カメレオン・アーミー

 言う。今日こそ、言う。

 悲壮なまでの決意を胸に、葉柱は拳を握り締める。
 時刻は夕暮れ、黒美嵯川の土手、遠く聞こえる子供の笑い声。
 舞台は、完璧。

 言う。今日こそは。

 ゴクリと喉が鳴った。
 キャパシティー限界まで膨らんだ想いは、もう胸を突き破って弾け出そう。
 抑えてきたのは、確信が持てないから、ではなくて。

 今年、だから。今年が最後のチャンスだから。お互いに。

 アメフトの虜になってる悪魔。そんな野郎に惚れた自分も、また、アメフト無しの人生なんて語れない。
 だから、言えないと思っていた。言ってはいけないのだと。
 告白するのに、こんなにも悲壮な覚悟が必要になるほど、なにを置いてもアメフト優先でなければ果たせない夢を見てる。
 だからこそ、最初は、待とうと思った。待てる、つもりだった。
 けれど。

『奴隷解放だ』

 NASA戦が終わればアメリカだと、ヒル魔は笑った。
 逢えなくなるのは、40日間。いや、ここで言わなければ、もしかしたらこのまま終わり。

 耐えられるくらいなら、惚れなかっただろうと、思う。

 だから。

 最後なら、寄り道していいか? と轟音のなか怒鳴れば、かまわねぇよと怒鳴り返され。腰に回された腕、少し力がこもったから、葉柱はスピードを上げた。

 時間は、ないから。
 今日は、言う。

 いつかは言うつもりだった言葉を、今伝えるだけだ。けれどそれは、こんなにも覚悟がいる。
 バイクを停めた黒美嵯川の土手、ヒル魔はなにも言わず、光を弾いてオレンジ色に染まる河面を見ている。

 その横顔が、綺麗で……。

「ヒル魔……」
 呼び掛ければ、ゆっくり葉柱に向き直るヒル魔の顔。やっぱりオレンジ色に染められて。
 ただ、綺麗で。言葉に、ならない。
 ずっと胸にあった言葉が溢れ出すその前に、思わず、抱きしめたい衝動に腕が動いた。
 そして。指先がヒル魔の腕を捉えようとした、その瞬間。

「……ななな、なんだこりゃっ!?」

 素っ頓狂な声を上げてしまった葉柱を、誰が責められよう。その光景に驚かない者がいるなら、いっそ会ってみたいくらいだ。

 たとえば、これがファンタジーなら、許容範囲内。お伽噺にゃこんな生き物は付き物と言っていい。
 だがしかし。これはあくまでも現実で。おまけに。
 葉柱の足に群がって、小さな手で必死にしがみついている、白い生き物。
 いや、白いのは、その生き物が纏っている服なんだけれども。
 小さな白ラン着込んで、細長い舌揺らしている、小さな小さなその生き物たちは、どう見たって。

「お、俺……?」

 いや、待て、落ち着け。確かによく似てはいる。体長10センチほどに自分が縮むような事態が起きるならの話だが。
 ついでにいえば、ヒル魔もしょっちゅう言ってはいる。『糞爬虫類』だとか『糞カメレオン』だとか、『人外』だとか。
 なんとも失礼な言い草で、そのたび葉柱は文句をつけるのだけれども、見下ろす先に群がる小さな葉柱――と言っていいなら――の白ランの裾から見えるのは、確かに尻尾のような……。
緑色した尻尾は、どう見ても、爬虫類系。くるりと巻いているところはまさに、カメレオン。

 うわぁ、これじゃヒル魔に糞爬虫類とか呼ばれても反論できねぇじゃん。 って、いやいや、これ、俺じゃねぇしっ! つか、これ、夢……? や、だって、現実だなんてそんな、ありえねぇし!

