Love you to

 昨日は、葉柱と寝た。

 二回目のセックスも、初めての時同様、俺ん家で。まだ慣れるとまではいかないまでも、初めての時よりは上手くいったんじゃないかと思う。
 初めての時だってべつになにか失敗したとかいうわけじゃねぇが、葉柱と違って俺は女相手の経験すらない上、なんていうか、その、抱かれる立場だったり、するわけで。
 そりゃ緊張だって生半可なもんじゃなかったし、なにをどうすりゃいいのかなんて、てんでわかりゃしねぇし。ムカつくが、奴のリードでどうにかこうにか、って感じの初体験だった。

 今日は付き合いだしてからちょうど一カ月。毎日のように葉柱は泊まってくけど、昨夜までは本当にただ抱き合って眠るだけ。慣れてねぇ俺の身体を気遣ってか、朝練がある前日はセックスしねぇって勝手に決めてやがったみてぇで、初めてのセックスから十日も経った昨夜、漸く二度目のセックスに相成った。
 正直、奴のそういう気遣いはちょっとばかりムカついたりもする。女じゃねぇんだ、そんなヤワにはできてねぇってんだよ。
 けど、奴に言わせりゃ女じゃねぇからこそ、気を遣うのが当たり前ってことになるらしい。それでなくても受け入れるようにはできてねぇ体だ、練習に差し障りがあっちゃいけねぇだろって。どんなに抱きたそうな素振りをみせても、手は出さなかった。

 確かに、初めての時にこんなん慣れたりできんのかって、ちょっと不安になったのは認める。だけど、大事にされすぎんのも、俺は深窓のご令嬢かよテメェ俺のことナメてねぇ? って気がしてムカつくんだがよ。
 それなのに糞奴隷ファッキンスレイブが、時間はたっぷりあんだしゆっくり慣れてきゃいいじゃねぇかなんて、キスの合間に甘ったるいぐらいの声で囁くから。反論は俺の口のなかに留まったまま、奴の舌に溶かされて消えた。
 ついでに思考もとろとろに溶かされて、ついうなずいちまったもんだから、そのままなし崩しにソッチに関しちゃ奴の決めたペースで進めてくことが決まっちまった観がある。
 けどまぁ、それが早いのか遅いのかはわからないが、順調な『お付き合い』ってやつには違いねぇだろう。

 セックスはそんな感じでスローペースに思えるが、キスになると、もう回数なんて覚えちゃいねぇ。
 最初のうちは無意識にカウントしてたんだけどな。あー、二十五回目ぐらいまでか。あやふやになったのは、初めてのセックスがその辺りだから。
 とてもじゃないが、あんな理性ぶっとんだ状態で、何回キスされたかなんて覚えてらんねぇよ。あんな、脳の芯まで痺れるみてぇな……。

「ヒル魔?」

 怪訝な声に思わずビクリと肩が跳ねた。
「どうしたよ、調子悪ぃのか?」
 小声で葉柱が訊いてくる。気遣う視線も、暗に昨日のことで俺にかかった負担を心配してるのを示してて、カッと顔が熱くなった。
「おい、マジで大丈夫かよ。顔赤いぜ? 熱出てんじゃねぇのか?」
「っせぇな。なんともねぇよ」
「けどよ……」
「なんでもねぇっつってんだろっ。しつけぇぞ、糞奴隷!」

 ああ、やっちまった。だって、コイツが急に顔近づけてくるから。

 どっちかの家で二人きりならともかく、今は外出中。久々のオフだし一カ月目だし、特に用がねぇならデートしねぇ? なんて、コイツが言うから。 記念日とかくだらねぇと思うけど。おまけに一カ月記念ってテメェその調子で毎月記念日祝う気じゃねぇだろうなって、マジで馬鹿馬鹿しすぎて呆れたけど。コイツがあんまり嬉しそうに、普通にデートすんの初めてだよなって、笑ったりするから。
 特別行きてぇ場所もねぇってんで、なんとなく選んだデートコースは江ノ島。観光地だけあって人通りは結構ある。そんな場所で『お前が大事で仕方ない』って顔、近づけられてみやがれ。おまけにその気遣いの内容が、昨夜二度目のセックスしたばかりだから、なんて。

 ッダーッ! ファッキンッ!! テメェがどんだけ恋愛慣れしてんのかなんざ知りたくもねぇが、こっちは完全に初心者なんだっつうの! 周りの普通の糞バカップルみてぇに、平然とイチャつけるとでも思ってやがったら大間違いだからな!

