コーディネートはあなた次第

 葉柱にとっていわゆる『おつきあい』のきっかけは、大概が向こうのコナかけから。校舎裏で好きですなんていう少女漫画みたいな爽やかさとは無縁の、淫蕩な誘いの視線が始まりの合図。伸るか反るか。賊学のヘッドなんて張ってりゃハニトラなんかザラにある。とはいえ、それしきのことで悩む時間がもったいねぇし、罠だろうとねじ伏せりゃそれで済む話。
 気にいりゃ誘いに乗っかって、乗って揺らして揺さぶって、具合がよけりゃあ『おつきあい』なんざしてみたりする。そんなもん。
 面倒くさくなりゃそれでおしまいの関係は、後悔も未練もなく。それなりに楽しい記憶だけ残して、はいサヨナラで終わっていた。今までは。

 葉柱は、目の前で苛々と顔をしかめている悪魔を、しょぼんと肩を落としてうかがい見た。昨夜は珍しく、共寝したのは葉柱の部屋。家ではなく、あくまでも、部屋。
 専用マンションときたか、さすがはお坊ちゃまと、小馬鹿にした笑いに青筋立てたのはまるっと十二時間ほど前のこと。
 家に賊学の連中を連れ込まれちゃ風聞が悪いと、愚連隊ごっこならこっちでやれと用意されたマンションだから、反論はしにくい。所詮は親がかりのすねかじり。親の都合にしたがっただけだ。
 それでも便利なことに違いはないし。女を連れ込むにも都合がよかったし。くれるってんなら貰っとこうかいと、すっかり家には寄り付かず、この部屋で寝起きするようになってから久しい。
 とはいえ、最近ではあまりこの部屋で寝ることはない。眠るだけならともかく、寝るのは大概、ご主人様の安物のパイプベッドだ。
 物騒さばかりが際立って生活感があまりない蛭魔の部屋で、夜を過ごすようになったきっかけも、今までの女たちと大差はないように思う。

 あの日のことを思い返してみても、日常の一コマと変わりはない一日だった。
 騒がしく文句を言いあいながら、コンビニ弁当の夕食は蛭魔の部屋の、薬莢が転がるテーブルで。日常からずれたのは、ふと落ちた沈黙。
 黙り込んだのは数秒間。スッと蛭魔の気配が変わって、視線が誘ってきた。まさかと打ち消すには、トンっとテーブルを叩いた白く骨ばった指先も、うっそりと笑う薄い唇も、熱を煽る計算づくなのがわかるから。伸るか反るか。今度の決断は勇気がいった。

 だって、相手は金髪の悪魔。葉柱のご主人様。読み間違えてハチの巣にされるだけならまだしも、切り捨てられていらないと言われたら、たぶん立ち直れない。
 だって、もう惚れこんでた。きっと。言葉にしたことはなかったけれど、命令を待ちわびるぐらいには、ともに過ごす時間が恋しくて。
 触れたい、なんて。抱きたい、なんて。見透かされたら首を吊りたくなるよな欲望込みの感情でもって、悪魔の笑みに心を奪われていた。だから。

 惚れた相手に格好悪いとこなんざ見せたかねぇ。男のサガだ。覚悟を決めて、必死にクールぶって言った「いいのかよ?」の一言は、情けないことに上ずってた。
 けたたましく笑って葉柱を落ち込ませること請け合いだと思ったのに、ご主人様は、ゆるりと瞳を細めて。「いいぜ?」のお許しはささやき声。するりと葉柱の頬を撫でる指先とともに。

 誘ってきたのは蛭魔でも、許しを請うのは葉柱のほう。乗って、許されて、乗っかって。触れる手は、過去と同じようでいて全然違った。やさしく、甘く、ひたすらに尽して尽して尽しまくるよに。あんなに丁寧に慎重に相手に触れたことなんて、一度もなかった。誰にもしてこなかった。全部、全部、蛭魔にだけ。
 慣れた行為のはずなのに、全部が初めてで、隙間なく抱きあえた瞬間、不甲斐なくも泣いた。
 見下ろした蛭魔の、汗を浮かべる白い肌は淡く染まって、聖なるものの禁忌の瞬間を目にしてしまったような気がした。噴きあがるマグマみたいな、制御しがたい凶暴な愛おしさと、無性に感じる不思議な罪悪感。これで全部俺のものだなんて、思いあがれるわけもなく。
 ポロリと落ちた涙を悪魔の手がぬぐって、引き寄せられるままに顔を寄せた。

