原画展 in 名古屋(にゃんことワンコのネタバレちょこっと有り

 さて。前ページで書いたとおり、ここから先は読んで気持ちのいいものではありません。ご納得の上、お読みください。

 グチャグチャになってどうしようもなくてなにも書けなくなった原因は、現状永久に消えたのですが、それによって完全に落ち着いたかといえばそういうわけでもなく……という、なんともしまらない状況におります。
 端的に言ってしまえば、冬季うつ病で精神状態が不安定なところにもってきて「母親が末期がんで余命数ヶ月。一度会いたいと言っている」との報を従妹から受けたのが原因です。
 正直、その場では「だからなに?」としか思わなかったです。
 会う気はないと告げたときに従妹が説教めいたことを言わず理解を示してくれたのが救いではありましたが、自分でもビックリするぐらい、従妹が帰ったあとからが最悪で。

 もう二度と会わずに済むと思ってたのに。なんで居場所を知られてるの。親族全員音信不通にして完全に縁を切れたと思ってた。そうだ、アイツが生活保護受けてるから援助をって手紙。関わりたくなくて無視したアレが原因か。逃げられたと信じてたのに、血が追いかけてくる。怖い。怖い。嫌だ。絶対に嫌だ。なんであんな女に会わなきゃいけないんだ。ズルい女。死ぬときまで自分を善人に見せたいのか。あれだけ私をただの道具扱いしてたくせに。みっともないガキ、馬鹿、利用価値がなくなりゃお払い箱と嘲笑ってたくせに、今さら後悔してるとでも泣いてみせるつもりか。死を前にした謝罪なんて許さなければこちらが人非人扱いされるだけ。長い時間をかけてやっと解き放たれたと思ったのに、まだ私を利用するつもりか。おまえなんかさっさと死ね。早くくたばれ。私の前から永久に消えろ。

 ……もうね、恐怖と不安と怒りでグッチャグッチャ。なにしてても勝手に涙が出てくるし、叫びそうになるし、ちょっとでも弱ってるときに食べれば吐くし。心を燃やせならぬ心を殺せ状態。でないと普通の生活送るのもきつかったです。もう関係ない相手と信じていたし、なにが起きても心が動くことはないと思ってたんですけどね……。
 血を分けても相容れぬ仲というのはあるもんで、母と私。私とすぐ下の弟がまさしくそれでした。
 父方の男尊女卑が激しかったそうで、私が第一子として生まれたせいで浮気されて離婚する羽目になったんだと、私を馬鹿にして道具扱いしてきた母は言いましたが、そんなの私のせいかよと。だいたい私の下に二人も弟いますしね。まぁ、父親も私のことだけ実の子と認めてないですけども。随分前におまえは俺の子じゃないはずだと実際に言われましたし。女が俺の子のはずがないそうですよー。なんじゃそりゃ。さすがは「そのまま水商売の源氏名に使えるだろ」って理由で初めての子の名前を決めるだけあるわー。

