負けず嫌い

 かすれた甘いうめきが、ゾロの噛みしめた唇から洩れこぼれた。慌てて口許を押さえてサンジを窺えば、相も変わらぬニヤニヤ笑い。ムカつくことこの上ない。
 ゾロが睨みつけても、サンジはまるで意に介さないどころか

「降参?」

 などと、揶揄の声音で言うものだから。

「ふざけんな。誰が降参なんかするか!」
「あっそ。んじゃ、精々頑張んな」

 脊椎反射の速度で怒鳴れば、笑ったサンジの舌が味わうように、またゾロの肘の内側を舐め辿る。
 ひくりと肩をすくめるゾロに、サンジは上目遣いの瞳だけで、また笑った。
 ああ、本当に、ムカつく。なんだってこんなことになっちまったんだか。 悔やんでも後の祭り。ゾロは洩れそうになる吐息とともに、溜息を噛み殺した。

 始まりは、深夜の格納庫。慣れた手付きで相も変わらず押し倒されて、いつものように口づけからとばかりにのしかかってきたサンジを止めた、ゾロの一言。

 曰く。

「なんで俺ばっかり突っ込まれなきゃならねぇんだ」

 今更そうくるかと眉根を寄せるサンジを睨みつけて、ゾロはサンジ以上に深い皺を眉間に刻んだ。

「別にどっちが突っ込むかなんて決ってないだろうが」
 それを毎度毎度遠慮なしに突っ込んで、ガツガツ腰振りやがって。犯られる身にもなってみやがれ。
 押し倒された格好のままゾロが言えば、サンジは眉を跳ねあげ、ニヤリと笑った。

「お前、俺を抱きてぇの?」

 思わずゾロは言葉に詰まる。
 自分が女役ばかりなのは釈然としないし、人をなんだと思ってやがるとムカつきもする。だがしかし。かといってサンジを抱きたいかと聞かれると、正直そんなことは、一度も考えたことがなかったわけで。

 けれど。

「……おぅ」
 あまり気は乗らないが、素直にそんなことを言えば、サンジはきっとろくでもない反応をするに決まっている。憮然とうなずいたゾロに、サンジのニヤニヤ笑いは深まって、ゾロもますます眉間の皺を深くした。

「お前にゃ無理だ。諦めろ」
「はぁ!?」
「だってお前、全身性感帯じゃねぇか。ちょっと触られただけであんあん善がってちゃ、俺を抱くなんてことできるわけねぇだろ。絶対無理だね」
 だから大人しく抱かれてなと、眉間に軽くキスされて。
 思わず、絶句。したのは、ほんの数瞬。

「んなわけあるかぁっ!!」

 ふざけんなと続けて怒鳴ろうとした口は塞がれて、間近でニヤリと笑われた。

「真夜中にデケェ声出すなよ。納得いかねぇってんなら、勝負すっか?」

「んじゃ、お先にどうぞ。できるもんならな」
 変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべたまま言われ、ゾロはぴきりと青筋を立てた。
「けっ、ほえ面かきやがれ」
 言ってサンジの手をとったはいいものの、さてどうすればいいものやら。
少し悩んで、ゾロは憮然としたまま、とりあえずサンジの白い手首に唇を落とした。

 ルールはいたって簡単。先に勃ったほうが負け。直接モノに触れんのはなしな。
 笑ったままサンジが続けて言うことには。

「乳首も触んねぇでやるよ。ハンデやらねぇと、すぐにてめぇの負け確定しちまうからな。それじゃ面白くねぇだろ? どうせなら楽しまなきゃな」

 などと、ゾロの青筋を増やす発言を、これまたムカつくニヤニヤ笑いで言うものだから。

「いらねぇよっ!」
「ふーん、んじゃまあ、お互いなしってことで」

 かくして現状にいたるわけだが、深夜の格納庫で男二人、真っ裸で向かい合う様は、冷静に考えるとひどく間抜けに思えてくる。
 けれどそれを口に出せば、サンジは逃げ口上と捉えかねない。なし崩しに抱かれる立場が確定するのも、勘弁願いたいところだ。
 仕方なしにゾロは、サンジの白い手首を軽く吸ってみた。細い外見のわりにしっかりとした手首にも、手自体にも、うっすらとした火傷や切傷の痕が幾つか残っていて、ゾロは料理人の手なんだなと不意に思う。
 初めて間近でマジマジと見た、サンジの手。繊細で華奢な印象の指は、意外に骨張って皮膚も固い。指先には赤切れが幾つか。
 自分と似たような場所にタコがある。ゾロは少し考え、包丁ダコかと思い付き、小さな感嘆を飲み込んだ。