「……糞泣き虫カメレオン」

 悪魔のささやきがこんなにもうれしげで優しいなんて、反則だろう。吐息だけでつづられた『俺の』なんて前置きに、言われなくてもとっくにおまえのものだと、噛みつくようにキスをした。
 必死になって熱を高め合うのに夢中になった夜。パイプベッドがギシギシと軋みつづける音が、やけに記憶に残った。

 ご主人様と奴隷の関係は相変わらず。好きだの愛してるだのなんて軽い言葉は、互いに一度も口にしない。だけどその夜からきっと、『おつきあい』をしているはず。恋人だとか彼氏とか、そんな言葉で言い表さないだけで。
 ふたりでベッドをきしませる夜も、もう何度目なのかわからない。感極まって泣くなんてことももはやないぐらいに、汗を混ぜあうのが日常の行為になってる。
 そんないつもとは違った昨夜の出来事をあげるなら、ここが蛭魔の部屋ではなく、葉柱の部屋であることぐらい。壊れそうな音を立てる安物のパイプベッドではなく、スプリングの利いた快適なダブルベッドだったことだけ。
 常と変わらず葉柱は尽くしまくったし、蛭魔もいつも通り、甘く啼いて、恍惚と泣いて、互いに満足の吐息をついたのを最後に、抱きあって眠ったはずなのだけれども。

「おい……もう服なんてどうでもいいだろ。いい加減出かけようぜ……スミマセンデシタ」
 疲れ果てたボヤキは、無言でジャキッと構えられたS&Wによって封じられた。でもご意向に沿おうにも、そうできない理由もあるわけで。
「けどよぉ、もうほかに服なんてねぇよ」
「チッ、お坊ちゃまのくせに。無駄にデカいだけでクローゼットの中身はそれっぽっちかよ」

 んなこと言ったって、普段は学ランばかりだし。着飾るような趣味はねぇし。金かけるならアメフトとバイクにかけるし。

 ため息ぐらいつかせてくれと、下がり気味の眉をいっそう下げたら舌まで垂れた。

 今日は完全オフだ。バイク乗せろよ。江の島辺りまで。

 家まで送ると言った葉柱に、チーズトーストにかぶりつきながら蛭魔が宣ったのは、朝八時。
 昨日はいつもの命令で他校の偵察。帰りの土砂降りは想定外。大外れの天気予報に悪態をつきながら、葉柱のマンションに転がり込んだのは、単純に蛭魔の家より近かったから。
 初めて訪れる葉柱の部屋に、なんだか子どもみたいにはしゃいでいた蛭魔はかわいくて。葉柱も浮かれて、つるりと口をすべらせた一緒に風呂入るかの提案さえ、別にいいぜと受け入れられたら、舞い上がるななんて言われても無理な相談。
 いつもよりもちょっと浮かれて、いつもよりも少しだけ燃えた夜。いつもと同じように甘く、蕩けて。

 そして、トドメとばかりの朝の一言だ。

 偵察や買い出しには行くけれど、特に目的もなくタンデムなんてしたことがない。『おつきあい』しているふたりでお出かけとくれば、そりゃいわゆる『デート』っていうやつなんじゃ? 浮かれるに決まってるだろう、そんなもの。
 一も二もなくうなずいて、まだ乾いていない蛭魔の服の代わりに、あわてて見繕った服に蛭魔はなんだか上機嫌だった。

 丈はちっと足んねぇくせに、ウェストあまるぞ、だの。
 袖なっげぇ! ダウンジャケットなのにオーダーメイドかよ、さすが人外、だとか。

 牙煌めかせるデビルズスマイルより邪気のない、なんだか子どもっぽい笑い声をたてて、余った袖をブラブラ揺らせる蛭魔なんて、かわいいが過ぎて息が止まりそうになる。

 まぁ、身長は大して変わらないのに、ちょっと丈が足りないボトムには、正直ちょっぴりムカつくけども。くそぅ。まぁ、いいけど。長い脚が必死ってふうに腰に絡みついてくるの、好きだし。いいけど。