 苛ついて、ムカついて、思わず怒鳴った途端、後悔するとか。マジ、どうしようもねぇ。みっともねぇったらありゃしねぇ。

「あ……」

 つい逸らせた視線を辺りに泳がせたら、不意に気づいちまったことが、一つ。
「ん? やっぱ調子悪いか?」
「あ、いや。そうじゃねぇ……マジで、なんでも、ねぇから」
 まだ心配してくる糞奴隷への応えも、少し上の空になっちまったくらい、気づいたそれがやけに気になる。つい視線がそればかり見ちまう。
 辺りを歩いてる糞バカップルたちの、握り合った手。いかにも付き合ってますって言わんばかりの……。

 順調な『お付き合い』とか言って、俺ら、手を繋いだこともないんじゃねぇ?

 べつに世間の基準に合わせる必要なんざ、これっぽっちもねぇけどよ。第一、男同士ってことで普通の前提なんか崩れちまってる。
 おまけに、こいつは人外だしな。普通の恋愛の手順なんて、まるっきり意味がねぇだろって思うのも確かなんだが……。

 ッシャ! 決めた。ぜってぇ今日は手ぇ繋ぐ。しかも俺から。コイツにばっかイニシアチブ取らせてたまっかよ。奴隷のくせに生意気なんだってんだよな。
 ん、まぁ、手を繋ぐってとこがなんだかガキくせぇ気はすっけど、一気に高いハードルに挑戦すんのも無謀なだけだしな。とりあえずはそこからってことで。

 さて、そうと決まれば。

「おい、糞奴隷」
「なに?」

 手ぇ出せ。……って、言うつもりの声は、咽喉の奥に張り付いたみてぇに出てこなくなった。
 おい、待てよ、俺。簡単じゃねぇか、手ぐらい幼稚園児だって繋ぎまくってるっつうの。なのに、なんでだ? すげぇ照れる。
 俺を見る葉柱の笑顔。ちょっとだけ心配そうな色を残した瞳。それから……手。
 昨夜俺の全部に触れた、その手。まるで壊れ物を扱うみてぇに、そっと、優しく触れた……葉柱の、手。
 見てるだけで急に恥ずかしくなって、とにかく照れくさくて。言葉、出てこねぇ。

「ヒル魔?」
「あ、あー、なんだ……そろそろ、飯に、しねぇ?」

 糞ッ! 合点がいったって顔してんじゃねぇぞ、糞奴隷! 腹なんてまだ空いてねぇよ、ご主人様の腹具合くれぇ察しろ! それでも俺の奴隷か!  いや、恋人かってんだよ!

「ランチの客も引いてきてる頃合だしな。どっか入るか。なに食いてぇ? せっかくのデートだしな、奮発してやんよ」
「……あー、和食?」
「カッ! なんで疑問系だよ。なんか、テメェらしくねぇなぁ」

 ちょっと呆れたような声で言われて、また顔が熱くなる。
 俺らしいって、なんだよ。テメェが考える俺らしいって、なに? おまえが考える俺でなきゃ、テメェ、駄目なんかよ。こんな風にテメェのちょっとした仕草や言葉や表情、全部に照れて、恥ずかしがって。手、繋ぎたくても、繋げなくて。しどろもどろになってる俺は、駄目、なんかよ。

 信じらんねぇ、なんでこんなナーバスになってやがんだ? 俺。
 今日は付き合いだして一カ月目で。昨夜は二度目のセックスして。初めて、普通にデートしてて。哀しがるようなことは、なにも。泣きそうになることなんて、なにも、ねぇのに。

 なのに、なんで、涙、勝手に流れてんだ……?

「ちょっ、おい、ヒル魔!? なにいきなり泣いてんだよっ。マジでどっか痛ぇのか?」
「……んで、抱かねぇんだよ……っ」
「は? おい、なに言ってんだ?」
「初めてで悪かったな、糞奴隷! 慣れてねぇのはしょうがねぇだろ、初めてなんだからよっ! テメェとしなきゃ、いつ慣れるんだってんだ! それともなにか? 他の奴と寝てテメェ満足させられるぐれぇ慣れてこいってか!? んな淫乱野郎がお好みだってんならほか探せっ!」
「……っざけんな! この馬鹿っ!!」

 本気の、怒鳴り声。マジで、怒ってる?

 すっ、と、血の気が引いてくのが判った。
 やべぇ、足、力抜けそう。立ってるのも、やっと。こんな風に、本気でテメェが俺に向かって怒るの、初めてだよな。いつだってテメェは、どっか俺を甘やかしてて。どんなに文句言おうが、悪態つこうが、本気で怒鳴りつけたことなんて、なかったのに。

 嫌われ、た?

 愛想、つかされた?

