。逆らえる奴なんているものか。
「あぁ? なんだその不気味な名称は! テメェ、俺んちでそんなもん作ってやがんじゃねぇよ!」
「カッ! うっせぇな! 俺んちではガキのころ寝る前っつったらコレだったんだよ!」
「ほぉー、賊学ヘッドは今もそんなもんが飲みたい赤ちゃんだったんでちゅかぁ。テメェ、んなもん飲んだ後でキスしてきやがったらぶっ殺ちまちゅよぉ」
「ダァーッ! その気色ワリィ喋り方やめろっつの! 見ろ、鳥肌立ったじゃねぇか!」
「ケケケ、マジで鳥肌立ってやがる。糞爬虫類じゃなくて糞チキンだな」
「うっわぁ、なんか別の意味含んでそー。つか、テメェ、マジムカつくな!」
悪態の応酬、だけどぴったり離れない温もり。二人揃ってなんの違和感もなく。
これぐらいは、当たり前の日常になってるのに。寄り添うこと、自然になっているのに。
でも、まだ、心配はさせてくんねぇの。
ちょっとだけ溜息つきたくなれば、銃口と一緒に温もりが離れる。淋しい、なんて。こんなことぐらいで、情けない。
「で、無理ってのはアレか? 俺のコーヒーのことか」
「……っ! テメ、なんでそれ……」
慌てて振り返れば、ヒル魔はダイニングチェアに腰掛けて、綺麗な足組み不敵な笑み。まるで玉座に見えるのは、どこまでも葉柱が支配されてる証なんだろうか。
「気づかねぇわけねぇだろうが。あんなうっすいコーヒー淹れやがったくせによ」
「へぇへぇ、泥水の方がマシなアレですね。すいませんでしたねー」
「んんー? ルイちゃんは拗ねちゃったんでちゅかぁ? しょうがない子でちゅねぇ」
「それやめろっちゅってんだろっ! ……あ」
ギャハハハと傍迷惑なほどの馬鹿笑い響かせて、ヒル魔は椅子から転げ落ちそうな勢いで笑っている。恥ずかしさに顔から火が出そうな葉柱を指差し、大事なクォーターバックの手、バンバンとテーブルに叩きつけてまで。
もういい、勝手に笑ってやがれと葉柱は、真っ赤に染まった顔に青筋立てて、淹れ立てのコーヒーをヒル魔のカップに注いだ。自分のカップにはホットミルク。柔らかな湯気とほんのり漂う甘い匂い。懐かしい匂いは、こんなにも優しげなのに。
おらよとカップを差し出して、ヒル魔の向かいに座れば、ヒル魔はまだ苦しげに笑っていたけれど。ちらりと葉柱のカップに目を遣って、深呼吸を一つ。はぁ、と大きく息吐いた。
「んで、俺が飲むわけねぇの判ってて、なんでホットミルクなんだよ」
「……疲れてるときって、甘いもんほしくなんじゃねぇか。俺が飲みたかったんだよ」
「ふぅん……テメェ疲れてんのか?」
そう言ってヒル魔はカップに口をつける。砂糖もミルクも入れないで。
ぼんやり眺めながら、葉柱もミルクを一口。ほのかな甘味が口に広がって、なんだか肩の力が抜ける。
「甘いもんねぇ……俺には必要ねぇな」
「……ああ、そうだろうともよ」
「拗ねんなって」
上目遣い、ちょっと苦笑めいた笑い方して、ヒル魔の顔が不意に近づいた。
それは、いつもより軽くて、いつもより短い接触だったけど。
「うっえぇ、ゲロ甘ぇぞ、糞奴隷!」
「……んなに蜂蜜入れてねぇよ。つか、キスしたらぶっ殺すんじゃなかったのか?」
まるで味見と言わんばかり、葉柱の舌に絡んですぐに逃げていったヒル魔の舌のほうが、よっぽど甘いと思いながら。
「俺からする分にゃいいんだよ」
「勝手な奴」
「そんな勝手な奴が好きなんだろ?」
勝ち誇ったように笑うから、葉柱は憮然とうなずくしかない。顔を真っ赤に染めたまま。
その顔が可笑しいのか、ヒル魔はクスクスと笑い続ける。いつもより邪気のない、ガキっぽい顔して。
そのままカップに口をつけた後、また近づいてくるから、葉柱は目を閉じた。注ぎ込まれる苦味は予想通り。だけど、蜂蜜よりも甘いと、やっぱり思う。
「……これだけでも甘いのに、蜂蜜やミルクなんて、いらねぇよ……」
囁きも、甘く、甘く、なにより甘く。
「……蜂蜜とかと違って、健康にいいってわけじゃねぇと思うけど?」
「充分いいだろ。ストレスも疲労も溜まんねぇからな」
甘いもんが嫌いなんて、本当は嘘だろ? だってお前、こんなに甘くて、こんなにも、優しい。
「んじゃ、もっと召し上がりますか? ご主人様」
「おう、目一杯寄越しやがれ」
子どもっぽいミルクの匂い、ほんのり漂うキッチンで、笑いながら大人のキス、いつまでだって二人は繰り返す。
ヒル魔が望むならいくらでも。必要としてくれるなら、全部あげる。
甘さを求めないご主人様。唯一求める甘さが自分なら、いくらでも。
ミルクの肌と蜂蜜の髪。中身は辛口。キスは甘い。
今はまだ、これでいいかと、ちょっぴり思いつつ。
今はまだ、キスの甘さに癒されていただくだけで、精一杯。
END