 そんななんだか他愛ない、和やかで平和なデート前のやりとりが、一転不穏な空気に転じたのは、支度を済ませた葉柱を蛭魔が見たときから。
 準備できたぜと、コートに袖を通しながら言った葉柱に、蛭魔の眉は盛大に寄って、にべもなく告げられたのは
「却下。とっとと着替え直せ、糞奴隷」
 だった。
 モスグリーンのモッズコート。昔大人気だったテレビドラマでお馴染みになったそれは、別に気に入りってわけでもないからいいんだけども。不興を買った理由は皆目わからない。
 とはいえ、たかが上着一枚だ。せっかくの初デートだ。ご機嫌を損ねたのなら、着替えるぐらいなんでもない。
 そう思ったのだけれども。

 そこからすでに三十分。葉柱の部屋のリビングは、にわかにランウェイと化した。ファッションショーのモデルよろしく、持ちあわせの上着を着てはリビングに登場し、蛭魔の判定をあおぐこと何着目か。
 ベージュのトレンチ。リーマンかよ、ダッセェ。
 ネイビーのダッフルコート。おこちゃまくせぇな。
 迷彩柄のミリタリージャケット。サバゲ―でもする気か?
 黒のインバネス。英国紳士か! それとも大正ロマンか! カメレオン紳士、どんなキャラだよ!
 鼻で笑って却下しつづけた挙句に、ゲラゲラと腹を抱えて笑われれば、いい加減葉柱のこめかみにも青筋が浮く。

「カッ! うちの奴らがハロウィンパーティーしましょうってうるせぇから、しょうがなく買ったんだよ!」
「吸血鬼か! ドラキュラコス用かよ、くっだらねぇことしてんな、賊学は。おい、てことはタキシードとかも持ってやがんのか? 糞奴隷」

 目をキラキラとさせだすご主人様はかわいいけれども、着てみせろなんて言われるのは勘弁願いたい。だって今日はこれからデートのはず。こんなファッションショーだって、本音は時間の無駄。
「てかよぉ、どんな服ならお気に召すんだよテメェは」
「あぁん? 別にどんなんでもかまわねぇが……てか、なんでテメェはベージュだの黒だのばっか持ってやがんだ。一枚ぐれぇ白買っとけよ。白」
 チッと舌打ちして、苛々と。どこかふてくされたよに。

 白く、裾はためかせる、葉柱の学ラン。いつもの姿。どうでもいいといいながらも、こだわる真意は、図に乗っていいのなら多分。

「いつもの格好の俺、気に入ってんの……?」

 残念ながら葉柱の学ランも、まだ湿ってずしりと重いので。タンデムした蛭魔につかまっていただくには、少々難あり。ただでさえバイクに乗るのだ。濡れた学ランで風邪なんか引かせるわけにはいかない。もちろん、自分が引くのも御免こうむりたい。だから着るわけにもいかないけれど。

「……んなこと言ってねぇだろ! 調子に乗ってんな、糞カメレオン!」

 構えるS&Wの照準は葉柱の眉間。まなじりつり上げ怒鳴るご主人様、だけども尖った耳の先は赤い。かわいくてニヤケてしまうのを、必死にこらえなくちゃいけないほどに。
「あー……江の島行く前に、服、買いに行くか?」
「……テメェのサイズじゃ、既製品は袖が足りねぇだろうが」
 フンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。ご主人様はご機嫌斜めのまま。だけどもう、ほとんどがポーズ。照れ隠し、とは言わないでおくけれども。言ったら本格的にへそ曲げるだろうし。
「しょうがねぇな、モッズでギリ我慢してやる。さっさとしやがれ、糞奴隷。一日は二十四時間しかねぇんだ。グズグズしてんな」
 反射的に浮かぶ青筋。でも反論はしない。だって時間は有限だ。今日はデートなのだ。言いあう時間も楽しいけれど、それだけじゃ、足りないから。

「白いコート、買っとく」
「ん……そうしろ」

 一日の終わりには、服なんて意味がなくなるのはわかり切っているけれども。素肌は隠されているからこそ、暴くのがたのしい。暴く権利を許されあってるから、うれしい。

「よっしゃ! 飛ばせ、糞奴隷! YA――HA――ッ!」
「カッ! イエス、マイマスター! 振り落とされんじゃねぇぞ!」

 いつもの掛け声、いつもの答え。いつもとちょっと違う初めてのデート。次はきっと、眩しい白、はためかせて。真っ白なおまえが好きなんて、決して口にはしてくれないご主人様を乗せて、さぁ、行こうか。