意地っ張りハニー

「お前らお揃いのタオルなんて使ってんのな」

 テーブルの向かい側でシーフードドリアをつつきつつ、葉柱が言った。
 今日の夕飯はデビーズで。窓際の禁煙席。4人掛けのテーブルの上には、シーフードドリアと地鶏の唐揚げの和食セット。コーヒーはお互い食事の後で。

「なんで知ってんだ? テメェ本当はストーカー?」
「んなわけあるか! 誰が誰をストーキングしてるんだっつーの!」

 会話はいつでもほぼすべてアメフト絡み。練習後にこうして差し向かいで食事をするのは、もはやデフォルト。場所はその時々で変わるけど、顔を上げれば相手の顔。それだけはいつでも変わりなく。

「カメレオンがストーキングする相手っつったら……ハエ?」
「……ほぉー、テメェんとこじゃハエがアメフトやんのか」
「おっ、やっと自分がカメレオンだってこと自覚したか。偉いぞ、ファッキンカメレオン」

 会話は食事のスパイスとは、よく言うけれど、外道な悪魔と最凶ヘッドのそれは、端からすればちょっとばかり辛口仕様。当人たちにとっては至極甘い。

「チビどもか」
「おう、雷門っつったか? サルっぽいWRワイドレシーバー。俺にまで自慢してきやがったぞ、マネがくれたって。全員ネーム入りなんだってな」

 で? テメェも貰ったワケ? 一番口にしたいのは、そんな言葉だろうに。
 視線だけで探ってくるから、ヒル魔の口許に笑みが浮かぶ。

「つっ返すような大人気ねぇ奴はいなかったな。ま、あって困るもんじゃねぇし」

 妬いてんのか? そんな言葉がはっきり見えるニヤニヤ笑い浮かべて。
 どっちに? とは、聞かないまま。答えを疑わないから、聞かずにからかいの視線。
 それがわかっているから、葉柱も舌打ちひとつ。視線を逸らせてドリアを頬張る。少し赤くなりながら。

「……糞ジジイが自分とこの工務店のタオル使ってたんだよ。使い込んでヨレヨレになってるヤツ」
「あ? ああ、キッカーの……」
「糞ジジイにだけプレゼントすりゃいいのに、不公平になるとか考えたんじゃねぇの。メデタク全員お揃いだ。俺らのにはムサシのと違ってハートマークは入ってねぇけどな」

 つっても傍目にゃ全然判んねぇほど小せぇハートだったけど。そう笑いながら言ってやれば、葉柱の顔にはあからさまな安堵の色。

「んだよ、あの二人そうなのか。そりゃ気の毒なこったな、あのチビザルくんもよ」
「そこら辺は手抜かりねぇよ。だから糞ジジイと糞マネには絶対にメンバーにバラさねぇよう言ってある。馬鹿くせぇが士気に関わるかもしんねぇし、念のためな」
「あっそ……そりゃまた本当にお気の毒様で……」

 会話の合間に食事も終了。食後のコーヒー一杯分の沈黙もいつもの光景。

 それから。

 いつものようにコンビニに寄って、いつものようにどちらかの家へ。選択権はヒル魔に。今日のチョイスはヒル魔の家。
 おかえり、ただいまの、挨拶代わりに軽くキスするのは、玄関に入ってすぐ。いつの間にか当たり前になっていた、いつもの光景。
 データ入力を開始するヒル魔のために、コーヒーを煎れるのは葉柱の仕事のひとつ。ヒル魔好みの濃さで煎れたら、ヒル魔にはブラックで。葉柱のには、ポーションミルクを二つ。それは、葉柱が来るようになってから、気が付けば増えていたアイテム。
 些細なことだけれど、見るたび葉柱はちょっと嬉しい。
 葉柱の待機場所はソファがデフォ。真剣にPCに向かうヒル魔の横顔が見える位置。
 そこでヒル魔の気が済むまで待ったら、その後は臨機応変。ヒル魔次第ともいうけれど。
 それがいつもの光景、二人の定番スタイル、なのだけれど。
 なぜだか今日はすぐに葉柱の隣に座ったご主人様。マグカップを両手で持つどこか幼い仕草は、葉柱の前でだけ。