 なんなんだよ、これ。なんだよ、このみっともねぇ奴。自分の感情一つ理解できなくて。揺らいでブレまくる心情、制御ひとつできやしねぇで。挙句にいきなりキレて、理不尽に泣いて喚くとか。こんな奴、捨てられんの、当たり前じゃねぇか。
 こんなの、俺じゃねぇ。こんなみっともねぇの、耐えらんねぇ。

 けど、それじゃ今の俺って、なに? 誰?
 わかんねぇ。わかるかよ。初めて、なんだから。誰かを好きになんのなんて、初めて、なんだから。
 どうすりゃ俺が本当にテメェに惚れてること、全部テメェに伝わんのか、まるでわかんなくて。そのくせ、自分から言葉にしていってやることも、できやしねぇで。
 おまけに、抱いてくれねぇのが不安で不安で、しょうがなかったとか……そんな自分の感情一つ、気づきもしねぇ、馬鹿で。
 こんな自分、知らねぇ。こんな俺、テメェじゃなくても、いらねぇよな。俺だって、いらねぇよ。こんな、自分。

「……こいよ」

 ……手。葉柱の、優しい、手。俺の手を、掴んで。
 握りしめてる。強い力で。
 こうしたかった、はずなのに。なんでこんなに、哀しいんだ?

 いきなりの男同士の痴話喧嘩に集まっちまった糞野次馬どもを、威嚇することも忘れて。走る葉柱に手を引かれて、走った。
 この足が止まったら、終わんのかな。優しかった眼も、手も、笑顔も、声も、急に冷えて。放り出されて、終わんのか? 泣いて縋るとか、きっとこんなんなっても、俺にはできねぇし。付き合って一カ月記念日が、失恋記念日になんのか。
 記念日、とか、くっだらねぇ。馬鹿だ、ここに馬鹿がいるぞ。おい、笑っとけ、俺。もう、笑うしかねぇだろ。ここまで馬鹿じゃ、笑うしか、ねぇじゃん。

 海岸降りて、やっと葉柱が足止めたのは、人気のない岩場の影。別れ話の愁嘆場には、丁度いいのかもしんねぇ。みっともねぇとこ見せんのは、もう、コイツだけで十分だしよ。
 ああ、でも、最後ならもう少しだけ、手、繋いでてぇな。それぐらい、許してくんねぇかな。

「……ヒル魔」

 腕を、引かれて。もつれる足、よろけた先は。

「悪ぃ、大事にしてるつもりだったのに、不安にさせちまって……」

 抱き締められてる? なんで? 愛想つかしたんじゃ、ねぇの? 嫌われたんじゃ、ねぇのか?

「ごめん……ヒル魔」

 俺を抱き締めると、こいつの腕は長いから、両肩包み込んでもまだ余る。 それがなんだか楽しくて、コイツに抱き締められんの、すげぇ、好き。言ってやったことは、一度もねぇけど。

「もう不安になんてさせねぇようにすっから、二度とほかの奴と寝るとか言わないで。すげぇ、泣きたくなる」

 馬鹿じゃ、ねぇの? あんなみっともねぇ思いさせられても、まだテメェ、俺にそんなこと言うのかよ。まだ、俺のこと、好きでいてくれんの……? 愛想つかして捨てちまえば楽だろうに、テメェって、ほんと、馬鹿だよな。

「……辛ぇときは、テメェがしたがっても止めるっつの」
「うん」
「第一、しねぇでどうやって慣れんだよ」
「うん、ごめん」
「……テメェだから、したかったんだろ。それぐらいわかれ、糞カメレオン」
「カッ! カメレオンって言うなっつってんだろ、外道悪魔」

 ケケケって笑ってやったら、抱き締める腕の力、少し強くなる。
 もっと強くてもいい。もっと、もっと、抱き締められたい。
 コイツの言葉一つでこんなに簡単に幸せになっちまう俺は、きっと、今、世界一の大馬鹿野郎で。
 だけど、きっと、今、世界一、幸せだ。

 今日は付き合ってから一カ月目で。昨夜は二度目のセックスして。初めてのデートは、ちょっと普通とは言い難い。
 バイクを置いた駐車場まで、ゆっくり歩いて二十分ぐらい。もう少し抱きしめあった後で、そこまでずっと手を繋いで、歩いてく。

 多分、きっと、今夜は三度目の、セックスして。
 きっと、ずっと、数え切れなくなるぐらい、キスして。
 来月も、再来月も、コイツは記念日がどうこう、言い出すから。
 一年先も、十年先も、ずっと繰り返せたら、いっそ褒めてやる。
 だから。もっともっと、不安なんて欠片も浮かばないぐらい、俺を愛しやがれよ、糞奴隷。

 そう言って笑って、手を繋いだまま、初めて俺からキスをした。

                                     END