 とはいえ父親はどうでもいいです。あちらには家庭もありますし、お相手にも私だけは自分の子じゃないと言ってるのを私も知らされてますから。わざわざ私が逃げなくても関わってくることなどない人です。あれと血が繋がっていないのならそれはそれでありがたいと思える人でもありますし、どうでもいい。父方の洗脳で弟が私を性奴隷にしてもいい存在と思い込んでレ◯プしようとしたのも、許せないし今後も二度と逢いたくないけど、父と私の血が繋がってないなら奴と繋がっている血も半分で済みますしね。
 母にしても、肉体的な暴力こそなくとも、言葉の暴力やネグレクトの記憶しかない人です。弟にレ◯プされかけたことを決死の覚悟で告げた時、生贄と言わんばかりに即座に家を出て男の家に転がり込みましたからね、あの女。犠牲は私だけでいいと思ったんでしょうね。
 そんな具合に心をゆっくり殺されていくなかで、どうにか私がちゃんと「生きてる」と感じられるようになったのは、『物語』と友人に心を育ててもらったから。血や戸籍で繋がった親に育てられたわけじゃない。私は私の意思と選択で今の私を作り上げた。それを手助けしてくれたのは、本であり小説でした。
 私は幼稚園児のころから小学低学年程度を対象とした本なら自力で読めたんですが、それが母にとって自慢の種の一つであったのはたしかで、おかげで本だけは文句もなく与えてもらえたんです。
 それに関してだけは、感謝しています。本のなかでいろんな人生を送ってきたから、自分が置かれた状況の異常さも、自分の母は世間一般の母親とは違うという現実も、幼いうちに理解できましたから。
 けれど、どれだけ理解しても幼子にとって頼るべきは母しかなく、自我を抑えつけて母の意に沿うように振る舞う以外許されなかった。否定されることに慣れすぎて、自己を肯定することに怯える自分を必死に抑えつけ、好意を受けたら素直に受け止め自分自身の努力を認めていいんだと、自分に言い聞かせる人生をいまだに送っています。
 受けてきた仕打ちについてクドクドと泣き言を並べる気はありません。知らせを受けてからずっと、思い返しては泣いて喚いて、これじゃいけないと涙をこらえては怒りにかられてをずっと繰り返してきましたから。これ以上とらわれるのは自分で自分を苦しめるだけだともうわかっているので、無益でしかないことはやめておきます。
 それでも、わかっていても苦しさから抜け出せなかった。それが、先日、22日に郵便受けに残されていた従妹からのメモ一枚で、パチンと消えました。

 5月20日に母が亡くなり、翌23日に荼毘に付すという知らせでした。

 驚いたのは、なにも感じなかったこと。悲しいなんて欠片も思わないだろうとの予想が当たったのは当然として、安堵も怒りもなにもなかったんです。あれだけ苦しんだのに、「そうか、死んだのか。思った以上に長かったなぁ」それだけしか思わなかった。
 斎場についても書かれていましたが、行く気なんか微塵もなかった。翌日も普通に出社し、誰にも母が亡くなったのなんのと告げることもなく仕事して、同僚と笑いあったり相変わらず無能な社長らにイライラして、いつもと何一つ変わりなく過ごしているあいだに母は灰になりました。メモに残されていた時刻にも「あぁそろそろか、これで完全に終わりだ」とふと思いはしましたが、それだけ。なにも感じなかった。

 たぶん、病室を訪れ今までの怒りをぶちまけるよりもよっぽど、私の対応はひどいんだろうと思います。死を目前にした母に対して罵倒する娘。もしくは涙ながらに許しあう母娘。どちらでも母にとって損はない。誠意を尽くして謝罪しているのに受け入れない鬼のような娘と哀れな母親でも、長い断絶を乗り越えて娘を許し許される母でも、とにかく見栄っ張りで私に対してマウントを取り続けた女にとっては見せ場としては最高だったでしょうから。
 ひたすら憐れを装える人なら、完全に無視されても周りに慰められほくそ笑むこともできたでしょうが、自己中心的な本性を抑制できない人ですから口汚く私を罵っただろうことは想像に難くない。幼い私にしていたように、同じことを繰り返し、周りから眉をひそめられたことでしょう。
 時間が経てば人も変わる、改心して本当に後悔してるかもしれないと、おためごなしなお説教をしてこなかった従妹には感謝してます。言われたところで、なぜこれからも生きていかなければならない私だけが苦しみをさらに押し付けられなければいけないのかと、反発して誰も彼もを恨んだだけだと思いますので。
 改心なんてするわけないとも、思っていたかもです。というか、今も思ってますしそうであれと願ってもいます。自分がしてきたことを本心から理解したのなら、逢いたいと思っても決してそれを口にしてはならないとの自戒もできるはずですしね。自分が楽になりたいだけの謝罪か、自分の世話もせず逃げたことを謝罪しろと私に要求する気だったか、母がどちらを望んでいたかなんて知りたいとも思わないし、もう永久に知ることは叶いません。それでいいです。謝った、だから全部水に流せ。そんな言葉を加害者側が言うなって話です。
 最後の見せ場で思惑が外れて残念だったねと、冷めた心で思っただけ。人でなしと罵られてもしょうがないと少し笑ってしまうぐらい、そんな自分に呆れたしほんのちょっと落ち込みもしました。うまく説明できないんですが、葬儀の日以降に胸の奥をざわつかせるのは、なにも感情が動かなかった自分に対する落胆なのかもしれません。母に対して思うところはもう何もない。ただ冷めきっている自分にちょっと愕然として落ち込んだ。それだけ。