 常にはないことに少し驚きながら、それでも長い腕は条件反射に動いて、ヒル魔の肩にまわる。力を入れなくても、ヒル魔は葉柱の肩に頭をもたせかけるから、甘えているように見える。
 二人きりで、機嫌のいいときにだけ見せるヒル魔のこんな仕草に、葉柱は期待に少し胸を弾ませる。
 いや、本当は、かなり。

 寄り道のコンビニで、こないだので買い置き切れたから、なんてこっそり囁いて。ヒル魔が買い物カゴに入れた小さな箱は、ヒル魔のバッグのなかにあるはずで。
 期待するなってほうが無理だって。ニヤケそうになるのを辛うじて抑えつつ、葉柱がタイミングを窺っていれば

「テメェんとこのマネも、目聡いっつうか、見た目より気配り行き届いてるみてぇなのに、あーゆーこと全然しねぇの?」
「あ? あーゆーことって、なに?」
「ネーム入りとまではいかなくてもよ、気付いたらさっさと新しいの用意しそうなのにな。テメェのタオル、相当ヨレヨレになってねぇ?」
 ファミレスでの会話の続きかと合点がいって、葉柱はちょっと笑ってうなずいてみせる。
 人のことストーカー呼ばわりしたくせに、テメェだって俺のタオルまでよく見てんじゃねぇか。思えばどうにも嬉しくて。

 だけど。

 葉柱にも学習機能ってもんがあったりするわけで。
 テメェもメグに妬いてんの? なんて思った端から、気付いたソレに不安へと変わる。

 なんで、そんなにキラキラした目してんですか、ご主人様。

 ワクワクしてる、よな? その顔。なんか企んでる顔してる。悪巧みというほど邪気はない……が。そう、だがしかしだ。ヒル魔の『無邪気な悪戯』は、時に葉柱を盛大に凹ませるから。

 うわぁ。今度はなに。なに企みやがっちゃってくれてんですかー、my master.

 不安、警戒、だけどやっぱり可愛い、キラキラの上目遣い。どうにでもして下さいと白旗振って。葉柱はヒル魔の肩を抱き寄せた。
 素直にぴたり寄り添ってくれるのを、いつもながら感謝して。

「俺のはアレでいんだよ」
「なんでだよ。アレ、元は緑なんじゃねぇの? 色褪せすぎて黄緑がかった白になっちまってんじゃねぇか。生地もタオルっつーより手拭いに近付いてんだろうが」
 ちょっぴり眉間に皺寄せて言い募るから、本当によく見てんなぁと少し驚きながら、葉柱は擽ったい気分で苦笑した。

「アレな、アメフト始めて、初勝利んときに衝動買いしちまったやつなんだよ。ゲン担ぎってぇほどのもんじゃねぇけど、アレじゃねぇと落ち着かねぇの」

 ゲン担ぎどころか、今年は勝利の汗よりも、敗北の悔し涙ばかり、吸わせる羽目になったけど。
 それでも、やっぱり。

「メグも一応新しいの買ってきてくれたんだけどな、カメレオンズカラーの緑で、葉柱のHだけ白く染め抜かれてるヤツ。物自体は気に入ったし心遣いは嬉しかったんだがよ、なんか、こう、もうどうにもなんねぇってとこまでいっちまわねぇと、捨てるのは申し訳ねぇ気がしちまって……。結局今もあのボロタオル使ってんだ」