 そんな些細なことに、ひどくドキドキするのはなんでだろう。

「んな吸い付いてたって勃ちゃしないぜ?」
 苦笑する声に慌てて視線をあげれば、サンジと目があって。ゾロの頬に、朱が散る。
 顔が熱い。妙に照れ臭い。幾度も体を重ねたのに、今更なんでこれしきのことに、こんなにも緊張して恥ずかしく思うのか。
 わからないままゾロは、照れ隠しのようにサンジの手首に軽く歯を立てた。
 甘噛みした跡を、宥めるようにそっと舌先で舐めてみる。たまにサンジがこれをやると、鈍い快感がざわりとゾロの背を走るのに、窺い見たサンジは平然としたものだ。
 まるきり動じることなく、薄く微笑んでじっとゾロを見つめている。
 その瞳にドキリとして、ゾロの唇がサンジから離れた。

「おしまい? じゃ、交代な」
 言いながら手を取られ、反論する間もなく手の甲に唇が落ちてくる。恭しいぐらいの優しい手付きと唇は、自分の武骨な手には不似合いに思えて、ゾロの頬はますます熱くなった。

 サンジがいつでも美辞麗句を捧げる麗しのレディとやらでもあるまいし、そんな丁寧に扱う必要なんてないのに。ごつい筋肉に包まれた、傷痕だらけの体だ。自分でも、とても欲情を掻き立てるとは思えない。
 それなのに、サンジは時にまるでどこかの国の王女に対するように、壊れ物を扱う如く触れてくる。そして、青い海の色の瞳に燃え立つような情欲の色を浮かべて、ゾロを見つめるのだ。

 そのたび、ゾロの心は掻き乱される。自分でも理解しがたい衝動に、おののきを堪えきれず。気が付けば無我夢中でサンジにしがみつき、あられもなく乱れ悶えてしまう。いつでもそうだ。

 己が手に口づける、サンジの伏せられた顔を見下ろしながら、そんなことを考えては身の内に沸き上がりだした欲情に、ゾロはわずかに身をよじった。
 逃げを打つように見えるのは癪だが、腰の辺りにわだかまりだした熱のせいで、じっとしていられない。
 まだ、サンジは手に触れているだけなのに……。
 困惑と羞恥が、ゾロの肌をじわりと焼いてゆく。サンジが触れた場所から生まれた熱は、ゆっくりと、けれど確実にゾロの全身に広がっていく。甘い陶酔を孕んで、じわじわと全身を満たす緩い悦楽。

「……っ!」

 ねっとりと指を舐め上げられ、ゾロは息を飲んだ。
 性器に施す動きと同じ手順で、サンジの舌が武骨なゾロの指を舐め上げ、唇で甘く食み吸い上げる。少し伏せられたサンジの瞳。長い睫が落とす仄かな影。ぴちゃぴちゃと水音を立てて動き続ける、唇と舌。指は掌に絶えず触れ、円を描くような動きで愛撫している。
 一つ一つは些細なものなのに。しかもそれが施されているのは手だけだ。だというのに、湧き上がる愉悦は直接的な愛撫とさして変わりなく……。

 かくして、冒頭の場面へとなるわけだが。

 正直、ゾロはそろそろ限界に近い。認めたくなどないが、情事の手管でサンジに敵うわけもない。常日頃だって、ゾロ自身はなにをするでもなく、サンジの愛撫に酔い痴れるうちにやがて理性すら忘れ去り、与えられる快感にただただ翻弄されるばかりなのだ。