 呆然としている葉柱の耳に、これまた現実逃避を促すような声が響く。

「キャッ! ヒルマ、ダメー」
「サワッチャ、ダメーッ」
「キャッ!」

 ……鳴きやがるよ、おい。しかも、ちゃんと人の言葉に聞こえっし。つか、「キャッ」ってなぁあれか? 「カッ!」って言ってんのか? ハハ、小さすぎて「カッ!」って言えねぇんだ、こいつら…………って。

「笑いごっちゃねぇってんだよっ!!」

 いやもうここは笑っとけと思わないでもないが、さすがにそこまで現実逃避してもいられない。呆気に取られている間に、ミニミニサイズの葉柱はなんだか数を増やしているし、必死って顔して足にしがみついてきて、正直かなり……。

「ッダァー! 気色悪っ!」
「あ? テメェ、葉柱になんてこと言いやがんだ、糞奴隷!」
「は?」

 ええと、もしもし、ヒル魔さん? そりゃ、いつも名前でなんて呼んではいただけませんが、葉柱ってのは俺の名前なんですけど?

 疑問、といより、いささか、ショック。
 そりゃそうだろう。この状況でヒル魔が葉柱と呼んだのは、どう見ても、ミニミニ葉柱ズのほう。でもって自分は糞奴隷。ヘコむなっていうのは、無理な相談ではある。

 ちょっと待てよ、おい。そりゃねぇだろうよ。自分と同じ顔した奴らに言うのもなんだが、はっきり言って人外通り越してUMAだろ、これ。ガキのころ、兄貴と一緒に結構夢中んなって図鑑読んだ記憶があんぞ。ネッシー、ヒバゴン、チュパカブラ……あー、恐竜人間なんてのもいたよなぁ。ありゃ子供心にも怖かった。で。そんな奴らと同類のこれを、俺の名前で呼びますか。ああ、そうですか。

 これが泣かずにいられようか。

「なに泣いてやがんだ、糞奴隷。ウゼェぞ」
「ここで泣かねぇでいつ泣けってんだよ、テメェはよっ! つか、なんでこれが葉柱で俺が糞奴隷なんだよ!」
「俺の大事な葉柱にこれとか言ってんじゃねぇよ」

 科白だけ聞いてりゃ、天にも昇る言葉だ。俺の大事な葉柱、なんて。有頂天通り越して昇天しそうな勢いですらある。
 けれど、その対象はといえば。

「……こいつら、が?」
「オゥ。なにしろ俺の親衛隊だ。なぁ、葉柱?」

 嫌そうに葉柱が問えば、尊大な態度でうなずいて。そこまでは見慣れたものだったけれども。
 ありえない生き物の登場より、多分、今、目の前に見える光景が、きっと一番、ありえない。

「いつも一緒にいて、俺を守ってくれんだよなー、葉柱?」
「ヒルマー、ヒルマー、スキー」

 小さな葉柱、そっと両手に拾い上げて。
 ヒル魔が見せる蕩けそうな優しい笑顔。そんな顔、知らない。見たことが、ない。

「俺も好き。可愛いな、葉柱」

 そっと、目を閉じて。小さな顔、ヒル魔の唇に近づいて。

「……で? それが俺様の安眠を妨害した理由だと?」

 地を這うような不機嫌極まりない声に、葉柱はしゅんと舌を垂らした。
 べつに起こそうと思ったわけじゃないが、真夜中に隣で大声上げて飛び起きられちゃ、そりゃ怒るだろうと自分でも思うから、反論もしづらい。

「ひとつ訊くが、テメェ、寝る前なにしてた?」
「は? なにって……そりゃ……」

 訊くまでもないことをなぜわざわざ? と、顔を真っ赤に染めながら、葉柱が首をかしげるのも道理。なにしろ一人ではできないことをしていたわけで。ついでにその相手といったら、尋ねてきた当人だったりするんだから。
 とはいえ、しっかりきっぱり不機嫌そのもののご主人様の問いかけなら、答えないわけにもいかない。
 なにしろこれ以上ご機嫌を損ねたら、一体どんな目に遭わされるかわかったもんじゃないので。