 自分はやっぱりどこかが欠落した人間なんだなとの落ち込みは、今も少しだけ心を揺らすけれど、終わったことと思いもする。もうすべて過去になった、これから先、私に襲いかかってくることはない。安堵して涙が出てもいいと思うんですけどね、ホント、なんにも感じてない。
 名古屋に向かう前から帰ってきた今まで、一度も母について思い出しもせず楽しんでましたw 人でなしってきっと私のことだなと、今も苦笑してしまうだけです。
 ただ、先のことはわからないので、これから時間が経つうちに自分の所業がつらくなるかもしれないし、罪悪感に押しつぶされそうにもなるかもしれません。
 私は理屈っぽいので、きっとそのときにも「なぜ私があんな女のために罪悪感を覚えねばならないのか」とか「苦しむことで対外的に自分の理を示そうとしているだけじゃないのか」とか、いらないことをぐだぐだと考えては悩むんだろうと今から覚悟はしてますw

 共感も同情も慰めもいらない。誰かにつらかったんだと泣きつくのも嫌。私は私が幸せだと思える時間を自由に過ごしたい。だから負けてたまるか。そう意地を張って生きてきたからには、今さら泣き言を言って甘えるなんて恥さらしはしたくない。弱い自分を知っているからこそ、弱音を吐いていいんだよなんて言われたくない。強がりを押し通せないなら、強いふりなんてしなけりゃいい。強いふりしてきたからには最後まで押し通したい。だから今この場でしか、母が亡くなったことを告げる気はありません。周囲の誰にも言わないままでいい。
 変なとこで頑固なんです。意固地。わかってるし自分の短所だと理解もしてますが、変えたら私じゃなくなる気もしてるので、このままなんでもないよと笑って済ましたいところです。

 会社でも相変わらずいろいろありまして、今までよりずっとイライラしてしょうがなかったんですが、それについても母の訃報で改めて気づきがありました。
 詳しい内容についてはやっぱり愚痴でしかないし、ここで管巻いてスッキリするってもんでもないので省きます。要は、社長やWに今まで以上に腹が立つのは奴らが私(だけでなく社員全員)のことをただの道具としか思っていないからだと、はっきりと自覚したんですよね。
 母の所有物という立場から逃げ出して、今はもう自分の足で立って生活しているはずなのに、奴らと関わる以上、実際はともかく奴らにとっては使い捨ての道具としてしか扱われない。幼いころと同じ、人間ではないなにかとしか思われていない。それに腹を立ててるし、もう我慢ならないと思ってるんだと、改めて自覚したわけです。
 会社をやめようと決意したのは3月でしたけども、なんで今回にかぎってどうしても許せなかったのか、理由はこれかぁと母が亡くなって初めて自分でも気づいたって感じですね。
 これに関してはスッキリしましたw なにがなんでも会社やめなきゃと改めて固く決意できましたしw
 まぁ、八月まで待たないと同僚たちが過労死しちゃうんでね。八月十五日付で退職しますと、ボーナス貰ったら言う予定。同僚の一部や主任にはヘルプやらなんやらで苦労をかけてしまうので、そのつもりでいてくださいともう言ってありますから、あとはスムーズに辞められるのを祈るばかり。
 私が辞めたら困るのもWだからなー。奴が大嘘こいて私に押し付けた休日出勤、私が辞めたあとどう回してくのか。まぁどうせ社長になんのかんのと吹き込んで、休日の作業専門のバイトでも雇うんでしょう。でないとWも出勤しなきゃならなくなるからねー。
 とりあえず辞める前に「休日出勤を軽い気持ちで了承すんな。こっちの予定も聞かずに全部押し付けられるぞ」って同僚たちには忠告しときますw
 イライラして腹立てて過ごさずにいられるよう、スムーズに退職できるよう(でもってまともな会社に再就職できるよう)頑張る! 人らしく生きること大事!