 改めて言葉にすれば、なんとも青臭い執着。気恥ずかしい。

「……テメェの『ライナスの毛布』はあのタオルか……」
「あ? なに?」
 なぜだかヒル魔の声に少し淋しさが滲んでいる気がして、葉柱は目をしばたたかせた。

「ライナスの毛布。『ピーナッツ』あー、スヌーピーな。あれにいつも毛布引きずって指しゃぶりしてるガキがいんだろ? あれがライナス。それがなけりゃアイデンティティー保てねぇくれぇ依存して、安心の拠にしてるもんをライナスの毛布って呼ぶんだよ」
 もう口調はいつものそれ。垣間見えた淋しさなんて、どこにもないけれど。
「あー……依存っつったら聞こえは悪いが、ま、そういうことになんの、かな?」
「んじゃ、精々長持ちさせんだな。あれじゃちょっと乱暴に扱ったら破れるぞ」
 笑い方も支配者然としていて、哀しんでいる様子も、拗ねている様子も、見せてはいないんだけれども。
「あのよ、俺があのタオル使ってんの、テメェ、嫌なのか……?」
「はぁ? なに言ってんだ、糞奴隷。テメェがなに使おうが俺になんの関係あんだよ」
 呆れたように言われて、それはそうなんだけどと、葉柱はちょっと口ごもった。

 だって、なんだか随分話題を引っ張ってたし。
 だって、なんだか妙に楽しげに話してたし。
 だって、なんだか急に少し淋しそうだし。
 だって、なんだかそれを誤魔化してる。

 原因として思い当たるのは、葉柱のボロボロのタオル。だけど、それのどこがヒル魔の感情を起伏させたのか、葉柱には理解の範疇外。

「んなことより……」

 囁くような声。コトリとテーブルに置かれたマグカップ。葉柱の肩に頭をもたらせたまま、見上げてくる。

「ん……?」

 いきなりスイッチ入ったか? 忘れかけてた期待にまた胸を支配されて。見つめればヒル魔は上目遣い、ちょっとだけ口許微笑ませて。

「ん……」

 うっすら開かれた唇に、舌先でちょんと触れれば、肩をすくめて擽ったそうに笑う。

「横着すんなよ」
「んじゃ、ちゃんとさせていただきましょ。ベッド?」
「おう」

 運べとの命令は、葉柱の首に腕を絡ませることで。抱え上げたら、ヒル魔はそっと目を閉じる。わずかに首をかしげる、キスをうながす仕草。
 寝室はドアの向こう。軽いキス3回分の時間をかけて。

 ベッドに横たえても、ヒル魔の腕は葉柱の首にまわったまま。本格的なキスをねだるから、葉柱も逆らわずに。
 舌を絡めあったままベルトを外せば、水音とともに小さな金属音が鼓膜を刺激する。
 そのあいだも、シャツの裾から潜り込ませた葉柱の手は、ヒル魔のなめらかな肌を滑って、擦って、ゆっくりと胸元まで。小さなしこりに指先があたれば、甘い声、思わずという風に口にしてヒル魔は子どもがむずがるように首を振る。

「ヒル魔……」

 葉柱の囁きも、少し掠れて、吐息はすでに熱い。

 キスから開放しても震えている、ヒル魔の唇。無意識にだろう、白い指先で、キスの感触を惜しむように自分の唇に触れる。葉柱だけが知っている、ヒル魔の可愛い癖。

 じゃれるように邪魔な服を脱がしあって。
 笑いあいながらお互いの肌に触れて。
 やがて広がる悦楽の波、肌を粟立て全身に広がるころ。

「ん、ハバ、シラ…っ、もう……」

 大きく割り広げられた脚の合間で、細腰揺らしながらうなされて、掠れた声で、ああ、と応えを返したそのときに。

「あ……やべ」
「あ? なに……」

 慌ててヒル魔の上から退く葉柱を、ヒル魔の潤んだ瞳が疑問と批難の色を浮かべて映している。

「ゴム、バッグんなか入れっぱなしだろ。取ってくっからちょっと待ってて」

 宥める声とキスに、少しだけ不満を残したままではあるけれどヒル魔がうなずくのを確かめてから、葉柱はリビングに向かった。

 目当てのバッグはソファの脇に置いたまま。失敗したなぁと思いながら急いでファスナーを開けた瞬間。

「Stop! 開けんな、糞奴隷!」
「は?」

 真っ裸のまますっ飛んできたご主人様。せめてなんか羽織ってきてくれませんかね。目の遣りどころに困るんですけど。つか、そのらしくない慌てようは一体何事? つかつかもう開けちゃったし。

