深い森にいた

 海軍に追われ、仲間達とはぐれて二人。騒動を避け、目の前に広がる森に逃げ込んだ。
 一歩足を踏み出すごとに緑増す森は深く、入り込んだのはまだ日も高いころだったのに、気がつけば闇のなかをさまよっていた。

 出航は明日。これ以上歩き回るのは得策ではないと、腰を落ち着け朝を待とうと見回した先に、それはぽつんと建っていた。

 今にも朽ち果てそうに古い、小さな小屋だ。曇った窓から洩れ零れる小さな灯りが、誘うように揺れていた。
 声をかけても応えはなく、ノブを回せばドアは手応えなく開いた。
 人気などどこにもない。誰かが住んでいる気配すら。
 だが、いかにも古びてはいたが室内は清潔で、窓辺のランタンも煌々と灯っている。ご丁寧にもテーブルには酒まであった。
 警戒すべきところだが、不思議とそんな気は起こらず、奇妙なまでに居心地が好い。

「マヨイガ……かもな」

 揺れるランタンの火が、サンジの肌に蠢く影を落とす。胸がざわついた。

「山ん中とかで旅人が迷うとすんだろ? そうすっと、こんな風に人のいねぇ家が現れて、旅人を招き入れてくれんだとよ。朝が来て家を出ちまえば、探してももうどこにもない……幻の家なんだよ」

 ざわざわ。ざわざわ。胸が騒めく。
 ランタンの揺れる灯が、サンジの白い肌を仄赤く染めて。灯りを弾いて鈍く光る金色の髪が、さらり、揺れる。いつもと違う顔を見せるサンジ。

「全部、幻だ……ゾロ」

 吐息のような囁き。低い声音は甘く、情欲の色を醸し。ゆらり。距離が少し近づいた。
 サンジはまっすぐに俺を見つめ、俺は、伸ばされる手を拒まなかった。

 肌を濡らす汗も、引き裂かれるような痛みも。激しすぎる初めて知る快感も。すべてが現実だと訴えているのに、なにもかもがどこまでもひどく曖昧で。
 あられもなく浅ましい獣の姿を曝しあい、滴る互いの体液すべてを舐め啜ることすら厭わずに。幾度も求めあい吐き出しては、また求めて。何かにとり憑かれたかのように、互いの熱を分け合った。

 俺達は19で。後先考えずに想いをぶつけあえるほど、子供ではなく。想いと夢の間に妥協点を作り出し、満足してみせるほど、大人でもなかった。
 互いの間に揺れさざめく想いの波が、日毎激しさを見せるのをどちらも感じ取ってはいたが、さらわれ流されてしまうことはできず。ただ、時折見交わす眼差しに、怯えと、焦燥と、暗黙の了解を乗せ、互いを見つめることしかできなかった。

 気づくな。気づかせるな。
 囚われればきっとたやすく己を見失う、まるで重い病の如き想いなど。
 抱えて走り続けるには、この想いは重く、大きく、なりすぎて。立ち止まることに怯え、焦り、気づかぬふりの、暗黙の視線。

 だから。

 最後の絶頂とともに、互いの唇から叫ぶように吐き出された同じ言葉は、気の所為だ。

 すべては、幻の家が見せた、束の間の夢。
 夜に紛れて今だけと、強く願った弱さが見せた、あり得ぬ夢幻。

 そうだ。
 幻でもいい。
 幻でいい。

 すべて、朝には消える夢だ。

                                      終