 てめぇが気持ちよさそうにしてんのが、俺も気持ちいいし、クソ嬉しいんだよ。

 そんな言葉でいつだって、サンジはなにを望むでもなく、まるでその時間はゾロのためだけにあると言わんばかりに、丁寧すぎるほどの愛撫を繰り返すから。いつだってゾロは為す術もなく、快感の波に溺れるばかり。

 お前が俺を想う以上に、俺は、お前を愛してるんだ。

 そんな言葉が、見つめる瞳から、触れる指から、滴る汗から、サンジのすべてから、聞こえてくるようで。返す言葉は見つからず、ただ、いつでも、なんとなく。

 そう、なんとなく。

 悔しい。

 不意に気づいたそんな感情に、ゾロはわずかに目を見張った。と、同じタイミングで、緩やかに肩先まで上ってきていたサンジの唇が、ゾロの首筋を小さく吸った。

「あ…っ」

 思わずあがる甘い嬌声。瞬時にゾロの全身を羞恥が包む。
 また、からかわれる。身構えたゾロの耳に聞こえたのは、やけに素直な響きをしたサンジの声。

「可愛い」

 なんの含みもないような自然な声で、ただ嬉しそうに、ただ幸せそうに、笑いながら。

 からかわれるより余程恥ずかしいと、首をすくめサンジの腕から逃げようとすれば、かえって包み込まれるように抱きしめられた。

「なぁ、どうしても抱かれるばかりは嫌か? 俺を抱きてぇ? ゾロ」

 静かな声で訊かれ、どう答えていいものやらわからずに、むつりと顔をしかめて睨みつけるようにサンジを見れば、サンジは少し困ったように苦笑した。

「どうしてもお前がそうしたいってんなら、かまわねぇぜ。俺はさ、お前をクソ愛してやりてぇだけだから。お前はなにもしなくても、俺がお前を愛して、昂らせて、受け入れてやるよ。お前が本当に望むなら」

 思わず呆気にとられてまじまじと見つめれば、サンジは苦笑を深めてゾロの手をとった。

「勝負、俺の負けな?」

 導かれるままに指先が触れた、それ。兆しを見せ始めた、サンジの……。

「な? だから気にしなくていいんだぜ? 俺の負けだから、ゾロ……」

 気づいてるくせに。ゾロは唇を噛み、サンジを睨む。
 サンジ以上に熱く、隠しようもないほど形を変えたゾロ自身に、気づかぬわけもないのに。

 てめぇがそんなだから。
 俺だって、少しぐらいは。
 俺だっててめぇのこと……。

 自分ばかりだなんて、思ってんじゃねぇよ。クソコック!

 言えず。ただ小さく唸って、ゾロはサンジの首にしがみついた。

「ゾロ?」
「もう、いい」

 言ってやれない言葉はいつだって胸のなか、たしかにそこに息づき成長していっているのだけれど。
 ガラにもないと口にできぬまま、経験不足も相まって、いつだって不機嫌そうに睨みつけるのがオチ。

 だけど、だけど、本当は。

「てめぇの好きにしろ、クソコック」

 偉そうに、勝者の余裕を装うのが関の山な、意地っ張り。そんな自分に呆れもするが。

「OK、啼かせまくってやるから、覚悟しな。クソマリモ」

 そういう科白を、蕩けそうなほど幸せそうな面して言ってんじゃねぇよ。馬鹿。

 ああ、畜生、悔しい。
 好き、だ。

 思えばまた悔しい、如何ともしがたい負けず嫌い。
 待ち望んだ愛撫に本格的に溺れる前に、小さく小さく呟いて。

「今にみてろよ」
「あ? なんか言ったか?」
「なんでもねぇよ。集中しやがれ」
「へいへい、どこの女王様だ、てめぇはよ。ったく、てめぇにゃホント負ける」

 思い知らせてやるから。絶対に。てめぇばかりじゃないってことを。

 だけど、今は。今は、まだ。
 甘い愛撫に素直に酔うのが、精一杯。
 負けず嫌いの真骨頂、見せつけてやれる日を胸に抱いて。

 今にみてろよ。畜生め。

 きっと、ずっと、続いていく恋愛勝負。今はひとまず、ドローということにしておいて。

                                     終