「あ……」
「……っ!」

 驚きに固まりつつも、そこは我ながら見上げた奴隷体質。命令なら閉めないとと、開けたバッグに無意識に視線が落ちて。目に入ったのは、赤と緑。
「これ……」
「ダーッ! 見んな! テメなんか言ったらブッコロス!」

 全身真っ赤に染め上げて喚く。ご自慢の銃火器も生まれたままの姿じゃ取り出すことはできないから、葉柱はちょっと図に乗ってみたりする。

 だって、これって。

「タオル、買ってくれたんだ?」
「っ、チッゲェよ!! 誰がテメェのなんかわざわざ買うか! 俺のだ!」

 赤いタオル、デビルバッツカラー。今日泥門の校庭で、サルに似た1年が見せびらかしながら歩いてた。
 隣にあるのは鮮やかな緑のタオル。カメレオンズカラー。ちょっと見えてる白。多分、Hの文字。

 きっと、間違いない。

 どんな顔して買ったんだろう。手渡す瞬間を想像して、どれだけワクワクしてたんだろう。思い出す、キラキラの瞳。少し淋しげになった声。

「おい、勘違いすんな! テメェのじゃねぇっつってんだろ!」

 喚かれても怒鳴られても、嬉しくて幸せで、笑みが広がるのを止められない葉柱に、ヒル魔はますます赤くなってく。

「コレ、テメェのなんだな?」
「……そうだっつってんだろ」
「けどよ、テメェ新しいタオル貰ったばっかじゃん。いらなくね? コレ」
「べつに、あっても困るもんじゃ、ねぇし」
「でも緑じゃん。俺のほうが似合ってねぇ?」
「……ご主人様のもんを、奴隷が欲しがる気かよ」
「うん、欲しい」

 小さく唸るヒル魔を見つめながら、葉柱は取り出したタオル片手に「ん?」と小首を傾げてみせた。

「ライナスの毛布」
「あ?」
「これがなくちゃ、安心できそうにねぇんだけど、俺」

 視線逸らせて、ふん、と鼻を鳴らしてみせても、ちょっと目許が嬉しそうになってるから、可愛くてしかたがないご主人様。意地っ張りな。

「ま、あんなヨレッヨレでろくに役に立たなくても、捨てねぇなんて言い張る意地っ張りなガキにゃ、まだまだ必要なアイテムみてぇだしな」
「ガキって言うな。いいじゃねぇかよべつに。大体いつも意地張ってんのはテメェだろ」

 素直に折れて、はいはい、その通り、なんて言えば、きっとますます怒るから。葉柱はいつものように悪態の応酬。
 いつも通りの光景なら、行き着く先も、いつもと一緒。

 ぎゃんぎゃんわぁわぁ言い合いながら、顔はお互い笑い出すころには、緑のタオルはソファの上に、小さな箱は葉柱の手のなかに。そして二人はベッドの上。

 ああ、まったく。
 意地っ張りなとこも、可愛いよ。

 お互いの瞳が言うから、お互いやっぱり視線だけで返す。

 そりゃ、テメェだろ。

 本当のライナスの毛布は、俺なんじゃねぇの?
 聞いたところできっと答えない、意地っ張りな恋人同士。
 探り合う答えは、笑う瞳のなかでだけ。

 そりゃ、テメェだろ。

                                     END