 あんまり愚痴っぽく書かないようにしよう、淡々と、あったことだけ告げようと思ってたんですが、駄目ですね。これ以上恥をさらさぬよう、ここで終わりにしときます。
 血の繋がった実の母親に対する非道さなどで私を軽蔑する方もいらっしゃると思います。また、小説でキャラにオバの本音や葛藤を代弁させていただけと感じ、不快感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。前者に対しては申し訳ありませんでした。後者については、小説の上では私の主義主張を前面に押し出さぬように、あくまでもキャラの気持ち優先で書いているつもりではありますが、私の主張としか受け取れないと思われるのも当然です。自分の稚拙さや未熟さゆえの結果ですので、粛々と受け止めさせていただきます。

 幸せな人が好きです。幸せそうな人を見ているだけでうれしくなります。はたから見れば苦労知らずとやっかまれても笑って生きてきた人に憧れます。苦労なんて知らないほうがいいに決まってる。苦労を知らずに世界はやさしい幸せだと疑うことなく生きていられる人は眩しい。そのままでいてと願い憧れます。
 同時にどれだけ苦労しても、絶望しても、それを吹聴することなく黙って自分の足で立ち、前へと進む人を尊敬しています。綺麗事と言われようと信念とともに前を見据えて絶望から這い上がった人に、どうしようもなく心惹かれます。いつかそういう人になれたらいいと強く願っています。つらかったから人もつらい思いをすればいいと願うのではなく、自分のつらさや苦しさを誰かがまた受けずに済むようにと願える人になりたいと、ずっと思い続けてもいまだになれずに苦しむ日々です。
 それでも、義勇さんや炭治郎、煉獄さんたち鬼滅のキャラに勇気づけられ、そんな彼らが幸せに過ごすさまを想像するだけで私の心も幸せに満たされます。ふたたび原画展を訪れ彼らへの愛情を強く再確認すると同時に、また改めて彼らを生み出しで合わせてくれたワニ先生へ深く感謝しております。

 私の過去やら主義主張やら、そんなのは本当は書く必要など微塵もなくて、ただ小説を楽しんでいただけたらそれだけでいいんですけれども、筆を止めてしまっていたあげくにこんな告白までしてしまい、本当に申し訳ないです。
 気にせず小説だけ楽しんでくださいと言うのは簡単ですが、受け止める側はそうもいかないですよね。「はいそうですか」とは割り切れないという方もいらっしゃるかもしれません。「もうオバの小説は読めない」と思われても仕方のないことです。
 それでももしもまだ私が書く小説を、私が思い描く世界に生きる義勇さんたちを、好きだと思ってくれたのなら、こんなに幸せなことはありません。
 私をただのネタ製造機や萌え製造機にせずに、私が書く話を読んで「幸せ」「楽しい」「面白い」とほんの一言でも受け止めたよと示してもらえたら……それだけで私はたぶん人間として生きていられる。だから書くのはやめません。
 でもそれも私だけの都合です。だからもう読めないと思われたのなら、残念ですがお別れです。わがままを言っていいのなら、ただそっとこのサイトをブクマから消して、ツイッターなどでも私をブロックして終わりにしてもらえたらうれしいです。もちろん、私に対して軽蔑するとか幻滅したし傷ついたと主張するのも、自由です。そこは否定しません。書こうと決めて実際にこうして書いて公開した以上、そういった言葉も受け止めねばならないと覚悟もしています。
 それでも、自分がどれだけ強くあろうと願っていても、実際はこんなにも脆いと実感させられる日々を過ごしたばかりなので……もう少しだけ、心を立て直す時間をいただければありがたいです。
 ……まぁ、待ってまで苦情申し立てをするほど、私に関心があるって人もそうそういないとは思いますけどもね(^.^;
 ともあれ、以降は義勇さんをはじめ大好きな人たちを幸せにすることだけ考えて、サイトを続けていこうと思っております。
 もちろん、大好きな人には私が投げかけた言葉を受け止めて「オバが書いた小説が好き」と投げ返してくださる読者様方も含まれてますので! 読めて幸せと思ってもらえる作品をお届けできるよう、私なりに頑張ってまいります。これからもよろしくお願いします。