「セックス……して、ました……」
「誰と?」
「……ヒル魔と、です」
「そうだよなぁ。俺に乗っかって、好き放題腰振ってやがったんだよなぁ?」

 いや、好き放題って、そこまでは。そんなことさせていただいた覚えは、とんとございませんが。
 なんてことは、言えるわけもないので、黙っておく。口は災いの元とも言うし。
「夢ってなぁ、願望が出るって言うよなぁ? 告白しようとしてたってことは、テメェの夢んなかじゃ俺らはつきあってもねぇと。すべて白紙に戻して、振り出しに戻してぇと……ま、そういう解釈も成り立つな」
「いやいやいやっ! それは絶対にねぇからっ!!」

 自分でも呆れ返るぐらい必死に否定してしまった葉柱だけれども、そりゃ慌てもするし、必死にもなるだろう。なにしろ心底惚れた相手だ。そんな誤解をされたんじゃたまらない。
 さらに言えば、誤解だろうとなんだろうと、一度逆鱗に触れたが最後、生まれてきたことを後悔したくなるような制裁が待っているのは、重々承知してもいる。
 とはいうものの。マシンガンで蜂の巣にされたり、脅迫ネタを大公開されたりするぐらいなら、葉柱にしてみりゃそれぐらいで済んで良かったと胸を撫で下ろしてしまう程度のこと。それぐらいのリスクは覚悟の上でなきゃ、とてもじゃないが悪魔となんてつきあえない。
 絶対に阻止したいのは、破局の二文字だけ。それだけは、どうしたって耐えられそうにないから。

 必死に首を振って、ちょっとつつけば涙が零れそうなくらい瞳潤ませて。土下座しそうな勢いの葉柱に、ヒル魔の口からは大きな溜息。

「……腕貸せ」
「え?」
「腕だよ、腕! さっさとしやがれ糞奴隷!」

 命令なら、と、両手を差し出せば、ヒル魔がぽすんと胸元に倒れこんでくる。
 顔中に『?』を浮かべながらも、抱き締めてしまうのは条件反射。人より長い腕は、ヒル魔の両肩包み込んでもまだ余る。
 腕のなか、体重あずけてもたれるから、こんなときでもドキドキする。信頼されてるような気がして、嬉しくなる。

「……テメェ、小さくなりてぇのか?」
「や、そんなことは……」
「小せぇ葉柱なら、いつも俺と一緒で、俺に大事だの好きだの言われてんだろ? それでも?」

 存外真剣な瞳で見上げられて、葉柱はやっぱりドキドキしながら考える。
 夢のなかで見た、ヒル魔の笑顔。蕩けそうな、優しい瞳。それから。

「……うん、小さくなって傍にいるより、このままが、いい」

 もし、あの夢が願望を形にしているというのなら、それはきっと、ヒル魔に好きだとか大事だとか言われることよりも、素直に好きだと言葉にできる自分や、いつでもヒル魔を守れる自分に対して。
 哀しかったのは、まだヒル魔にあんな顔をさせられる自分じゃないことで。

「なら、いい」

 ニッと笑って見上げてくるヒル魔の瞳。浮かんでいるのは、愉悦と陶酔? 誰の目にも明らかな、優しい笑みじゃないけれど。

「テメェの長い腕は、俺も気に入ってる。それに……」

 ヒル魔の腕が伸びて、葉柱の頭引き寄せる。肩口に顎先乗せて、よしよしと、手が葉柱の髪を撫でる。

「デッカイままで、十分可愛いしな」

 ……どんな顔でそれを言ったのか、見たいけれど、見せてはくれないから。
 可愛いなんて、ほかの誰に言われても、嬉しいとは思わないけれど。子供にするように頭を撫でる手、こんなにも幸せな気持ちにさせてくれるから。

「小さくなくても傍にいんだろ?」
「うん……」
「小さくなくても守れよ?」
「カッ! 当たり前だろ」

 小さな声で、ヒル魔は満足そうに、笑うから。

「なら、いい」

 小さくなくて、よかった。抱き締めることができる自分で、よかった。

「ヒル魔……」
 お伺い滲ませて呼びかければ、しかたねぇなぁと言いたげに、それでもゆっくりヒル魔の顔は上げられて。
 瞳、そっと閉じてくれるから。

 葉柱は、思う。大事な人を長い腕に抱き締めて。
 小さくちゃできないこと、できる自分でよかった。

 それがなにかは、聞かぬが、花。

                               END